バックシートにのっかって②

 マドーシさん以上の魔法士。

 それが持つ意味。人族で一番の魔法士であるマドーシさんを上回る実力の魔族がいるということ。それも、元勇者の故郷であり現勇者が祝福を授かりに向かう南の街近辺の地域に。


「……誰かが手引きしたんだろうな」


 惨さを感じるほど冷たい表情でセンシさんは一人ごちた。


「それほどの実力を持つ魔族を普通見逃すはずがない。人族の中に裏切り者がいたんだろう」


「今となってはそんなことどうでもいいわ……入られたんならやりたい放題よ」


 憔悴しきっていたマドーシさんはゆっくりと立ち上がり、気怠げにぼくらを見下ろした。


「恐らくそいつは南の街にいる。聖堂がそこにあることも、勇者がそこで祝福を授かることも知ってるはず。でなきゃこんな何にもない地域にこない」


「そうだろうな……」


 センシさんとマドーシさんは眉をひそめて頭を抱えている。重苦しい空気が漂った。


「ええと……」


 ユーシャちゃんは当惑している。急遽勇者になれと言われて南の街に行くことになったと思えば、魔族が現れて頼りの大人も頭を抱えている。周りはそうは思わないかもしれないけど、この子はまだ勇者じゃない。周囲の状況に巻き込まれているだけの村育ちの少女だ。

 ぼくは少女の肩に手を置いた。


「大丈夫だよ。センシさんとマドーシさんがそのうち何とかしてくれるから」


 面倒は全部他人に任せてしまえばいい。ぼくみたいな怠け者にはなって欲しくはないけれど、子供のうちはそんなもんでいいだろう。笑みっぽい表情に変えて、強張りが解けるまで肩を撫でる。

 ユーシャちゃんは硬い顔でぼくを見上げていたが、やがて薄く微笑んでぼくの外套の裾をつまんだ。


 再び二人に目を向けると、そんなぼくたちの様子をマドーシさんが注視していた。ぼくと目が合い、途端に目を逸らした。


「とりあえず、勇者様を南の街にお連れするのはやめておいた方がいいな。ここいらで一番安全なのは中央の街か」


「そうね、中央に……あんたたちは行きなさい。わたしは南の街に行くわ。どうなってるか調べたいし」


「本気かよ……居るんだろ、その……お前よりすごい——」


「まあ人の精神を防護することには長けてるみたいだけどね、それだけで全てわたしより優れているとするのはあまりに短慮だと思うわけ。わたしって基本的に何でもできるけど本職は破壊とか殺しなわけだから、その他の分野においては片手間で片付けていたところがあるのよ。そりゃそれでも世界最高の魔導師であるわたしが他の誰かに魔法魔術において遅れをとることはなかったけど、今回みたいにたまたまわたしより上手く魔術を作り上げる奴が出てくることは想定していたわ。でもわたし以上の隠蔽技術を持つ魔法士が他の分野までわたしほど——」


「わかったからもう行け」


 心底鬱陶しそうにセンシさんが手を払う。よほど自分の才能、実力に自信があったようだ。その過剰なまでの自尊心はぼくには尊く見えた。


「じゃあ行くわ。北の街で待ってて。明日までわたしが帰らなかったら、さっさと中央へ行きなさい」


「わかった……死ぬなよ」


「当たり前」


 格好のいいやり取りをして、センシさんとマドーシさんは頷き合う。恐らく南の街は魔族が何人か入り込んでいて、勇者がやってくるのを待っている。その中にはマドーシさんに魔法魔術において一部分秀でている奴もいる。人族で一番だとアクマに太鼓判を押されたマドーシさんにだ。万が一、がある展開だ。それを理解してか、ユーシャちゃんの息をのむ音が聞こえた。

 ……あれ? ぼくはどうするんだろ。


「あの……質問なんですけど」


「なによ、水を差すわね」


「ぼくはどうしたらいいですかね。センシさんたちと一緒に北の街に帰りましょうか」


「当たり前でしょ」


「いや、ぼくってマドーシさんに呼ばれてわけわからずに南の街まで行くことになっただけじゃないですか。だから勝手に帰っていいのかなって……いいんなら帰りますけど」


「……ちょっと待った」


 とっとと帰ってどこへなりとも旅を続けようとするぼくの肩にマドーシは手を置いた。そして握り締めた。


「あんたはわたしについて来なさい」


「え、何すか急に。さっき良いって言ってたじゃないですか」


「いいから来なさい!」


 襟首を掴まれたぼくはどこにそんな力があったのか、マドーシさんに引きずられてしまう。


「助けて!」


 伸ばした手を果敢にもユーシャちゃんは掴もうとしてくれたけど、


「勇者、聞き分けなさい。この男の力がわたしには必要なの。それがあなた、ひいては人族の未来のためになるの」


「未来……」


 甘言に乗せられて手は止まってしまった。ぼくは小さくなっていくユーシャちゃんの、少し傾いた頭を見ることしかできなかった。


「……もういいですって。わかりましたから」


「なにが?」


「大人しく付いて行きますから、首締まるんでやめてください」


 そのうちバテるだろうと思いしばらく成すに任せていたけど、その気配も見せなかったため懇願した。大して太くない腕なのにすごい筋力と持続力だ。これも魔法なのかな……

 降伏を宣言したぼくはすぐに手を離され頭を地面にぶつけた。ぼくはいつかこの女に暴力を振るいたいと思った。


「……普段から人に対してそんな態度を取ってるんですか」


「そんな態度って?」


「もういいや……で、何でぼくを連れてくんですか?」


「あんたをわたしのいない場所で、勇者に近づかせないためよ」


「親気取りですか? ぼくがあの子をすけこましてしまうとでも?」


「知らないわよ。ただ、近づけさせるわけにはいかないわ」


「わからねえ……マドーシさんはぼくを何だと思ってるんですか? ぼくでなにをするつもりなんですか」


 問い詰めるとマドーシさんはぼくを憎々しげに睨みつける。だけどぼくだって謂れのない非難には屈しない。睨み返してやる。


『謂れはあるだろう、元勇者。貴様は敵前逃亡者だぞ』


『敵の前にも立ってないだろ。敵前前逃亡者だ』


 真っ直ぐ睨み続けるとマドーシさんの瞳が揺れだした。多分ぼくに見惚れてるわけじゃない。何かを迷っているように見えた。


「……わからない」


「はあ?」


「わからないって言ってんでしょうが! あんたは黙ってついて来てりゃいいのよ!」


 今度は腕を掴まれてずんずんと歩き出す。ぼくの方を見ようともしない。とんでもなくめんどくさい女だ。思春期の女の子みたい。そう思うと、少しマドーシさんに優しくできそうだ。


「……あの」


「なによ、逃がさないわよ」


「や、もう逃げないんで……めんどくさいんでおんぶしてくれないですか」


「はあ?」


「ずっと引っ張られながら歩くのも辛いんすよ……逃げて欲しくないんでしょ? じゃあもういいんでおんぶしてくださいよ。力持ちなんですからいけるでしょ」


「なんでわたしがあんたを……」


「逃げていいんすかあ? ユーシャちゃんたらし込んじゃいますよ」


「……ほんとやな奴」


 身をかがみ乱暴に体を引きずりぼくをおぶった。こいつ、テキトーに吹き込めばなんでもしてくれるんじゃ……ぼくが真にたらし込むのはユーシャちゃんじゃないのかもしれない。


「いやあ、楽でいいや。ありがとうございます」


「こんな時になにしてるんだか……あんた、今どういう状況かわかってる?」


「わからないですよ、何にも説明してくれないんだから」


「そっちじゃなくて……今から魔族が侵略してるかもしれない街に行くのよ? しかもあんたの故郷なんでしょ?」


「まあ……緊張感の欠如はぼくの数ある長所の一つですから」


「緊張感とかそういう話じゃなくて……もういいわ。あんた、真剣に人と話すつもりないでしょ」


「お互い様でしょ……少なくてもぼくはマドーシさんの話を聞くことはしてますよ」


「……ほんと、絶対的に気が合わないわね。先祖同士が殺し合ってたんじゃないかしら」


 そう吐き捨て歩き出してしまう。速度は変わらない、すごい力だ。魔法っちゅうのは便利な力だ。

 しかしなにせぼくを鑑みることのない歩行なので、当然揺れる。ぼくは首に緩く手を回し、足を腰に絡ませた。


「ちょっ、なにしてんの! 触んな!」


「おんぶしといてなに言ってんすか。揺れるから落ちるの怖いんですよ」


「う……でも腰は、腰はやめてよ。なんか……あれだし」


「じゃあ足持ってくださいよ」


 言われた通り足を持ってくれた。ぼくは『都合の良い女』という存在を見たことがなかった。それほど人と交流を持つ方じゃないし、従順な態度をとってくる人間は気色悪くて見ていられなかったのだ。だけどマドーシさんはぼくをとても嫌がっているにも関わらず、ぼくの要求を簡単に呑んでくれる。そのちぐはぐさが食指に触れる。この人はぼくが初めて目にした都合の良い女らしい。うっかりすると好きになってしまいそうだ。


「ありがとうございます。優しいんですね、実は」


「どこが……足を掴んでた方が逃げ出しにくいからそうしただけ」


「そっすか。それでもありがとうございます。楽できます」


「変なところ触ったらマジで殺すわ」


「はいはい」


 首筋を触れるか触れないかの距離で撫でてみた。一瞬微細な反応を示したけどすぐに何食わぬ顔に戻る。徐々に下に移動し、ローブから露出している鎖骨を撫ぜてみる。初めて買ったギターをオイルをつけた布で拭くように優しく。なんとか声を出さないように唇を一文字に結んでいるけど、その端はひくひくと歪み続けている。


『チキンレースが好きだな貴様は。言っておくが、この女は殺す時は本当に殺してきた奴だぞ』


『どこまでいけるか試してみたくなっちゃうんだよ。お前だって人が嫌がることするの好きだろ?』


『一緒にするな……あの勇者娘が今の貴様を見たらどう思うだろうな』


『やっぱり好きじゃねえか、人が嫌がることするの』


 アクマと小粋な冗句を交わしながらも、やっぱり撫でる手は止めなかった。熱心な手際に、ついに小さく息が漏れた。


「あんたなにしてんの! もう良い、マジ殺す! どっちかが死ぬまで勝負だ!」


「なにキレてるんですか?」


「変なところ触るなって言ったでしょ!」


「マドーシさんの首と鎖骨のどこが変なんですか。こんなにも綺麗で艶やかなのに」

 

「はあ!?」


「もしぼくが約束を破って変なところを触ったんなら大人しく殺されますよ。でもぼくはマドーシさんの首と鎖骨は変じゃないし素敵だと思う。何か反論ありますか」


「いや……反論っていうか」


「変ですか? 変じゃないですか?」


「変……ではないかな。変ではない……」


「ならぼくを殺す理由なんてないでしょう」


「う、ん……もう、軟派野郎のくせに理屈屋でさらにムカつくわ、あんた……!」


 唸りながらぼくの行為を受け入れてくれた。この女、今まで何人の人間に騙されてきたんだろう。ぼくは少し心配になってきた。


『真っ当な非難に聞こえたが。女をいじめるのはそんなにも楽しいか』


『お前男? 女?』


『我輩に性別などない』


『だったらわかんねえよ。セクハラをするのは最高に楽しいぜ』


『……貴様が勇者をやめたことは、もしかしたら掛け値無しの英断だったのかもしれないな』


 その後も道中ぼくはマドーシさんをいじめることをやめられなかった。言葉や行動でいじめればいじめるほど、マドーシさんは面白い反応を取ってくれる。麻薬のような常習性だ。ツラだけ真面目に保って心はにやにやしてるぼくは、自分がどこへ向かっていてどういう流れでおんぶされてるかほとんど忘れてしまった。きっと責任とか未来すらもマドーシさんに預けてしまったのだろう。その上マドーシさんの背で不埒な悪行三昧。心から思う。ぼくはくずだ。


 

 








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