世界を売った男③
振り向いたその先に居たのはライバルくんだった。
「こんな時間にどこに行く気だよ」
「ああ、家を出るんだ。今まで世話になりましたって、親父さんに言っといて。じゃ」
「はあ? って、おい! ふざけんな!」
再び石壁に手をかけたぼくは肩を掴まれた。
「お前何言ってんだ? 修行はどうした? 祝福は? 下賜の儀式の再開はまだだろ」
「いやあ、やっぱぼくに勇者はキツかったわ。辞めることにした。気ままな旅に出るよ」
「……意味わかんねえ」
ライバルくんはその優美な眉を歪めて押し黙った。ぼくをじっと睨みつける。
「意味わかんねえよ」
二度言った。
「勇者を辞める……? 辞められるもんじゃあないだろう、勇者っていうのは……!」
「辞められるもんだよ。ぼくが望めば」
「ふざけんな!」
胸ぐらを掴まれ壁に背中をぶつける。
「修行は! 世界は!? 今まで俺たちがしてきたことは何だったんだ! 何のために俺たちは毎日血だらけになってまで力をつけてきたんだ! あの時の努力はどうなる!」
別にぼくは血だらけってことはなかったけどな。辛そうなのはライバルくんだけだったような。
何てことを思いつつ、言わない方が良い気がして言うのを辞めた。
「まあ努力が報われないってことはありふれてるでしょ。気を取り直してこれからに目を向けようよ」
「世界は!」
より一層の大声でライバルくんは叫んだ。
「神託を受けた勇者はこの世に一人しか居ないんだぞ! お前が生まれた十七年前からずっと、民衆はお前が勇者として育つのを待ってたんだぞ! 戦争の終わりを祈ってたんだぞ!」
「そうらしいね」
「今代の魔王は今までの魔王とは桁外れの力を持っているらしい! 人族の存亡を賭けた未曾有の危機なんだぞ今は! お前しか居ないんだ! お前以上の才能と力を持った奴は見たことがねえ! 俺もねえし、誰も見たことがねえ! お前が人族の希望なんだよ!」
ライバルくんは俯いて、
「……お前だけなんだよ」
絞り出すように小さな声で言った。
「今言ったことの意味を、お前は理解してるのか?」
少し力の入った目でライバルくんを見下ろしてしまう。彼は唖然とした顔で見返すだけだ。
「お前はぼくを犠牲をして自分の望むものを手に入れようとしてるだけだ。民衆もそうだろ。誰かが勝手に言いだした勇者とかいう偶像をぼくに見出して、自分の願いの成就をぼくに丸投げしてる。そんなに世界を救いたいなら何で今お前はこんな所でぼくみたいな臆病者にすがりついてる? さっさと魔族の所にでも行けばいいだろ、それで殺すなり従えるなりすればいい」
「お前には力があるだろ! 俺には無え、とてつもない才能も! それがあれば誰だって勇者になってる、俺だって! お前のその人たちの代わりに戦う責任があるんだ!」
「ならどうしてお前の父親は街に転がる
ぼくはライバルくんの手をそっとシャツから外した。
「お前の言うことは祈りじゃなくて呪いだ。責任感と義務感で人を木偶人形にしようとしている、とても卑怯な行為だと思う」
「お前……」
ライバルくんは崩れ落ちた。
「…………狂ってる。おかしいよ。そんな奴じゃなかっただろ。昔はもっと、使命感に溢れてた。世界を救うために、誰よりも一生懸命だった」
「かもな」
「……お前は変わった。狂ってしまった……」
ぼくは初めてってくらい久しぶりに本当の本音でライバルくんに心境を吐露した。それはぼくがライバルくんを本当に友達だと思っていたからだ。だけどすげなく拒絶し、彼はかつてのぼくの
「……ぼくに言わせりゃ狂ってるのお前らの方だ」
だから少し感情的になってしまった。
「顔も知らない奴を殺すために一生懸命になれるお前らの気が知れない。そんなことに希望だとか未来だとか、綺麗な言葉を持ち出して格好を付けるのは卑劣だと思う。本当に自分の行いに何の疑問がないなら言えばいいだろう。自分たちのしてることは生き残りを賭けた獣のような殺し合いだって」
「殺人……殺さなきゃ殺されるんだぞ! お前の家族はどうなる! 故郷の町は! 好きだって言ってたの嘘か!」
「嘘じゃないよ。ただ、乳飲み子のぼくを勇者として育てるためにお前の家に送った家族だ。好きだけど、
一息入れる。今世で一番本音で喋っている気がする。少し気分が良い。これからはもっとこうしよう。
「世界とか家族とかはぼくの理由じゃない。誰かの、本気で共感もできねえそれっぽい理由に乗っかって後悔するのはもう嫌だ」
「殺されるかもしれないぞ! 許されると思ってるのか!」
「命なんて」
少し笑った。
「命なんて、信念に比べたらありふれてるじゃねえか」
かつてのぼくはそれに気づかなかった。もう自分の心以外に道しるべを作りたくない。
「ぼくはやりたいようにやる。誰のことも気にしねえ。人族の未来なんてどうだっていい。世界が終わるなら終わるまでせいぜい楽しむよ」
石壁の上に飛び、ライバルくんを見下ろす。これ以上かつてのぼくの残滓を見続けるのは可哀想だと思った。
「ばいばいライバルくん。お前は死ね。ぼくは生きる」
十七年暮らしてきた家を出て、そろそろ夜になる街に出た。
人はもう居ない。昼間の歓声が嘘みたいに、月夜の街は静まり返っていた。旅立ちの時って感じ。どきどきする。
『……貴様のことがわからない』
「ナカヨシになりたかったとはな。いいよ、なんでも聞きな」
『いや……きっと訊いてもわからないままなんだろう。そんな気がする、我輩には』
「そんなもんだって、人間関係って」
ぼくはずっと変人だって言われて生きてきた。周りと一緒の環境で生きてきて、同じ『普通』を見て学んだはずなのに、変だって笑われてきた。それに苦しんだこともあったけど、今はそんなものだって納得できる。ぼくだって、周りの行いをほとんど理解できないのだから。
「わからなくても、別に喧嘩しなきゃ駄目な訳じゃないしさ。わからないなりにナカヨシにもなれるもんだよ」
『仲良くなりたくて言っている訳じゃない。ただ……』
「ぼくが何考えてるかはわかるのに、何故そう考えているかはわからないのが嫌? 怖い?」
『…………』
黙っちゃった。そう大外れした答えではないらしい。
「お前って、なんかぼくより一般的な感性してるよな」
『馬鹿にしているのか? それとも、自分を悪魔より特異な感性を持つ特別な人間だと自惚れたか?』
「いや、お前のそういうとこ好きだって思った。かわいいよ、アクマちゃん」
またしても黙ってしまった。そういうところも好きだ。ぼくはこの子供っぽい悪魔を本当に気に入りかけていた。
街の区画を区切る石壁が見えた。飛び上がって街を見下ろす。郷愁の念だ。ぼくはこの街を出る。しばらく帰ることはないだろう。
「……行くか」
ぼくが救わない命が眠る街を出て、いよいよぼくは旅路に向かう。
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