第一一二話

 漆黒の闇夜に凍てつく冬の風が吹き荒れていた。粉雪が舞い散る光景は、あるいは南の土に住まう者達からすれば幻想的に思えたかも知れない。


 しかしながら彼女にとってはそれは全く心を揺さぶるものではなかった。北土に住まう者達にとって雪は、下手すれば嫌悪の対象にすら成り得たのだからさもありなん。ましてや、彼女からして見れば……。


「ここにいたのか?」


 暗闇の中で、ひたすらぼんやりと焚き火を見つめていた彼女は聞き覚えのあるその声に視線を移す。そして視界に映す。黒装束の能面の青年を。


「……何の用?」

「ははは、連れない事言うなよ?俺達は大事な班の仲間だろう?夜番の労いにな。ほれ、飯用意したぜ?」


 彼女の若干棘のある物言いに対して、能面は気さくに笑うと手元の風呂敷を見せつける。そして許可を得る事もなく彼女の傍らに座り込んだ。いっそ清々しいその態度に彼女は僅かに高鳴る心の臓の鼓動を誤魔化し、興奮を抑え付けて、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「私をアンタと同じにしないでくれる?アンタは下人、私は家人。立場が全く違うのよ」


 風呂敷を広げて干物や干し飯、饅頭やらを差し出す彼に向け、共に路上で食い繋いで来たあの頃とはもう違うのだと彼女は言い捨てる。それは事実であったが、しかし……彼女のその物言いに別の理由がある事に気付くのは困難であっただろう。彼女の脳裏に浮かぶのはつい先刻目撃してしまった光景であった。


「それよりも、あの娘の所にでも戻ったらどうなの?折角の機会なのに。今回逃したらもう次の機会は無いかも知れないのよ?こんな獣臭い化物と夜番するよりも有意義でしょ?」


 彼女は飯をふんだくるように受け取ると、心底皮肉げに幼馴染みに向けて言ってやった。眼前の青年を探していた彼女は見てしまったのだ。彼が同じ班の、同僚の娘と二人きりで人目憚り逢い引きする場面を。それを邪魔する程に無粋な性格でも無かったが、それでも嫌味の一つは言いたかった。


 ……あの場面を目撃して以来、胸の内に言い様のない苛立ちが立ち込めていたから。


「おいおい、覗きは良くないだろう?せめて声くらいかけてくれよ?」

「声かけて何しろってんのよ。お祝儀でもしてやれば良いわけ?」

「何か貰えるなら、喜んで受け取ってやるけど?」


 頭を掻いての困り口調の青年に、彼女は更に嫌味の迫撃を仕掛けてやる。彼の方はと言えば肩を竦めて冷笑で以てそれに応じる。その悠々とした余裕ある態度は彼女を一層逆撫でした。


「失せろ。邪魔なのよ。……鬱陶しいわね、殴り殺されたいのかしら?」


 実際、彼女の膂力を以てすればそれは余りにも容易な事で……だからこそ、彼と己の運命はこうも引き裂かれてしまったのだろう。己は下人となるには余りにも強過ぎた。


「………」

「……どうしたんだ?急に黙りやがってよ?」

「っ!?煩い!顔近いわ!」

「うごっ!?」


 己の掌に視線を落として思考の沼に嵌まっていた彼女はその言葉に我に返る。我に返ると共に目の前にまで来ていた能面に裏拳を容赦なく叩き込んでいた。しまった、と思った時には遅かった。仰け反って後ろに転げ倒れる下人の青年。


「いたたたた……手加減くらいしてくれよぅ?鼻が折れたかと思ったぞ?」

「知らないわよ。……寧ろ感謝して欲しいわね?介抱してくれる相手がいるんでしょ?優しく甘えさせて貰ったら?」


 意地の悪い言葉を言ってしまったのは何故だろうか?唯の嫌味?否定して欲しかったから?それとも……。


「……あぁ、そうかい。じゃあそうさせて貰うさ。どうやらお前さんは随分と気が立っているようだからな!」


 暫しの沈黙の後、彼は嘆息して素直に頷いた。その事に思わず彼女は驚愕していた。眼前の青年との付き合いが長い故に彼女は知っていた。この腐れ縁が己のこの程度の毒舌に唯々諾々と従う筈がないと信じていたのだ。軽薄に反論の一つ、挑発の一つでも宣ってくれるものと思っていたのだ。それが……彼女は次に口にするべき言葉を思いつく事が出来なかった。


「飯、喉を通らんかも知れないがちゃんと食っておけよ?」

「……えぇ。言われるまでも無いわよ!御託はいいから、さっさと行っちまいなさいよ!」

 

 咄嗟に出た返答は何処までも好戦的だった。言った後に後悔。慌てて訂正しようとして、しかしその言葉は出てこなくて、彼女に出来た事は唯闇に消えていく彼の後姿を見つめる事だけで……。


「………あぁ、糞!」


 彼の姿が完全に消えた所で彼女はその場で項垂れる。そして己を嫌悪する。何時もこうだ。こうやって後悔する事ばかりだ。その癖甘えて、期待して……その結果がこれだ。


「ははっ、何馬鹿な事考えんのかしら私。あいつがどうなっても知った事じゃないでしょうに」


 その呟きは何処までも瘦せ我慢に震えていて、その表情がグチャグチャになりそうな感情に震えていて、そしてその事にすら彼女は気付いていなかった。そんな余裕なんて何処にも無かった。


 その心には欠片の余裕もなくて、訳の分からない己の思いで一杯一杯だったのだ。感情に、彼女は溺れていた。呑まれていた。完全に混乱していた。だって彼は、彼は、彼は………!!


『ズズズ…………』


 だから彼女は気付く事が出来なかったのだ。焚火の光を避けるようにして闇夜の中を縫って己に這い寄る『根』の存在に…………。











ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『迷い家』にリターンしてから何れだけの時間を経たのだろうか?体感時間は信用出来ない。これまで突破したのは計一〇部屋。そして一一部屋目、其処で俺は漸く尋ね人達と接触を果たした。


『テケリッ!リィッ!!』

『テケリィィィィッ!!』


 粘体共が狂乱しながら壁にめり込んだ烏賊擬きに襲いかかる。その様はまるで親の敵を見るような狂騒であった。俺の、俺達の存在は目に入らないような興奮ぶりであった。


『テケリリリ!!!!』


 一方で壁から頭?を引き抜いた烏賊擬きエイリアンもまた怒り狂って粘体共に向けて咆哮する。そして触手らしき器官から閃光が輝いたかと思えば謎の光線を放って粘体共を焼却していく。


 尤も、光線は粘液共の表面を焼き払えても完全に蒸発させるだけの火力には乏しいようだったが。


「取り敢えず、安全な場所に行きますよ!!っ!!?」

「はぁ、はぁ。う、うん……?」


 そんな化物共は放置して、俺は頬を紅潮させて息絶え絶えの環を起き上がらせながら叫ぶ。叫びながら俺は一瞬息を呑む。視線の先に脱力した触手を引き裂きながら捕囚の身を脱する半獅子人の存在を認めたからだ。


「……」

「と、伴部君……?」

『(´・ω・`)?』

「……いえ、早く逃げましょう。門へ!」

「う、うん……?」


 俺の様子の変化に気付いたのだろう、環が呼び掛ければ俺は直ぐに優先すべき事を思い出す。そしてこの部屋からの脱出するため、あからさまに鎮座する門に向かうように彼女を引っ張る。おい、馬鹿蜘蛛、お前は反応せんで良い。


『ヴオ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙!!』

「ひっ!?」


 咆哮が部屋に鳴り響く。視線を移せば烏賊擬きに押し潰されていた筈の木乃伊が瓦礫の山の中から身を乗り出す。その身体に纏う装身具は幾らか凹み、あるいは壊れているが木乃伊自体は然程傷付いてはいないようだ。環は若干怯えている。どうやら少々精神的に参っているらしかった。気持ちは分かる。


「今ので脱落してくれれば良かったんだがな……!!」

「どうします?あの粘体共は貴方の連れて来た烏賊と遊んでますが、あれ単体でも厄介ですよ?」


 俺の苦笑いに、負傷した鬼熊に抱かれて傍らに寄って来た牡丹は淡々と此方に指摘する。そんな事は分かっていた。


「えぇ。だからこうします」


 そういって俺は肩に留まって来た蜂鳥からそれを受けとる。咥えている手車を受け取る。そしてそのまま……手車の糸を勢い良く手繰り寄せた。


『グオッ!!?』


 背後から迫って来た神気を帯びた蜘蛛糸ワイヤーのアンブッシュによって木乃伊は脚の半ばから切断された。そのままうつ伏せ状態で木乃伊は床に叩きつけられる。


 烏賊擬きエイリアンが壁のあちこちに突っ込んだ際に翁の蜂鳥が手車を咥えて離脱した。伸びた糸は木乃伊の背後を回っていた。そして受け取った糸を引っ張ればこの通りある。


「……随分と手際が良い事ですね?」

「この部屋の様子は読んでいたので」

『( ´∀` )bソレホドデモアルワ!』


 怪訝そうに蜂鳥、そして此方を見る牡丹に向けて俺は蜘蛛のどや顔を無視して答える。読む、というのは比喩表現ではなく事実そのものだった。


『部屋探しの間』は文字通り部屋を探せる部屋であった。無数に広がる本棚には設定上『迷い家』が拵えた全ての部屋について記載されている。現在進行形でその部屋の中で何が起きているかも、記述が追加されていくのだ。気に入った部屋に行きたければその書籍の最初の頁を開いて頭を突っ込めば転移出来る。


 無数の書籍はその部屋の入口であり、部屋そのものである。蜂鳥が孫娘の髪の毛を触媒に物探しの呪いを唱えれば本棚の回廊を延々と進み続けて漸くそれを見つける。見つけて……現在進行形で主人公達が触手プレイを受けている場面を閲覧する事になった訳である。


「成る程……粘液と戯れているあの烏賊擬きは?」

「冬眠している所を拉致って来ました」

「はぁ?」


 何言ってんだこいつ?みたいな反応を返されるがその通りなので他に言い様がない。六つ前の精神干渉してくる極寒の山脈を迷っていた所、群れで寝付いている光景を見つけてしまったんだ。翁は興味津々でその場での腑分けを要求したのを全力で断って代わりに翁持参の封符に封印して持ち帰る事になったんだ……。


「……そうですか。しかし、良く決断しましたね。折角の標本を化物同士で潰し合わせるために捨てるとは……」

「あ、まだもう一つ確保してるんです」

『( ^ω^)ソナエアレバウレイナシヨ!!』

「…………」


 俺がもう一枚封符を懐から見せれば無言で此方を見る牡丹。おい、止めてくれ。そんな冷たい目で此方を見るな。俺が決めたんじゃねぇんだぞ?見るなら肩に乗ってる蜂鳥を見ろ。おい、爺視線逸らすな。孫娘と向き合え。


「さて、一旦その話は置いておいて……やらせるかよ!!」

『(*゚∀゚)ヌハハハハッ!!』


 それに気が付いて、俺は牡丹に言い訳をするのを途中で切り上げて駆け出した。そして俺は蹴りつける。うつ伏せになっていた所を支えにしてどうにか起き上がろうとしていた木乃伊王の杖を。


『ガッ!!?』


 体重を支えていた杖を払われた事で再度床に激突する木乃伊。多分起き上がったら杖を此方に向けて延々と火玉攻撃でも仕掛けていたのだろうから油断ならな『(*´,_ゝ`)フフフフッ!!(*゚∀゚)ワタシノメヲゴマカセルトオモッタカ!?』おい糞蜘蛛五月蝿いぞ。


「それはそうと……おら、たっぷり食らえや!!」

『オゴッ!!?』


 そのまま木乃伊の口に杖を捩じ込む。杖を捩じ込み、背中まで容赦なく貫通させてやる。塩焼き鮎みたいになった木乃伊は脚を失った事と串刺し杖で背中を曲げるのも出来ぬために最早まともに立ち上がる事も出来なかった。じたばたと床の上で滑稽にのたうち回るのみだ。俺は一仕事したとばかりにその場から立ち去る。


 これで良い。あからさまに漂う気配からしてこの豪奢な木乃伊が厄介な奴なのは分かりきっていた。滅ぼすのは無理でもこの状態ならばまともに動けまい。俺の目的は環達を救出する事であって化物共とエンカウント次第殲滅する事ではないのだ。というか無理です。


『ニャア』

「あ?」


 呑気な猫の鳴き声に俺は思わず視線を足下に移す。いつの間にかいた二又の尾を持つ猫は手鏡を咥えてとてとてと俺の傍らを通り過ぎる。そして我が物顔で咥えたそれを牡丹に差し出す。


「ご苦労です」


 牡丹は差し出された手鏡を当然のように受け取り接収する。因みに当の牡丹は鬼熊に指示してちゃっかりと粘液とエイリアンの激闘で荒れる書庫から散乱する巻物や書籍を吟味していた。何なら幾つかを封符の中に仕込んで頂戴していた。


「牡丹様?」

「物の序でです。使えそうな物を幾らか頂戴して行きましょう」

「逞しいな、おい」

『(*´・ω・)ネー』


 先程までエロゲーみたいな目に遭いかけていたのに淡々と物色する少女退魔士である。胆力凄ぇよ。あの祖父にしてこの孫有りだ。主人公様を見ろよ、まだ少し呆然としてるんだぞ?


「行き掛けの駄賃を貰っていくのも結構ですが、そろそろ撤収した方が良いかと。……新手も来そうな気配ですし」


 耳を澄ませば遠くから大量の虫が迫る音が漏れ聞こえる。何かは分からないがどう考えても良く無さそうだった。さっさと逃げるのが吉であろう。


「仕方ありませんね。……何ぼさっとしているのです?早く我に返って下さい」

「うわっひゃっ!!?」


 先程からぼんやりと俺達の会話を聞いていた環は、しかし牡丹の命令でツンツンとつつく鬼熊によって現実に帰還してきたようだった。何か可笑しな声をあげたのは気にしないでおく。


「環様、気を確かに。……大丈夫ですか?」

「大丈夫、だけど……あ、えっと待って!まだ一人居るんだ!」


 そして環が振り向いた時には活き造りにされたような触手が放り捨てられる。

  

「はぁはぁ。こいつら、しつこいったらありゃあしないわね!!……そんで?ド派手に参上してくれたようだけど、あんた誰?」

「……鬼月家下人衆允職。伴部と申します」

『(*>∇<)ノソシテワタシハムスメニシテアイドル!!』


 胡散臭げに問い詰める獣人に向けて、俺は僅かの沈黙の後に答えた。うん、馬鹿蜘蛛、お前の声は多分聞こえてないぞ?


「……」


 脳内で突っ込みを入れた後、チラリと牡丹を見る。視線による意思疎通の後、俺は更に言葉を紡ぐ。


「取り敢えず、この騒がしい部屋から出ましょう。……あの門でこの部屋から抜け出せるようですから」


 そういって俺は石棺の奥に広がる石門を一瞥した。……門は取っ組み合いするエイリアンと粘液が突っ込んで押し潰されたが。


「「「「『……』」」」」

『( ´゚д゚)』


 突然の事態に、その場にいた面子は全員互いの顔を見合わせる。そして……。


「えぇ!!?嘘だよねぇ!!?」

「あぁ、もう最悪!!?」

「畜生!他に出口はねぇのかよ!!?」

『((ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ!』

「口動かす前に早く探して下さい!!」

『グルルルルルッ!!?』


 俺達は必死の形相で化物が暴れて散乱する部屋の中を探索し始めるのだった。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 部屋の中は急速に荒れていった。エイリアンと粘液共は千日手に近い泥試合を続ける。木乃伊の王は未だに床でじたばたと跳ね続ける。


 そして、俺達はその間隙を縫って探索を続けていた。


「糞!?ここも駄目か!!?何処か、何処か逃げ道は無いのか?」

「騒がないで下さい!!気が散ります!!あぁ、この本も外れですか!!?」


 壁や床の仕掛け、あるいは散乱する書物や埋葬品を探り必死に脱出の道を探る俺達だった。残念ながら未だにその成果は出ない。


『( ・∀・)バックヲトラレタゾ!』

「うおっ!?危ねぇ!?」


 白蜘蛛の警告?遅れて来る嫌な気配に俺は振り向き様に短刀を振るう。伸びてきた粘液の触手が切り落とされる。切り落とされた癖に烏賊ゲソみたいに床でウネウネと動いていた。急いで踏み潰す。


『テケリ!リ!リリリッ!』

「げっ、こっち見るなよ……!!」

『(* >ω<)キャー!シカンナンテエッチ!!』


 視線に気付いて見れば粘液の一体が無数の目玉で此方を覗いていた。赤く輝くビー玉か水晶のような眼球が俺を視線で射抜く。ぞわりとした感覚は生物の持つ根元的な恐怖だった。後馬鹿蜘蛛、多分流石にお前の事は見てないぞ!?


『テケ……』

『テケリイイィィィィィッ!!』


 粘液の再度の攻撃は、横から撃たれた光線によって阻止される。隙あり!!とばかりに己の腕から緑光線を集中して撃ち込むエイリアン。尤も、直ぐに別の粘液に襲われて、狂乱して周囲に緑光線を乱射する。


『(・д・oノ)ノワォーイ!!?』

「うおっ!?止めろ、気味の悪いもん撃って来るんじゃねぇ!!」


 俺は光線を避けるために倒れた本棚の陰に隠れる。視線を移せば俺だけではなく牡丹達も緊急避難とばかりに同じく本棚の陰に隠れていた。……おい熊、自信満々のキメ顔で悪いがお前はでか過ぎて隠れられてないぞ?頭隠して尻隠さずだぞ?『クゥン!!?』あ、今尻に流れ弾の光線当たって悲鳴上げた。


「ちっ、まるでお祭り騒ぎね。これじゃあ埒が明かないわ」

「何か手立てがあれば良いのだけど……」


 獅子舞が、そして環が呟く。俺は周囲の喧騒の中で古書を読み込んでいる牡丹に視線を移した。本の頁を乱暴に捲っていく彼女の手が止まる。これは……何か見つけたか?


「この妖魔本は当たりかも知れませんね。取り敢えずは……『近衛よ、討ち果たせ』!!」

『( ・`ω・´)ユケイ、ワガシンエイタイヨ!』


 無表情に僅かに不敵の笑みを浮かべて、牡丹は呪文を唱えた。途端に壁面の絵画より抜け出したのは犬顔の兵士共だった。槍や鎌を手にしたピラミッドを守護する近衛兵共。数は八体。それらが牡丹の命令に従い化物共の乱闘に参戦する。おい、蜘蛛何でお前キメ顔なの?


「これで時間稼ぎにはなる筈です。後は……これですね。転移呪文です」


 幾枚か頁を捲って、牡丹はその一節を指差す。


「そりゃあ良い。さっさとこんな化物の腹の中からおさらばしようぜ?」

「残念ながら無理ですね。そんなに便利なものではないようです。そもそも、生け贄が必要なようです」


 そしてチラリ、と牡丹は俺を見た。おい止めろ。生け贄の話の後に俺を見るな。


「はぁ、仕方ありませんね。なら……」

『グルルル!!?』


 そして牡丹が反対側で焼けた尻を擦る熊を見れば涙目の熊が唸る。悪いな、俺も命惜しいんだ。供養はしてやるから諦めろ。『((( ;゚Д゚)))ワタシハイケニエニシテモオイシクナイワヨ?』うん、俺もお前生け贄に出来ないの凄く残念だわ。


「いや。何馬鹿な事やってんのよ、アンタ達」

「「『『……』』」」

「此方見るんじゃないわよ!!?」


 生け贄探しに口出ししてきた獅子舞に俺と牡丹と熊、後馬鹿蜘蛛が一斉に視線を向ければ即座に怒鳴り散らされる。特に熊は希望を見たような表情だった。


「えっと、あのぅ……」


 と、其処に恐る恐ると口を出すのは環である。


「どうしましたか?自己犠牲の覚悟でも出来ましたか?」

「嫌だよ!!?いや、そうじゃなくて……生け贄って何でも構わないのかな?」


 牡丹の指摘に突っ込みを入れた後、環は質問をする。


「この妖魔本によれば使える対象は幅広いようですね。但し、生け贄の足下に複雑な陣を描く必要があるので彼処で暴れている化物共は使えません。生け捕りは難しいでしょうから」


 ちらり、と未だに、いや一層激しく戦闘を続ける異形共を見て牡丹は説明する。


「それにこの転移呪文、かなり燃費が悪そうです。先程召喚した兵士共では大した燃料にはならなそうですね」

「あの妖達で良いって事は、敵を生け贄にしても良いって事かい?」

「はい。……それが何か?」


 環の確認するような物言いに牡丹は首を傾げて問い掛ける。それに対して、環は指さして提案した。


「うん。強そうな生け贄が必要なんでしょ?だったら……あれって使えない?生きているのか少し微妙だけど」


 そんな事を宣う彼女の指の指し示す先にいたのは、未だじたばた床でのたうち回る木乃伊の王の姿だった。


「「「『『……』』」」」


 環の提案に、俺達は再度顔を見合わせる。そして、結論を導くのと行動は直ぐであった。


「僕共!!陣を描きなさい!!下人!分かってますね!!?」


 妖魔本から助手役の犬顔僕を召喚した牡丹は俺に向けて叫ぶ。その意味を俺はとっくに理解していた。


「護衛か!!お前もやれるな!?」

「当然でしょうが!!」


 俺の応答と誘いに薙刀を手にした獅子舞は応じた。それに応えるようにエイリアンと乱闘していた粘液の内の一体が此方に迫る。立ち塞がる犬顔の近衛兵共を凪ぎ払って此方に突貫する。


「やれるか!?」

『( ・`д・´)ヤッチマエー!!』


 迫り来る粘液に向かって俺が振るうのは手車だ。伸びてくる無数の触手を纏めて引き裂き、更には本体に向けても投げつける。そのまま斜め様に振るえば粘液の身体の三分の一近くが綺麗に切断されてズルリと切り落とされる。……直ぐに再結合を始めたがね。


『(*´・ω・)マタダメナノー?』

「不定形だとやはり斬撃は効果が薄いな……!!弱点は!?」

「あの身体の何処かに核があります。試しましたが、それを破壊すれば一応無力化は出来るようです」

「核ねぇ……!!」


 結合しながらも此方に向けて再度仕掛けて来る粘液に向けて手車と短刀で迎撃する俺の表情は渋い。簡単に核といっても不透明な粘液の何処にあるのかさっぱり分からなかったのだ。多分核自体体内で絶えず移動させているのだろう。牡丹は退魔士故の感覚の鋭さから分かったのだろうが俺では……闇雲に攻撃し続けるが効果は薄かった。


「どりゃあああっ!!」


 咆哮。俺の手車で切り開いた傷口に向けて薙刀の突きが叩きつけられる。爆裂したような轟音とともに粘液妖怪は体液を辺りに撒き散らす。著しく体積を減らした其処に更にもう一撃を叩き込んで相手を壁に向けて叩きつける。


「ふぅー、ふぅー。別にぶっ殺す必要が無いんなら核なんて狙わなくても良いのよ」


 かなり力を入れての一撃だったのだろう。ぜいぜいと息切れする獅子舞は額の汗を拭うと俺に向けて叫ぶ。


「アンタの武器、随分と上等なようね?さっきの要領で行くわよ。アンタが傷口を開いて、其処に私がデカイのをぶち込む。……分かった?」

「承知……!!」

『(*ノ▽ノ)スゴク、オオキイワ!!』


 獅子舞の言葉に、俺は肯定こそすれ否定の言葉を口にする事はなかった。這い寄って来る粘液の存在を思えば当然の事であった。いや蜘蛛、そうじゃねぇからな?


「はぁ!!」

「吹き飛べ化物!!」


 俺と獅子舞は連携して迫り来る粘液をその度に撃退していく。互いの役割が明確な事、互いに化物退治の職人である事、特に俺の場合獅子舞が入鹿と同じ腕力系の戦技の使い手である事が円滑な迎撃に寄与していた。


「ぼ、僕も……!!」

「貴女はここで私を直掩して下さい」

 

 慌てて俺達の戦闘に参加しようとするのを制止するのは儀式の準備をする牡丹だった。


「け、けど……!?」

「貴女の腕では却って足手纏いです。逸るのは結構ですが、自己満足のために周囲に迷惑をかけるのは止めて下さい」

「っ……!!?」


 容赦ない指摘に目を見開く環。恥辱と悔しさに打ち震えるが、それだけだった。何も言い返す言葉は無かった。それは彼女自身が牡丹の言葉を認めている事の証明であった。己の無力に項垂れる……。


「何落ち込んでんのよ!!泣きたいんなら後にしなさいっての!!……くっ!周囲の警戒と、私達がへばったりやらかしたら支援するのよ、分かってる!!?」


 そんな無遠慮な言葉に環は反応して思わず顔を上げる。粘液相手に悪戦苦闘する俺と獅子舞を見つめる。


「環様、失礼な物言いですが正直今は猫の手も借りたい事態でして!!このっ……!!?無下に扱う暇なぞとても此方には無いのですよ!!……この震動は!!?」

『( ´゚д゚)イヤーナヨ-カン?』


 俺もまた粘液相手に命懸けで戯れながら環に激励の言葉を叫び……部屋全体を襲う震動に悪寒を覚える。そして、馬鹿蜘蛛、フラグを立てるなって……!!?


「おいおいおいおい、マジか!?マジなのか!!?」

『(;´゚д゚`)ナナナナ、ナニー!?』


 閉じられた分厚い石扉に入る皹。それは震動が大きくなると同時に更に広く広がっていく。思わず背後を見る。儀式の呪文を紡ぎ始めていた牡丹と視線が重なる。俺と目を合わすと小さく頷いた。つまり、そういう事だった。


 石扉が砕かれる。それは扉の向こう側から掛かる圧迫に耐えきれなくなったからだった。


『キキキキキ!』『キキッ!!』『キッキッキッ!!』『キキキ!!』『キッ!キッ!』『キキッ!!』『キキキキ!!』『キキキ!!』『キッ!!』『キキキキキ!!』


 それは最早濁流だった。無数の蟲の鳴き声が重奏で部屋に鳴り響く。数千、いや確実に万は行くだろう数の黄金虫共が雪崩となって襲い掛かってきた。人海戦術ならぬ蟲海戦術とでも言うべき光景……!!『Σ(lliд゚ノ)ノウキャアアア、ムシコワーイ!!?』お前も虫だからなっ!?


『ケケッ!!?』

『ケテリィ!!?』


 最初に犠牲になったのは決め手のない泥試合を延々と続けていた異形共であった。慌てて大量に纏わりついてきた虫の大群を払い、叩き潰し、焼き払うがそれ以上の数が彼らを呑み込んでいく。目敏く傷口を見つけては其処に殺到してくる。悲鳴を上げるがその声も直ぐに掻き消される。暴れる姿もまた同様だ。


『『『『キキキキキキキキ!!!!』』』』


 そして、余りにも高い競争率から獲物にありつけなかった残る黄金虫共は俺達の存在を認めると一斉に突貫する。


「牡丹!!」

「『迎撃しろ』!!」


 俺の叫びに儀式を執り行っていた牡丹が応える。呪文の指示に従って召喚していた近衛兵が槍や鎌で以て蟲の群に立ち向かう。


『……!!』

『!!!!』


 あっという間に呑み込まれるが彼らはそれでも尚健気に抵抗する。悲鳴を上げる事もなかった。彼らは本質的には簡易式同様の偽りの命であるが故に恐怖も感じない。徹底的に抵抗する見事な戦いぶりであった。……時間稼ぎに過ぎないが。


「不味い!?下がるわよ!!」

「くっ……!!」

『ヽ(ill゚д゚)ノニッゲロー!!』


 俺と獅子舞は近衛兵共を抜けた蟲共を幾体か切り捨てるが、直ぐに撤収に移る。残念ながら捌き切れる数ではなかった。


 周囲の事態の中でしかし牡丹は召喚した僕共と共にひたすら儀式を続ける。己が呪いを成功させなければ全員死ぬ事を理解していたからだ。暴れて抵抗する木乃伊の頭を熊に蹴りあげさせて黙らせる。書物の頁を捲り最後の文面を読み取っていく。


『シャアアアアッ!!』


 壁を伝って来た黄金虫が数体、牡丹の元に迫る。


「やらせるかよ!!」


 背後から追い縋る蟲を獅子舞に任せて、俺は牡丹に向かう蟲を切り伏せる。一体、二体、三体……!!


『Σ(; ゚Д゚)パパ-!!』

「糞!抜けられた……!!」


 斬撃を避けた蟲が二体、牡丹に向けて突撃する。俺は霊力で強化した脚力で以て追い付き一体を壁に向けて蹴り潰す。だが、今一体が真っ直ぐ牡丹に向けて肉薄して……!!?


「っ!?」

「やらせないっ!!」


 牡丹に向けて飛び掛かった黄金虫は、刹那に立ち塞がった環の刀でさっと切り捨てられた。それは実に鮮やかな一閃だった。思わず俺は、そして呪文を唱えつつ迎撃の符を引き抜いていた牡丹も唖然とする。


「はぁ、はぁ……!!僕も、やれる事はやって見せるよ!だから、ここは任せて!!」

「……承知しました!!」


 緊張しながらも確かな覚悟を決めた環からの言葉に俺は小さく会釈すると眼前の蟲の迎撃に立ち戻る。


「『火撃・野焼き挽き』!!」


 獅子舞が薙刀を振るって術を放つ。薙刀から放たれた火の粉は狐の姿を取って蟲の群を駆ける。その身から飛び散る炎が蟲の濁流を散り散りに散らせる。


「薙ぎ払え!!」

『ヽ(;▽;)ノダレカゴキジェットチョーダイ!!?』


 俺の手車は蟲の群れに突っ込む。そのまま振るえば幾十という蟲の群を切り裂きながら手車は手元へと帰還する。ちぃ、五月蝿い蜘蛛だ。自分の糸を信じやがれ!文明の利器に頼るのは惰弱だぞ!?


「くっ!?この!!通すかぁ!!」


 俺と獅子舞の横を滑り抜ける蟲の群には鬼熊が、更に最後の守りに環が立ち塞がる。頑強な熊が主人の盾となり、環が其処から繰り出しては飛翔する蟲を一迅にして切り裂く。彼女の刀術は既に唯人であれば達人に匹敵する水準にまで達していた。


「『贄を此処へ。供物を捧げん。我らを導きたまえ。代価を与えん。追い縋る猟犬共から我らを逃したまえ。摂理の存在よ、我が声を聞き届けよ』……!!来ましたか!!?」


 儀式の最後の一節まで言い切った牡丹はその気配を感じ取る。床に描いた魔法陣が発光し、そして白線から無数の輝く手が伸びる。それは何処までも清浄で、邪悪な光だった。


『…………!!!??』


 木乃伊は己に迫る運命に戦慄し、驚愕し、逃れんとしてのたうつが全てが無意味であった。ケラケラと嘲る子供のような薄気味悪い声音が鳴り響く。無数の細い手が贄たる木乃伊を包み込み、そして床の底に、地の底へと沈めて行く……。


「……!!」


 おぞましく邪悪な光景に牡丹は息を呑む。何本かの細手が彼女に向けて伸びる。思わず身構えるが、それは彼女の装束に軽く触れるのみでそれきりだった。その者らは悪辣で辛辣で狡猾で、しかしだからこそ粗も抜け道もない契約には忠実であった。


 木乃伊を完全に呑み込んだ魔法陣は一層怪しく輝く。そして、床より浮かび上がる。門が、浮かび上がる。


「来ましたよ!!皆さん早く離脱しないと置いていきますよ!!」


 上質な贄を必要とする癖に移動可能範囲が狭く、それ処か何処に繋がっているかすらも分からない転移門……それこそが人の足下を見て吹っ掛けてきた質の悪い「等価交換」の代価だと理解した牡丹は、振り向きざま声が嗄れんばかりに叫ぶ。


「っ!?」


 同時に彼女は目撃する。護衛役達では最早抑えきれない程の蟲共が眼前にまで来ている事に。


『グルルルルルッ!!』


 式たる熊が急いで牡丹を抱くとそのまま門の奥へと突貫する。途中で迎撃しようとしていた環の襟首を序でとばかりに掴んで。俺と獅子舞もそれを見て遁走を開始した。脇目も振らず、後ろを振り返る事もなく、全力疾走に移る。


「『盾となれ』!!」


 古代語による牡丹の叫び、すれ違い様に儀式を補助していた数体の犬面僕が蟲の群れに突っ込んだのだろう。確認する余裕はないが。


「っ!!早くしなさい!!」

「伴部君急いで!!」


 獅子舞が獣染みた跳躍と共に門へと躍りこむ。振り返る。必死の形相で最後尾の俺を見る。呆れる程の蟲の轟音、騒音の中で声を荒げて叫ぶ。環もまた悲鳴に近い声で続く。


 ……獅子舞の瞳を通して、俺は自身の背後を満たす壮絶な蟲の群を目撃して息を呑む。


「畜生め!!」

『\(>_<)/イソゲー!!』


 俺は霊力で脚力を強化する。後から筋肉痛になるのは確定な程に強化する。疾走する。辿り着く。獅子舞が此方を引っ張り上げようとして手を伸ばす。俺はそれに応じて腕を伸ばす。そして、そして、そして…………。


 グサリ、と薙刀が俺の心の臓に向けて突き刺さっていた


「えっ?」

「は……?」


 驚愕の声音は環の口から漏れた。困惑の声音は獅子舞の口から漏れた。何が起きたのか分からぬとばかりに。何をしているのか分からぬとばかり。


 当の俺だけが苦笑いを浮かべていた。想定して無かった訳ではなかったからだ。こういう状況に陥りかねないと理解していたからだ。だから驚愕は比較的小さかった。尤も……。


「この局面でやるかっ……!!?」

「火符……!!」


 口から血を吐きながら俺は叫んでいた。同じく想定外とばかりに目を見開く牡丹は、それでも符を取り出すと術を唱えていた。火遁の霊術を。


「っ……!!」


 直後に乱暴に引き抜かれる薙刀。振るわれる刃。舞い散る火の粉。その隙に俺は一歩前へと進む。門を潜る。獅子舞と牡丹の戦闘に参戦しようとする。


 ……一瞬後に、俺の眼前の光景は激しく回転して霧散していた。


「ぐっ……!!?」

『(@_@)オメメガマワールー(。>д<)ウキャン!?』


 転移門による転送、次の瞬間に何処かに放り出された俺は受け身で勢いを殺して転げ回る。そして胸元の痛みに傷口を押さえて、俺は無理してでも立ち上がる。立ち上がって周囲を見て、軽く失望する。


 残念ながら此処は化物の腹の外ではないらしい。視界に広がるは荒れ果てた部屋であった。腐った畳に破れた屏風、へし折れた大黒柱、倒れた襖。酸えた臭い、薄暗い暗闇、廃墟と化した和室……。


「ははは……本当なら、脱出直前に仕掛ける筈だろうに、随分とせっかちじゃあないか、えぇ?」

「な、なに…を……?」


 予め警戒はしていた故の咄嗟の行動。致命傷を避けた、しかし決して浅くはない胸元の痛みに耐えて俺は宣う。尋ねる。困惑し混乱する彼女に。否、彼女の眼を通じて俺を見つめる化物に向けて、か。


「さて。……これはどう始末を付けたものかな?」


 薙刀を向ける彼女の「四肢」に向けて、俺は短刀を構えて応じればこの後起こりうる事態の厄介さに苦笑いを浮かべて小さく呟いた。


 そう。獅子舞麻美、『闇夜の蛍』ノベル版において読者と主人公の精神を曇らせた存在に向けて……。


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