第一〇七話

 けたけたとした嘲りの声が空間に響き渡る。何処だ?何処だい?出ておいで?と粘り気のある口調で宣う。


 当然ながらその存在相手に追われる彼らが素直に姿を現す筈もない。追うその存在もまたそれは重々承知していた。承知していた上で嘯いたのだ。獲物を苦しめ戦わせるために。己の嗜虐心を満たすために。


「はぁ……はぁ……はぁ……畜生、何だよあいつ。何時まで追い掛けて来る気なんだよ……!!?」


 何れだけ続いたか知れぬ追いかけっこ。足はもうクタクタで、五人は堪らず数ある部屋の一つにあった押入れに隠れる。隠れながら身を寄せ合い、恐怖に耐える。纏め役の少年が吐き捨てる。これまでの事態を追憶する。


 闇夜の空の下で無数の黒い獣共からひたすら逃げていた。そしてふと見つけた倉庫に隠れようとして……彼ら彼女らは図らずも次の部屋へと転移して、その直後の事だった。


 無限に続く迷宮のような寝殿造の空間。無数の部屋と廊下で構成される、しかし引き窓すらもなく、庭先が見える部屋もない其処に迷いこんだ彼ら彼女らはそれと出会した。そして追われる。追われ続ける。逃げ続ける。逃げられない。


『けっけっけっけっ!!おちびちゃん達ぃ、何処に隠れたのかなぁ?ここかっ!!』


 粘りのある声音。直後に何処かの襖か障子を開いた音が響いた。思わず全員が怖じ気づく。音源までの距離は其ほど遠いとは思えなかった。


「畜生……あいつ、近付いてやがる」

「ひっ……い、いや……しにたくなぃ!」

「馬鹿、でかい声を出すな。……こんな所でくたばって堪るかよ。ぜってぇ生き残るぞ」


 仲間達の囁きを横目に、彼ら彼女らの暫定班長の纏め役は、鬼月家から『十六夜』という名を押し付けられた少年は考える。必死に考える。この先何をするべきなのかを。せねばならぬのかを。


(このまま誤魔化せたらそれで良い。けど……)


 ちらりと押入れの隅で固まる仲間達を一瞥する。駄目だ。期待出来ない。


 幾ら霊力があるとは言えそれは微弱なものでしかなくて、碌な実戦経験があるとすれば己くらいのものだ。雑用ばかりさせられていた残りの面子では一人一人殺されていくだけだろう。覚悟を決めるしかない。腰元の脇差に触れる。強く握り締める。


『あはははっ!!何処だい坊や達ぃ!!?』

「……!!」


 近くで引戸を勢い良く開いた音がした。びくりと十六夜は思わず肩を竦める。視線を仲間に向ける。涙で潤む目を見開く百合……小待の口元を残りが全員で押さえていた。思わず己も冷や汗をかく。頬を汗が伝い流れる。


 ガタガタと、恐らくは手当たり次第近場の扉や障子等を開く音が立て続けに聴こえて来る。足音が迫り来る。来る、もう駄目だ、おしまいだ……押入れに閉じ籠もる全員が絶望する。覚悟する。


『……ここにはいないかぁ』


 心底残念無念、といった物言いで追っ手は呟いた。そして、直ぐ目の前まで迫り来ていた気配と足音は物寂しげに遠退いていく。それでも皆が暫しの間、沈黙する。静寂する。警戒する。


「……助かった?」


 暫くして、一人がポツリと呟いた。それを合図に互いに顔を見合わせる少年少女。緊張の糸が切れたかのように深い呼吸、どっと脱力する。安堵する。互いに小声で慰め合う。


「はぁ……恐かったな」

「油断するなよ。それよりも、何時までも此処に隠れてる訳にはいかないぞ?どうやって出るかを……」


 そんな会話の直後だった。キィ、という軋む音が響いたのは。暗い押入れの中に光が射し込んだのは。全員が声を詰まらせて振り向く。そして気が付く。押入れが小さく開いている事に。其処から外からの光が漏れている事に。


『ひゃっはっはっ!!やぁ小僧共!!かくれんぼは終わりだぜ!?』


 そして、何処までも不気味な満面の笑みを浮かべた人形が其処から顔を覗かせていて……。

  

「おう、案内ご苦労さん」

『あ?……ギャア!!?』


 直後に詰まらなそうに紡がれる言葉。それと同時に人形は横合いから霊力で強化された脚力で以て勢い良く蹴り飛ばされる。悲鳴を上げながらグルグルと回転して壁に叩き付けられる人形。ある種滑稽にすら思えるその光景に思わず唖然とする少年達。


 その一瞬後に彼らは気が付く。自分達の眼前に佇むその影に。般若面を備えた黒衣の人影に。短槍を手にした下人に。勾玉を携えた先達に。


「ほれ、かくれんぼは終いだ。さっさと行くぞ?」


 首をクイッと動かして、鬼月家下人衆允職は呼び掛けた…………。 






ーーーーーーーーーーーーー

『祟り人の間』にて柏木の骸を見つけた俺は、だが己のするべき事を直ぐに理解していた。境界線上を巡回していた柏木が『迷い家』に囚われた以上、彼の同行者が誰も囚われていないと考えるのは楽観的に過ぎる見立てであった。


 元々そういう行動を指導で共有していた事もあった。骸を探って案の定、俺は見つける。血塗れの柏木の腰鞄から備忘録を探り当てる。


 どうやら本人及び新人指導していた五人全員が囚われた事、ここまで七部屋を渡った事、道中で幾人かの亡骸を発見した事、この『祟り人の間』に辿り着いてしまった事、新人共を逃がして囮になった事、恐らくその過程で連中は次の部屋に転移した事、そして…………百姓や町人だって文盲は多い。唯でさえ下手糞な文字は後に進む程に震えてその体を為さなくなりつつあった。


 それでも己の骸が見つかった際に情報を伝えるために柏木は最後の瞬間まで文を書き留めたようだった。『奴らが気付いた。やるだけやってみよう』それが最後に記述された一文であった。


 柏木が務めを果たした以上は俺も上司として仲間として、己の務めを果たす他ない。記述に従い俺が向かったのは村外れの倉庫だ。そして転移した。『人追物の間』に。


 俺が先程蹴りあげて吹き飛ばしたのは所謂『呪いの人形』って奴だ。怨念怨霊が取り憑いた不幸を撒き散らすありきたりな日本人形ならぬ扶桑人形。髪が勝手に伸びる系のアレと言えばまだ分かりやすいか。


 先程蹴りあげた奴の中身は人間の魂が閉じ込められている。何処ぞの街で逃亡中に殺されたモグリ呪術師でもある罪人が死ぬ直前に己の魂を儀式で扶桑人形に移して、紆余曲折の果てにこの『迷い家』の一室を徘徊する眷属と化した。包丁片手に侵入者を襲いその肉体を奪おうと企んでいる……という設定があったりする。おう、何処かで聞いた事のあるような設定だなおい。


「低級だし、純粋な意味での妖でもないのは助かるな。お陰様でこいつも役に立つ」


 手元の勾玉を一瞥した後、それを俺は懐に戻す。盲点に迷いこむその勾玉は五感及び第六感の鋭い妖共に対しては効果は限定的だ。しかし相手は元人間。何だったら入れ物は感覚器官もない人形である。十分過ぎる程に効果があった。


『てめぇ!!よくも俺の邪魔をしてくれたなあぁ!!!!』


 壁に叩きつけられていた扶桑人形はくわっ、と鬼の形相を浮かべた。まるで上から糸で操られているかのような不気味な動作でパッと立ち上がり、ガクガクと音を鳴らしながら素早く人形は俺に迫り来る。包丁を片手に襲いかかってくる。飛び掛かる。


「ほいっとな」

『んぎやっ!?』


 迫り来る人形に素早く足払い。顔面から床に転んだ人形。俺はその包丁をぱっと取り上げて、そのままじたばた暴れる人形の襟首を摘まんで持ち上げる。


『ちぃ、放せぇ!!……おのれ!!生意気な奴め!これでも食らえ!!』


 憎悪に満ちた形相を浮かべる人形の口がガクンと下がる。同時に撃ち込まれる数本の針を俺は首を曲げて淡々と避ける。うん、その技知ってた。取り敢えず顔面に一発打ち込んで昏倒させる。そして……。


『いぎぎぎぎゃ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ゙!!?』


 俺は人形の顔面を壁に押し付けながら引き摺る。黒板を爪で引っ掻いたような不愉快な音が悲鳴と共に響く。目的地はこの部屋の一角に放置されている唐櫃だ。


「あばよ」


 一方的にそう宣い空っぽの唐櫃の中に気持ち悪い人形を放り込む。蓋を被せて上に荷物を載せておく。『危険な怨霊あり、開けるべからず』と一筆したため貼り付ける。これで終いだ。ゴンゴンと唐櫃を叩く音と罵倒の声が響くが気にする必要はない。


「……壊さないのか?」

「違う人形に憑依するだけだからな」


 新人の言葉に俺は淡々と答える。下手に別の依代に動き回られるよりマシだ。


「さて、と。……欠員はいないようだな?上出来だ」


 背後の唐櫃から喧しい雑音が響き続けるのを無視して、俺は宣う。最年長の……確か付けられた名は十六夜だったか。宵闇、居待、臥待、小望、全員無事のようだった。流石に盗賊集団に所属していただけはあるようだ。最悪此方は大半が食われているか、あるいは離散してしまっている状況を覚悟していたのだが。


「……あのお目付役の奴に助けられたからな」


 五人の纏め役らしい少年、十六夜は呟くようにして答える。時間が無かったのだろう、備忘録ではあっさりとした記述だったが柏木の奴は良く働いてくれたようだ。俺は内心で最大限の謝意を示す。


「そうか」

「あの野郎は?いるのか?怪我は……?」

「……お前らの面倒を頼まれた。時間がない、行くぞ」


 俺の返答に、少なくとも纏め役はその意味を理解したらしく、一瞬身体を硬直させる。硬直させるが……賢いな。仲間を不安にさせないように押し黙ったか。長生き出来るぞ?


(さてさて、取り敢えずは途中で見えた炊事場に向かうとするかね?彼処からなら安全地帯に……)


 其処まで考えていた所で背後から障子を引く音がした。俺はその音にゆっくりと振り向く。物凄く嫌な予感とともに振り向く。


 おどろおどろしい面をした輪転伐採機を携える大男と白粉と赤毛赤鼻が印象的な包丁を掲げる南蛮道化が佇んでいた。というかどう見てもジェ●ソンとペニーワ●ズだった。


(あー、そういやこの部屋の執筆者は海外ホラー好きだったっけ)


 半ば現実逃避気味に俺はそんな事を思い出す。犬追物ならぬ人追物。人を追い立てる物共の間。この部屋はネタに振ってる癖に危険度はやけに高い部屋でもあった。


『ヴオ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ッ゙!!!!』

『アハハハハハッ!!!!』

「よし、……お前ら逃げるぞ!!?」


 大男が輪転伐採機を鳴らしながら吠える。道化が満面の笑みを浮かべながら奇声を上げる。俺は小僧共に向けて怒鳴り散らした。


 人追物が、再開された。






ーーーーーーーーーーーーーー

「けほけほっ、はぁ…はぁ……畜生、やってられないわね。全く!!!!」


 波打ち際の砂浜に打ち上げられた獅子舞麻美は咳き込みながらも有らん限りの悪態を吐いていた。そしてそんな彼女に背負われる形の環。二人共いっそ惨めな程にずぶ濡れだった。


 鍾乳洞の天井を破砕する事で蝙蝠の大群から逃れた二人は、その代償として冷たい海の中で溺れる事を余儀無くされた。


 特に足を痛めてもがく環を助けながら獅子舞は地底湖を泳ぎ続けた。そして辿り着いたのがこの岸辺であった。地底湖からどうやったら岸辺に?そんな理屈は此処では大した意味はない。ここは化け物の腹の中、全てが常識と理の枠外であるのだから。


「けほ!けほっ!?あんた大丈夫!?生きてる!?……あぁ、糞!意識がない!」


 獅子舞は環が窒息して意識を失っている事に気付くと砂浜の上に彼女を落とす。応急処置のために背後から抱きかかえながら背中を叩く。口を無理矢理抉じ開けて気道を確保して胸元を押し叩く。何度も何度も叩く。


「げほっ!?うえっ!!?おうぇ!!?」


 暫くして、突然咳き込む環。口から水を吐き出す。吐き出しながら何度も何度も咳き込み、息切れするように息を吸う。


「よし!生きてるわね!?あんた、自分の名前分かる!?」


 膝を突いたまま、獅子舞は環に向けて質問する。混乱する環は訳が分からなそうに虚ろな目を獅子舞に向ける。


「……?」

「名前!あんたの名前!頭やられた!?」


 気付けするように頬をぺしぺしと軽く叩いて獅子舞は再度質問する。窒息して時が経つと蘇生しても障害が残るという。軽度ならば問題無かろうが重度では……残念ながらその時は眼前の少女を見捨てる他無かった。足手まといを連れて生き残れる程この化物の腹の中は気楽ではなかった。


「……ほ、蛍夜。蛍夜環……?」

「よし、所属は?仕事は?ここは何処か分かる!?」

「所属……?げほっ、た、退魔士。家人の……けほっけほっ!?お、鬼月家の家人!それで……それで……こ、ここは!?ぼ、僕達外に出れたのかい……!?」


 漸く現実に戻って来たかのように環は叫ぶ。周囲の景色を見て、獅子舞に尋ねる。尤も、当の獅子舞は環の質問に首を横に振る。


「残念だけど、違うわ」


 そう言って立ち上がった獅子舞は、いきなり着込んでいた装束を脱ぐ。突然素肌を晒した行為に一瞬環はぎょっとするが直ぐにその意味を理解する。


 先程まで水中にいた二人の装束は水を吸いきってたぷたぷだった。こうしている間にも雨のように水滴が滴り落ちている。


「良く出来たもんよね。偽物の空の癖して」


 下穿きも脱ぎながら心底憎らしそうに獅子舞は毒づく。青々しい空は、しかし見掛け倒しで視覚で見た印象に比べれば其ほど高くはない。


「これが……偽物?」


 天を仰ぐ環は信じられないとばかりに呟く。其ほどまでに彼女の見上げる空は青々しかった。


「幾ら精巧でも所詮は偽りの偽物、紛い物よ。忌々しい事よね」


 びしょ濡れの衣服を雑巾のように絞りながら獅子舞は冷笑するように吐き捨てる。半妖の腕力で絞られた衣服からは滝のように海水が流れ落ちる。水溜まりを作ったかと思えばそれは砂浜に染み込んで消えていく……。


「あんたもちゃっちゃと絞っちゃいなさい。そんなに水濡れだと重いし蒸れるわよ?……幸い、この近場はまだ妖共はいないわ」

「う、うん……!!」


 獣耳をピクピク動かす獅子舞の指示に慌てて従い、環も衣服を脱いで絞る。周囲の景色に視線が向くのは警戒というよりも羞恥に近かった。幾ら周囲に害する者がいないとは言え、碌な遮蔽物すらない中で全裸になるのは流石の環も恥ずかしさを覚えるらしい。そして同時に眼前の家人の思い切りの良さに思わず感心する。友である半妖狼もそうだが、半妖には脱ぐ事への抵抗感も羞恥もないのだろうか?


「こんな所ね。……さて、行きましょうか。こんな所に何時までもいたら干からびちゃうわ」


 水を可能な限り抜いた装束を着込んで、獅子舞は宣う。無駄に強い日射しに舌打ちして、砂浜の丘を登っていく。


「…………」


 獅子舞の言葉を他所に、同じく衣服を纏った環は空を見上げる。嘆息する。冷たい潮風が頬を撫でる。心の臓を落ち着かせる。そして……ふと、暫し前のその記憶を思い出す。


「あれは……何だったんだろう?」


 鍾乳洞の闇の中で溺れながら、一瞬だけ脳裏に過ったその光景に、環は表情を暗くさせる。妄想?幻覚?それとも……分からない。余りにも曖昧で、余りにもぼやけたその光景が果たして己が作り上げたものであるのか、それとも幼子の頃の記憶なのか、それとも全く違う何かなのか。分からない。分からない。


「…………」

「何ぼさっとつっ立ってんのよ!!?ほら、さっさと行くわよ!!」

「えっ!?あ、まっ……て!?」


 再度大声で呼び掛けられて、環ははっと我に返る。そして獅子舞を追おうとして、砂浜を丘を駆ける。丘を登り切る。直後に眼前に広がったその光景に、彼女は思わず足を止める。


「これは……」


 環の眼前には一面の砂の大地が、砂漠が広がっていた…………。





ーーーーーーーーーーーーーー

「よし、上手くいった!!……って、痛てぇ!!?」

『(*゚∀゚)キター!!(。>д<)ウキャン!?』


 やけに先回りが得意な追跡者共を撒いて、炊事場において儀式……阿波踊りしながら保管されている塩を振りまいて大根を廊下に放り捨てる……を行った俺は、直後に視界の光景が一回転して様変わりしたのを確認して歓声を上げる。上げるとともに尻餅を搗いて腰を痛める。痛たたた……。


「くぅ……お、お前らは大丈夫か?置いてけぼりになったのはいないか?」

「ど、どうにか……?」

「し、尻が……」

「うぅぅ…………?」


 直前まで俺の奇行にドン引きして、今は俺同様に各々に尻を擦る小僧共。よし、はぐれた奴はいな『(´;д;`)パーパァナデナデシテネェ?』知らんがな。


「さて、と。……痛ててて、上手く安地に入ったな」


 尻を擦りながら立ち上がる俺は、直後に鼻をつく臭いに若干顔をしかめる。同時に周囲の景色を見渡しながら口元を緩めた。


『人追物の間』の炊事場でのあの糞みたいな儀式を行う事で行ける部屋は計三つ。一回の儀式で三つの何処に行けるかは運次第である。あるが……どうやら三つの内で一番良い部屋に転移出来たらしい。


 ゲームにおける安全地帯の事を安地と呼ぶが、その定義に従えばこの部屋は間違いなくそれに分類される。


『干物の間』……そのままの意味で広大な空間には何列にも渡って薬棚が立ち並んでいた。その中に納められるのはあらゆる物の干物だ。


 各々の棚の表札に刻まれる名称は『鰊』、『鱈』、『鯣』といった魚類。あるいは『椎茸』、『干瓢』、『甘薯』といった作物の干物。『猪』、『熊』、『牛』といった干し肉……ここまでは常識の範囲内だ。


『蚯蚓』や『百足』、『蜥蜴』もまぁ、『肉桂』や『鬱金』、『紅花』、『陳皮』が同じく棚に納められているのを思えば許せる。大陸薬法ではゲテモノも調合に使う。鬼月家の薬師衆の薬棚にも大概な物が納められているし、俺の使う妖化を抑える丸薬もどんな物が仕込まれているか知れたものではない。


 だが、流石に『妖肝』や『妖眼』、更には『人心』に『人胎』、『人魂』なんて物が棚に表記されていればぎょっとするだろう。『絶望』や『秘密』、『故郷』、『家族』なんて最早意味が分からない。挙げ句には扶桑語処か何語かすら分からぬ表記もある。棚によってはあからさまに近付いてはならぬ禍々しい瘴気を放っていた。厄ネタだ。パンドラの箱ならぬパンドラの棚になりかねない。触らぬ神に祟り無しである。興味本位で開かない方が良さそうだ。


「逆に言えば、分かりやすく危険を教えてくれる訳でもあるがな」


 初見殺しな罠や仕掛けの多い『迷い家』の部屋の数々を思えば、この部屋はかなり有情だ。あからさまに危ない棚さえ引かなければ妖やその他の罠もないので安全を保証されている。何なら食料や薬、その他のアイテムが補給出来る事を思えばお助け部屋と呼んでも良い。そして……。


(ここまで来たら脱出までの道程も見えて来る……!!)


『迷い家』の権能の代価であり、メタ的には規約と筆者達の趣向から各部屋には、少なくとも設定がされているものには大なり小なり攻略法が定められている。そして『迷い家』自体からの脱出法も……ここまで巡った各部屋の特性、過去の記録からしてそれは十分に信用出来る情報だ。


「よし、此処は安全だ。暫く休憩してそれから……っ!!?物陰に隠れろ!!」

『(・д・oノ)ノウワン!?』


 小僧共に向けて休息の指示を出そうとした刹那、俺は部屋の奥からの気配に身構える。直後に此方に向けて飛んで来るのは苦無が二本!!


「ちぃ!?」


 手にした短槍で投擲された苦無を叩き落とす。避けても良かったが背後に小僧共がいたからの迎撃であった。


(嘘だろ!?ここに来て原作知識と齟齬が……っ!?)


 予想外の事態に一瞬動揺、そしてチラリと背後を覗く。既に十六夜達は薬棚の陰に身を潜めていた。良い子だっ……!!?


「閃光玉!?」


 薄暗い暗闇の奥から此方に向けて放たれたその玉が何なのかを理解した俺はそれを弾き返す。同時に横合いの薬棚と薬棚の間に飛び込んだ。


「くっ!」

『Σ(>Д<)マブチー!?』


 弾ける音と共に中の物質の化学反応によって部屋を勢いよく照らし出す閃光玉の光。目元を細くして俺は目潰しに耐える。こいつは……!!?


「少し面倒な事になったな……!!十六夜!全員に伝えろ!動くなとな!」


 同士討ちを避けるために俺は命じる。命じるとともに薬棚の裏手を回って走る。隠行で足音を消して疾走する。


「っ!?不味い!裏から来たぞ!」

「迎え撃て!早く!!早く!!」


 先方は此方の動きに気が付いたように叫び声を上げる。直後に薄暗い暗闇の中から誰かが動き出す。直後に放たれるのは……!!


『( ゚ロ゚)!!ナニカキタ!?』

「弩!!?うおっ!?」


 脳内で蜘蛛の叫び。直後に頭目掛けて飛んできた矢を寸前で避けきる。続くように何人かが刀や短刀を手にして襲いかかる。


「ちぃ!?このっ!!」

「うおっ!?ぐわっ!!?」

「ぎゃっ!?」


 先頭の一人が此方の頭に向けて振り下ろす棍棒を避ければそのまま棍棒を踏みつけて反撃を封じて顎に一撃加えて昏倒させる。横合いから切りかかる奴には引き抜いた短刀でそれを防ぎ短槍の柄を首元に叩きつけて吹き飛ばす。双方共動きは良くなかった。つまり、こいつらは前座、陽動……!!


「はぁ!!」

「反応が速いっ!!?」


 隠行で背後に回りこんだ黒装束。脊椎狙って突き立てられる短刀を同じく短刀をぶつけて弾く。即座に形勢不利を悟った相手は後方に飛ぶように後退する。そして……。


「此方からも来るか!!」


 二重の奇襲。隠行使いで意識を誘導した所を仕掛けるつもりだったのだろう。薬棚の間にて待機していた翁の能面が刀で斬りかかる。尤も、この程度の事は……!!


「何度も経験してんだよっ!!」

「くっ……馬鹿な!!?」


 翁面の驚愕。何せ刀を手で掴まれたらそうもなろう。蜘蛛の糸で編まれた手袋はやはり便利『(*´∀`*)ウフフ、パパホメテモナニモデナイワヨゥ?』うん、期待してないから安心しろよ。それよりも……。


「それは此方の台詞だぜ?まさか、援助した武器で襲われるなんざ……恩返ししろって言わんが仇で返してくれるなよ?えぇ、佐久間の下人よ?」

「え?まさか……?っ!?皆、止めろ!中止!中止だ!!」


 眼前で相対する能面の叫びに背後から再度仕掛けようとしていた隠行衆も、人夫や雑人、その他闇の中から攻撃を仕掛けようとしていた襤褸着共も皆止まる。そして、正面の男は動揺しつつも刀を押し立てる力を抜いた。俺もそれに応えて掴んでいた刀を放す。


「……失礼ながら、先方の身分・役職をお教え頂いても?」

「鬼月家出仕下人衆、允職、名は伴部……言っておくが、狐狸が化けた訳でも亡者の類いでもないからな?」


 俺の言葉に、尚も残っていた場の敵意は漸く霧散していた……。








 安地たる『干物の間』に屯していた者は総勢で六人、その内で此度の討伐隊に所属していた者は四人であった。内訳は佐久間家所属の下人班長が一人、名尾家所属の隠行衆が一人、討伐隊に雇われていた人夫が二人である。その中で元からこの部屋に落ちたのは隠行衆の者だけで残りは幾つかの部屋を経て辿り着いたという。それも、人によってはかなりの『時間』を経て。


「化物の腹の内は時間感覚が滅茶苦茶ですからね。自分は感覚で七日、そちらの名尾家の者は丸一日、その人夫らに至っては二月以上さ迷ったと言っています。時計なぞないので正確な日数は分かりませんが」


 佐久間家所属の下人班長が説明すれば隠行衆と人夫二人が頷く。そして俺が残る二人に視線を向ければ更に説明が続く。


「話によれば以前の討伐作戦に参加した下人、それとこの辺りで盗賊をしていた男だそうです」

「朝熊家下人、屋島と言います」

「………権蔵だ」


 屋島と自称した下人の服装は随分と古臭かった。権蔵に至っては殆ど浮浪者に近い。前者は槍を、後者は弩なんてものを手にしていた。


「鬼月家下人衆允職、名は伴部だ『(゚∀゚;)ソシテワタシハミンナノアイド』失礼だが、今上の帝の御名か、元号は分かるか?」


 脳裏に過る戯れ言を掻き消すように俺は最後まで言い切る。うん、だからお前少し黙れや。


「……」

「どうした?分からないのか?」

「いえ。……朱擁帝の御世三年です」


 屋島と名乗る下人の口から飛び出した年号に一瞬俺は目を見開く。思わず「そうか」と短く応じて押し黙る。出仕する家の名から想定は出来たが……あり得ない話ではない、か。


「宜しい。……そちらは?」

「知らねぇよ。……これ、読めるか?」


 若干うんざりした態度の権蔵が懐から取り出して見せつけるのは銅銭であった。比較的真新しく見えるそれに刻まれている文字を読み取る。『玉楼銅銭』と印字されていた。


「……成る程」


 頷いてから俺は改めて権蔵の出で立ちを見る。随分と長くさ迷っていたように見える。手にしている古めかしい型式の弩は恐らくは流出した官給品であろう。名君として名高い玉楼帝の御世は不正腐敗との戦いの時代でもあったという。


「過去の調査記録でも類似の事例はあったらしいからな。流石に実際に目にすると驚いたが……」


 この安地に辿り着いたのは良いものの、其処から先に進めなくなったという所か。


「居候が増えやがった……おい、てめぇら。こいつらは本物なんだろうな!?」


 俺の出で立ちを観察して、そして背後から様子を窺う小僧共を見て、権蔵は問いかける。佐久間の下人班長に向けて問い詰める。 


「允職も其処の新人らも見覚えがあります。質問にも違和感もなく正確に答えています。皮を被っている訳ではないでしょう」

「本当かぁ?化物共はあの手この手で擬態してくるんだろう?本当にこいつらが中身まで人間だって保証出来るのかよ!?」

「……その口振りだと人に化けているのと出会したか?」


 佐久間家の下人班長の言葉に俺は確認を取る。


「自分達は……その盗賊と人夫らは見た事があるようですが」

「…………」


 俺が再度視線を向ける権蔵は、しかし沈黙する。黙秘する。どうやら話したくないようだった。此方に不信感を持っているのかも知れない。


「あぁ。俺らは見た」

「女だった。仲間が助けを求めて近付いたら頭からがっつり喰われちまったんだ……!!」


 盗賊とは打って代わって必死な形相で語るのは人夫達だった。震えた声で二人は説明する。どうやらこいつら、元は三人だったらしい。不用意に擬態した眷属に近付いて御馳走様されたらしい。一人が喰われている間にこの二人は逃げたそうだ。


 その後も俺は生存者達と互いに質疑を交えて情報の共有をしていった。


「……成る程。ここは一種の安全地帯という事なのは分かった。俺達を襲撃した理由は妖とでも勘違いした、という事か?」

「これまでの状況が状況ですので……」


 俺の確認に佐久間の下人班長が代表し謝罪する。


「いや、俺達も幾つも部屋を回ったから分かる。不信と警戒を抱くのも道理だろうな」


 寧ろ最低限それくらい警戒してなければとっくに死んでいただろう。それは良い。問題は……。


「人によるが、それなりに此処に居残っていたようだな?」

「これまでの経験から此処には妖共が入り込んで来ないようですから。何度か脱出のための意見も出ましたが……」


 次の部屋が何処に通じるか、どんな罠が仕掛けられているのか、どれだけさ迷えば脱出出来るのか……安地として此処を拠点として仲間が、戦力が集まるまで待つという手段はあるが逆に恐怖から部屋から動けなくなるのは当然の帰結であった。


「とは言え、何時までも此処に残る訳には行かない筈だ。そうだろう?」


 俺の指摘に、少なくとも佐久間の下人班長と名尾家の隠行衆は頷く。此度の討伐作戦は確実に最後まで完遂される事だろう。それこそ、次の瞬間にそれが実施されても不思議ではなかった。此処に留まり無為な刻を重ね続けるのは文字通り破滅を意味していた。  


「それは分かります。分かっております。ですが……」


 佐久間の下人班長はその先の言葉を濁す。恐らくはこの短期間の間に随分と酷い経験をしてきたのだろう。他の者達もそうだ。進むのに二の足を踏んでいた。だが、それこそ『迷い家』の術中である。


 未だ彼らが養分として取り込まれていないのはある意味では『非常食』として扱われているに過ぎない。『迷い家』にとって安置の存在意義は権能の代償であるが、同時に家畜を飼育しているに等しい行いなのだ。


 故に……。


「俺に付いてこい」

「は?」


 俺の言葉に場の全員が視線を向ける。好奇、疑念、興味、反発、多種多様な、そして混合した感情が向けられる。一瞬、気圧されそうになるがそれを押し殺す。彼らだけでは誰もこの意見を主導する事も纏める事も出来ないだろうと分かり切っていたから。


 だから、俺は宣う。


「全員、俺の後ろに付いてこい。……さっさとこの糞っ垂れな屋敷とおさらばしようぜ?」


 精一杯の虚勢を張って、俺は場の主導権を手にするべくそう嘯いた…………。






ーーーーーーーーーー

「うん、旨い」


 広大無限な迷宮の何処かの和室で、それは口ずさんだ。畳に敷かれた座布団の上で胡座を掻いて、手前に出された串団子を湯気の立つ茶と共に味わいながら。


「僕は思うのだけどね?御茶請けは世の中に数あれど、熱い緑茶に合うのはやっぱり団子だよね?それもたっぷり甘い餡が乗っているものに限る!」


 そう嘯いてぱくっと団子を咥えて、緑茶を啜る。聞き手にとって心底どうでも良い含蓄、己の嗜好を宣う。


『貴様の詰まらぬ話はどうでもイイ。……それよりも、本当にこれで問題はないのだな?奴ラは俺を殺す事は出来ぬのダナ?』


 部屋の主は、空間の主は客人に問い詰める。所々怪しくなりながら言葉を紡ぐ。疑念を問い掛ける。


「少なくとも時間稼ぎにはなる筈さ。実際、下手したら今頃君はもうドカン!なんだからね。それが延命出来たんだ。喜んで良いと思うよ?」

『それでは駄目デはないか!!』


 客人であり、使者でもある同胞に向けてそれは叫ぶ。


『今少シ、今少シなんだゾ!!?俺は深く深ク、霊脈の本流にまで届かんトしているノダ!それを……何故ダ?何故奴ラは今頃になって俺の元に来タ!?何故!!?』


 自分達の失態を糊塗するためさ、内心で客人は嘲る。何だったらその失態と失敗すら自分達が干渉していたのだから自作自演にも近いのだが……それについて態態口にする必要はない。知っても無意味なだけでなく事態が厄介になるだけだ。


 知らぬが仏、騙される奴が悪いのだ。幸い、この手の植物性の連中は孤立して生きているのでその意味では騙しやすかった。


「過去を振り返るのは生産的ではないね。それよりも未来に目を向けようじゃないか?君と僕らとの契約、約束だ」

『そうダ!俺は奴ラを足止めスル。貴様ラは助けを寄越す!!』

「事前に要求していた獲物を此方に差し出す、忘れないで欲しいな?」

『……無論ダ。だが、本当に来るのダナ?助けハ!?』

「だからその手配をしていると言ってるじゃあないか?何なら僕が此処にいるのも担保さ。凶妖一体、決して軽い質ではないと思うけど?」


 けたけたと嗤いながら客人が指摘すればそれは、『迷い家』は沈黙する。どうやら意見を聞き入れた癖にまだ信用し切れていないらしかった。


(いんや。そんな事はどうでも良いんだ。……けど分かりやすく態度に出すのは頂けないねぇ)


 残念ながらこれでは自分達の仲間に入れるには不適合だ。……尤も、知恵が回ったとしても結論は変わらないのだが。


「まぁまぁ。肩肘張らずに、助けが来るまで気長に待つとしようじゃないか?……それよりもさ。団子のお代わり、ある?」


 頬杖をして、食べ終えた串を弄びながら救妖衆からの使者はこの空間の主に厚顔無恥に要求して見せた。


 鎌の鼬、鼬枷は実に軽薄に宣って見せた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る