第九八話

「ふむ、これはまた面白い見世物だね」

「?寮頭殿、如何なさいましたか?」


 民部省主税寮助職……否、つい先日左大臣によって民部省主税寮頭職に任じられた男の呟きに、正面に控える部下は訝るように首を傾げる。


「……いや、この前やってた芝居を思い出してね。南京朱祢通りの芝居小屋は知ってるかな?」

「あぁ、あれですね!大陸から招いた一座による舶来物の!確か橘商会が招待したとか!」

「ははは。その口上、さては君も見に行ったね?」

「え、えぇ……それは……まぁ」


 寮頭の指摘に、部下の官吏は烏帽子ごと頭を撫でて苦笑いを浮かべる。歌舞伎に芝居小屋なぞは低俗な庶民の娯楽であり、帝と朝廷に仕える官人の見るべきものではない、というのが建前であった。


 無論所詮は建前は建前であり、実際はその『低俗な庶民の娯楽』をお忍びで楽しむ貴人とて少なくはなかったし、大っぴらに言わずとも目の前の下っぱ官吏であればそれらを見に行くなぞ最早公然の秘密であった。


「別に咎めやしないさ。……ここだけの話だがね。この前見に行った時には私も治部次官殿と鉢合わせして気まずい空気だったんだよ。随分と念入りに口止めをされてね」

「それはまた……」


 上司から囁き声で伝えられる事実に部下の官吏は思わず呆れる。その時の光景を脳裏に思い起こして何とも言えない笑みを浮かべる。


 主税寮頭はそんな部下を見て微笑み、渡された報告書に視線を落とす。そしてその中身を確認すると改めて部下を見る。


「さて、と。それでこれは?」

「あ、はい。富雅邦からの税収記録なのですが……改めて確認しました所、どうも戸籍から想定される税収と実際の額に乖離がありまして」


 官吏は遠慮がちに自身の気付いた記録の違和感について報告する。


 扶桑国民部省主税寮、その存在意義は所謂財務を司る民部省の下位組織として、全邦から報告される年貢を始めとした税収記録照合等の監査作業を通じて地方財政を管轄・監督する事である。


 そして寮頭に提出された書類は、正にその照合の結果数字に奇妙な差異が生じた記録の再計算を記したものであった。


 帳簿記録を見れば央土富雅邦の徴税収入、その数値が明らかに不自然である事が分かる。辺境であれば想定外の飢饉に移送中の事故や腐食による喪失で多少の減収は想定出来る事態ではある。しかしながら都から徒歩で四日程度の距離でしかなく、直近で災害等の報告もなし、交通の便も整っている富雅邦でこの数字は……。


「……ふむ、良く気が付いたね。勤勉な事は良い事だ」


 上司に称賛された事で若い官吏は若干はにかみながら頭を下げる。


「明らかな数字の差異だ。それにこれは……ほぅ、良く調べたものだ。過去十年分の記録まで掘り起こしたのかな?」

「現在の邦司殿が就任したのが五年前、それ以前の五年との記録を照らし合わせますと、丁度五年前より数字の差異が目立ちます。これはもしや……」


 遠慮がちに若い官吏の語ろうとする言葉に、しかし主税寮頭は手を翳してその先の発言を制止する。


「滅多な事は言うものではない。邦司は帝からの勅命で任じられる役務。下手な言葉は帝と朝廷の権威を謗る事になる。不用意な発言は止しなさい」

「は、はぁ……申し訳御座いません」


 渋い表情を浮かべた上司から指摘された言葉に、おどおどと若い官吏は頭を下げる。そしてそんな部下の素直な態度を見て、寮頭は微笑む。


「しかし熱意は買おう。うん。権限の問題もある、この案件は私が預かるとしよう。後は此方で内々に調査をする。……実に良い仕事をしてくれた」

「はっ!」


 上司からの惜しみ無い賛辞の言葉に官吏は恭しく応じる。そのまま退席を命じれば官吏は上司を疑う事なく席を辞した。寮頭は左大臣から任じられただけあってその仕事と人格が上司にも部下にも信頼されていた。


 ……表向きには。


「……やれやれ。この期に及んで若い者は、やる気があって張り切られて、中々困るものだね」


 若い官吏が去った後、誰もいなくなった執務室にて主税寮頭は、百貌の怪物は冷たく嘯いた。大乱より五百年、その間に中小の騒乱こそあれ基本的に安定の中にある朝廷の律令組織は緩慢に、そして確実に腐敗の一途を辿り続け、百貌の怪物は長年に渡ってその促進すらもしていたものだ。


 各種の数字の偽造に手続きや確認作業の形式化と空洞化、暗黙の了解としての不正の見て見ぬ振り、それらによって生じた誤りは更なる嘘で塗り固め、己の働く間に露呈せねば良いとする事勿れ主義の蔓延、それらを当然とするような空気の醸造……随分と発酵して芳ばしい薫りを醸し出すようになったものであるが、未だに新人役人にあのように生真面目に仕事をする輩は絶える事はない。


「やれやれ、また指導が必要だね」


 化物は冷笑する。国は腐れども人物というものは絶えず出てくるもの……それが朝廷の内部に暗躍し長い月日を経た末に受けた彼の率直な感想だ。時節の折り目折り目においてこの国が傾きつつも歪みつつも、どうにかしてその国家体制を建て直し取り繕って来たのがその証拠であろう。あの稀代の怪物が最低でも五百年は必要と断言した理由が分かろうものだ。


 無論、人の心は堕落しやすい事もまた事実。朱に交われば赤くなる。腐った蜜柑を放置すればあっという間に残りまで腐蝕させ、肉は腐りかけが一番旨いものだ。鵺としては若い内に有望な芽は腐らせて、それが無駄であれば手折るのが課せられた役割、そしてそれもまた切り抜けたならば……それはそれで一興だ。興味深い。愛おしい。


「……そういう事だ。だから諸君、どうか私が期待出来るように上手く踊っておくれ」


 執務室の窓から都の広大で壮麗な内裏の景色を一望して、その実依代の網膜に式とした鸚鵡との視覚を共有した光景を余興として鑑賞しながら、主税寮頭は優しげに囁いた。


 輪廻を繰り返す百貌の怪物は、己の拵えた駒達の演目を残酷に嘲った……。


 




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 此度の作戦を練る上で課題の一つとして挙げられたのは救妖衆対策であった。


 なまはげは兎も角、山姥はその原作における設定・ストーリーからして救妖衆の関わりはほぼ確実であり、俺達が介入するからには奴らから送り込まれているであろう山姥の目付役に睨まれるのは避け難かった。


 松重の翁は既に救妖衆から送り込まれていた目付役の存在を確認していた。それが何時ぞやの都での一件の際に入鹿と共に俺と佳世を拉致した男である事を知った時、因縁めいたものを感じたとともに入鹿が今回俺を謀った事実に一層の説得力を与えた。


 既に入鹿から事の経緯についてはある程度聞いていた。あの狼女からしてみれば神威は己を陥れた憎き復讐の対象であった。俺を山姥の所へと誘導しようとしたのも納得だ。俺が山姥の御相手をしている間に間違いなく報復を行う腹積もりだった事だろう。


 なまはげと山姥をぶつけ合わせる最中で、神威の存在は不安要素であった。頭の足りない凶妖同士死に絶えるまで勝手に戦え!等と安全地帯から手弁当食いながら悠々と観賞をする訳には行かぬ事は明白だった。間違いなく俺達の作戦に介入してくるだろう。備えが必須だった。


 入鹿同様に半妖……というよりもほぼ完全に妖化しているだろう神威が何を基盤として人外化したのか、その権能がどんな手合いのものであるのか、入鹿から聞き込んで見たがそれらは参考程度にしかならない。裏切り前提で動いていた者が素直に己の手の内を裏切る予定だった入鹿らに教えていたとは思えない。


 計画は三段構えで計画された。第一段は最初の奇襲である。本来は半妖化した俺が短刀で以て、実際は翁の式が心の臓を突き刺して仕留める。


 第二段は山姥となまはげがタイトルマッチをする前後に仕掛ける。雪中の俺がこれまた油断した所で襲撃する。運が良ければ凶妖二体の戦闘の巻き添えを食らって吹き飛んでくれるだろう。というか塵も残さずに消え去って欲しい。


 そして第三段階、此処で俺達は同行していた軍団兵らを頼った。第一、第二段が不発に終わり尚且つ先方が此方に迫るならば俺達自身が陽動の囮となって潜伏して貰っていた彼らに仕掛けさせる。機を見計らっての毒塗り矢を人体の急所目掛けて撃ち込ませる。意識の範囲外から、その権能発動前に仕留める。


「が……!!?」


 頭部を撃ち抜かれた神威は、しかしこれ迄同様に絶命する事はなかった。闇となり、影となり、神威の身体は次の瞬間には矢を呑み込んで、そして修復していた。だがこれで良い。これで良かった。


「入鹿ぁ!!」

「っ……!!!!!」


 俺の叫び声と共に入鹿が躍り出る。頭部を撃ち抜かれて、回復するまでの瞬間、神威の影を媒体とした拘束の権能は失効していた。同時に放たれるのは先程同様に咆哮。半妖狼としての音の衝撃波!!


「がっ……!!?ぐっ!!?」


 一気に吹き飛ばされた神威は木の幹に叩きつけられる。叩きつけられてそのまま木の幹をへし折って何度も雪原を跳ねながら叩きつけられていく。それはまるで飛び石のようにも見えた。


「げほっ、ゲホホッ!?ど、どうだ?やったか……!!?」

「いや……残念だが、仕留めてはいないな」


 俺の指摘に入鹿は舌打ち、そして俺達の眼前で弱りつつ、しかし尚も不敵な笑みを浮かべて神威は倒れた大木の間から刀を杖代わりにして立ち上がる。先程よりも弱っているが……これでも駄目らしい。


「そういう事だな。そろそろ無駄な抵抗は止めて欲しいものだね。……生け捕りしないといけない君は兎も角、残りは楽に死にたいだろう?」


 そしてギロリ、と軍団兵らを睨み付ける神威。その姿に彦六郎らは驚く。


「野郎、あり得ねぇ。頭撃ち抜いたんだぞ!?」

「熊だってくたばる猛毒なのに……化物かよ」

「馬鹿、良いから早く次の弾装填するんだよ!!早くしやがれ!!」


 特に弩手の二人は神威の生存を未だに信じられないとばかりに目を見開いて絶句する。彦六郎はそんな二人に次弾装填を促す。促しながら刀を構える。


「彦六郎!お前達はもういい!!下がれ!」


 そしてそんな彼らに向けて、俺はこの場からの逃走を命じた。


「何だとぅ!?てめぇ、さっきから押されてばかりだったじゃねぇか!!人の支援で助けられて何て物言いだ!!」


 当然のように返って来るのは火長による反発。それでも、俺は続ける。警告する。


「感謝してるさ。だから言ってんだ!もう良い、お陰様で後は俺達だけでやれる!んな事よりさっさと退避しやがれ、後は専門家に任せろ!!」

「だがなぁ……」

「命あっての物種だぞ?」

「っ……!!?」


 俺の剣呑とした言葉に彦六郎は僅かに動揺する。そして周囲を観察した後、舌打ちして仲間達を引っ張る。


「糞!!ヘマするんじゃねぇぞ!?……行くぞてめぇら!!」

「お、おい……待てよ!?」

「マジか?あいつらに任せるのかよ!?信用出来るのか……!?」

「五月蝿ぇ!いいから逃げんぞ!化物の相手は化物だ!!」


 警戒しながらも、軍団兵らはそそくさとこの場から撤収を開始する。俺や入鹿は無論、神威もまたそんな彼らを一瞥するのみだった。


「……へぇ、意外だな。手を出さないんだな?良いのかそれで?」

「物事には優先順位があるからね。それに君らを片付けた後でもあんな呪いの耐性一つ持たない雑魚なんて処理するのは簡単だ」


 俺の質問に嘲るように神威は宣う。恐らくそれは事実だった。神威のこれ迄披露して見せた性質、権能からしてそれは余りにも簡単な事だった。彦六郎らでは碌な抵抗も出来まい。尤も……。


「俺らを簡単に片付けられるってのは、慢心って奴だぜ?」

「窮鼠猫を噛むとでも?いや、鼠というよりは犬と……まぁ、何にせよそんな御粗末なハッタリで時間稼ぎが出来るとでも思っているのかな?」


 そして改めて俺を観察して口元を吊り上げる。


「見た所、そちらの手持ちの武器は尽きたようだしね。化物の腕を移植している入鹿は兎も角、君の素手じゃあ俺に対抗は出来ないよ?此処までのやり取りでその辺りは重々理解できたと思うのだけれど……それでもやるのかい?」

「ハッタリだと思うか?此方にはまだお前さんの言ってた奥の手だって残ってんだぜ?」

「…………」


 俺の買い言葉に売り言葉、あからさまな挑発行為、一見無謀な発言。しかし、それに対して神威は黙りこむ。


(そうだよな?お前自身恐れていたものな?)


 幾ら神威の権能でもあの糞地母神の因子で妖化した俺を捕らえるのには相当な手間が掛かるだろう事は確実だった。


 無論、二度に渡って罠を仕掛けられたので俺の挑発に対して警戒するのは想定内の反応。しかし同時に逃げ出した軍団兵らの口止めも行いたい筈で、寧ろ下手に時間を掛けるよりも俺が小細工をする前に先手を打ち、主導権を取って一気に畳み掛ける方が得策なのは少し考えれば誰にでも分かる事だ。


 ……そして、神威は確かにその答えに思い至るだけの知性と理性を有していた。だから分かる。その行動が。合理的な奴の行動を想定するのは狂人よりもある意味容易だから。


「……虎穴入らずんば虎児を得ず、かな?」


 小さく、覚悟を決めたように神威は呟いた。どうやら来るな。俺は、そして入鹿も神威の次の出方を窺う。どのような行動にも対応出来るように体勢を整える。


 そして、その瞬間は来た。直後に神威は妖気で強化した身体能力を以て此方に突貫して……直後に広がる影の中から溢れ出した水の濁流が俺達に迫り来ていた。


「ちぃ、これは想定外!!?」


 その想定の斜め上の攻撃に、俺は思わず叫んでいた。


 恐らくは事前に滝か何かから流れる水をたらふく闇の中に溜め込んでいたのだろう、視界一杯に広がるのは正に水の壁であり、濁流であり、津波だった。用意周到な事で、感動するよ……!!


「糞っ!どけっ!!」


 傍らの入鹿が俺を押し退ける。そして繰り出すのは咆哮だった。三度目の咆哮はこれまでに比べて威力が減衰していたが、それでも迫り来る正面の濁流を押し退けるのには十分だった。何処ぞの聖書の海割りの故事宜しく、津波は切り裂かれて俺達の左右を通り過ぎるのみであった。


 しかし、それは神威の想定の内であり、且つ狙い通りだった。入鹿の咆哮は負担が大きくて連射出来ない事を計算していた。その上で無駄撃ちを誘導させるのを目論んでの今の攻撃。そして正面に意識が向いたとなれば狙うのは死角で。つまりは何が言いたいかと言うと……!!


「当然、後ろから来るよなぁ……!!?」


 次の瞬間には俺は闇となって水の濁流の影から、そして瞬時に背後に回り込んでいた神威に向けて振り向いていた。俺と同じように神威の行動を読んでいた入鹿が血の混じった咳をしながらも狼腕を、爪を振るう。霧を掴むようにしてそれは神威を通り抜ける。


「悪いけど、君の相手をする時間はないよ!!」


 その台詞と同時に神威の内から解き放たれたのは十を越える妖虫だった。郡都を襲撃した妖共の出し残し……!!


「ちぃ!!?」


 即座に爪で二、三体を切り裂いて無力化するが残りが入鹿の霊力と妖力に反応して飛び掛かる。それに対応するのに入鹿は精一杯であり、此方の援護は最早不可能だった。


「くっ……!!」

「捕まえた!」


 そしてそのまま間髪いれずに神威が俺を捕らえるために肉薄する。俺の手首を掴み上げる。俺を呑み込まんとして闇を広げる。勝ち誇るような笑み。嘲るように嘯く。


「悪いけれど、追いかけっこはここまでだよ?」

「態態来てくれて助かったよ。これなら外さないからな」


 神威の勝利宣言に俺は苦笑して答えた。そして即座に俺は懐に忍ばせていたそれを放り捨てる。


 閃光玉を計四つ、軽く投げ捨てる。


「なっ、お前っ……!!?」


 俺の投げ捨てた物が何であるのか、それを投げ捨てた意味を神威は即座に理解したらしかった。そして俺の事を今度こそ驚愕した目で凝視する。信じられないとばかりに見つめる。悪いな、考察の時間は十分あったからな……!!


 直後に、閃光玉はその全てが炸裂して周囲を完全に光で包み込んだ。俺は目を瞑る。そのまま霊力で強化した腕力で拳を振るう。眼前の奴を、恐らくは其処にいるであろう神威の顔面に向けて。


 振るわれた拳はこれ迄と違い、確かな感触と共に神威の顔面を殴り付けていた。







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 計画は三段構えで立てられた。『神威の権能の正体を突き止めるための計画』を、三段構えで考案した。


 ゴリラ様謹製の短刀でも意味がなく、ましてや相手が権能を発動する前に、其処に意識が向く前に毒塗りの矢玉で頭を撃ち抜いても仕留められなかった。その一方で入鹿の広範囲に被害を与える咆哮はある程度の効果があった。それは即ち、神威のその人としての造形は本体ではない可能性を示唆していた。


 また神威が影や闇を操る事は奴の正体を探る上で重要な要素であった。そして此処までの戦闘を俺と翁は観測し、その手品の種におおよその予想をつけた。


 そして、どうやらその予想は正解であったらしい。


「はぁ……はぁ……。てめぇ、『影』に本体を移していたんだな?」

  

 息絶え絶えに呼吸しながら俺は木の幹で身体を支える神威に問い掛ける。当の神威はと言えば顔面を押さえたまま此方を睨み付けていた。その口元は切れて、歯は折れて、鼻血がだらだらと流れ落ちて雪原を赤い染みで汚す。脳震盪を引き起こしているのだろう、その足取りと目元は不安定だ、これまでのように一旦闇となって怪我をなかったかのように回復させる事はない。


 当然だった。俺の拳が神威の顔面にダイレクトアタックした時、多数の、多方向で一斉に炸裂した閃光玉によって神威に生じる筈の影が完全に消え去っていたのだから。


 神威がこれまで身体を切り裂かれたり弾けた際、しかし俺は確かにそれを見ていたのだ。その影は肉体がどうなろうと変わっていなかった。五体満足の人の形のままであった。それこそ不定形の霧や液体のように肉体を変化させていた時ですらも。


『影が本体……いや、それは少し違うな。どちらかと言えば呪いで肉体と影を紐付けているという構造に近いかの?普通は影が人に隷属するがその逆、物質としての肉体が何れだけ破壊されようと変質しようと影が固定されていれば最終的にはその固定された形状へと修正される、という訳だな』


 いつの間にか肩に止まっていた蜂鳥が嘲笑うように宣う。概念としては古来より影は闇夜、冥界との繋がりであるとともにもう一人の自分、己の分身とされる。そして影に己の肉体が沿うのであれば己の肉体の欠損もまた補完される。


 逆説的に言えば、一時的であれ己に沿う筈の影が消失すればどうか?その結果が眼前で血を流し続ける蝦夷の姿である。

 

 尤も、この手品の種の一番注目するべき点はその安全性であろう。本質が人の形に固定される以上は入鹿のようにその力を行使しても肉体や精神の妖化はある一定の水準で固定されるのだとか。確かに神威はこの戦いの間に己の権能を積極的に利用しているが俺や入鹿のような妖化による肉体的・精神的な侵食は会話をしている限りでは殆ど感じ取れない。


「けっ、それはまた便利なこったな。……げほっ、ケホッ!!羨ましい限りだ、憎らしくなるぜ」


 妖虫共を片付けた入鹿が咳混じりに不機嫌そうにぼやく。妖狼の腕を移植して、俺同様に妖化の侵食に悩まされる立場からすれば神威のそれの特性は妬みが混じるのも当然であった。


『ある意味で妖化技術の一つの完成形であるな。くくくっ、実に興味深い。妖化の素体は何であろうな?影妖怪は珍しいし捕獲も難しいもの、出来れば生け捕りにしたいものだ。色々と中身を調べたいものよのぅ』


 底冷えしそうな程に冷酷に笑う蜂鳥。その声音に一応味方である筈の入鹿は、そして俺もまた若干顔をしかめる。しかめつつ、改めて正面の神威を見つめる。そして警告する。


「……まぁ、そういう訳だ。お前さんの手品の種は既にネタバレ済みって事だな。形勢逆転って訳だ。どうする?もうこれ迄のようには行かないぜ?種さえ分かれば幾らでも対策法はあるからな」


 俺の言葉は半ば真実で、半ばハッタリであった。


 確かに手品の種は分かった。手段を選ばなければ神威の対策法は幾らでも思い付ける。思い付けるだけであるが。


 入鹿の咆哮のように地面も含めた広範囲に影響を与えるような衝撃波・振動波による攻撃は俺には使えない。入鹿だってこの短期間に三発も打ち込んだのだ、激しく血を含んだ咳をする彼女に四発目を要求するのは困難だった。あるいは紐付け出来る影を消失させた上での攻撃も閃光玉は生憎先程の殴打の際に使い切っていた。上空高くに吹き飛ばしてから攻撃するという手段も俺の身体能力では非現実的であろう。


 だからこれはハッタリであった。最早己は無敵ではないと神威に警告して自主的な撤収に誘導させるための、これは演技であった。


「…………」


 俺と神威は、そして入鹿は無言の内に互いを睨み付け、牽制し合う。身構えて、相手を窺う。相手の視線一つ、微細の動き一つ逃さぬように、凝視し合う。


「…………っ!!?待て、これは!?おい、不味いぞ!!」


 そして此処に来て入鹿が何かに気付いたように叫ぶ。俺も直後に気付く。その異変を。しかし、それは一歩遅かった。


『グオオオオォォォォォッ!!!??』


 直後、俺達と神威の間にそれは叩きつけられていた。


 そう、いつの間にか視界を妨げる吹雪どころか粉雪一つすら降り止んでいた。鮮明な周囲の情景、故に血飛沫を周囲に撒き散らして怪物が悲鳴を上げる光景がはっきりと視界に映りこんだ。


 片腕を千切られたなまはげが、どうにかして立ち上がり、ふらついた足取りで後退しようとする。そこに猿のように俊敏な動きで老婆が飛び掛かる。満面の笑みを浮かべてその顔面に殴りつける。


「糞、マジか……!!?」


 顔面を殴りつけられたなまはげは、片腕がない事もあって己を支えきれずに背中から俺達に向かって倒れこむ。俺は入鹿の手を取って慌ててその場から逃げ出す。逃げ出すほか無かった。その場に留まっては押し潰されるだけであった。


「っ!?」


 そして俺は咄嗟にそれを見る。想定外の乱入者に神威は不敵な笑みを此方に向ける。そしてそのまま影の中へと沈みこんだ。逃げられた。撤退される事自体は予定通りとは言え、思わず俺は舌打ちする。


『余所見するでない!一先ずは隠れよ!!』

「り、了解……!!」


 肩に止まる翁の言葉に答えながら俺は入鹿と共に引き倒された大木の陰に潜り込む。そして息を整えると改めて俺は大木の隙間から事態を把握するために顔を覗かせる。


 丁度その直後の事だった。なまはげの喉元を山姥が噛み千切っていたのは…………。

 


 


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 なまはげと山姥の激突についてはある程度予想は出来ていた。大方四・六で後者に軍配が上がるだろうと予期していた。それは前世で読み込んだ公式設定に基づいた見解である。


 なまはげが多くの退魔士から恐れられる理由はその権能故であった。吹雪の中に現れて、子供を怖れさせる妖……そう、「子供」を。


 これ迄の戦闘記録、そして実験観測の結果からなまはげのその権能について朝廷は、陰陽寮はおおよその予測は出来ていた。なまはげは子供を脅かす妖、つまりはなまはげのその実力は相手との年の差によって大きく可変する事が明らかとなったのだ。


 それは同時に朝廷にとって正攻法によるなまはげの討伐が、少なくとも短期的に見て極めて困難である事を証明するものであった。


 矮小な幼妖が凶妖に至るには数百、数千もの年月を必要とする。ましてや相手は元神格、その存在概念が固定化されてから何れだけの歳月を重ねて来たのか予想もつかない。少なくとも朝廷の成立期には既に其らしき存在が記録されている。陰陽寮に所属する者の中には齢にして数百年に及ぶ者も幾人かはいるがそれでもなまはげとの年齢差は隔絶している。貴重な朝廷の対妖戦力をほぼ定期的な経路を回り続けるだけのなまはげ相手に投入するのは余りにも危険な賭けであり、それ故に再三に渡る討伐が失敗に終わると、陰陽寮はなまはげとの非接触による弱体化をその基本方針とした。


 一方で、山姥はその原典における由来の一つは山の神である。地母神の一種である。それはつまり、山姥はなまはげ同様に元は永き歳月を生きる神格である事を意味する。あるいはなまはげと同様か、それ以上の時間を生きているかも知れない。共に上古の時代より生きる者同士、なまはげの権能はその効力を大きく減衰させる。


 其処に山姥の権能が加われば……故に、眼前のこの結果があった。


「ちっ、随分と豪快に喰いやがるもんだな」


 舌打ちしながら入鹿は毒づく。彼女の、そして俺の視界の先では半死半生のなまはげに覆い被さり嬉々としてその肉にかぶりついては噛み千切る化物の姿があった。顔面を赤い血で汚しながら血肉をしゃぶる老婆………。


「勝敗は予測出来たが……想定外に早く決まったか」


 これは流石に読み違えた。相性の問題があれども凶妖同士、しかも原作シナリオならば同じく分岐ルートとは言え第二章のボスキャラだ。そのガチンコ勝負がまさかこんな呆気なく終わるとは…………。


「どうする?計画通り、仕掛けるか?」

「…………」


 再度木々の陰に隠れて入鹿が問い掛ける。しかしながら俺はそれに即答出来なかった。普通に考えれば凶妖同士で殺し合って消耗し、お食事中の所ともなれば絶好の狙い目ではある。寧ろ飯を平らげ切る前に襲撃するべきだろう。しかし…………山姥に限ってはそうも行かない。


 原作序盤の分岐ルートにて選ぶ任務によってなまはげの代わりに出会す事になるのが山姥だ。より正確に言えばなまはげ監視イベントと同時期に出現する官営金山警備イベントにて主人公勢は大量の妖共に襲撃される。


 ここで主人公様は二つの選択肢が与えられる。つまり金鉱そのものの防衛か、それとも麓の鉱夫町の防衛に向かうか……まぁ、当然のように後者を選ぶとバッドエンドとなる。


 餌を求めて鉱夫町を襲撃した山姥相手に、主人公は為す術もなく食い殺される以外に道はない。山姥の権能は、まだ己の異能を十分に操れない主人公様にとっては余りにも相性が悪過ぎたのだ。


 その源流の一つを妖母様と同じく地方に根差した地母神、山の神に辿れるとされる山姥は、多産の神という側面もある。元ネタたる伝承の一つによれば男の手が触れただけで八万もの子を産んだという伝説も存在する程だ。


 そしてその伝承を基とした山姥の権能、それが男から受けた矢傷刀傷から妖を産み落とすというものだ。受けた傷が深ければ深い程、そして多ければ多い程により多くの、より強力な妖がその傷口より溢れ、挙げ句に傷自体は塞がるというその権能は原作ではTSしていない、しかもメインウェポンを刀にしてしまった主人公様にはどうしようもなかった。


 それどころか主人公様のせいで溢れかえった妖共により鉱夫町どころか金鉱そのものに周囲の村落まで壊滅するオマケ付きである。逆に金鉱だけ守ると朝廷から報奨を貰い、片腕となった町の生き残りから罵倒されて主人公が曇ります。素敵ですね。


 ……尚、その特性上討伐隊を女性だけで固めれば理論上では山姥の権能は無力化出来るのであるが、それでも素の戦闘能力は大妖なぞより強力だし周囲には餓鬼共が侍っている。何よりも山姥を囮として飼い主たる鵺に罠を仕掛けられて孕み袋にされる危険があった。というかノベル版のオマケ短編で大乱終結直後、空亡を失い蜘蛛の子散らすように逃げ散る妖共を迫撃する最中、山姥討伐の特別編成隊が罠に嵌まり妖獣妖虫による白濁漬けボテ腹コース行きになった事が描写されている。


(鵺の奴については態態神威を送り込んでる以上は其処まで警戒する必要はない、か?しかし……なまはげが駄目だったとすると、神格持ちや妖でも山姥の権能の範囲内という事か)


 妖化した俺でも通常攻撃では厳しいと言わざるを得ない。『アレ』を使う以上は止めには問題ないが……問題は予想以上に疲弊していない山姥の隙を作る事が出来るかだな!!


「……師よ、『アレ』をお願いします」


 俺は一瞬の躊躇の後、腹を括ってそれを要請する。何にせよ、山姥の放置は出来なかった。


『分かった。今再起動させる。時間を稼げ。……来よったぞ?』

「っ!!?」


 俺の要請に応じた翁の蜂鳥は休眠状態に入る前にその警告を発する。直後に入鹿が、そして最後に俺がその接近に気が付いた。


 恐らくはなまはげとの激しい戦闘の結果「出産」したのであろう、落木の陰に隠れていた俺達を数体の山姥の糞餓鬼共が俺達を見つけ、お腹を空かせているのだろう。我先にと襲いかかる。


「俺がやる!!」


 手持ちの武器のない俺の代わりに入鹿が迎撃した。爪で飛びかかる飛蝗共を八つ裂きにするとそのまま蟷螂の頭を殴打する。頭が回転しながら吹き飛んだ蟷螂を、そのまま回し蹴りで蹴り飛ばせば後続の虫共を纏めて押し潰す。


 そして、其処に跳躍した山姥が子供らを一切気にする事なく吹き飛ばしながら参上する。


「あ、やべ……」

「入鹿!伏せろ……!!」


 乱入してきた山姥の拳の一振りを、俺は彼女を背後から押し倒す事で紙一重で回避する。入鹿を雪原に沈める俺の頭の直ぐ上を突風が吹き上げる。寒い筈なのに一瞬で全身から汗が噴き出した。少しでも頭が上がっていたら俺の頭も吹き飛んでいた。何なら周囲の妖共は今の衝撃波で幾分か消し飛んでいた。


 そしてそのまま山姥は手を振り上げて俺達を見つめる。笑う。何を考えているのかも分からぬ満面の笑みで。俺は入鹿を立たせるためにその腕を急いで引っ張る。しかし、間に合わない……!!


「やっぱり必要だったじゃねぇかよ!!若僧があ!!」


 山姥の悲鳴と口の悪い怒声が同時に響いた。俺は咄嗟に山姥の背後を見る。化物の足に刀を突き刺す彦六郎と目があった。俺は驚愕に目を見開く。


「おま……どうして!?っ!!それよりも逃げ……!」

「うおぉっ!!?」


 俺が警告を発した直後の事であった。彦六郎の斬りつけた傷口から大の大人並みの百足が生えて来たのは。傷の転化、出産、山姥の権能!!


「畜生、化物が……!!死ね!死ね!!ぐおあっ!!?」


 慌てて誕生した百足の頭に何度も斬りかかる彦六郎。しかし直後に山姥が怒声と共に背後の彦六郎を子供の百足ごと、地面の雪ごと激しく吹き飛ばす。彦六郎の姿はあっという間に舞い上がる雪と粉塵で見えなくなる。


「行くぞ……!!」


 入鹿がその隙に立ち上がって俺を引っ張って山姥から距離を取るように駆け出す。途中で襲いかかる山姥の餓鬼共の合間を必死に抜ける。しかし、数が多い……!!


「畜生、集まって来やがって……!!矢か!?」


 此方を包囲しようとする虫共は、しかし前方の数体が矢を受けて倒れる。視線を矢の飛んできた方向に向ける。彦六郎の仲間の弩手らであった。更に其処に槍持ちの権太が突っ込む。それに合わせて入鹿が突貫する。爪で妖共を切り裂く。


「お前らっ!?何で戻って来やがった!!?」

「五月蝿ぇ!俺達だって来たくて来たんじゃねぇんだよ!!てめぇらがへたれたり失敗したら俺らが困るんだ!!案の定ヤバそうだったろうがっ!!」


 槍持ちが俺の疑問に不本意げに、腹立だしそうに叫ぶ。叫びながら近付く妖共を槍を振るって追い散らす。そして生まれる間隙を縫って俺達は妖の包囲網を抜けていく。


「畜生!!こいつら次から次へと……ぎゃあ!!?」


 半狂乱になって槍を振るう権太は、刹那の隙を突かれて飛び込んで来た飛蝗妖怪に喉を噛みきられて倒れこむ。


「!?今助け……」

「もう無駄だ!!逃げんぞ!!」


 槍持ちを助けるために引き返そうとするが、入鹿はそう指摘してそれを止める。俺もそれは直ぐに分かった。あっという間に虫共に食い散らかされる槍持ちを見て、俺は苦虫を噛む。苦虫を噛んで、俺は背を向けて走る。


「糞、火長も権太もやられちまった!!やられちまったよ!!?」

「泣き言言うなっ!!腹括ったんだろ!?いいから弾込めろ!!……おい、早く来やがれ!!これ以上は持たねぇ!!うわあっ!!?」


 弩で此方を援護しながら手招きしていた弩手二人は、しかし俺達が合流する前に飛び込んできた山姥に一人が殴り潰されて赤い染みとなり、今一人は刺し違えるように弩を放った直後に横合いから食い潰された。そして血塗れの口元を歪ませて此方を見る。


 獲物を見る眼差しだった。

 

「ちぃ!?おい、その蜘蛛寄越せ!!」

「えっ……!?」

『Σ( ゚Д゚)ウキャン!?ナニスルノイモウト!?』

「誰が妹じゃ!!」


 俺の衣装に手を突っ込み、懐から白蜘蛛を取り出した入鹿が罵倒の言葉と共に俺から遠ざかるように駆け出す。山姥の視線は明らかに入鹿を追っていた。そして入鹿を追いだす。時間稼ぎの囮となるつもりらしかった。確かに白蜘蛛の奴はなまはげ相手にそうであったように餌として最適、俺よりも入鹿の方が身体能力は高いので時間稼ぎにはなる。なるが……!!


「格好つけやがって……!!くっ!!?」


 入鹿の行動をそう吐き捨てて、しかし俺もまた先程抜けた包囲網を形成していた妖共が背後から続々と追いかけて来ていた。逃げるしかない。必死に走る。直後に轟音!!


「入鹿っ!!?」

「畜生め!!?」


 視線を向ければ山姥が入鹿を襲っていた。顔面から飛び込んで、腕を振るい、雪原を抉る。木々を盾に、小回り利かせて必死に立ち振る舞う入鹿は、しかしそう長くは持たない事は明確だった。そして、それは俺も同様だった。


『キキキッ!!』

「ちぃ、来やがった……!?」


 背後から迫る妖共の内、大蚊のそれが雪原を滑空するようにして突貫して来た。感情の窺い知れぬ複眼で此方を見据え、その涎を垂らした口吻を伸ばして俺に向かってくる。その速度は此方の足よりも遥かに素早くて、その距離はみるみると縮まり、そして……!!


『させんよ!!』


 森の中から四つん這いで飛び出したのは神威らを吊り上げるのに翁が使役した傀儡式だった。そのまま大蚊に突っ込んで取っ組む。


『キキキッ!!?』

『ぬぅ!!?』


 元が脆弱と評判の大蚊なだけあり、取っ組んだ衝撃だけで手足が千切れる妖は、しかし反撃とばかりに口吻を素早く鞭のように振るう。瞬く間に木製の傀儡式はその左腕、左足を切り裂かれる。切り落とされる。


 だが大蚊の抵抗はそこまでだった。直後に傀儡式はその般若面の口元から針を吐き出して脆弱な大蚊の頭部を粉砕した。そしてそのままクイッと首を動かして残る妖共に向けて口元を向ける。そして、火を噴く。


 いつぞやの河童共の掃討時のどさくさに回収したのだろう、改良型『帝国の火』火炎放射器を複製して傀儡式に仕込んでいたらしい。数十もの虫妖怪共はあっという間に水でも消えない炎によって焼き払われる。残る妖共は火を恐れて逃げ散らす。


 尤も、それが傀儡式が出来る最後の抵抗であったが。傀儡式の火炎放射は三十と数える前にその内部燃料を使いきっていた。そして、大蚊の抵抗によって傀儡式もまた限界に来ていた。最早動ける状態ではなかった。


『これは……困ったの。動かなんだ』


 眼前の雑魚共を掃討した傀儡式は、しかしそれ以上は芋虫のようにのたうち回るだけであった。俺はそんな式に駆け寄る。


「師よ、恩に着ます。後は自分が」

『馬鹿な。死ぬつもりか?』

「決死の覚悟ではあります。その式では仕掛けるのは無理でしょう?」

『………』


 俺の申し出に無言となる翁。危険性と攻撃の成功確率を計っているようであった。しかし、もう時間はない。


「ぐおっ……!!?」

『Σ(>Д<)ウキャーン!?』


 その轟音と悲鳴に俺は視線を入鹿達の方へと向ける。至近から山姥の殴打の衝撃波を受けたらしい。雪原に叩きつけられる入鹿らを俺は確認する。俺は直ぐに翁の式を見る。訴える。


「お願いします!はやく……!!」

『…………上手くやる事じゃ。失敗は許されぬぞ?』

「当然……!!」


 暫しの沈黙の後、翁は折れた。直後、傀儡式のその腹が割れる。そして同時に臨界にしたのだろう、濃密な霊気がその内から流れ出す。


 凶妖すらも即座に反応する程の濃厚な霊気が、溢れ出す。


『ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ッ゙!!!!』


 入鹿らに迫っていた山姥もそれの存在に気付いたのだろう、あるいは思い出したのだろう。鳥肌の立つような醜い咆哮を上げて、次の瞬間には先程まで対峙していた入鹿らを無視して全力疾走で俺の元に、傀儡式の元へと迫り来る。


「寧ろ、好都合……!!」


 此方に向かって来る山姥を一瞥して俺は嗤ってやる。嗤いながら、俺は傀儡式の腹の内に仕込んでいたそれを取り出す。

  

 なまはげに対する餌として仕込んでいた、切り札を引っこ抜く。


「全く。姫様も性格が悪いよな、本当によ……何が『保険』だよっ!!」


 俺は脳裏に嘲る表情を見せるゴリラ様を思い浮かべて毒づく。全く何処までお見通しだったのだか……そんな事を考えているのと山姥が俺を捕らえたのは同時の事だった。俺を握り締める山姥はそれを己の眼前まで近付ける。その無数の皺の一つ一つまでがはっきりと見て取れる。


「ははは、全く染みだらけの皺だらけだな。日々の美容には気を付けねぇとな、えぇ?……ぐおっ!?」


 俺の野次に対する返答は、全身への激痛だった。バキバキと、全身の骨が折れる音がする。くっ……!?まさか、俺の言葉理解している訳じゃあねぇだろうな?


 そしてそのまま、山姥は俺ごと、俺の掴むそれを丸呑みしようと口を開いた。無数の鮫のような鋭い牙が並ぶ。それが迫り来る。それに向けて、俺は山姥の口に向けてそれを押し込んだ。


 いつぞやの、蜘蛛が拵えていた『翡翠の塊』を、押し込んだ。


「精々、味わいやがれ!!」


 そして、その仕掛けを『起動』させる。


『グオ゙オ゙ッ゙!!??』


 御馳走と思っていた代物に生じる異変。慌てて山姥は口の中に押し込まれたそれを吐き出そうとする。しかし、それを許さぬ者がいた。


「おりゃあああっ!!」

『はっ!!』


 傀儡式と入鹿が同時に山姥の下顎を叩きつけた。より正確に言えば傀儡式が跳躍して頭突きで、入鹿は蹴りあげて、山姥がそれを吐き出すのを阻止する。


 そして、来る。刻限が。山姥の口の中から、光が溢れ出す。俺は嗤う。そしてふと映画の一場面を思い出すと小気味良く嘯いてやった。


「抹殺完了……なんてな?」


 激しい光の奔流が、俺の視界を呑み込んだ…………。

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