第六章 章末

屋敷の縁側を進む蛍夜環は陰鬱だった。そして憂鬱だった。


 已む無き事であっただろう。その事を確かめるのはこの上なく恐ろしかった。自分の今までが根底から崩れてしまうような恐怖に環は恐れ戦く。


 だからその廻廊を、その奥に佇む襖を開く事に環は躊躇してしまう。足が動かずに呆然と立ち尽くしてしまう。


「姫様………」


 傍らに控える女中たる年下の友人が声をかける。心配そうに声をかける。環は大丈夫だと気丈に振る舞おうとするが、それは無駄だった。脳裏に不安が過ったからだ。


 もし、もし全ての疑念が事実であったのならば果たしてこの友人は自身の側に居てくれるのだろうか?それが相手にとって非礼な問いである事を理解していても環にはどうしてもその不安を拭い切れなかったのだ。


 故に視線を泳がせての沈黙、気まずい空気………。


「あっ」


 掌に感じた温もりは不意討ちで、思わず声が漏れる。恐る恐ると視線を友に向ける。其処にいる友は真っ直ぐに己を直視していた。生来の気の強さから来る意思の強い視線で環を見つめる。


「安心して下さい。私は姫様の味方です」


 紡がれた言葉は、友の眼差しと同じくらいに心強かった。その言葉……そう、そのたった一言だけでしかし、環は己の心中が軽くなった事を感じた。背中を優しく、それでいて強く押された気がした。


「………うん。行って来るよ」


 蛍夜の姫の表情には、先程までの暗い影は微塵もなかった。彼女は廻廊を歩いてその襖の向こう側へと足を踏み入れた………。








 父の書斎はさっぱりとしていた。決して物に乏しい訳ではなく、しかして無駄はなく、整えられた調度の数々もまた品があった。


 物を見る目があるというべきだろう、調和の取れたその部屋を、環は見渡した。幼い頃から幾度だって来た事のあるその部屋を何度も、それでいて眼に焼き付けるように。


 多分、もう二度と見る事は出来ないだろうから。


「……済まぬな、環。此方から呼んだのに待たせてしまった。どうしてもしたためねばならぬ文があったものでな」


 机で筆を執っていた父は、漸く筆を置いて娘に視線を向けて謝意を示す。


「ううん。大丈夫だよ。父さんが忙しいのは知っているから」


 首を振って、環は応じた。先日の騒動で父や後継たる兄が多忙な事は知っていた。それどころかその原因の幾分かは……いや、過半は己のせいである事を、環は理解していたから。


 豊穣祭の仕切り直しに巫女役の代替え、結界の抜け道の封鎖に妖共の残党の掃討に死骸の回収、死亡した退魔士の弔い、そして橘商会や鬼月家、邦守との交渉………余りにも問題は多く、しかもその大半を他家の協力、つまりは借りを作る事で収拾する事になるだろう。蛍夜一族の立場は大きく弱まる事は間違いなかった。


 思い返すだけでも環は自責の念で眩暈がしそうなくらいだった。


「そうか………気苦労をかけるな」 

 

 義徳は疲れを隠すように呟く。そしてそれきり暫くの間、部屋が静寂に包まれる。重苦しい沈黙………。


 此れから始まるだろう話に環は無言の内に身体を硬直させ、身構えた。同時に少しだけ思う。出来ればこのまま永遠に何も始まらなければ良いのに、と。少しだけ思った後に少女は自嘲した。現実逃避だと分かっていた。


「お前を拾ったのは雪の降り頻る夜の事だ」

「っ……!」


 父が沈黙を破った。その大して長くもないたった一言を、しかし環は理解するのに相応の時間を要した。何度も、何度もその言葉を咀嚼して、読み取って、理解して、認識する。そして………震えるように息を吐いた。


 そしてゆっくりと父の目を見る。続きを、と無言の内に求める。  

 

 義徳はそんな娘の返答を認めて優しく頷く。そしてゆっくりと説明をしていく。


「妻……つまりはお前の母は難産でな。これ迄すんなりと産んでくれていたのに最後の子は中々生まれなんだ。挙げ句には漸く産まれた赤子がその日の内に死んでしもうた。初めての事もあって、あれは大層嘆き悲しんだものだ」


 何刻もの間我が子の骸を抱いて嗚咽を漏らし続けたのを義徳は覚えている。かといって何時までも赤子を抱かせている訳にもいかない。雑人や女中達が必死に宥めて嫌がる妻から赤子を取り上げて、丁寧に供養した。


「あれは茫然自失だったの。情けない話だが私も初めての事で動揺していてな。どうしたものかと悩んだよ。そんな時だった。門前でお前を見つけたのは」


 泣き声に気付いて門を開ければ、白い布地に包まれてそれは雪の上に捨てられていた。慌ててそれを抱き上げて、周囲を見渡すが人気は一つもなかった。雪道に足跡すら見つけられなかった。赤子の指には皹があった。一体どれだけの時間放置されていたのやら………。


 捨て子自体は珍しいものではない。望まぬ誕生に生活苦等から堕胎同様に産まれた子供を間引く事は良くある風景だ。寧ろ、この場合はまだ良心的であっただろう。殺さずに布地にくるみ、長者の門前に捨てたのだ。運が良ければ情けをかけられて助かる目はある。そして義徳は捨てられた赤子をそのまま放置するような薄情な人物ではなかった。


「実を言えば……勝手な話であるが運命のようなものを感じたものだ。死んだ赤子は女子でな。これも何かの縁であろうと思ったものだ」


 懐かしげに義徳は呟く。環はそんな父の言葉に何を言うべきなのか迷い、結果的に無言を貫く事になる。そして父もまたそんな娘の心中を思って遂に核心を突いた。その言葉を口にした

 

「………霊力に目覚めたらしいな?」

「………うん」


 父の言葉は決して怒気はなかったが、環にとっては死刑宣告に等しかった。霊力持ち、それが郷の安寧の上で如何なる意味があるのか分からぬ程に環は愚かではない。


 だから、父が何かを言う前に、先に彼女は要請する。両の手を畳の上に添えて、背中を折って深々と、一礼する。そして恭しく嘆願する。


「本日をもちまして、僕、蛍夜環は一族を逐電致します。どうぞ御容赦をお願い致します」


 淡々とした口調は事前に何度も練習したお陰で、それでも尚その内心に渦巻くのは葛藤であり、悲しみであり、寂しさであった。


 度重なる妖による郷の襲撃………その真相が別に理由があるとしても、最早郷の住民達にとっては問題ではない。疑惑はそのまま郷主への不信感に繋がりかねない。火消しが必要であった。そしてそのためには人柱が求められた。


 霊力を有する事が分かり、しかも入鹿を郷に留めて、あまつさえ豊穣祭の巫女役を引き受けながら途上で独断で抜け出した環の行いは、その点で決して許されるものではなくて、おあつらえ向きの生贄であった。寧ろ郷を追われない方が可笑しいくらいだ。


 だからこそ、環は自身から放逐を願った。先日訪れた鬼月の使者からそう助言された。家に勘当される前に己から申し出た。それは環の名誉のためでもあり、心のためでもある。彼女も血が繋がっていなくとも愛する父親から追放を命じられるのは辛かったから。


 再び場は沈黙する。無言の静寂……環にとってそれはまるで死刑宣告を受ける気持ちだった。一体何を言われるだろうか?罵倒されるのではないか?皮肉を言われるのではないか?恩を仇で返した事を罵られるのではないか?そんな恐怖が彼女を苛んだ。


「………荷支度をせねばならぬな」


 父が紡いだ言葉は、環の予想を外れて優しさに溢れていた。


「あっ………」

「仕送りもせねばならんな。退魔の名家に世話になるのだ。余り向こうに無心は出来んからな」


 朗らかに、それでいて寂しそうに義徳は嘯いた。


「父、さん………?」

「環、お前が私をどう思っているかは分からぬ。もしかしたら今まで騙されていた事に怒りがあるやも知れん。……しかしな、私も、当然妻も兄弟達も、お前が厄介者だと思った事はなかったし、他人だと思った事とて一度としてなかった。お前は間違いなくこの家の娘だと断言出来るよ」


 震える声で呼び掛ける『娘』に、義徳は穏やかに説明する。その瞳は嘘偽りなく慈愛に満ちていた。


「お前は私や妻に、それに息子達にも素晴らしい日々をくれたものよ。同時に御主には大層困らされたな。ははは、子供は風の子とは言うがお前は女子の癖に元気過ぎたわ」


 愉快そうに義徳は笑った。そして彼は思い返す。目の前の子との日々を。


 夜泣きを良くする子だった。小さい頃から好き嫌いの激しい子だった。母親に良く甘える子で、女子なのに直ぐに外で泥だらけになる子で、逆に技芸が苦手だった。元気な子で、負けず嫌いで木刀を手にして良く兄達と張り合っていた。思いやりがあり、父の肩を良く揉んでいた。皆に愛されていた。


 それは確かに彼にとって大切な日々であった。かけがけのない家族との思い出だった。例え血が繋がっていなくともそれは変わらない。誰にも否定はさせない。


「け、けど……!父さん、僕は………迷惑ばかりかけてっ!」

「手のかからぬ子供なぞおらんよ。上の小僧共とて同じ事よ。気にする事ではあるまいて」


 父は動揺する娘を落ち着けて、慰めて、宥める。そして続ける。


「いつかは嫁入りして家から出るとは思っていた。しかし、まさかこれ程早くとはな………」


 ましてや嫁入りのような祝福出来る類いのものではない。幾ら取引のようなものとは言え、娘を魑魅魍魎共との命のやり取りを行う世界に送るなぞ………しかし霊力を有する以上は避けられぬ運命であった。若い内に自衛出来るだけの実力を持たねばならなかった。


 それ故の苦渋の決断。しかし、だからこそせめて……。


「入鹿と、それに鈴音がお前に同行するとの話は聞いているかな?」

「入鹿は兎も角……鈴音まで?父さん、まさか…!?」


 父の言葉に環は思わず焦る。入鹿は分かる。最低限監視されるのは当然で、どの道郷には留まれない。しかし鈴音は……!!?


「落ち着きなさい。別にあの娘に向けての懲罰ではないよ。寧ろ逆でな、あの娘からお願いされたのだよ」

「お願い、された………?」

「お前は良い友人を持ったものだな。安心しなさい、あれの給金についてはお前の世話役として支給は続ける。無論金額も変えはしないよ」


 父の言葉を聞いて、その意味を理解すると何度も……そう、何度も環は頷いた。涙目になって頷いた。それは喜びであり、感動の涙だった。彼女とて友人の事情をある程度は聞いている。実家に仕送りをしている事もだ。それを危険を犯してまで自分に同行しようなどと………澄まし顔で己を送り出した友人の事を思い出して環は自分が情けないと思いつつ、同時に深く友と父に感謝した。


「父さん……お父様、有り難う御座います。何てお礼を言えば良いのか………」

「そんなに畏まるな。お前は私の娘なのだからな。父が娘のために尽くすのは当然だよ。お前も、余り私は詳しくはないがきっと辛い修行であろう。たまには此方に戻って休むと良い」

「っ………!!?それって!?」


 父のその発言の意味を理解して、環は驚愕する。それは彼女にとって予想外過ぎる言葉であったから。彼女はもう戻れないと覚悟していたから。しかし、これは………!?


「そう驚くな。言ったであろう、お前は娘だとな。先日の騒動で、この郷も今少し守人が必要だと痛感したよ。だからな?もし、お前がまだこの家と郷を嫌っていないのならば………」

「父さん!!」


 義徳の言葉は、途中で泣きじゃくりながら抱きつく環によって遮られた。僅かによろめきつつも義徳はそれを受け止める。


「僕っ……僕も、父さんの事、皆の事……大好きだよっ!?だから……だからきっと、戻るから……、きっと………!!」


 溢れる感情を必死に言語化して環は言葉を紡ぐ。少しでも伝えようとする。伝えようとして、しかし高ぶる感情のせいでそれは思うように伝えられない。それでも泣きながら環は己の感情を吐き出して、そしてそれを聞きながら義徳は優しく娘の頭を、背中を撫でる。撫でて慰める。昔、幼い頃に怖い夢を見て泣いていたのをあやしていた時のように………。


 嗚咽して、何度もなぐさめられて漸く泣き止んだのはどれくらい経った時の事であったか。涙で父の着物をぐしょぐしょにした事を謝罪して、朗らかにそれを許された環は恥じるようにその場を退席する。


 退席して、廻廊を抜けて、縁側に出た環はその姿を見た。きっとずっとその場に待ってくれていたのだろう木板の上で控える女中の友人が此方を認めて一礼する姿。そして縁側に接している庭先にも人影。身体中に包帯を巻いた痛々しい姿で、しかし不敵に笑みを湛える半妖の友が砂利の上で佇んでいた。そんな二人に笑顔を返して、直後に蛍夜の姫はその場にいる三人目の存在に気が付いた。


「鬼月の使者の御方が出立の日取りについて御話したいとの事です」


 立ち上がった鈴音が環の耳元で囁くようにして伝える。待っている間に庭園を観賞していたのだろう、色香に溢れる美女が堀池の側に佇んでいた。此方の存在に気がつくと紅をした口元に妖艶で底知れない笑みを称え、その月色の瞳で環を射抜く。


 何処か猛禽が獲物を狙う様を思わせるその視線に一瞬環は気圧される。同時にその傍らに控える小さな影にも気が付いた。水干を着こんだ背丈の低い少女が此方を睨むようにして見つめている。鬼月の使者の弟子で、途中離脱した自身の代わりに巫女役を務めたという家人の明らかに非友好的な視線………入鹿がそれを察して環との間に割り込むように立ちはだかる。


「良いよ入鹿、僕は大丈夫だから」 


 己を守ろうとする友に向けて、環は語りかける。先日の一件で鬼月家が家人を一人失った事は聞いていた。その供養と遺骸の回収も兼ねて使者として赴いたのがその家人の師であるとも聞いている。


 という事はあの少女にとっては兄弟子に当たるのだろうか?ならばあの視線も已む無き事だ。この騒動の責任の一端は間違いなく己にもあるのだから………そんな事に今更ながら思い至り、環は内心で自嘲する。己の事で一杯で、先程までそんな考慮すらも出来なかった自身を心から恥じた。


 今の環はそれを見つめ返す。力強く、見返す。どのような感情を向けられようとも、それから逃げるつもりはない。己と素直に向き合い、罪とも向き合おう。必要ならば謝罪も贖罪もしよう。


 もう何も恐れる事はなかった。何も悩む事はなかった。為すべき事を為そう。義務を果たそう。罪は贖おう。己に備わるという退魔の力を制御して見せよう。


 そして全てを解決したら、この郷に、家族の元に帰って来よう。環にはまだ帰れる場所があった。迎えてくれる家があった。それまで支えてくれる友人達もいる。それはきっと幸運で幸福な事であった。


「父と話しました。どうぞ此れから宜しくお願い致します、鬼月の御意見番様」


 だから蛍夜環は、己に待ち受けるだろう苦難の日々に向き合う事を固く決意したのだった………。










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 鬼月葵はそれを見て沈黙する。そして戦慄して息を呑む。顔を青ざめさせて緊張する。


 それはまるで幽霊でも見たかのような表情で、普段の傲慢不遜で自信に満ち溢れた彼女を知る者達が見れば己の目を疑うような反応であった。


 いや事実、鬼月葵にとっては眼前のその人物は亡霊に等しかったのだろう。


「……うむ、もう良い。一度下がれ」


 葵の存在に気付いたその人物は触診を行う侍医らに退席を命じた。そして布団から起き上がって改めて彼女に視線を向ける。


 数日前に覚醒し、漸く面会したその人物は白装束を着こんだ痩せきった、窶れきった男だった。


 元はきっと端正な顔立ちだったのだろう面影はあるが、それは面影だけ、今の姿は見るに堪えない。頬の肉は削げ落ちたようになくて、目元には隈があって眼窩は窪み、翻って眼球は飛び出んばかりであった。無精髭は見境なく生えていて、まるで浮浪者か死にかけの病人だ。


 実際、男は文字通りに病人の如く寝たきりだった。それも一日や二日ではない。年単位の話である。それどころか意識も朦朧で一人では食事も排泄も満足に出来ぬ有り様であった。生命活動らしきものを行うだけの肉の塊のような有り様で、しかし葵はそんな男に一欠片の同情すらこれまでした事はなかった。


 する訳がなかった。それは当然の報いだった。己と、そして彼にしたその所業からすれば寧ろこれでも慈悲深いだろう。こいつを殺さなかったのは単に次の当主の争いが面倒になるのと呪いを警戒しての事に過ぎない。


 鬼月家第一八代目当主、そして己の実の父にして己を地獄に落とそうとした悪魔、鬼月幽牲………雑人の案内に従い屋敷の本殿の寝室に足を踏み入れた葵は憎き敵と相対する。


「………葵、か?これはまた随分と大きくなったものだな。どうやら私は相当長く臥していたらしい」


 眼前の男は布団から出る事なく、己を頭の先から足の爪先まで観察すると淡々とそう嘯いた。木乃伊みたいな顔で、冷静に平静に事態を確認する。


 まるで、己に対して行った所業なぞ一切合切忘却してしまっているかのように。


「き、貴様……!どの口で………!!?」


 恥れ者が如きその厚顔無恥な態度に葵は怒り震える。手にした扇子をへし折ると同時にドッとその内に秘めたる膨大な霊力を放出する。


 それは静かな、しかし濁流のような嵐であった。余りにも濃厚過ぎる霊力の奔流を前に空気が震える。屋敷の壁や柱が軋む。下手な霊力持ちならば嘔吐して、それどころか上位の妖ですらその霊力を前に興奮する前に酔いかねない程の濃度。濃厚過ぎるまで濃厚な霊気………しかしそれを至近から受けても尚、鬼月幽牲は殆ど反応はなかった。


「ふむ、流石は我が娘といった所か。よもやここまで強大な霊力を持つまでになったとは。実に驚嘆するべき事よ」


 その賞賛の言葉は、まるで微風を浴びているかのような平然とした物言いで、葵の神経を無遠慮に逆撫でする。怒りと恥辱に身体を震わせて、その激情のままに細腕を振り上げて風撃を叩きつけんとして………。


「あらあら、駄目よ葵。御父様はお目覚めになられたばかり、じゃれあうのは後日に致しなさい?」

「!?」


 手首を掴まれた事よりも、背後に肉薄されるまで気付けなかった事に葵は驚愕していた。そして次に耳元で囁かれたその甘ったるくて猫被りした声音に葵はおぞけが走った。葵はその声音を知っていた。とても良く知っていた。嫌なくらいに幼い頃から聞き慣れていた。


「ちぃ……!!?」


 殆ど条件反射的に空いたもう一方の手を横凪ぎに振るっていた。鋭利な刃物よりも鋭いその一撃は、しかし次の瞬間には容易に防がれていた。


 ………か細い牛蒡によって。


「なっ!?」

「速度も反応も十分。だけど攻撃の仕方に芸がない。……四十点という所かしら?」


 相手の風貌を見る前にその事実によって、その発言によって葵は相手が何者なのかを確信させられる。そして顔を歪ませながら相対するその人物を睨み付ける。


 白藤色の長い癖のある髪を纏めた艶やかな女が其処にいた。片目はその癖毛に隠し、葵と同様に和装の上からでも分かる豊満な体つきに顔立ちまで生き写しのように似ていた。違いがあるとすれば雰囲気であろうか?おっとりとした目元に穏やかな表情は今の般若の如き表情の葵と比較すると一層印象に残る。


 しかしてその表情や声音程に眼前の女が決して平穏でない事を葵は知っている。本当に心中穏やかであれば今まさに葵の手首をへし折りそうな程の腕力で握る事もなければ濃縮仕切ったような鋭く静かな、抜き身の刀の如き殺気を叩きつけてもいないだろうから。


「何故……、何故今更お前が此処にいる………!?」


 それは当然の発言だった。父との別居により、長らく諸邦外遊を続けていたこの女がどうして今この場にいる?


「あら、葵。当然でしょう?愛する夫が目を覚ましたのだもの。ならば何処にいようとも急ぎ駆けつけるのは良妻賢母の務めよ?」

「ほざけ、気狂い………!」


 いけしゃあしゃあと己を良妻等と宣う女に対して葵の放った言葉は純粋な嫌悪感の塊だった。この、男を見る目もなければ愛情の螺曲がった女が良妻であるなんて有り得ないし、ましてや賢母等と絶対に認めない。


 父のために娘が地獄に堕ちようとするのを見捨てたこの女を母だなんて、絶対に許さない。


「止めないか、菫、葵。親子で喧嘩なぞするものではない」


 落ち着いた物腰で放たれたその言葉は、しかしその発言者によって葵にとっては一寸の説得力もないように思われた。実の娘を殺そうとした男が何をほざくのか……!そんな非難に満ちた視線を向けるが当の男は何処吹く風で、それが葵を惨めにさせる。


「菫、御苦労。……此処までは縮地かね?」

「はい。二日前に式にて連絡を受けまして、龍海邦より。……旦那様の御回復大変喜ばしゅう御座いますわ」


 そんな言葉を口にして菫は……西土の名門赤穂家より北土に嫁いだ鬼月菫は恭しく一礼する。その表情は心から夫の回復を喜んでいるようで、まるで恋する乙女みたいな夢見心地な態度であった。


 実の娘すらも捨てる程に、愛欲と恋慕に狂った女の顔だった。


「っ……!!?」


 余りにも浅ましく、余りにも常軌を逸した女の態度に葵は吐き気と嫌悪感に震える。その思考回路に狂気すら感じ取れた。どうしてこんな態度が出来るのか、葵には実の母親の態度が理解出来なかった。


「ふむ……先程侍医らに尋ねたが母上も宇右衛門も居らぬ様子。某かの任で不在のようだな、葵?」

「つ……!?それが、何か?」


 突如としての幽牲の問い掛けに葵は一瞬悩み、しかし認める。認めざるを得ない。どうせ隠し立ては出来ぬのだから。同時に余りにも困難な状況に苦虫を噛み潰す。


 ある意味で絶妙な機会過ぎた。有力な一族の退魔士共が朝廷の要請で外征している今、しかも母までが帰還しているともなれば幽牲の覚醒は余りにも大きい影響力を与える。既に長年の昏睡で、鬼月家の運営は当主の一極体制から一族有力者らによる合議制に移行しているがそれが転覆しかねない。葵は焦燥する。焦燥するが………。


「そうか。それは残念な事だ。急ぎ、方々に文を送らねばならぬな」

「……は?」


 父の政治的には悪手とも言える発言に、思わず葵は動揺した。


「どう、して………?」

「?、何か問題があろうかな?自惚れている訳ではないが、私は一族の当主。その回復を皆に伝えるのは当然の義務であろう?」

「そういう話じゃないわよ……!」


 父の言葉に思わず葵は叫ぶ。動揺して叫ぶ。父の行動が理解出来なかった。己が覚醒したのだ。既に侍医を始めとした者達から己の権限が大幅に削られている事を大まかに聞いていよう。にもかかわらず此処で一斉に文を出そう等と………有り得るとしても味方たりうる者に先行で文を送るか、あるいは送る前に先に屋敷に残る者共を掌握してからが定石だ。幽牲が、己が娘を切り捨てようとした男がそんな事が理解出来ない等とは思えない。それを……!!?


「落ち着くが良い、娘よ。鬼月の者として無様な振る舞いは止すのだ」


 葵の動揺と困惑に、幽牲はそんな事まで宣って見せる。お前が鬼月の面子を語るか、どの口で……!?


「何よ、何なのよ………?お前、まるでこんな……こんな………!!?」


 まるで憑き物が落ちたようで、まるで記憶が抜け落ちたようで、葵は己に向けられる父親の慮りの感情に心を掻き乱される。何処までも憎んでいた父に、幼い頃に抱いていた純粋な感情が目覚めそうになり、期待しそうになり、それを理性と経験が反発して、葵は思わずその場に崩れ落ちる。恐怖に膝を突く。


(い、いや……!?こんなのって……!!?)


 己の内に宿る相反する感情、あの日の所業を思って密かに恐れを抱きながら身構えていたのもあってその衝撃は大きかった。


 ……あるいは傍らに彼女の大切な人がいれば此処まで迷う事はなかったかも知れない。彼女があの日に行き着く所まで行ってしまえばこんな甘い感情を抱く事はなかったかも知れない。その意味で彼女の精神は丸くなり過ぎていた。


 だから仄かな期待をしてしまう。あの日の所業が何かの間違いで、何かの勘違いであったのでは、と。そんな事あり得ないと理性は分かっている癖に。鬼月葵は理性ではなく感情の人であった。


(い、嫌!伴部………!)


 その場にいるのは傲慢な鬼月の姫君ではなかった。ただ動揺し、恐怖に震える一人の少女だった。訳が分からぬままにただ怖くて、心の奥底で必死に愛する人へ救いを求める小娘であった。


「困ったものだ、物も言えぬとは。まるで子供ではないか。……菫よ、娘を一度退席させよ。このような見苦しい姿、他の者達に見せる訳には行かぬのでな」

「分かりましたわ、貴方。見苦しい娘で申し訳御座いません」


 幽牲の言葉に菫は恭しく応じて葵を引き摺るように部屋から出ていかせる。菫の腕力もあるが、葵もまた今はそれに抵抗するだけの気力すらもなかった。ただただ無力にそれに従う事しか出来ない。

 

「我が娘ながら情けない事よ。……誰ぞ来い。確か雛も戻っている筈であるな?此方に来させよ」


 部屋から追放される葵の耳に、遠くからそんな父の命が聴こえていた………。

 


 



 



ーーーーーーーーーーーーーー

 鬼月の二の姫が恐怖に戦き、愛する人に必死に救いを求めていた頃、彼女の姉は其処にいた。


 鬼月の屋敷に直接龍で乗り上げたのは三日程前の事、本道式が屋敷に無理矢理押し入ったのである。周囲が混乱するのは当然で、その混乱に紛れて雛は彼を己の対へと持ち帰ってそれきり何重にも結界を張って閉じ籠った。その部屋に閉じ籠った。


 灯台の小さな灯りだけが照らす薄暗い寝所は既に噎せ返るどころか吐き気すらしそうな程に牝の匂いで満ち切っている。


 その崇高にして清純な儀式を、彼女は既に両の手の指では数えきれぬ程に繰り返した。そしてまたもう一度、最初からそれを始める。彼のために、始める。


 彼女の赤い舌は蛞蝓が這うようにして彼の表皮を撫でていた。その足の爪先から、一本ずつ。そして唾液でべったりと照りついた舌はその愛撫は少しずつ彼の身体の上に上にと………愛撫の対象は一つの例外なく、一欠片の漏れもなく丁寧に丁重に、敬愛と親愛を以て行われていた。


 舌が腹の上まで来てから、彼女は彼の上にいとおしく抱きつく。一糸も纏わぬか細い身体で抱き締める。絡み付く。少しでも触れ合う面積を増やそうとするように密着する。


 その筋肉質な逞しい胸に顔面を埋めて彼の体温を感じ取り、彼が生きている事に安堵して、その体臭を一杯に吸い込み恍惚として、全身の傷痕に指をなぞって、小鳥のように鼓動する心の臓の音に聞き耳を立てては嘆息する。


 何て儚い鼓動なのだろうか。あの女はこんな儚い存在を一体何れだけ死地に送り込んだのだろうか、と。そうしてあの女の所業に義憤して、彼を哀れみ、彼を慈しむ。そして胸にも舌を這わせてその汗を拭い清める。あの女の匂いを掻き消す。有象無象共の痕跡に上書きする。


 舐めるだけで終わらず、彼女は全身に接吻する。己の変わらぬ愛情を証明するように、髪を乱しながら、身体をくねらせながら、幾度も幾度も啄むように……しかし、彼女にとってそれは何ら特別な事ではなかった。


 幼い頃、共に過ごしていた時に両親にしていたように彼にもその頬に幾度もはにかみながら口付けした事がある。あの日、彼が自分を地獄から逃がそうとしてくれた時には思いきってその口元にも……それは合意も取らずに彼の唇を貪ったあの女とは訳が違う。正真正銘の愛情の表現。互いに認め合った愛の誓い、正に純愛の誓約……!!


「そうさ、誓いだ。二人の秘密の………ふふふ、大丈夫だぞ?約束は守るからな?」


 荒い息と共にそんな言葉を嘯いて、雛は彼の両頬に触れる。彼の顔を凝視する。顔を真っ赤に紅潮させて、口元を吊り上げて、うっとりとした喜悦を浮かべて、愛しい人の寝顔を見つめる。


 そうだ、屋敷から逃げる直前のあの約束は忘れない。忘れられる訳がない。


『健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、互いを愛し、互いを敬い、互いを慰め、互いを助け、その命ある限り、真心を尽くそう』


 逃亡の直前の告白で、書物で知った大好きな異国の婚姻の誓いを一緒に誓った。正式な作法は知らず、見様見真似に指切り拳万針千本の掛け声と共に誓約した約束事。


 当然ながらそんなものに実質的な効力なぞある訳もない。拙いお呪い。子供騙しの呪い。形だけの呪詛。しかし、その約束は今の彼女にとってはどのような呪いよりも強力に魂に刻まれていた。彼女の生きる縁、彼との決して忘れない誓い、繋がり、約束………彼女の犯した罪。


「あぁ、赦してくれ………」


 其処まで思い出して、雛は寂しげに呟く。そしてそのまま彼の後頭部を抱き抱えて己の胸の内に包み込む。優しく、赤子を抱くように抱き締める。離さない、離したくないとばかりに強く、強く………。


 彼は誓いを果たそうとしてくれた。馬鹿な己の我が儘を叶えようと無謀で愚かで無茶で、しかし自分の何よりも望む暴挙を起こして………彼は己への愛の代価に全てを失った。


 翻って己はどうか?


 自分はまだあの誓いを果たし切れていない。彼への真心は余りにも足りない。駄目だ、これでは駄目だ。此では彼の妻として怠慢にも程がある。もっと、もっと彼のために尽くさなければ、彼を救わなければ。だから……だから………。


「また、その時が来たらお前は私の手を取ってくれるよな?」


 様々な感情を内に孕んだ歪んだ笑みを雛は浮かべた。答えはない。けれど雛は知っている。彼の答えを知っている。彼が己を裏切る事はないと確信している。


「そうか。そうだよな?ああ、本当に嬉しいよ………」


 だから感謝の言葉と共に彼女は彼に己の愛の証を証明せんと行為を再開しようとして………対の外縁に配置した式神の反応に動きを止める。


 己を呼び出す使者、その口上に雛は苛立つ。折角の彼との逢瀬、愛を確かめあい、彼を労るための時間を邪魔されたのだ。当然だった。その時になればこの家の連中は一人の例外なく皆殺しにするつもりであるが、思わず先に使者を殺してやろうかとすら考えてしまい……しかし彼の安全のために雛は思い止まる。雛は彼のためであれば己を殺せる良妻であるのだから。


「……済まないな。面倒な奴らからの呼び出しだ。少しだけ席を外すぞ?大丈夫、直ぐに帰って来るからな?」


 彼の顔を見つめて雛は優しく囁く。返事はない。しかし雛は慈愛の笑みを込めて彼の額に口づけする。そして彼に布団を被せて起き上がる。


 湯浴びしなければならなかった。彼の匂いが落ちるのは悲しくて悔しくて憎らしいが仕方ない事だった。背に腹はかえられない。全ては彼の安全のためである。そのためならば雛はどのような屈辱すらも受け入れる。


「おやすみ、◼️◼️………」


 背後に、本当に名残惜しそうに振り返って雛は囁き、そして障子をゆっくりと閉めた…………。


 ………………。


 ………対の主人が立ち去り部屋に静寂が訪れる。と、其処に見計らったようにその人影は現れた。


 とてとてと、和装の童女は心底愛らしく寝床に向けて歩み寄る。全裸で眠る彼の目の前にまで来れば躊躇も遠慮もなくその胸の上に座り込む。女の子座りで、ストン、としゃがみこむ。


 そして、雛にしゃぶられ尽くしたその顔を覗きこむ。無邪気に覗きこむ。


 その姿を見て、くすくすくすと童女は笑った。そのあられもない姿を見て、僅かの驚きもなく。何せ彼女は最初からこの部屋で行われていた所業を見ていたから。


 そう、彼女は最初から見ていた。最初から此処にいた。この部屋にいた。誰もそれに気付かなかっただけだ。誰にも気付けなかっただけだ。


 そう、彼が食事をする時も、事務をする時も、彼が鍛練をする時も、彼が着替えをする時も、彼が厠に行く時も、彼が入浴する時も、彼が寝静まる時も、其処にいた。其処で見ていた。


 彼が雛と共に鬼月の一族の元で報告をしていた時も、彼が湯浴びを終えたばかりの葵の元に参上した時も、彼が墓場で打ちひしがれていた時も、彼が允職を拝命した時も、彼が下人衆頭や助職と会合していた時も、彼が自宅で稚児や兄妹達と生活していた時も、其処にいた。其処で見ていた。


 彼が雛と共に屋敷を逃げた時も、彼が捕らえられて連行されていた時も、彼が折檻で痛め付けれていた時も、下人衆の鍛練で全身ボロボロになっていた時も、彼が己が師の深酒に付き合っていた時も、彼が半死半生のまま葵に口移しで薬を飲まされていた時すらも、其処で見ていた。


 ずっとずっと、誰にも知られずに誰にも気取られずに、彼の直ぐ傍らで、直ぐ側で、凝視していた。凝視して笑っていた。無邪気に、邪気に、嗤っていた。


 そして今もまた彼女は彼を見る。覗きこむ。寝静まる彼を見つめる。その魂を観察する。そして微笑む。全ては上々であると。


 ある意味において、全ては彼女の掌の上にあった。彼は着実にこの世のものとは乖離しつつある。幾ら誤魔化そうとも、幾ら抗おうとも、それは変わらない。何も変わらない。彼女がそのように仕向ける以上、因果には逆らえない。


 座敷童子……『座敷厄負贄牢童子之呪』、その呪霊あるいは悪霊、怨霊、それが彼女であった。


 彼女が司るは運命、正確には災厄。その禁術は一族が末席の童女を贄の人柱として、一族に降りかかる有象無象の不幸や呪いを引き受けて己の内へと呑み込んで封じこめる。その期間は凡そ百年。それを過ぎれば儀を行い災厄の塊はその内の暗黒ごと地獄へと葬られる。


 過去四度行われた儀式は鬼月の繁栄の礎となり、しかし五度目の儀式は最期の鎮魂を誤り参列者は当時の当主ら含めて皆死に絶え、その手法もまた失われた。


 それでも禁術を扱う以上はその保険はされていて、その儀式の仕組み故に童子は己の内の災厄を決して鬼月の一族に向ける事は出来ず、鬼月の領域より外に出る事も出来ず、その存在すらも術式によって認識を限定的に阻害されるために他者を騙して利用する事もまた叶わない。


 そう、鬼月の一族には災いは与えられない。


「くすくすくす」 


 彼女にはどうでも良かった。永遠に年を取らず、永遠に成長せず、永遠に災厄を溜め込み続けて、儀式の詳細を知る者すらいない今となっては誰にも認知される事すらない。ただ其処にいるだけに成り果てる筈だった彼女にとって、しかしその出会いは正しく運命だった。


『其処にいる』、それを確信せねば認識出来ぬ自分を、しかし彼は認識していた。そして手を引かれる。一緒に遊ぼうと。菓子を与えられる。一緒に食べようと。例え其処に打算があったとしても、二百年に渡って孤独を強いられていた彼女にはそれは甘美で甘露な誘惑だった。


 だから彼女にとって彼が屋敷から逃げようとするのは正しく己に対する裏切りで、よりにもよって共に逃げる相手が鬼月の直系で………。


 だから彼女は子供らしく妬んで、子供らしく怒って、子供らしく憎んで、子供らしく復讐した。そしてその後に彼女は思う。どうすれば彼を取り戻せるのか、誰にも奪われないで済むのか。そして一人で考えて、考えて、考えて、その答えを導き出した。


 彼女は思ったのだ。どうすれば盗まれないのか、どうすれば一緒にいられるのかを。簡単だ、彼が此方側にいれば良い。彼が彼女らの世界から逸脱すれば良い。そうすれば、彼は自分とだけ遊んでくれる筈だ。


 だからこうした。彼の運命に溜め込んだ厄を注いで、彼の運命を捩じ曲げた。彼に幾度も絶望を与えて、幾度も悲嘆を与えて、幾度も傷つけて、幾度も苦しめて、幾度も負を向け続けた。


 そしてその結果が此れだ。この有り様だ。既に魂の奥底まで因子は根を張っていて、その肉も心もまた人理から少しずつ、しかし確実に外れていて………。


『貴方はもう「家族(みんな)」の元には帰れない。「人の世(みんな)」の元には帰さない』


 逃がさない。渡さない。盗ませない。奪わせない。誰にもあげない……その小さな掌で彼女は雛を真似るように彼の両頬に触れる。


『貴方は私のものだもの』


 無垢に無邪気に純粋に、邪悪に身勝手に悪辣に、贄の娘は宣う。そして口元を、ゆっくりと吊り上げて、その目元を細めて満面の笑みを浮かべる。


 脳裏に思い描くは完全に此方側の存在と成り果てて、肉の定命から解放された彼の姿。そして、そんな彼に彼女は嘗てのように甘えるのだ。甘えて、共にじゃれあうのだ。誰にも邪魔される事もなく、ずっと。ずっとずっと永久に。


『楽しみだなぁ。またたくさん、たーくさん遊ぼうね?』


 その日が来るのを今か今かと待ちかねて、座敷童子は愛情を込めて呪詛の如き言霊を嘯いた。


 何処までも子供染みた幼く残酷な愛情を込めて、嘯いていた………。



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