第三九話

 溢れんばかりの膨大な霊力に満たされた央土並びに四方が土、その他の島々をその領域と定める扶桑国は、しかし央土を除けばその支配は少なからず点と線であり、その領域の内外には人妖問わず幾つもの「外敵」を有していた。


 いや、あるいはその領域の外よりも内の方が問題はより深刻かもしれない。少なくとも王朝崩壊後に自立した大陸沿岸の都市国家群や帝国分裂後に成立した南方植民地の亡命帝国とは対妖対策と交易の観点から扶桑国は長年友好を維持し、時には軍事的・資金的支援すらしてきた。この国にとって目下の敵はその内にこそある。


 扶桑国内において、凶妖が縄張りを張る幾つかの地域は基本的に立ち入り禁止となり兵士が巡回して封鎖されている。特に央土から遠くない峻険な山脈にあるとされる狡猾で傲慢な天狗共が山郷、そして南方の群島の何処かに根を張り度々海岸や河川の漁村や港街を襲うインスマス染みた河童共……これらは共に妖としては異様な程に高い知能と高度な社会を持つが故に扶桑国にとって将来的に掃討と根絶を目標としている代表的な外敵だ。


 妖共が扶桑国の仮想敵であるのは当然としても、だからといって同じ人間と敵対していない訳でもない。


 その成立が妖共の世界を転覆させて人間の人間による人間のための世界を成立させる事であった扶桑国は、主に西土及び南土に怯え隠れるように点在していた人里や村々の連合がその原型であり、央土を人外の化物共より奪取してからはここを基盤として四方への入植を以てその勢力圏を広げていった。


 その過程で他の人間集団との接触と併合を重ねても来たが、全てが平和裏に達成された訳でもない。これ等の集団の中には様々な理由で扶桑国の干渉に反発して敵対したものも少なくない。南土に勢力を持つ熊襲に隼人、各地の山々にて狩猟しつつ散住する山の民等はその代表例だ。


 北土及び東土に原住する諸部族集団を朝廷は蝦夷と呼称し、時に懐柔し時に武力で以てこれを吸収しようとした歴史がある。


 しかし実際の所、彼らに一つの民族意識や国家意識がある訳でもなく、各部族間では複雑な関係を形成する彼らを蝦夷として一括りするのは難しい。


 事実蝦夷らの中には佐伯一族のように朝廷の支配と支援を積極的に受けて他の蝦夷を攻め立てるものから朝廷が勢力圏の境界線に民草を入植させる度にこれを殺戮するものまであり、その文化や内情も個々の集団で大なり小なり違う。彼らを一つの文化集団として認識するのは朝廷側の無理解であると言えよう。


 原作ゲームにおいて、主人公らと敵対し朝廷の崩壊を狙う人妖大乱の残党「救妖衆」はこれら人間側の対立を最大限に利用していた。元より妖に屈服している部族は当然として、朝廷に圧迫されている部族、朝廷に滅ぼされて奴隷として酷使されている部族に接触してこれ等を利用していた。


 腐敗しつつも妖相手に辛うじて対抗してきた朝廷を滅ぼす背後からの最後の一突きが同じ人間によるものだった………朝廷崩壊のバッドエンドルートは余りに皮肉に満ち満ちた救いのないものだと言える。鬱ゲーだからね、仕方無いね。


 まぁ、厄介と言えば厄介だがあくまでも「最後の一突き」である。地力が違うので妖共の暗躍と支援がなければ扶桑国を滅ぼす決定打にはなり得ない。要点のみで介入すれば最悪の状況は防げる。


 なので、正直高を括っていたのだが………。


「まさかこのタイミングで来るとはなっ!?」


 振り回される刀を避けつつ俺は悪態を吐いた。そうでもしなければやってられなかった。


「ちぃ、弱っている癖に良く避ける!!」

「焦るな。少しずつ追い詰めるぞ………」


 斬りかかる者達と避ける者………攻防は既に百数えるだけの時間が過ぎ去っていた。


 乱戦か決闘か、実力が拮抗しているか隔絶しているか……刀等の刃物を使った戦闘における決着にかかる時間は状況によるが、少なくとも相手が二人組なのに対して拷問受けたばかりの徒手の、しかも未だに身体を霊力の流れを阻害する荒縄できつく締め付けられた下人がここまで粘れるのは異様だった。実際俺が一番驚いている。


(火事場の馬鹿力って奴かねっ………!?)


 息切れしつつ俺は内心で嘯いた。そうでなくてもアドレナリンががばがば出ているからか、痛覚が鈍り拷問の痛みを感じにくくなっていた。いやまぁ、普通に痛いけどさぁ。


(それに、恐らくは…………)


「オジキ、もうこりゃあ駄目だろ?この際口封じ兼ねてよ、手加減抜きでぶっ殺してやろうぜ……!?」


 二人の刺客の若い方、入鹿が喚くように叫ぶ。この言葉とこれまでの拷問の妙な加減の仕方といい………こいつら、端から俺を狙っていたな?しかも誰かの命令でだ。


(きな臭いな………)


 情報が揃っても疑念は深まるばかりである。入鹿と呼ばれる男がもっと情報を吐けるように挑発でもするべきか……一瞬そんな事を思ったが、残念ながらそんな事を考えるのは無駄だった。先手を打たれたからだ。


「入鹿、余りべらべらと話すな。これまでの行動からして不必要な情報を与えかねん、黙っていろ。……こいつ、下人の癖に頭が回るぞ」


 口が悪く軽い入鹿に比べて、龍飛と呼ばれていた中年の男は無感動かつ鋭い目付きで此方を牽制しつつ味方を注意する。この判断力と口調、途中退席した一人も含めて間違いなくこいつが纏め役だろう。


「少しずつ間合いを詰めろ。無駄に斬りかかるから避けられる。逃げ場を無くせ」

「ちっ、あいよ」


 その指示とともに一歩、また一歩と慎重な足運びで以て二人は俺を壁際に向けて追い込んでいく。俺はそれに対して後退するしか選択肢はない。武具と防具があれば兎も角、上半身裸で霊力も満足に使えず、ほぼほぼ武器もなければ突貫して包囲を突き破るのは危険過ぎた。いや、正確には手ぶらではないが……どの道そのタイミングを図らなければ空振りして今度こそ詰む。


「おいおい、男二人でよってたかってなんて冗談だろ?悪いが俺は男色の趣味なんざないぞ?そういうのがお好みなら陰間小屋にでもいってくれや。そのために態態お仲間らに秘密にして山から下りて来たんだろ?」

「てめぇ、ふざけやがって………!!」


 俺の定価の半額もなさそうな安い挑発に、しかし入鹿は身体を震わせる。その眼光は怒りで炎のように燃えていた。ゲームでもそうだが、朝廷の外の奴らは殊更に名誉に固執する嫌いがあった。ましてやこれ迄の反応からして拷問時は演技があったとは言えやはり短気なようだ。挑発し甲斐がある。


「入鹿っ!」

「あとよ。悪いが手加減無しで良いってのは此方も同じなんだぜ?……丁度配慮しなきゃいけない護衛対象もいなくなったしな?」


 その言葉に思い出したかのように二人の視線は一瞬背後に向かう。そこにはゆっくりと扉から出ていこうとしていた金髪の少女の姿があって………。


「神威を呼べ!餓鬼が逃げ………」

「隙有りだよ……!!」

 

 次の瞬間にはその叫び声の主、入鹿の方に向けて俺は駆け抜けて肉薄していた。


「ちぃっ!?」


 直後に入鹿から太刀が振り払われる。そして、ほぼ同時に俺は式神様から頂いた煙玉を起爆させていた………。






 当然にして根本的な話であるが、俺が橘佳世の側に控えた理由は彼女の護衛であり、その身の安全を守るためである。


 恐らくは俺達から隠れて尾行していた他の護衛は役目を果たす事が出来なくさせられたのだろうが、だからと言って俺がその役目を放り出して良い訳でもない。というか寧ろそれによって俺の責任が重くなり、立場も危ういものとなり得た。死者は罰する事は出来ないが生者は幾らでも見せしめに出来るのだから。


 故にあの場にいた橘佳世を避難させるのは俺の立場のためにも最優先の課題ではあったが……同時に俺自身があの場で逃げ出す隙を作るためでもあった。流石にあのまま素手で対峙し続けていれば俺に未来はない、じり貧だ。故に下手人共の包囲を突破するためにほんの一瞬でも隙を作りたかった。


 俺が気を引く隙に松重牡丹の使役する式神が佳世に接触して怯える彼女を避難させるように誘導した。そしてゆっくりと彼女が尋問室から出るその瞬間に敢えて気付かせて動揺させ、意識を逸らした所が狙い時だった。僅かに生まれたその隙に肉薄し、煙玉……しかも鬼月家が用意した催涙効果と刺激臭付きの上等な代物だ……で視界を塞いで包囲を強行突破した。したのだが………。


「はぁ……はぁ……ぐぅ…はは、そう何事も上手くはいかないなっ……!!?」


 その背中に気を失った佳世を背負い、ぜいぜいと息切れしつつも俺は駆ける。未だに荒縄が絡み付く身体や額からは冷や汗が噴き出すように溢れ、その右腕からはボタボタと真っ赤な血が垂れ落ちていく………。


(糞っ!覚悟はしていたがやっぱ痛てぇな………!!)


 同士打ちを警戒させるために敢えて包囲がある程度狭まるのを待ってからの煙玉だったが………斬られる事自体は想定していたし覚悟をしていたとは言え、動かせない程ではないにしろここまで深く右腕を斬られたのは痛手だな。


「流れた血が床に落ちています。これでは幾ら走った所で逃げ道がバレますよ?何処かで止血をして下さい」

「分かっているさ……!ぐっ、ここは………蔵屋敷か!?」


 何処か機械的で抑揚のない式神の指示に頷きつつ俺は周囲を見渡して判断する。尋問室があったのは蔵の中であった。米俵や木材等、様々な商品が格納された蔵。そして蔵の中を出るとそこにあるのは同じような様式でずらりと並んだ蔵の軒並み……。


(商人らの蔵屋敷……見た所東京の蔵屋敷街か)


 途中で確認した蔵の中の商品の数々を見て俺は推測する。公家や大名の屋敷が軒を連ねる北京の蔵屋敷であれば彼ら向けにもっと豪勢な商品が納められているだろうし、職人達が集まる西京の蔵屋敷ならば工芸品や工業製品の比率がもっと高い筈だ。南京の蔵屋敷の可能性も否定出来ないが……確認した商品の品目からして恐らくは東国からのものに間違いない。ならばここは東京に設けられた蔵屋敷と考えるべきだ。人気がないのは人払いでもしているのか………。


(いっそ大声上げて助けを呼ぼうとも思ったが、取り止めだな)


 この分では叫んだ所で助けが来る前に追っ手に追い付かれよう。


「うっ…ん…こ、ここ…は………?」


 そんな分析をしていると背後から呻き声が漏れる。煙玉を破裂させて逃げる際に衝撃と音に驚いて気絶した……どの道彼女の足では遅すぎるのもあるが……橘佳世を背負っていたのだが、どうやら意識を取り戻したらしい。まぁ、其ほど大きなショックでもなかったからな。


「お嬢様、少し失礼しますよ……!!」

「えっ!?きゃっ…むっ!!?」


 丁度良いとばかりにさっと広い倉庫群、その一角の物陰に隠れた俺は体力的な理由もあってそのまま佳世の両脇を掴んで無理矢理に降ろした。そして思わず悲鳴を上げようとする彼女の口を塞いで人差し指を口元で立てて静かにと伝える。………何か傍から見ると子供を誘拐する不審者みたいだな。上が裸で全身縄で縛られてるから余計そう見える。前世なら一発アウトだ。


「んっ……ぐっ……はぁ!?伴部さん!?一体何……を………?」


 騒ぎ立てないように俺が口元に添えた手をゆっくりと離すと無礼に対する怒りに顔を真っ赤にし、その声を荒げようとして………俺の右腕の痛々しい傷口からドクドクと流れ出る流血と、そしてそれがそのまま地面に赤い水溜まりを作り始めている事実に気付くと佳世は途端に顔を青くしてその表情を強張らせる。


「あっ……うっ…そ、それは…えっと……確か…………」

「落ち着いて下さい。今は隠れている所です。この静けさですから、大声を上げると気付かれます」


 そして自分達がどういう状況なのかを思い出すと佳世は顔を青ざめて目元を潤ませる。泣かれても困るので彼女の目の前で跪くとその小さく華奢な肩に手を添えてそう励ましつつ注意した。


 悪戯っ子で我儘っ子ではあるが、馬鹿ではないのだろう。俺の言葉に対して理解したように首を縦に振る少女は嗚咽を必死に我慢していた。良い子だ。


「……申し訳ありませんね。折角楽しみにして頂いていたのにこんな怖い事になってしまって。叱責と罰ならば後程受けますのでどうぞ今は我慢してください」


 俺は謝罪の言葉を口にして彼女を慰める。流石に彼女も命の危険がある中で身勝手な事はしないだろうがこうやって保険は掛けておくべきだろう。さて………。


「余り愉快な光景でもないので見ない方が良いでしょう」


 そういって俺は剥がされずに済んだ長袴の足首辺りの生地を引き裂くと、それで右腕から溢れて腕全体を濡らす血を拭き取っていく。


「ぐっ…く……うっ………!!」


 溢れすぎて赤黒くすら見える血を拭いて行けば布地は瞬く間に同じ色の染みが広がった。鈍く痺れる痛みが傷口より走って俺は小さく呻きつつ顔をしかめる。悲鳴は我慢する。


「ひっ……血が、たくさん………」


 俺はまだ良い。式神越しに俺を見ている松重の孫娘も淡々とした様子である。しかし血を見慣れていない佳世は別だ。何だかんだ言っても箱入り娘な彼女は血塗れの布を見ただけで怯えきっていて、その恐怖の余り泣きそうになっていた。


「はぁ……はぁ………だから見るなって言っただろうに………良いから見るのを止めろ。人の怪我なんて見たって良い事なんざないぞ?」


 額にどっと汗を流しつつも俺は冗談めかしてそう佳世に勧める。勧めつつそのまま彼女に背を向けて怪我が見えないようにした。尤も痛みの前に俺の笑みは若干引きつっていたように思えるのでもしかしたら逆効果になったかも知れない。


(雛にしろ、ゴリラ様にしろ、余り餓鬼にトラウマは作ってやりたくないんだけどな………)


 残酷な世界だからって進んでグロテスクなものを見せる必要はない。見なくて済むなら見ない方が良いのだ。……まぁ、あの二人の時にしろ今回にしろ失敗した奴が何を言うかって話なのだがな。


「痛っ……糞、これじゃあ止血には使えないな。もう一度破るか………」


 痛みと筋肉の痙攣に身体と声を震わせながら、俺はたっぷりと血を吸い取りびしょ濡れになった布地を地面に捨てる。あれだけ濡れてしまっては止血には使えない。俺は今一度長袴の生地を引き裂こうとして、しかしそこに左手にちょこんと触れる感触に気付いて俺は振り向いた。


 そして視界に入れたのは柑子色だった。より正確に表現するならば柑子色の首巻きを外して手に持つ橘佳世の姿だった。


「あ、あの………止血なら、これを使ったらどうでしょう、か………?」


 そう提案してびくびくと不安そうに手に持った首巻きを差し出す佳世。その手元は震えていた。


「………宜しいので?」

「あ、あの……弁償とかは、気にしなくて良いので………」


 俺の質問の意図を補償についてだと思ったのか慌てたように、しかし声を低くして佳世は答える。そして怯えたように俯く。


「あの……お節介……でしたか?」

「……いえ、有り難く頂きましょう。助かります」


 流石に子供が不安げにも向けて来た善意を無下にする訳にもいかないし、助かるものは助かる。俺は謝意とともに首巻きを受け取った。


「ふぅ………」


 俺が首巻きを受け取ると佳世は漸く安堵したように強張らせた表情を僅かに緩める。そしてまじまじと此方を窺うような視線を向ける。


 正直余り観察されるのは愉快ではないが………態態ここで文句を言う必要もあるまい。それ以上に俺にはやるべき事があるのだから。にしても………。


(良い生地に仕立てだな。……多分俺が買われた額より高いんだろうなぁ)


 手に持った首巻きを一瞥してから俺はそんな事を考える。


 都でも十本の指に入る豪商の娘、しかも溺愛されているとなれば御忍び用とは言え、その着込む衣装も相応の品だ。故にそれに触れるだけで二束三文とまでは行かないが決して人一人の人生と命としては高くはないだろう俺の買い取り金額よりも値打ちものなのだろうと生地の質で分かってしまった。


「ふっ………」

「伴部……さん?」

「いえ、思い出し笑いをしてしまっただけの事です。お気になさらず結構ですよ」


 俺の自虐的な冷笑に再度不安そうにする佳世に、すかさずフォローを入れてから俺は首巻きを二つに引き裂いて、その小さい方で血を拭くと残る大きい方で止血のために腕をきつく締め上げた。


(勿体ねぇな……)


 この世界では人の命なんて安い。故に今自身が行っている行いが酷く冒涜的で愚かな事のように思えるのは、もしかしたら俺が知らず知らずのうちにこの世界での価値観に染まりつつある証拠かも知れなかった。


「だとすれば………」


 だとすれば、それはとても悲しくて辛い事のように俺は思えた…………。





ーーーーーーーーーーーー

「げほっ……げほっ………ちぃ、ふざけやがって!!」


 未だに白く痺れるような刺激臭を帯びた煙がたなびく部屋の中で入鹿は咳き込みながら悪態をつく。その口調には果てしない憎悪が見て取れた。


「おいおいおい、こりゃあどういう状況だい?件の餓鬼と男はどこ行ったんだ?」


 そこに影の中から突如として現れる男が嘯く。先程部屋を一人出ていった神威と呼ばれていた男だ。愉快そうに周囲を見渡しながら彼は二人に尋ねる。


「てめぇ、漸く来やがって……!!お前がちゃんと暗器を確認しねぇからこんな事に……!!」

「落ち着け入鹿。私もあの男の手持ちは確認した。間違いなく奴は何も持ってはいなかった。恐らくは何処かに鼠が隠れていたのだろう。……甘く見ていたな」


 入鹿を諭しながら龍飛は分析する。あれだけの式神を仕止めたのだから流石に問題ないと思ったのだがそれは誤りのようだった。今にして思えば戦闘用のそればかりだったのは囮だったのかも知れない。実際の本命は隠行と監視特化のものだったか………。


「それで、どうするんだい?あのまま逃がすのか?」

「そんな訳無かろう。式神から情報はある程度漏れてはいるが決定的な内容は漏れていない筈だ。追跡して確保するだけの事だ。特にあの小娘の方だけでも義理立てのためには確保しておくべきだろうな」


 龍飛は橘佳世の確保を最優先の目標に設定変更する。此度の都への侵入について偽装した手形の発行に潜伏先や資金、その他の道具の用意等を支援したのは朝廷に潜伏する化物と倉吉である。そのうち前者からの要望が下人の確保と尋問であり、後者からの要望が橘佳世の確保だ。そして前者についてはまだまだ機会があるように思われた。所詮は下人である。貴人を狙うよりかは遥かに容易だ。


 橘佳世をここで逃がせば恐らく今度はその誘拐は困難を極めるだろう。それどころかその確保に失敗すれば取引材料のない倉吉の失脚すら有り得る。


 そうなれば後は芋蔓式だ。彼らの里からしても倉吉とのこれまでの取引は中々美味しいものだった。その取引の継続のためにも彼の失脚は避けたいし、義理立てするためにもそれだけは譲れない。


「神威。後程あの化け物にも伝えておけ。決してそちらの要望を無視する訳ではないとな。与えられた仕事は必ず果たすと」

「んー、了解」


 朝廷に潜入出来る程に高度な知性がある部類とは言え相手は化け物である。故に不興を買わぬよう此方の意志を伝えるように龍飛は命ずるが、当のその相手……神威は何処か適当そうな返事で応じる。その態度に龍飛は口にこそ出さぬが神威への信頼を一段階下げた。


(朝廷の動向を探るために信用出来る者が送りこまれた筈だが………これでは頼りには出来んな)


 神威の持つ異能は潜伏でも暗殺でも、普通の戦闘でも十分に役立つものであるし、朝廷への潜入工作のために送り出された以上それ以外の実力も同胞らの中でも相当上位に食い込む筈だ。しかしこれでは………。

 

「……行くぞ。相手は手負いだ。武器もない、追い付くのは難しくはない」


 兎も角も今は目前の仕事を果たすだけの事だ。龍飛は二人を連れて目標の確保に向かう。


「ちっ、あの野郎。ぜってえぶち殺してやる」

「そう熱くなるんじゃねぇよ。そんなのだからお前は裏をかかれるんだ」


 黙って仕事をしろ、と龍飛は注意しようとする。しかし、同時に彼は会話の内容に不自然な違和感を感じ取り、眉間に皺を寄せ、振り向こうとする。


「……?おい、待て。今の話……」


 ……直後彼は自身の真横を何かが通り過ぎたのを視認した。同時に振り向いた彼は自身の目の前で神威の頭が破裂したのを確認した。頭蓋が噴き飛び、白い骨と赤い血液、そして桃色の中身が四散する。


「………っ!?」


 唖然……しかしそれは一秒のその半分の時間もなかった。次の瞬間には龍飛は、そして入鹿もまたその場から跳び跳ねて部屋の壁に貼り付き、何かが飛び込んで来た方向を全力で警戒していたのだから。


 その先にあったのは小さな穴が……そう、例えば人の頭くらいの大きさの置き石が貫通すれば出来そうな穴があった。そして………次の瞬間には木材で出来たその壁全体が吹き飛んだ。舞い上がる建材と土煙………。


「あらあら、外套も短刀も置いていってしまったの?これじゃあ彼丸腰じゃない。折角私が上げたものでもあるのに………後でお仕置きしなくちゃいけないわね」


 土煙の中から聞こえて来るのは優雅にして美しい若い女の声。そして直後に土煙が突風で纏めて吹き飛ばされる。そして現れたのは……少女であった。


 満月のかかる夜空を背景として桃色の髪と同様の和装に身を包んだその幻想的な美少女はまるで物語に出てくる天女、あるいは高貴な姫君のように見る者に印象つけた。おおよそ人間として成せる範囲内で最大限「美」という概念を濃縮させたかのような存在……しかし、龍飛も入鹿もそれに見惚れる事はなかった。当然ながらそれは二人が男色だから等という馬鹿げた理由ではない。


 あれほどあからさまに霊力と殺気を晒け出していれば、仮に相手が全裸であろうが反応しないだろう。其ほどまでにその霊力は濃厚で、その殺気は獰猛であった。その目元はたなびく桜色の前髪が影になっていて見えないが……その鋭い眼光は本能的に感知出来た。


「こいつは………」

「面倒な事になったな。事前情報にあった鬼月の二の姫だ」


 刀を構えながら龍飛と入鹿は呟く。物理的なそれは逆に怪しまれるから避けたとは言え、人払いの結界を始めこの辺りには事前に幾重にも、幾種類もの探知阻害系の結界を張って来たのだ。もの探しの呪いでも簡単には場所の特定は出来ない筈、それを………やはり式神か?


「それを教えて上げる必要なんてあるのかしらねぇ?」


 扇子を広げながら鬼月の二の姫、鬼月葵は見下すように宣う。それは相手を何処までも嘲り蔑む、この扶桑国の貴人が蛮族に対して向ける態度そのものだった。


「入鹿、貴様は娘を追え」

「オジキ?一人で殺れるのか?」

「殺れるのかではない。殺るしかないだろう?」


 龍飛の言葉は正しい。明らかに自分達を無視するとは思えぬ、しかも実力も相当な女が立ち塞がっている。自分達には任務を放棄する選択肢もなければ時間制限もある。そして自分達の残存する戦力は二人のみ……ともなればこの戦力分散もまた必然であった。


「………分かったぜ。直ぐに終わらせて戻る」

「何、その前に片付けるから安心していろっ!!」


 その言葉と同時だった。振るわれた扇からの一閃を咄嗟に結んだ結界で防ぐ龍飛。それとともに隠行によって今一人がその場から離脱する。


「……追撃しないのか、意外だな?」


 刀を構え、それでいてそれを囮として、その陰に隠れるように鳥兜の毒を染み込ませた針……一部の特殊な異能や技術持ちでなければ退魔士も人間なので毒は有効だ……を投擲する用意をしながら龍飛は尋ねる。それは相手の意識を逸らす目的もあったが、同時に純粋な疑問でもあった。事前に伝え聞いた情報に正に目の前で放つ莫大な霊力……彼女が下人らを追撃するのを妨害するのは余りに容易に思えたからだ。それを……態と見逃された?


「……私ね。今とっても不機嫌なのよ」


 龍飛の言葉への返答はなかった。代わりに彼女は自身の都合を宣う。


「本当ならね、この都で彼を連れ回して遊びたいのよ。あの家本当に面白いものなんて何もなくて、その癖監視ばかり多い田舎だもの。あの忌々しくて、口五月蝿い女もいるしね」

「………」


 葵の囀ずる言葉に対して龍飛は沈黙を以て答えた。不用意に動くのは危険で、返答もまた言霊術に引っ掛かる可能性もあった。故に無言を以て彼は対応する。何、どうせ……彼女もまた返答なぞ期待していまい。


「それなのに、本当困ったものよね?都は安全な筈なのにどうしてこう騒ぎばかり起こるのかしら?しかもよりによってそのせいで毎回毎回大怪我するのだもの。全くそれもこれも御上の怠慢のせいよ」


 葵は宣う。実際はある程度彼女自身の甘い見通しがあるのも一因なのだが、その事については無視する。彼女は彼に対しては責任を取る積もりはあるが、それ以外に対しては自身の非を認めるなぞその発想すらなかったから。それは何処までも傲慢な認識だった。


「あまつさえ彼方此方で牝が匂いに釣られて来るじゃない?しかもよりによってどいつもこいつも分を弁えないのだから困ったものよ。まるで花の香りに引き寄せられる蝿みたい」


 遠くから焦がれるだけならば問題ない。羨望するだけならば問題ない。精々が彼の一時の玩具扱いが順当だ。彼の傍らに何時までも寄り添えるのは自分だけなのだから。


 葵は自分は寛大な人間だと心から信じていた。でなければ他の牝に彼を触らせるのも見せるのも、彼がその場の気分で発情した有象無象の牝を使い捨てる事すら許せないのだから。それをなんだ。頭撫で撫でって何?あーんって何?床ドンって何?立場を弁えない牝共め、腸をぶちまけてやろうか?


「本当に苛立つわよね。けど……一番腹が立つのはそんな事じゃないの」


 そうだ、本当に許せないのは彼を貶める事で、彼を陥れようとする事で、彼に人を殺させる事だ。


「それだけはね、絶対に駄目なのよ」


 葵は知っている。あの日、あの時、あの逃避行の最後にあったあの件を。絶望の中で、生きて帰ってくる事を望まれなくて、それでも必死に希望にすがりついた果てに待っていたのがあの無慈悲な罠だった。そして……葵はその時初めて見たのだ。彼が殺意を持って人に怒る姿を。そして醜悪な程の争いの果てに彼が下手人の命を奪いとったのを。そして……その時の悲しみと苦しみに染まり震える表情を。


「……私には未だに理解出来ないのだけれどね。あんな仕打ちで、尚もあんな表情を浮かべるなんて」


 もしあの頃の葵が同じ立場であれば一切の葛藤なんてなかっただろう。それどころか残虐に、残酷に、冷酷に相手を悲惨な末路へと追いやるだろう。それが当然の権利だと葵は今でも思う。自身を殺そうとした相手に慈悲は無用だ。だが彼は………。


「妖相手ならば問題ないみたいなのだけれどね。本当ならあんな事でとは思うけれど………私も彼のあんな姿二度と見たくないわ」


 葵は彼を愛していた。彼を苦境に追い込むのも、戦わせるのも悪意ではない。彼のため、そして彼女のためなのだ。戦わせる事そのものが目的ではない。それは過程であって結果ではないのだ。


 だからこそ、葵は彼が本当に心から拒む事だけは絶対にやらない。やる訳にはいかないのだ。やらせる訳にはいかないのだ。忘却の彼方へと消えたあの記憶が何の拍子に甦るのか分かったものではないし、もし思い出したとすればその時彼は苦しみ、絶望するだろう。


 そんな事許せる訳がなくて、だからこそ彼が貶められ、陥れられ、彼が人間と殺し合う事態だけは避けなければならない。


「そういう事だから、貴方『は』私が相手しないとね?」


 色々と一方的に言い放ち続けた葵はそう話を締める。此度の騒動の証人と犯人は必要で、だからこそ葵は目の前の男だけは逃がさない。今一人の男は彼でもどうにか出来るだろう、しかし……目の前のこの下手人は人を殺したがらない彼には荷が重すぎる。今の彼では生け捕り所か逃げ切る事も簡単ではない。


 何よりも………八つ当たりの相手は欲しい。


「だから………簡単に壊れないで頂戴ね?」


 鈴の音色のような美しい声で、しかし口元はおぞましい程に歪ませて少女は嘲笑った。


「………っ!?」


 次の瞬間、そのおぞましい空気に当てられた下手人は額に汗を流すと、少女の首元に目掛けて毒針を投擲していた………。

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