第一六話

 多くの場合退魔の専門家によって呆気なく殺されるが、妖は元来強大な存在である。いや、退魔の専門家達でさえ古の昔は返り討ちにあう事の方が多かった程だ。


 今の時代こそ嵌め殺しや概念攻撃をしてくる一部の大妖、凶妖相手でなければ危なげなく虐殺出来る退魔士達であるが、それは力ある者同士で代を重ね続ける事で霊力を濃縮し、より強力な異能を獲得し、莫大な犠牲を下に化物退治のノウハウを得たから出来る事だ。


 代を重ねておらず、装備も二級三級品しか持たぬモグリの呪術師や下人では精々小妖相手に一対一で勝ち、中妖相手に確実に勝ちきるのに十人は必要といった程度の力しか持たず、それすら戦い方を知らぬ唯人相手には破格の力を持っているのだ。無論、同じく脆弱な霊力しか持たぬ武士の場合はその少ない霊力を全て身体能力向上のみに注ぎ込み、鉄の塊のような鎧と同じく鈍器の如き武器を扱う事で化物に対抗しているし、少量の霊力すら持たぬ朝廷の兵も数を揃えた上で火薬兵器を始めとした飛び道具を大量・集中運用する事で大抵の化物と辛うじてであるが対等に戦う事は出来る。


 逆に言えばそうでもしなければ唯人が単体や数体程度であれば兎も角妖の集団と戦うのは無謀を通り越して自殺行為に等しい。個体差こそあるが小妖の力すら訓練して武装を整えた一般の兵士とほぼ互角なのだから。


 故に深夜の都の新街、その悪所の一角に構えられていた酒場に幾人ものやくざ者の死体が散乱していようとも、彼らが碌に抵抗も出来ずに虐殺されていたとしても何も不思議はなかった。


「ふむ、少し脂っこくてしつこい味だが……まぁ、こんな場所にいる輩なぞこんなものか」


 がつがつと決して広くはない酒場の彼方此方で肉塊と化した人間に食いつき奪い合う狐共。そして唯一人、客席台に座り込む妖艶な五尾の狐人は手元にこびりついた血肉を一舐めして味の感想を述べる。農民とは違い町人は、特にこんな場所に居座るやくざ者ともなれば肉食も随分と嗜むようで栄養価は兎も角味は余り宜しいとは言えない。とは言え、別に食事は二次的な目的に過ぎないのでこの際は仕方なかった。寧ろ本当の目的は……。


「ひぃ、ふぅ、みぃ、よう、六人か。ちと多いな」


 酒場の隅でガタガタと震える生き残りの人間を数えてふむふむと考え込む妖狐。それは到底先程十人を超える人間を数秒もせずに皆殺しにした者とは思えなかった。


「ふむ、よし。お前だ」

「えっ……ひがっ!?」


 選ばれた男が悲鳴を上げるよりも早くその命令に従った狐が喉に食い付きこれを噛み千切る。男は口から赤い泡を吹き出し、喉から大量の血液を噴き出しながら苦しみつつ息絶えた。


 悲鳴を上げる残りの生存者。しかしその声に気付く者はいない。この酒場には既に人払いと防音の妖術がかけられているからだ。


「五月蝿いな。少し静かにしたらどうだ、猿共が」


 ほんの一瞬、妖気を乗せた殺気を向ける。それだけで彼らは息を呑み、幾人かは気絶した。碌に妖と相対した事のない都の住民であると考えれば当然の結果であった。


「さてさて、これで準備は上々かな?……この分だと明日はご馳走だな」


 匙で「入れ物」から桃色の「柔肉」を掬いあげ赤い舌に乗せてその濃厚な脂と甘味を味わいながら、おぞましい笑みと共に化物は明日の獲物に思いを馳せた……。






 青い空に日差しは未だに照りつけていたが、同時にそれは先日に競べればかなり和らいでいた。蝉の鳴き声も少なくなり、吹き上げる風は若干秋の涼しさを醸し出していた。 


 夏も終わりに近づき暑さが遠退いて来た文月の終わり頃のある一日、その日は本当ならば彼女にとって普段と同じ日常となる筈だった。


「それじゃあ、私は仕事に行くからな?皆、お利口にしているんだぞ?……知らない人は中に入れちゃ駄目だからな?」

「はーい、わかったー!!」


 吾妻雲雀が念押しするように言えば子供達は元気にそれに応じてくれる。無論、それは考えなしの口だけのものではない。半妖として彼ら彼女らは自分達が外でどう扱われるのかを知っていたし、そうでなくても見知らぬ者を家に上げる危険性は重々承知していた。故にその声はその口調とは打って変わり心底真剣なものだった。


 吾妻が子供達の返答に微笑みながら頷く。と、彼ら彼女らの集まりから少し離れた場所から心配そうに、そして不安そうに自身を見やる白い少女の姿を認めた。その白い肌は普段以上に蒼白に思えた。


「白、そこで何をしている?ほら、お前も此方に来なさい。一緒に見送りしてくれないか?」


 膝を折って、子供と同じ視線になってから優しく彼女は手招きする。


 若干動揺しつつも、少女はてくてくと吾妻の下に駆け寄るとぎゅっと抱き着く。


「あのね?今日ね、こわいゆめをみたの」


 少女は震えながら呟く。彼女自身も既に殆ど覚えていないがそれが身の毛もよだつおぞましい夢であった事だけは覚えている。故に不安感からか彼女は吾妻が仕事に出掛ける事を怖がっていた。


 ……問題はそれが夢ではなかった事であるが。


「そうかそうか。それは辛いな。じゃあ今日は白のためにも出来るだけ早く帰る事にしようか」


 白を抱きしめ、その頭と背中を擦りながら吾妻はこの新しい家族を安心させるように声をかける。


「ほんと……?」

「勿論だとも。けど、お仕事は休めないからね。その間は皆と一緒に我慢してくれるかい?」


 白は一瞬俯くが、直ぐに他の子供達の方を見て、彼ら彼女らがにっこりと笑顔を見せてくれれば遠慮がちにではあるが小さく頷いて吾妻の言を受け入れた。


「よしよし、良い子だな。お前達、まだ白はここに来て間もない。寂しくならないように良く面倒を見てやってくれ」


 吾妻がそう言えば再度子供達が元気に返答してくれる。吾妻はそれに安堵すると漸く立ち上がり、次いで結界等の綻びがないかを確認した後、子供達に見送られながら職場である寺子屋へと足を進めた。


 一方で、子供達は母親代わりでもある孤児院長がいなくなるとはしゃぎながら遊び始める。そこはやはり子供なのだろう。尤も、吾妻もそれくらいの事は想定済みで限定的であるものの防音の機能を結界に付与してはいた。より正確に言えば外からの音は届くが中からの音が外に漏れないようにしていた。単純に子供の騒ぐ声が迷惑になりかねないし、何よりも孤児院の中の様子を教えて怪しい者達の注目を引く必要はない。


 そして子供達もそれを知っていたので周囲に気兼ねなく大声を叫びながら遊ぶ事が出来たのだ。


「白ちゃん、おままごとしよー!」

「えー、それよりもかくれんぼしようよ!」


 年長の子供達が白に駆け寄ってそう誘うのは吾妻のお願いもあって新しい仲間に寂しい思いをさせたくなかったためでもあるし、同時に彼ら自身も遊びたかったからだ。両手を各々逆方向に引っ張られて誘われて戸惑う狐の少女。


「しろおねーちゃん、おほんよんで!!」


 そこに助け舟を出したのは蜥蜴のような尻尾をばたばたと機嫌良さそうに振るいながら本を手にした茜だった。尤も、彼女自身は助け舟を出した積もりはなく自身の欲求のままに行動しただけなのだが。


 孤児達の中で一番年下で、一番甘えん坊で、一番泣き虫な茜がそう言えば誰も文句は言えない。皆から妹のように可愛がられる彼女のお願いを無下には出来なかった。何よりも白は本人も何故かは分からないが孤児達の中で一番文字を読む事が出来ていた。となれば狐の少女がどの遊びを選ぶかは明白だ。


「うん、わかった。茜ちゃんいこう?」

「うんー!」


 周囲の困ったような態度を見て、同時に決して長くはないこの孤児院での生活から彼ら彼女らの力関係を察した狐の少女は若干苦笑いしつつも可愛い仲間の要求を受け入れて孤児院の縁側に座って読書を始める。


 紙の大量生産が成されておらず、活字印刷の技術も未熟なために本は若干変色していた。恐らくは古本屋であろう、幾年か前に匿名で孤児院に寄贈された道徳教育のための教訓本であった。


「じゃあ今日はどの話がいい?」

「えっとね。おじぞうさんのはなしー!」


 白の質問に茜が元気良く答える。彼女の口にした話は笠掛地蔵のお話だ。単純にその話が好き、というよりか茜という少女は毎回食べ物が関係する話が好きなようで、それ故の選択のようだった。


 貧しい老夫妻が年の瀬に餅も買えず、雪の降る中で笠を町まで売りにいく。しかしながらおんぼろの田舎笠なぞ誰も気にも止めやしない。仕方無く家に帰ろうとすると雪を被ったお地蔵様を見つけ、これを憐れに思った老人は売れ残りの笠を与え、足りない一人には手拭いを代わりに被せた。夜、老夫妻が寝付いていれば物音が。二人が戸口を覗けばそこには米俵に野菜に魚、小判や布地が納められた箱が山のように積み上がっておりました。それは心優しく、善良な老夫妻に対する地蔵達の贈り物でした。


「さっていく地蔵達においのりをしたお爺さんとお婆さんは、こうしてすばらしい新年を迎えることが出来たのです。めでたしめでたし」

「ふーん」


 優しく語り聞かせる白が話を終えると本の中の挿し絵を覗くようにじーと見ながら茜は新しい家族に尋ねる。


「白おねーちゃん。この家からね。すこしはなれたばしょにおじぞうさまがあるの」

「そうなの?」


 茜の突然言い出した言葉に白は少しだけ困惑した表情で尋ね返す。まだ彼女は孤児院周辺の地理を理解仕切れていなかった。


「うん。それでね。今度ね。わたしかさつくりたいとおもうの。冬になってね。ゆきがふったらそのかさをおじぞうさまにあげたらこのおはなしみたいにごはんくれるかな?」

「えぇぇ……それは……どうなんだろう?」


 付き合いは短いが既に妹のように思える茜の言葉に、流石に白もはっきりとは言い返せなかった。狐の少女は善良ではあったが、その脳裏の奥底では先程自分が語った話が所詮は物語に過ぎない事を理解していた。してしまっていたから。


(そうだよ。たすけなんて……やさしくしても、よいこにしていても……)


 自分達は誰にも迷惑をかけていなかったのに。母と二人で村外れで畑を耕して静かに暮らしていただけなのに!それなのに……それなのに……!!


(たすけをよんでもだれもきてくれなかった。よいことなんかしていても、していても。そうよ……だからわたしは………)

「白おねーちゃん?」

「ふぇ?え、えっとごめんね。茜ちゃん。何かあつくてぼーとしてて……」


 狐の少女は茜の声に我に返り、誤魔化すように答える。同時に彼女自身、自らが何を考えていたのかを不思議に思っていた。


(もしかして、いまのって……)


 記憶が無いので分からないが、それが自身の存在の根底を司る要素であったように彼女には思えた。


(そもそも、わたしって誰?いや……何なんだろう?)


 記憶はなく、生まれた場所も思い出せない。その癖文字は読めるし、良く怖い夢を見る。それらが何の関係もない独立した要因であるとは思えない。そしてそれら個々の内容の中には明確に不穏なものもある。


「………」


 白い少女は内心でそれを恐れる。彼女にとってこの孤児院は大切な存在だ。過ごした時間は短くても安心して、穏やかに過ごせた場所だ。自分のせいでそんな場所を、そこにいる人々を危険な目に遭わせたくはなかった。


「……あのね、白おねーちゃん。わたしね。おもちだいすきなの」


 そんな白の様子をじっと見た後、唐突に茜は口を開く。


「おもち、ですか……?」

「うん!おぞうににいれたらとってもおいしいの!あとね!あんことかね、きなことか、あ!さとうしょーゆもおいしいんだよ!!」


 若干目を輝かせて、口元に涎を滴ながら幼女は餅の美味しさを語る。飽食の時代であれば兎も角、白米が未だに貴重なこの世界では餅米もまた贅沢品であるし、同時に餅は米の旨みを濃縮した食品だ。庶民にとって白米がご馳走という価値観に基づけば餅の価値は推して知るべしである。


「そ、そうなの……?」


 茜の喜び具合に僅かに引きつつも白はその先の話を促す。


「うん。けどね。この前のお正月はね。みんなでおもちたべたんだけどおかーさんだけたべなかったの」


 その言葉を口にしながら茜は悲しそうな表情を浮かべた。


「おかーさんね。いつもわたしたちにごはんもわけちゃうの。おかーさんのほうがおおきいしおしごともあるからたべないといけないのに」


 そこまで言って茜は再度本を睨み付ける。そして鼻息荒くして宣言するのだ。「だからつぎのおしょうがつのためにおじぞうさまにかけるかさつくるの!」と。


「それでね、おもちたくさんもらうの!おねーちゃんもいっしょにつぎのおしょうがつはたべようね!」


 屈託のない笑顔で茜が口にした言葉に狐の少女ははっと息を呑み込む。目の前の妹のような少女が自身を気遣っての言葉である事を理解したから。そして、自分と一緒にこれからも暮らしたいと言ってくれた事に感動して、白は胸の奥が熱くなる。


「うん。そう……だね。みんないっしょにいれたらいいね」


 だから白は答える。そして肯定する。彼女もまたそれを心から望んでいたから。


 この時、殆ど全てを失っていた少女は、しかし確かに幸福の中にいた。同時に彼女はこのほんの小さな、しかし温かく大切な幸福を守りたいと子供心に決心していた。


 ……しかし、その幸福は長くは続かない。続く事はない。運命の刻は、絶望の時間は、惨劇の瞬間はもう直ぐそこにまで迫っていたのだから。




 それは昼過ぎの事だった。もしも吾妻が孤児院に残っていれば既に事態が異様な事に気付いていただろう。孤児院の周辺は人払いの妖術によって人気が消えていたのだから。


 その甲高い、獣の断末魔のような悲鳴が響くと同時に子供達は肩を震わせて、殆ど同時にその声の方向を向いていた。


「えっ……?な、何?いまのこえ?」


 蹴鞠で遊んでいた子供の一人が不安そうに呟いた。同時に響くは激しく孤児院の戸口を叩く音。


「ひっ……!?」

「な、なに?だれ?」


 その鬼気迫る激しい音に子供達は怯える。しかしながら、年長の子供の一人が直ぐに戸口に近付き、その隙間から外を様子を覗くように恐る恐ると確認した。


「お願いだ!!誰か開けてくれ!助けてくれ!!だ、誰もいないのか……!!?」


 戸口を数名の男達が絶望と恐怖に表情を歪ませながら叩いていた。同時に彼らの後方より響き渡るのはおぞましい妖の遠吠え。


「えっ……?」


 次の瞬間一人の男が虎よりも遥かに大きい化け狐に咥えられてそのまま戸口や地面に叩きつけられた。戸口に叩きつけられて手足がボキリとへし折れ、地面に叩きつけられて肉が引き裂かれる。


「ひゃあぁっ!!?」


 それを目撃した少女が咄嗟に隙間から離れて悲鳴を上げる。その様子を見て数人の子供が少女を心配するように声をかけて、同時に何があったのかを尋ねる。年長の男子達は好奇心か、それとも義務感からか、怯えつつも代わりに隙間を覗きこんだ。


「あ……うぅ………」


 同時に彼らは言葉を失う。目の前で起こっている惨劇を幼い頭は直ぐには理解出来なかったからだ。戸口を激しく、必死になって殴り付ける男達。そんな彼らの後方では数人の人間だった赤と白の混じりあった「もの」に食いつき、啄んでいく化け狐の群。血肉の何とも言えない臭いが離れている筈の子供達の下にまで漂ってきて………。


「うえっ………!?」


 気の弱い男子の一人は咄嗟に吐きそうになって戸口から涙目になって離れる。他の男子達も、いやそれ以外の子供達も顔を青くして事態の恐ろしさを感じ取った。そして一人の少年は咄嗟に未だに事態を把握していない仲間に外に沢山の化物がいる事を叫ぶ。


 それは事の重大性を教えるための善意であったのだろうがこの場合においては失敗と言わざるを得なかった。


「そ、外にたくさん妖がいるって……!!」

「ひっ!?あ、妖が……!?どうして!?」

「ひ、いや……わたしたちたべられちゃうの!?」


 不安が伝染するように子供達に広がり、あっという間に恐慌状態一歩手前にまで陥る。不味い……それが危険である事に気付いた年長の子供の一人がこの混乱を収める理由もあって咄嗟に思い出したように叫び声を上げた。


「おちつきなよ!おかーさんがいってたでしょ!この家はけっかいがあるからだいじょうぶだって!」


 その言葉に子供達の不安は一瞬弛緩する。未だに恐怖はあるものの、彼ら彼女らは自らの母親代わりの吾妻の力を子供ながらに良く知っていた。


「そ、そうだよね!」

「おかーさんはつよいからだいじょーぶだよ!」


 半分自分達に言い聞かせるように彼ら彼女らは互いを励まし合う。ひきつりつつも無理矢理にでも笑顔を浮かべる子供達。それは互いに安心するためのものであった。しかしながら、その緩みかけていた空気は、次の瞬間には皆の中で最も新参者である狐の少女によって凍りついた。


「ねぇ、ここは安全なのよね?じゃあそとにいるひとたちはどうなるの……?」


 その言葉に子供達の表情は強張った。刹那、狙い済ましたかのように叫び声が響いた。


「お願いだ!助けてくれ!!助けて!助け……嫌だ!死にたくない……嫌だあぁぁぁぁぁ!!?」


 泣きじゃくりながら戸口を殆ど殴るように叩いていた男は足を噛みつかれるとそのまま引き摺られていく。必死に地面に爪を立てて逃れようとするが無意味だった。爪が剥がれて地面に赤い筋が出来る。そして、十分戸口から離された所で餓えた化け狐達が群がる。響き渡る絶叫。覆い被さる狐達の中からもがくように傷だらけの腕がじたばたと伸びるがそれも直ぐにだらりと下がって飲み込まれていった。


「ひぃっ……!?」


 戸口の隙間からその最後を見た少女の瞳が小さな悲鳴を上げて耳を塞ぎながら打ち震える。目からは涙が流れ出ており、恐らくはその思考は完全に混乱していた。


「お願いだぁ!!開けてくれぇ!!早くしろよぉぉぉ……!!」

「誰かいるんだろぅ!!?分かっているんだぞ!?……頼む、お願いだ!開けてくれ!!見捨てないでくれぇ………!!」


 さめざめと泣きながら残る二人の男が叫ぶ。その体は所々怪我をしていて衣服が赤く染まっていた。絶望の表情で恐らく戸口の向こう側にいる者達に……子供達に懇願する。


「ね、ねぇ……!!?」


 少女の一人が顔を青くしながら男子達を見る。子供達は皆互いを見やり、泣きそうな顔を浮かべる。それは葛藤であり、恐怖だった。目の前の惨劇、そしてその要因の一つが自分達の判断にあったのだから。


「あの人達もお家にいれてあげよう!?このままだとあの人達も……!!」

「けど、知らない人をいれちゃだめなんだよ!?お母さんにおこられちゃうよ!!」

「だけどかわいそうだよ!!」

「けど……!!」


 年長の子供達を中心に激論が交わされるが答えは出ない。そして、こうしている間にも残り少ない貴重な時間は確実に失われていた。


「畜生!早く開けやがれ!ぐあぁぁ……!?痛い!痛てぇよぅ……!?」


 その悲鳴に戸口の側にまで来ていた白は思わず戸口の中を覗き、次いで息を呑んで目を離した。横腹からだらだらと血を流し続ける絶望に歪んだ表情の男を見ればさもありなんだ。


「白ちゃん、とびらあけてあげよう!早くしないとあの人たちしんぢゃうよ!」


 年長の女の子が涙目になりながら白に向けて叫ぶ。吾妻の育て方もあったのだろう。感受性が高く、まるで外で起きているおぞましい事を自分の事のように見ていた。


「えっ?あ……う、うん!!」


 一瞬その判断に従うべきか戸惑う白、しかし……事は既に一秒を争っていた。最早悠長に議論をする暇なぞない。白は外の人々を助ける事を選んだ他の子供達と一緒に戸口の閂を外して急いで扉を開け、招き寄せる。


「こ、こら勝手に……もう!」


 見知らぬ者を中に招き入れるのに反対していた子供達も今更どうする事も出来ない。慌てて生き残りが孤児院の中に飛び込んだ後に扉を閉めようとする。


 それは吾妻が道徳的に教育してきたお陰だった。確かに外の人間は怖いし、酷い目にあった者もいる。しかし、それはそれとして苦しんだり困ったりする者を見捨ててはいけない事を子供達は良く教え込まれていた。


 ……それ自体は間違っていない。寧ろ正しい教育であっただろう。結界の存在もあって子供達の判断も決して誤りとは言いきれない。しかし、この場に限ればそれは失敗だった。


 背後から飛びかかってくる化狐に噛みつかれる寸前に「招かれた」男達は戸口の内側へと入り込む。その後を追う狐共は、しかし戸口に向かって飛びかかった瞬間、「招かれず」に見えない壁にぶつかり、悲鳴をあげて後退した。結界の機能は正常に働いているように思われた。


「だ、だいじょうぶ……?」

「この中にはいったらあんしんだよ?」

「こわかった、ないてもいいよ?」


 慌てて孤児院に入ってそのままぜいぜいと息する男二人に子供達は駆け寄ってそう語りかけようとする。


 男の一人が涙ながらに息を整えると、子供達の姿を視認し、若干驚きながらも子供達にむけて何かを口にしようとした。そして次の瞬間、傍らにいた今一人の身体が……「破けた」。


「えっ?ぎゃっ……」


 口を開こうとしていた方の男が異変に気付き、そう呟いてそちらの方向を向いた刹那、巨大な影が彼の身体を頭から飲み込み、そのまま男の身体は腹部辺りから噛み千切られていた。


 ……いや、正確には背骨が千切りきれなかったのでそのまま男の上半身が仰ぐように飲み込まれる時に下半身が空中に中途半端に繋がった状態で振り回されて、そこで漸くボキリという音と共に下半身は回転しながら孤児院の庭先の畑に臓物と血液を撒き散らしながら突っ込んだ。


「い、いやああぁぁぁぁぁぁ!!!???」


 その光景を最も近くで目撃してしまった猫耳を生やした半妖の少女が悲鳴を上げる。一瞬遅れて残る子供達も悲鳴を上げる。そして、その泣き声に身を包まれながら「彼女」は満面の笑みと共にその姿を現した。


 成る程、確かに幻術は使えぬし、嘘もつけないか。相当に良く出来た結界であるが、所詮はそれだけの事だ。どのようなものにも構造的な弱点は必ずある。今回の場合は一つに中に住まうのが子供である事はつけ入る隙がある事を意味した。


 無論、だからと言ってなめればほぼ確実に事は失敗するだろう。都をなめて痛い目にあい、商隊を襲うのに失敗してと本来の運命よりも遥かに弱体化し、かつ失敗続きの化け狐は冷徹かつ冷酷にその小細工を仕掛けた。


 ……結局、変化をしなければ、嘘を吐かなければ孤児院の警備の術式には引っ掛からないのだ。故に彼女は変化の術なぞ使わなかったし、嘘を子供に言わなかった。ただ、変化する代わりに剥いだばかりの「人間の皮」を被っただけだ。助けを呼んだのも嘘ではない。あのままであれば確かに同行する囮役の人間共は「食われていた」だろうから。


 妖は邪悪で、狡猾で、悪辣だ。そして小狡く物事の穴を突く。化け狐は悪所でいなくなっても問題ない人間達を生け捕りした後、そのうち一人の皮を生きたまま剥いで掏り変わった。その上で孤児院の直ぐ近くで彼らを放して追い立てて、わざと孤児院に助けを求めるように誘導した。変化の術も、嘘破りの術も擦り抜けて、善良な子供達が化物達から見ず知らずの人間が食われる所をあからさまに見せて、助けを求める彼らを結界の内側に招かせた。


 人皮を破り捨てて、どうやって入っていたのかも分からない巨大な人食い狐が姿を現す。残酷な笑みを浮かべて歪む口元から先程食った男の血が幾つもの赤い筋を流して流れていた。ベロリ、とそれを長い舌で舐めあげながら優越感を含んだ冷たい視線で化け狐は半妖の子供達を……柔らかく旨そうな獲物を見下ろす。


「あ……あぁ………」


 妖狐が放出する強大な妖力を前に子供達は金縛りに近い状態に陥っていた。何が起きたのかも分からぬままに顔を引きつらせ、あるいは唖然とした表情を浮かべ、幾人かに至っては足を震わせて、あるいは尻餅をついてしまい、その場から逃げ出す事も出来ない。


 ……尤も、妖気なぞなくてもどの道恐怖で何も出来なかっただろうが。


 巨大な妖狐は悠然とした態度で一歩進む。そして一番近場の少女達……戸口の閂を開いた子供らだった……を見つめると目をスッと細めた。    


 幾人かの子供達と共にその視線を受けた白はそれが嘲りである事を殆ど本能的に察した。同時に彼女は気付いた。この巨大な化物が明確に自身を見て嗤った事を。


 そして妖狐はガバッとその長い口を全開まで開く。鋸の刃のような牙が並び、唾液と血が混じった粘液が線を引く。そしてそのまま化物は先程男にそうしたように上から覆い被さるように白の側にいた少女に食らいつこうとしていた。


「にげ……」


 それは殆ど反射的な行動だった。まさに何も出来ずに丸呑みされようとしていた仲間を白は突き倒してその場から離れさせる。しかし、次の瞬間白が視線を化物に向けた時、その視界一杯に化物の口蓋が広がっていた。  


 刹那、彼女の脳裏にその記憶が甦る。そして絶望しながら理解したのだ。此度のこの状況を、この先何が起きるのかを。その原因たる者が誰なのかすら。

 

「そんな………」


 嘆きと後悔と自己嫌悪から、殆ど反射的に彼女は小さくそう呟いた。ああ、こんな事ならば「あの時」死んでおけば良かった。こんな場所に長居しなければ良かった。さっさと一人になっておけば、一人で野垂れ死んでしまえば良かったのに……!!


 しかし、全ては遅かった。遅すぎた。最早手遅れだ。その鋭い牙はコンマ数秒後には白い少女の華奢な身体を突き立て、抉り取り、引き千切るだろう。少女は無力感に打ちひしがれる。そして襲いかかってくる筈の痛みを覚悟した次の瞬間だった。……目の前に突如突き立てられた長槍がその牙を食い止めたのは。

 

「えっ……?」


 涙目の少女は何が起きたのか良く分からずに視線を移す。長槍の柄に沿って視線を動かし……その先端に佇む外套を着こんだ人影の姿を彼女は目撃した。


「ぐっ……!?重っ……ちぃ……!!」


 少女の目の前で、人影は長槍を引き抜く。重い妖狐の牙を受け止めた事によってその刃と柄が共に酷く傷んだ槍を引き抜いた人影はそのままぼろぼろになった長槍を仕方なさげに構える。


「……あぁ、うん。まぁそうだよな?そりゃあ二度目だから驚きやしないけどさ?はは……畜生!」


 ……認識阻害の効果のある外套のせいで顔なんて全く見えない筈なのに、その人影が今まさに心底苦々しく引きつった表情を浮かべているのだろう事を狐の少女はその疲労と絶望感を含んだ一言からありありと読み取る事が出来た。

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