第五話

 数々の頭の螺子が外れた気狂いヒロインが登場してくれる『闇夜の蛍』においても、アンチの数で確実に三本の指に入る存在が赤髪碧童子……ファンの間での通称は碧子ちゃんである。

 

 ゲーム上では当初、家人の出で立ちで屋敷に現れるために主人公に鬼月家の人間と勘違いされる。主人公の住まう事になった部屋に来ては家事をしたり、世間話をしてきたりと何も知らずにプレイしていればただのお世話キャラやサポート系NPCと思われた筈だ。


 ……その本性は千年近く前、扶桑国の都に攻めいり巣くった「四凶」が一体、その巣くっていた場所から「西京の青蛮鬼」の異名で呼ばれた大鬼、赤髪碧童子……その「残骸」である。


 設定によれば元は大陸で相当暴れていた化物らしく、その後、海を渡ってからは都や近隣の村を従えた有象無象の化物共と共に右京を文字通り「食い荒らした」という。因みにこの時の碧子ちゃんはファンや制作陣の間で「EX碧子様」等と言う呼称で呼ばれている。


 尤も、最後は帝の命を受けた高名な陰陽師や武士、僧侶からなる「退魔七士」達により配下は皆殺しにされて本人も何度も手足を引き千切られて、内臓を引き摺りだされ、首を何度も切り落とされと、文字通りズタボロになって必死になって逃げ出したとか。その傷は未だに癒えないらしくお陰様でゲームスタートの時点で彼女の戦闘力は何と最盛期の二割程度だとか。尚、それでも普通に有象無象の「凶妖」では相手にならないが。というか最盛期のこいつ半殺しにした奴らやばくね?


 どうやらゲームスタートの時期、何らかの目的があって鬼月家に潜入していたらしく、ゲーム中盤から後半以降ルートによるが主人公ないしその周辺のみに正体を明かしたり、心強い味方キャラとして操作可能となる。その気さくな性格、パラメーターの高さから来る心強さ、比較的(?)バッドエンドルートがマシな事、ビジュアルのストライク具合からそれなりに人気があり、某イラストサイトでは一時全キャラ中投稿されたイラスト数第四位の座を射止めた。


 一方で、ゲーム販売から暫くたった後に制作されたスピンオフ小説や外伝漫画によって彼女のイメージはかなり変化する事になる。特に「EX碧子様」時代の所業はかなり残虐かつ凄惨に何より詳細に描写された。



『やっぱり人と化物は相容れないってはっきり分かんだね』

『読書前「表紙EX碧子様のお美しい横乳と脇ペロペロペロリシャス!」→読書後「化物は皆殺しにしなきゃ(真顔)」』

『公式によるアンチヘイト二次創作かな?』

『良い化物は死んだ化物だけだってばっちゃが言ってた』

『ゲーム内の描写だけだと碧子ちゃん可哀想だったけどこれは残当過ぎる』

『囮は当然麿が行く……パロネタの癖に泣かせやがって』

『やっぱり鬼って大嘘つきじゃないですか!?』

『全自動首切断術式とかいう殺意と合理性の塊、当時の退魔士全員ゴブリンスレイヤーみたいな思考回路していそう』

『↑そりゃあ(化物共があんな悪行重ねていたら)そうよ』

『作中前半イキりまくってたのに後半腸垂れ流しながら馬鹿にしてた人間から全力で逃げる碧子様可愛い、凄い小物っぽい』



 これ等の意見は都で暴れ回り朝廷から派遣された「退魔七士」達との死闘を描いた小説作品読了後の某ネット掲示板の感想である。いや、マジあれは酷いわ。ファンは赤髪碧童子の名称の意味を再確認させられた。ゲーム内で「昔はやんちゃだった」とか「今はもう大人しい」なんて言ってるがそんな生温いレベルじゃねぇ。


「やれやれ、人が折角用意してあげた食事を無視するなんて、君も困った奴だね?人の善意は素直に受け入れたらどうだい?」

「大昔から、化物から食べ物を貰うのは危険だって言い伝えがあるからな。ましてや大嘘つきな『鬼』の用意したものなんざ何が入っているか知れたものじゃない」

「おやおや、毎度の事ながら随分と警戒されている事だね?俺としては常に君に敬意礼節を持って接している積もりなんだが……流石にこういう時ですら敵意しかない視線を向けられるのは悲しいな。人間というのはこういう怖くて辛い時は人肌を求めるって聞くのだが?」

「そうだな、人肌だったら求めていたかもな」


 言外に貴様のような化物には気を許さないと指摘する。背中に背負う大重量の錨を無視すれば托鉢僧にも見える出で立ちの鬼は、苦笑して肩を竦めると男座りをしたまま目の前に用意した笹の葉でくるんだ握り飯を自分で頬張りつつ面白げに、そして無警戒で此方を見続ける。


「………」


 一方、俺は無言で岩を背にして槍を持って座りこみ化物と相対する。当然ながら俺の方は警戒しかしていない。五感を総動員して目の前の災害の一挙一動すら注目する。但しその瞳だけは瞳術にかからないために直視はしていなかった。出来れば言葉も言霊術への警戒のために聞きたくもないのだが……流石にそれは周囲の物音を警戒する必要もあるために出来なかった。


(ゴリラはまだ理由はギリギリ分かるが……何でお前さんが俺なんか注目してるんだよ)


 桃色なパワー系ゴリラ様はまだどうにかそれなりに好感度があるのは理解出来る。嫌でも三日三晩エクストリームスポーツ逃走中をしながら介護プレイしていれば幾ら主人公のような特別な奴ら以外興味を持たない人格破綻者でも少しは関心も持つかも知れない。だがな?お前さんが俺に注目するのはどう考えても可笑しいだろう?


「何が目的だ?どうしてここに貴様がいる?何故俺に付きまとう?」


 それは心からの問いであった。


「貴様の目的は以前散々聞かされた。だったらこんな所で俺の相手しているよりもやる事があるだろう?こうしている間だって何処かで才能に満ちた英雄様が生まれているかも知れないぞ?」


 というかもう生まれているけどさ。会いたいなら後三年くらい我慢して。どうせ化物からすればあっという間だろう?


 ……そう、俺はこいつの目的を知っている。ゲームの知識として元々知っていたがこいつ自身からも不本意ながら(半ば一方的に)その話を聞かされていた。


 赤髪碧童子は時代に取り残された化物である。かつては莫大な力を持ち妖の軍勢を率いていた彼女の力は間違いなくこの国でも五本の指に入るものだった筈だ。そう、かつては。


 時代は移ろい行くものだ。長い時の中でかつてはその名をほしいままにした彼女も、それは過去の栄光へと成り下がった。今でもその力は強大ではあるがかつてのような力はなく、軍勢もなく、悪名も轟く事はない。それどころか妖について記述された記録では自身の力を過信し、「退魔七士」達に追われた間抜けな化物として記されている。完全に笑い者だ。


 とは言え、今更都に突っ込んで汚名をそそぐ事も不可能だ。人間は千年前に比べて遥かに強くなった。退魔士達が互いに婚姻してその力を増していっただけではない。人間それ自体が増え、技術は発展し、化物殺しのノウハウも向上した。


 何よりも都は五〇〇年前の人妖大乱の経験から術式的に厳重に要塞化されている。大乱後に発展した新市街なら兎も角、目的地である都の中心部、扶桑国の政治の中枢たる内裏に侵入するなぞこの化物の全力を以てしても不可能、仮に侵入出来ても帝を守護するのは扶桑国でも最高位の実力を有する高名な陰陽師や僧侶、武士に巫女、退魔士達である。いくら大鬼でも弱体化している今では一矢報いる事すら出来るか怪しい。


 そして、下手に知性があるがために、長きを生き時代の移ろいを見てきたがために、赤髪碧童子という妖は理解してしまったのだ。最早自身が過去の遺物となりつつある事を、そして滅びるべき時を見逃したのだと。


 かつて自身と共に都を恐怖の底に落とし、街路に文字通りの死体の山を築き上げた「四凶」も自分以外は「退魔七士」に討たれ、それ以外の地方で悪名を轟かせた有名で長き時間を生きた化物達も一体また一体と討伐され、ましてや国中、いや大陸からすら化物の軍勢をかき集めて人妖大乱と呼ばれる人間達との全面戦争を引き起こした「空亡」すら時の英傑によって封じられた。


 最早彼女と同じかそれ以上に古く、強大な化物共は少なくともこの扶桑の国ではそう多くはない。妖という存在は未だに人間達にとっては強大な脅威であるが大昔程ではない。そして百年二百年後ならば兎も角、次の千年後には恐らく化物共は人間の脅威ではなくなっている事だろう。それ故に……。


「おいおい、前にも教えてやっただろう?俺があの屋敷に紛れていたのは俺をぶっ殺せる程の英傑を探しての事さ」


 頬杖をして飄々と嘯く化物。そう、彼女の目的は実に自分勝手で傍迷惑な代物だ。


 過去の同胞達は皆討たれた。英傑達の好敵手として。そして英傑達と共に永遠に歴史に名を残した。


 ならば、最早忘れられようとし、過去の物と成り果てようしている自身もまたかつての同胞達のように名を残したい。それが英傑達の輝かしい功績の一部分となろうとも、時代の流れに取り残されて何時の日か有象無象として「処理」される時代が来る前に、まだ妖が妖として人々から恐怖し、恐れられている内に、英傑に討たれる事で自身の存在を残したい……それが化物が鬼月家に潜入していた理由だ。


 自身を討ち取るに値する者がいるかを探して扶桑の国の北に根を張る鬼月家を調べていたのだという。そして、その中で偶然原作の主人公と出会った。原作主人公の精神、才能、実力……それらを観察し、自身を討つに相応しい者かを吟味していた訳だ。そして、主人公に協力するのもまた主人公が英雄となるための輝かしい道を、自身を殺すに相応しい者へと成長する事を助けるため……少なくとも当初の目的は。


 好感度によるルート次第では主人公と許されざる種族を超えた恋愛関係に発展して、しかし最後はその壁を乗り越えられずに彼女を殺す、あるいは主人公側が躊躇してしまい殺されてしまうバッドエンドを迎える場合がある。まぁ、前者は周囲に迷惑かけないので俺個人としては気にしない……というか積極的に奨励したい……が後者の場合はその後半狂乱になった化物が周囲の無関係な民草に「八つ当たり」しまくり最後は朝廷からの討伐令で派遣された軍勢と死闘を繰り広げる事になったりしてかなり面倒な事になる。


「本当に鬼は身勝手だな。殺されたいだけならば都にでも突撃すれば良いだろうに。よりによって死に舞台に我が儘やケチを付けるとは」

「いやいやだからこそさ。俺は鬼だからね。死ぬにしてもそれに相応しい舞台があるというものさ。流石に記録書に二、三行で記述されるだけの最期なんて物寂しくて味気がないだろう?どうせ死ぬのなら出来るだけ劇的な場面で死にたいっていうのが人の情……いや、鬼の情というべきかな?」


 楽しげにそう嘯いて瞼を閉じ笑みを浮かべる人の皮を被った化物。俺は知っている。これは相対した稀代の英傑と血を血で洗う死闘を繰り広げ、最期は力及ばずその首を切り落とされる瞬間を想像している事を。


「イカれてやがる……」


 そのわくわくしたような化物の表情に俺は小さく毒づく。俺にはその在り方は到底理解出来なかった。


 死がすぐ側にあるこの世界に生まれ落ちてから二十年近く経つが、今でも、いやだからこそ俺には理解出来ない思考であった。あるいは前世なんて知らなければ共感出来たかも知れないが……。


(前世を知るからこそ、死ぬ事に臆病になっているのかね?)


 元から命の軽い世界しか知らなければ生よりも名誉を求める思考も分かるのだろうか。少なくとも俺の前世では死が身近になかったのでこんな世界に転生しても尚、死ぬのが怖かった。そしてそれが原動力となり元よりどうしようもない立場にありながらも諦めず、挫けず、生を掴むためにあがき続ける事が出来た側面が確かにあった。あぁ、糞……疲れているのか?思考が逸れるな。


「……話を戻すぞ。貴様の目的は分かっている。だからこそ解せないんだよ。貴様の目的は自殺のための英雄英傑を探す事だ。なのに実際にやっている事と言えば俺にちょっかいをかける事と来ている。俺にはその二つの関係が分からん。知っているだろうが俺はたかが下人に過ぎないし、特別な力も出自もない。貴様のお眼鏡にかなう要素なんざ一つもない筈だ」

 

 というかお眼鏡に適いたくもない。自分の理想の英雄英傑に殺される事を夢想している目の前の存在は身勝手で自己中心的な鬼である。期待して期待して、少しでもそこから逸脱すると裏切られたと思ってキレて大暴れするのだ。というか原作ゲームのスタート時点までこいつが婉曲的自殺をしていない一因がその身勝手な失望のせいだ。勝手に気に入ったと思ったら彼女からしたら不快な小さなミスをして訳も分からずに殺された者が主人公と出会う以前に幾人もいたらしいのがファンガイドブック内で制作陣が裏設定として暴露している。


 というか好感度を上げるタイミングを間違えると実際に急に彼女がキレ出して唐突にグチャアされてゲームオーバーになったりするくらいだ。流石化物、何考えているのかさっぱり分からない。


 俺は痛みに耐えながら深呼吸をして、眠気と疲れを押し殺す。


「……それとも何か?俺は貴様の暇潰しの玩具か何かなのか?嘘しかつかない鬼に何を言っても仕方無いが、此方からすればそれならそうと言われた方が楽なんだがな」


 自嘲に近い含み笑いを浮かべて俺はぼやく。実際あり得る事だ。化物共はたとえ知性を得ても強欲で傲慢で、利己的で、享楽的な存在、特に人間から妖化した者が多い鬼は一際その感覚が強かった。


「全く、とことん君は俺に対して非友好的だねぇ。暇潰しの相手なんかにこの俺が飯を用意すると思っているのかい?やれやれ、余り酷い言い様ばかりだと俺も雌だ、悲しくて泣いてしまうよ?」


 そう言って泣きじゃくる仕草をする。当然ながら鬼の泣く姿なんて嘘泣き以外に有り得ない。実際、泣き落としが効かないと見るやはぁ、とげんなりと溜め息を吐き出す。溜め息を吐きたいのはこっちだ…よ……?


「っ……!?」


 いらっとしていると視界がくらりと揺れ出す。頭痛がして、眠気が強烈になる。


「おや?お疲れかい?ははは、今日は大変だったからな。途中で睡眠の邪魔をしてしまったし、何だったら俺が夜の番をしてやろうかい?」


 ふらつく俺を見て、楽しげな笑みを浮かべる鬼。こいつ……!?


「てめぇ、まさか……!?」


 ここに来て、漸く俺の鼻はそのかすかな臭いの違和感に気付く。こいつ、吸引式の睡眠薬か何かを……!!


 俺の手から力が抜けて槍が床に落ちる。肩は下がり、瞼が急速に重くなっていく。


「いやはや、意外と粘ったよな。この手、意外と手練れはあっさり引っ掛かるんだよ。ここまで粘るのは驚きだ。あ、そういえば個人的に薬師衆の知り合いから毒とか貰って耐性つけているんだっけ?」

「て…めぇ……何を……」


 俺は眠気に耐えながら言葉を紡ぐ。それは二つの意味があった。何故その事を知っているのか、そして何故こんな事をするのか……。


「さてさて、そんな事はどうでも良い事だろう?それより無理は良くないな。健康重視の鬼からの忠告だ、身体の欲求には素直になるべきだよ?なぁに、寝ている間に取って食いはしないから安心する事さ」


 ふざ…けるな……!!てめぇの…鬼の…言葉なんざ……信用……。


「御休みなさい。良い夢を見れる事を祈っているよ?」

「うる…さ…い…ばけも……いつ…ぶっ…ころ………」


 何処か嘘臭い言葉を吐く鬼に対して、俺は捨て台詞を言い切る暇もなく、意識を暗転させていた……。



  




「ふふふ、そうだな。『今は』俺を倒すには力不足に過ぎるよ。だけど悔しがる事はないさ。最初のうちは誰だってそうさ」


 碧い鬼は妖艶な笑みを浮かべて目の前の眠り込んだ人間に優しく囁いた。


「どんな英傑だって生まれて直ぐに鬼を殴り殺せる訳じゃない。……いや、いない事はないけどそれは本当に例外だからね。英傑の多くは当然心・技・体、それらを何年も何十年もかけて研鑽し続けてきた存在さ」


 無論、例外はある。しかしながら彼女にとってそういう存在は余り「趣味」ではなかった。彼女が好むのは強い精神を持つ存在だ。才能はあっても良いが才能だけの強者では余りに薄っぺら過ぎる。それでは自分の最期を飾る相手としては余り相応しくない。そんな奴にとっては自分との戦いは楽しくもないだろうし、感慨もないだろう。薄っぺらい戦いになってしまう。


「寧ろ……君の在り方は結構俺の好みなんだよ?」


 その口元を獣のように吊り上げて、愉悦の笑みと共に鬼は目の前の人間の頬に触れる。その所作は壊れ物を扱うように慎重で、繊細だった。彼女は自分の握力では本気になったら人の頭蓋骨なぞ簡単に潰してしまう事を何千という経験から良く良く理解していた。


「だけど、だからこそ素晴らしい。そういう相手との殺しあいは只の才能だけの強者よりも余程味わい深い最期である事だろうね」


 そして鬼は思い返す。目の前の弱者との邂逅を。


 それは偶然だった。幾人も、自身を殺すに値するだろう英傑を見定め、近付き、しかし裏切られ、少々苛立っていた時期だ。扶桑の国の北に居を構える鬼月の一族の下へと気紛れ気味に足を向けたのは。


 大して期待はしていなかった。成る程、確かに古い家なだけあって相応に粒揃い、見れば本家筋の姉妹なぞ熟せばかなりの実力者となろう。しかし、駄目だ。彼女の琴線には中々触れない。


 とは言えもう少し見る必要はあるだろう。今は駄目でも十年二十年、半世紀くらい観察すれば気に入った者も現れるかも知れない。長い刻を生きていた彼女にとってそれくらいの時間はあっという間の事だ。特にあの姉妹、彼女達の次の世代なぞはもっと才能が濃縮されているだろうから実力だけならば合格を与える事は出来るだろう。どれ一つ見守ってやろう。


 そんな考えから鬼はひっそりと退魔士の家に居候した。そして、見つけたのだ、運命の出会いは思いの外早く彼女の元に訪れた。


 最初に気付いたのはその瞳だった。下人衆……その存在は名称こそ時代と共に変わろうとも古くからあった。故に彼女はそれがどのような性質のものかも知っている。自意識が薄く、英傑達の側に控える名もなき有象無象……そう、その筈だった。


 彼だけは違った。皆が冷たく、感情も希望も、絶望も等しく失った輝きのない瞳をしている中、彼だけは違った。その瞳は間違いなく生きていた。それがまず彼女の注目を惹いた理由だ。


 そして、一度注目すれば鬼は粘着質だ。興味と関心からその一挙一動を観察し、観賞し、監視する。そして鬼はその特異性を認めるのだ。厳しい鍛練の中、困難な任務の中、ひたすら己を鍛え、知恵を絞り、精神を奮い立たせる姿を。それは自我に乏しく心が死んでいる他の下人達にはないものであり、また強者であるが故に退魔士達の殆どが持っていないものでもあった。


 見つけた……そう思った。彼女は自分が求めていた存在を見つけた。より正確に言えばその人格の面で彼女が求める存在を。


 そして観察する、観賞する、監視する。そして弱者でありながら自身の身の丈に合わない多くの困難を乗り越え、時に大立ち回りをして見せる姿は彼女にとって好ましかった。極めつけはあの三日三晩の逃亡劇だ。素晴らしい、実に素晴らしい。


 実際に顔を合わせても見た。その時の反応も気に入った。そして今日までのそれも。唯人であればそろそろ警戒を解いても良いのだがこの男は未だに自分に対して持ちうる力で最大限警戒している。素晴らしい、何と強い精神だろうか!


「お前を見て思ったよ。俺を殺す英雄英傑を探すよりも、育てる方がずっと楽しいし、確実だ」


 想像する。何の才もなく、血統もなく、天運もなき存在が血反吐を吐きながら高みに登り詰める姿を。名もなき存在から万人に認められる英傑になるその姿を。そして、その英傑へと登り詰める最初の英雄譚の相手が自分である情景を。


 空想する。名もなき、虐げられていた弱者が圧倒的強者に食らいつき、食い下がり、絶望の中で力と知恵と勇気を総動員して、細い勝機を掴み取る瞬間を。


 妄想する。千年先でも伝えられる壮絶な必死の覚悟で死力を尽くした死闘の末に、弱者であった筈の者の研鑽され、計算された一撃が自身の心の臓を的確に貫く刻を。


 そして自分の骸から首が切り落とされる、大衆の面前で晒される。多くの人々がその瞬間英雄の誕生を目にするだろう。そして稀代の怪物を殺す程の実力者であれば、下人程度の立場に収まる事なぞない。最後は多くの物語がそうであるように高貴な立場の女性と結ばれてめでたしめでたしだ。


 素晴らしい、実に素晴らしい。最高の舞台ではないか?正に時代を越えて語り継がれるだろう事は間違いない。その素晴らしい物語の礎となれるなぞ、化物冥利に尽きるではないか?鬼は恍惚の表情を浮かべる。


「だが………」


 素晴らしい最期……しかし思うのだ。鬼は強欲で身勝手で、適当なもので一度死に場所を定めた癖にここに来て別の欲望も脳裏にちらつくのだ。  


 本当にここで死んで良いのか?折角こんな愉快な人間を見つけたのにもうおさらばなのか?と。いや、人間の寿命なぞ化物からすればどの道短命だ。きっと目の前の男が血反吐を吐き、苦しみつつ英雄となって天寿を全うしても尚物足りないだろう。ならば……。


「はぁ、今回も食べてくれないんだよねぇ」


 足下に残る握り飯の残りを見てぼやく鬼。化物の食べ物を食べた者は化物となるというのは有名な言い伝えだ。ましてや鬼の体液が入っていれば尚更。無論一度や二度では駄目だろうが何十何百と食べさせれば……。


「相棒と一緒に、今一度世間で派手に遊び回るのも楽しいかなって思うんだけどねぇ。あー、けど勝手に鬼にしてやって復讐されるのも良いかもな」


 鬼同士の殺しあいなぞ今や滅多に起こり得ない。それはそれで実にスリルがあるだろうし、人間共も必死に記録に書いてくれるだろう。


「ふふ。どの道に進むにしろ、それはそれで楽しみだ。だから………」


 深く眠ってしまっているからか、何処か子供のようにも見える寝顔を観賞し、その耳元で鬼は囁いた。


「だから……俺を失望させてくれるなよ?」


 ぺろり、と鬼は耳をねぶるように一舐めした。それは何処か犬のマーキングにも似ていた……。

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