第三話

『闇夜の蛍』のメインヒロインの一人、鬼月葵は鬼月家直系の次女であり、原作スタート時点で一六歳と設定されている美少女である。パーソナルカラーは桃色ないし桜色で、髪の色も瞳の色も濃淡こそあれそれに準じた色彩を放つ。何処か寝惚けたような、夢見心地な目をしており、スレンダーな姉の鬼月雛と違い肉付きが良い。……後脱いだら姉御様よりずっと豊満だ。サービスシーンは多くのファンの息子がお世話になりました。


 そのキャラクターを一言で表すとすれば唯我独尊、あるいは傍若無人といった所か。外見に似合わず気分屋で我が儘、自信家で毒舌、そして独善的……そして何よりも化け物とタイマン張れる鬼月家一族の中でもトップクラスの才能を有している。それ故に努力もしておらず、努力していない癖に強すぎるパラメーターを叩き出している。というか真面目に陰陽術や呪術を習っていないので物理攻撃ばかりしてくるのに概念系の『凶妖』をワンパン出来るとか意味分かんない。ファンからの愛称はピンクなパワー系ゴリラ姫様である。


 まぁ、そんな才能の塊なせいでそこらの努力する俗物な凡人共の事は殆ど興味を抱いておらず、尖った性格や優秀な、あるいは特別な者達でなければ名前すら覚えようとしない性格破綻者でもある。ゲームでは豪農とは言え農家の生まれでありながら特殊で強力な異能に目覚めた主人公に興味を持ち、そこから交流を重ね(我が儘に付き合わされて)、危機を乗り越えて、彼女の過去を知り、そのトラウマを乗り越える事でヒロインフラグを立てる事が出来る。成人版のベッドシーンでは肉食獣になってガンガン搾り取って来るのでドM性癖にとっては歓喜物である。騎乗位で!たわわが!メチャクチャ揺れる!!


 ……まぁ、裏設定は重いし、直ぐにヤンデレ化しちゃうけど。


 身内での権力抗争が糞みたいにひっきりなしに起こる鬼月家において彼女は非常に面倒な存在だった。彼女の父は一族の当主なのだが妻とは政略結婚、その前になんと小作人の娘と駆け落ちしていた。尚、姉御様は駆け落ちした娘との子供なので姉御様との関係は本当は異母姉妹である。姉御様のスレンダーなまな板は幼少時の栄養状態の差が原因の可能性が高い(名推理)。


 まぁ、そんな訳で彼女は父親からは疎まれていたようだ。そして退魔士一族の例に漏れず彼女もまた強力な霊力を有しているのだが……うん、ろくに修行もせずに最上位の『妖』を物理で殺せるようなヤベー奴を父親が放置する訳ないんだよなぁ。


 名目上は実地訓練、真の目的は間違いなく死なせる腹積もりだったのだろう。敢えて雑魚い『小妖』共しかいないと嘘をつき、彼女は数名のお供だけで父親に『妖』の巣窟に送り込まされた。


 この世界がエログロ上等の鬱ゲーなのを合わせればここから何が起きるかは最早誰でも分かる筈だ。


 まず護衛と供連れが化け物共に踊り食いされた。護衛である以上戦いの技能はあったが多勢に無勢、いや『大妖』が複数いた時点で質の面でも詰んでいた。


 当時弱冠十歳の彼女は、一番長く抵抗した。子供とは言え長年に渡り強者同士で交配を重ねた退魔士のサラブレッドである。『妖』共を千切っては投げ、千切っては投げを繰り返してどうにか巣から逃げた。


 ……まぁ、巣から逃げて出た所で父親の送り込んだ刺客達に殺されかけて、しかもそこを襲撃した生き残りの『妖』達によって刺客が食い殺されて助かったと思えばエロシーン突入だ。ロリが醜い化け物達によって処女奪われて全身白濁液と血液まみれとか結構キツいね。


 まぁ、そこは腐っても一族でも屈指の才能を持っただけあり、この三日三晩の凌辱地獄を耐え抜き、隙を見て『妖』共から逃げ切る事に成功、一族の中でも彼女に味方する派閥によって保護されて九死に一生を得る事になる。尤も、その経験から一族の次期当主最有力候補から一気に脱落する事になるのだが。というか、父親からすれば最悪でもそれが狙いだったらしい。処女信仰って訳でもなかろうがやはり退魔士の名家の当主が『妖』にヤられた女なんて外聞悪すぎですし。


「あら?何私を見つめているのかしら?まさか私の美貌に見惚れたのかしら?まるで発情期の兎みたいね、節操ない事」


 膝を屈しながら、そんな原作ゲームでの設定を思い起こしていれば目の前で御簾を上げた御帳台の上で巻物を読み耽っていた件の小娘はにっこりと微笑みを浮かべて、揶揄うように俺に言い捨てる。というか俺仮面してるのに何で見つめているって分かるの?いや、化け物とタイマン出来るこいつら退魔士共からすれば人の視線なんて一キロ位先からでも察知出来そうだけどさ。


 仕事を終え、長老衆への報告も終わり、飯でも食ってその後は丸一日ぶりに眠りこけようとでも考えていた俺は、しかし今いるのは下人風情では上がる事すら許されない豪華な和室だった。


 何畳あるのか、少なくとも二十畳位はありそうだ。ご令嬢が座り込む御帳台が中央にあり、その背後にあるのは金箔が貼られた山水屏風、手元には脇息があり今はその上に広げた絵巻物を置いている。傍らには黄金で作られた水瓶、背後の台座の上にあるのは火取香炉と和琴であろう。香炉は使われているようで灰色の煙がたなびくと共に爽やかな香りが室内に広がっている。それ以外にも部屋一面に置かれた調度品の山々……それらは無造作に置かれているようで、その実は風水術・呪術的にこの部屋を守る強力な結界と呪い返しを作り出す重要な構成要素であった。


「……御無礼ながら、そのような事は御座いません。ただ此処に御呼ばれした理由を考えていた次第で御座います。御不快な思いを与えたのであれば謝罪致します」


 俺は淡々と、感情を込めずに機械的な反応で、しかし無礼にもならないように注意してそう答える。原作よりは少しマシかも知れないが普通に地雷女なのでこうするのが正解だ。俺、ただのモブ戦闘員Aだからね?ゴリラ姫様にはもっと興味津々になれる主人公様が待ってるからさっさとこんな俗物の事なんか忘れてどうぞ。


(……いや、お願いだから俺なんかに声かけないでくれない?ストレスでお腹痛くなりそうなんだけど。というかルート次第だと俺の腹に物理的に穴空きそうなんだけど?)


 プレイヤーのトラウマシーンその四六、葵様のいただきますシーンを思い出して吐き気が込み上げて来た。いやぁ、愛する人のモツを食べちゃうとか安直なネタと思ったけどイラストレーター力入れすぎだろ。どんだけ中身描写するのに力入れてんの?


 そも、何で俺がこいつに顔と名前覚えられているのかと言えばどうしようもない状況に陥ったせいだった。


 前述の父親の罠、その際に護衛として同行した下人の中に俺が捩じ込まれていた。正直不味いと思ったね。これ絶対同行したら化け物共の御飯にされる筈だもん。どうにかして……それこそ体調不良とかで誤魔化そうとしたが失敗、逃走?元より呪いがあるので不可能、俺はどうしようもなく目の前の地雷娘と同行する事になった。


 原作ゲームを知っていた事、そのために小道具類の事前準備が出来た事、全方位を全力で警戒していた事、主な話の流れを覚えていたのは生き残る上で非常に助けられた。仲間が踊り食いされるのすら囮として俺はどうにか化け物共を誤魔化して森の中に隠れる事に成功する。


 しかし、そこからが問題だ。結局俺達下人には糞ったれ一族から完全に逃げる事は出来ない。寧ろ逃亡しても捕まって見せしめに罰を受けるか、実験の材料にされるか、あるいはゴリラ姫死亡の責任を押し付けられるだけである。

 

 そんな焦燥感の中で必死に考え込んでいる内に、刺客共が神経毒でゴリラ姫の身体を麻痺させ、いざ止めと化物の襲撃で仲良くそのお腹に直行……という時である。俺は他に選択肢もないのでそれに賭けた。


 化物共による輪姦パーティーが始まる直前に準備していた煙幕玉に閃光玉、臭い玉を使用、化物共の五感を麻痺させた所で小娘をおぶって全速力でその場から避難した。戦う?いや無理無理、秒殺されちゃう。というか救出する際に重傷食らった位だ。

 

 ……別に善意から、とか道徳的に、とかあるいは原作キャラを救いたいからなんて理由からこんな危険な事をした訳ではない。ただ、このまま行けば俺にも未来はない。ならば多少の危険は承知で彼女を救出する方がこの場を切り抜けるのも、そして逃げ切った後の処遇から言っても助かるからだ。流石にゴリラ姫を次期当主に押す派閥は俺が口止めで消されるのを阻止してくれる……と思いたい。


 神経毒でろくに動けない餓鬼を背負って三日三晩追って来る化物から逃げ続け、最後は毒が抜けたゴリラ姫が物理で追っ手の化物共をワンパンで纏めて葬り去った事で俺達は助かった。いや、俺は割とズタボロだったけど。


 それが今から三年前の事である。以来、凡俗で才能のない俺であるがそういう経験から少しは記憶に残っているらしく、時たまに屋敷や野外での護衛として呼ばれ、喋り相手の傍ら気紛れに術具を下賜されたり、下人に教えられる事のない秘技……といっても本当に初歩の初歩……を戯れ気味に教えられたりしている。


 ……ミスったな。派閥から保護されたいとは思っていたが、このゴリラ姫にここまで注目されるのは計算違いだった。ほら、俺よりもっと面白そうな人間は他にもいるからそっち当たって?具体的に三年後位にエンカウントしてくるから。


「つれないわねぇ、もっと狼狽えて返事してくれても良いものでしょうに。それとも私ってそんなに異性から見て魅力ないのかしら?」


 俺の淡々とした返答に心底詰まらなそうに溜め息を漏らすロリゴリラ姫様。その溜め息と同時に厚い和服の上からでも分かる盛り上がりが小さく上下する。うーん、これはどれだけ過少に見積もってもCはあるかね?


「そのような事は御座いません。人々が言うには姫様の美しさは天女の如く神々しく、その美貌は千里先でも輝くと評判、断じて魅力がないなどという事はないかと」


 俺は人づての噂……というよりかゲーム内で語られた評判をほぼそのままの形で口にする。無視したらそれはそれで面倒な不興を買いかねないので仕方ない。どうせこんな物言いでこの拗らせ地雷ヒロインの好感度がアップする筈もない。


「あら?誉めてくれてたのね、嬉しいわ。人伝の話ではなくて貴方の個人的な意見だったらもっと参考になったのだけれど」


 案の定、若干不快そうに……しかしそれもただの悪ふざけの演技である事は原作知識から承知済みである……そう宣うゴリラ姫。俺は下人衆の一員らしく感情のない声を維持しながら言い返してやる。


「姫様の質問に対して返答するならば私の一個人の意見ではなくより広範な者達の意見こそ目的にかなうもの、噂や渾名はその点で言えば俗物的ではありますが一定の指標にはなるかと」


 実にそれらしく取り繕った一般論である。まぁ、この作品の地雷ヒロイン達に個人的な言葉を言ったら好意的であれ、悪意的であれ、どう解釈されるか分かったものではない。あくまでも一般論として前置きして会話をしたいものである。出来れば会話もしたくない。


「そう、詰まらない意見ね。……貴方はいつもそう」


 脇息の上で肘をつき、頬杖しながら俺を観察する美少女。此方を探るようなその瞳は瞳術の可能性もある。俺は直ぐ様、違和感ないように自然な所作で仮面の下越しに視線を逸らしてその術中に嵌まるのを回避する。


 一応、下人衆に与えられる仮面はその手の対策の呪いがかけられているが目の前の化物のそれ相手にどこまで耐えられるか分かったものではなかった。ゲームでもそうだったけどこいつ、初歩の初歩の術式しか使えないのに下手なキャラの必殺技よりも威力あるんだよなぁ。やっぱこいつパワー系ゴリラだ。


「……そうそう、ずっと思っていたのだけれど伴部、貴方この前私が与えてあげた御守りはどうしたのかしら?常に身につけるように命じた筈よ?」

 

 逃げた俺に対して暫しの沈黙の後、彼女は思い出したような言い草で……そして何処か嘘臭い口調で……その事を指摘した。


(遂に来たな……糞、どうして見つからなかったんだ?)


 そこまで遠くにまで飛んでいってはいないと思ったのだが探せど探せど見つからず、時間は空しく過ぎるばかりで俺は焦燥しつつもそのまま帰るしかなかった。


 そして、たかが下人の分際で特別御利益がある訳でないにしろ御守りを名門の退魔士本家の娘から受け取るだけでも身の程知らずであるというのにそれを無くすとなると……普通に考えても恐ろしい話であるが、しかも妄想が激しい気狂い女ばかりのこの世界では危険過ぎた。


(いや待て、落ち着け落ち着け……大丈夫だ。まだフラグは立っていない。立つ筈がない。セーフだ、セーフ……)


 別に恋仲になりたい訳でもないが、俺はまだゲーム内であったようなバッドエンドルート要素のあるヤンデレ化イベントなんてしちゃいない。玩具として少し気に入られているがそれだけだ、それだけ……。

 

「大変恐縮ではありますが……何せ私の実力では此度の任は荷が勝ちすぎまして……戦闘の後に捜索を致しましたが力及ばず見つけられませんでした」


 鬼月雛に助けられた話は言わない。原作でもゴリラ姫の好感度上げた後に姉御様と交流するとバッドエンド一直線だったから。四肢切断して監禁とかどう考えても頭可笑しいわ。


「ふーん、そうなの。随分と無礼な事よね。この私が授けてあげたものを手放すなんて。そんなに罰を受けたいのかしら?」


 加虐的な笑みを浮かべるゴリラ姫。ちっ、言わせておけば……!!いや、逆ギレしても秒殺されるんだけどね?うわっ、身体から凄い霊力滲み出てる。霊力酔いでゲロりそう。


「……お怒りはもっともながら、何卒御容赦を。私のような下人では力及ばぬ事で御座います。今後とも精進致しますのでどうか御許しを……」


 取り敢えず小者ムーヴすると共に全力で許しを乞う。これは俗物さを以って相手の興味を減らすという、興味のない者相手には執着もしないゴリラ姫様に対して有効な策だ。そのまま失望してゴキブリみたいに部屋から追い出してどうぞ。いや、マジ霊力強すぎて怖いの。


「……みっともないわね。びくびくと、まるで臆病な羊のよう。本当に情けないわ」

 

 ですね。だからさっさと失せろって言えよ、ゴリラ。


「……はぁ、仕方無いわね。今回だけ許してあげても良いわよ。代わりに、また暫くこの部屋の護衛に回りなさい。暇な時間にもの探しの呪いを教えてあげるわ。光栄に思うことね」



 心底仕方なさそうな溜め息と共に上から目線で……それこそ乞食に施しをしてやるような物言いで、地雷女は俺にそう言い付けたのだった。


 ……はは、ゲロしたくなってきたわ。







 何処か憔悴したような動きで彼が障子を開いて退出した後、少女は口元を吊り上げて呟く。


「そうよ、貴方のせいじゃないから。『今回だけ』は赦してあげるわ」


 そして、何処か不敵な笑みと共に少女は部屋の片隅を見つめる。


「覗き見は下品、じゃなかったの?」

 

 次の瞬間人差し指を軽く振る。次の瞬間ぼおっ、と火の手が上がる。


『チュチュチュ……!!』


 黒鼠が金切り音のような悲鳴を上げて床に転げ回る。恐らく何らかの術を使っているのだろう、火だるまになる鼠が転げ回っても床は焦げ跡一つあるようには見えなかった。


 冷たい笑みを浮かべながら少女は焼け焦げた鼠が息絶える姿を観賞する。下品な事だ。よりにもよって簡易式ではなく本物の鼠を差し向ける等とは……使役者の稚拙な式神術の腕に鬼月の二の姫は冷たい冷笑を浴びせる。そして、再度指を振るう。と、いつの間にか膝元に鎮座する黒い猫。眠たげに大きく一つ欠伸するとてくてくと歩き出して鼠の死体を咥える。

 

「お使い、頼むわね?」


 そう少女が嘯けば猫の姿は霧のように消えていた。


「さて、と。警告が分からなかったの?次は貴女を燃やしましょうか?」


「それ」とはある意味目的は同じであるが、馴れ合う積もりはない。ましてや折角の「彼」との二人きりの時間を邪魔するなぞ……!!

 

『………』


 殺気を向けてやれば、天井裏に留まっていた汚らわしい妖力が静かに去っていくのを少女は把握する。


「……まさかこんな簡単に結界を抜かれるなんてね。面倒だけどもっと勉強しなきゃいけないようね」


 小さく、今日何度目か分からない溜め息を吐き出す。正直単純に皆殺しするならばこんな小手先の術式なんて学ぶ必要はないのだ。しかし、事はそんな簡単な事ではない。故にこんな回りくどく非効率な術でも身に付けなければならないし、磨かなければならない。


「本当、面倒。だけど仕方無いわね。そうしないと見守れないもの」


 彼女が「授けてあげた」御守りには下人程度には分からない位に巧妙に偽装した精神操作と監視の術式が仕込んであった。とは言え、彼女は「彼」の周囲に纏わりつく他の「下品な」女共とは違う。洗脳なんて無粋な真似ではない。ただ、苦境に絶望して、諦めてしまわないように精神を奮い立たせるためだけのものだ。監視の術式も同様、あくまで「彼」の奮闘を見守るためのものに過ぎない。四六時中見続けるなんて変態の所業だ、彼女は自分はそんなイカれた女でない事を自認していた。


 ……駄犬が尻尾を振るった時、咄嗟に精神操作で直撃を回避するように身体を動かしたのは秘密だ。


「本当、危なかったわ。あんな雑魚相手に……まぁ、下人じゃあ仕方ないけれど」


 退魔士の家系と消耗品の下人とでは素質も、その後の教育環境も全く違う。寧ろあれでも上出来というべきだ。無論、それでは意味がないのも事実だ。


「だから、だから早く強くなりなさい?私がちゃんと育ててあげるから」


 彼女は天才だ。才人だ。努力しなくても、術式すら使わずに強化した身体能力だけで『凶妖』すら複数纏めて殺せるだろう。故に彼女にとって周囲の者達は凡俗で詰まらないものばかり。


 しかし……『彼』だけは別だ。あの日、絶望し、死すら覚悟したあの時、彼女は見たのだ。仮に一流の退魔士であっても怖じ気づくような状況で、たかが下人が自分を助け出した姿。ボロボロになって、身体中血塗れで、お荷物な小娘なぞ見捨てるしかないという状況でも諦めずに進み続けたその姿を。その姿に彼女は安堵し、感動し、すがりついた。


 ……まぁ、実力は全くではあるが。


「そう、実力はまだまだ不足している。全く足りないわ。特別どころか二流にもまだ程遠い」


 ……だから私が育てるの。


「私が真に惚れ込み、全てを投げ出して、与えたくなるくらいの特別な存在に………」


 クスクス、と小鳥の囀ずるような可愛らしい、しかし何処か妖艶で、何処か不気味な笑い声が漏れる。


「だから今回の任も敢えて放置したのよ?無謀ではない。「彼」の実力、そして本当の化物の力も計算して、血反吐を吐いて戦えばギリギリ勝てるだろうと考えて。きっと戦いの後「彼」はより高みに進む事が出来たでしょうに」


 ……実際はあの忌々しい女に邪魔されてしまった訳だが。


「本当、過保護よね。そんな事よりも心配する事はあるでしょうに」


 まぁ、良い。姉の事は、あんな女の事なぞもうどうでも良い。それよりもこれからの事だ。もの探しの術を教える?それだけな筈ないだろう?


「さぁ、私が手ずからに教えてあげるのだから頑張りなさい。今度はもっと、もっと高い壁に挑むのだからね?」


 そして乗り越えなさい、名を残しなさい。英雄になりなさい。


「私が愛する人が、ただの凡俗で低俗な唯人で終わって良い訳がないのだから」


 そう宣う彼女の表情は恋する乙女のように蕩けていて、そしてその瞳は底無しの穴のようにどんよりと暗く曇っていた……。

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