16 霈雨

 衝撃的な1次予選の結果から一夜が明けた月曜日。


 この日は夏休みの登校日で、校舎へやって来た宥を見つけた葉月が、


「宥ちゃんおはよう!」


 昨日スゴかったね──葉月は観客席で見たそのままの感想を述べてから、


「次はどう?」


 興奮気味に訊いてきた。


「次は…って言われても、やることは分からへんからなぁ。せやけど」


 桜城高校という明確な目標ができた──宥は答えた。


「最終予選、観に行くね」


「生徒会長なんやから、そっちの仕事しぃ」


 コロコロと笑顔を交わすと、宥は部室、葉月は生徒会本部へとそれぞれ別れた。





 部室に着くと江梨加と桜花、千沙都が3人で何やら集まっていた。


「おはよー」


「あ、宥先輩おはようございます」


 今ちょっと最終予選のミーティングしてたんですよ──千沙都は言った。


「今度歌う『進め!』の歌詞なんですけど、少し変えたほうがいいのかどうかってので話してて…」


 指し示された箇所には赤ペンが引かれ、しかしどう直すかは書かれていない。


「うーん…うちは直さへんくてもえぇような気ぃするけど、何やったらノンタン先生に訊いてみたら?」


 去年であればこうしたときにはユズ先生に訊いて、


 ──こういう単語がある。


 などと、それまで江梨加が耳にしたこともないような語彙で歌詞が出来上がり、それは新鮮な印象を持っていた。


「ノンタン先生ならどんな詞を書くんやろか?」


 確かノンタン先生は、ロサ・ルゴサ時代に作詞もしていたはずである。


 早速訊くと、


「私はこのままがいいと思う」


 変えたら悪目立ちする気がする──ノンタン先生は述べた。


「そっかぁ…」


 結局、変えずにこのときは終わった。





 夏休み明けの最終予選の日。


 メンバーはノンタン先生とともに、スクールバスで会場であるコンサートホールに着くと、一足先に宥が順番ぎめのくじ引きに降りた。


 朝から秋には珍しい土砂降りで、


「この雨じゃ、まぁ一般開放席ガラガラやね」


 貴子は客足を気にしていたようである。


「でも桜城の応援、やっぱりかなりいるねー」


 カンナが見るとあちこちにいるのは、深緑に白襟の目立つセーラー服にピンクのリボン…という桜城の制服の生徒で、見たところグレーのブレザーである鳳翔女学院の生徒はいなかった。


「まぁ、東京にでも下ったつもりで演奏すれば世話も苦労もないやろ」


 江梨加はよく「東京に下る」という言い回しを遣う。


「江梨加先輩って意外と古風なんですね」


 薫子は感心気味に言った。


「意外とって何やねんな」


 江梨加は不敵な笑いを浮かべると、


「さ、グズグズせんと一戦ひといくさするで!」


 傘を手にする江梨加を先頭にロビーへと入った。





 宥の手続きを待っている間、桜花がパウダールームへ所用に席を外していたとき、


「あの…鳳翔女学院さんですか?」


 声をかけてきた桜城の制服の女子生徒がいた。


「はい…」


 貴子が怪訝そうな顔をした。


「桜城高校生徒会、櫛引くしびき慧子さとこと言います」


 櫛引慧子は深くお辞儀をした。


「突然ですが、バンドリーダーの方は?」


「私ですが」


「それなら…」


 櫛引慧子は貴子に耳打ちをした。


「えっ?!」


「…この話は、できるだけ内密にお願いします」


 それだけをひっそり言うと、櫛引慧子は立ち去っていった。


「…どないしたん?」


 そばにいた江梨加に問われた貴子は、


「実は、まだcherryblossomのメンバーが到着してないんやって」


「それ…どゆこと?」


「詳しくはあの人も分からないみたいなんやけど、でもこの話は、まだ詳しく分からないから、桜花ちゃんには言わないほうがいいと思う」


 あえて桜花に言わないよう貴子が判断をしたのは、結果的には正しかったのであるが、その理由は後述による。





 ところで。


 そうした穏やかならざる空気の流れる中、最終予選は始まった。


 宥は控室に戻る途中、自販機に行くカンナに、


「何か桜城のメンバーだけくじ引き来なくて、手続きえらいかかったわ」


 とだけ漏らした。


 そのあとスタッフに呼ばれ、再び控室を出た宥は、自販機から戻りしなの貴子を捕まえた。


「チェリブロ…まだ来てないみたい」


「桜花ちゃんには話した?」


「まだ言ってない」


「言わないほうがいいかも」


 宥はうなずくと廊下をスタッフルームへ向かった。





 予選はすでに始まり、


「桜城高校・cherryblossomは現在到着が遅れているため、順番は最終となります」


 場内アナウンスで桜花はこのとき知ったのであるが、


「この雨やし、渋滞もあったしね」


 現に鳳翔女学院のスクールバスも、行き道に葵橋あおいばしのあたりで渋滞にハマっていたので、桜花は江梨加の言葉に何の疑いも持たなかった。


 演奏順の変更が告げられ、桜城の前の11番目となったので宥は控室で説明をし、


「うちらの演奏が始まるまでに来なかったら、桜城は失格になるみたいやから、そのあたりだけは頭に入れといて」


 宥は説明が終わると、ノンタン先生と二人で控室を出た。





 他方で。


 パフォーマンスは次々に進んでゆく。


 前半終了前の6番目である城陽学園高校の演奏が終わり、昼休みになっても、窓から見る限り雨はまだ篠突くほどの強い降りかたのままであった。


「それにしても、よう降るなぁ…蛇口潰れたんちゃうかってぐらい降りよる」


 江梨加のとぼけた物言いに、思わず隣にいた千沙都が吹き出した。


 午後に入り後半が始まっても、桜城高校のcherryblossomのメンバーはまだ来ない。


 ついに、9番目の舞鶴義塾高校の番が来た。


 10番の園部一高の出番の段階で、鳳翔女学院はステージ袖に移動となる。


「鳳翔女学院のみなさん、スタンバイです!」


 スタッフの声に、後ろ髪を引かれるように舞台袖までWest Campのメンバーが来ると、出番を終えた舞鶴義塾のメンバーと行き違った。


 このとき舞鶴義塾のリーダー・藤島千歌子と、わずかに会話を交わしたが、


「桜城、まだみたいですね…でも」


 このとき藤島千歌子がステージから見たのは、


「桜城の生徒さん、いつもより数が少ないですよね」


 という、かすかな異変であった。





 司会のアナウンスが、


「11番、鳳翔女学院・West Camp」


 出番を告げた。


「とうとう来なかった…でも、仕方ないね」


 桜花はどこかで姉たちが来ることを信じていたのか、ずっと黙っていたのであったが、どこかで諦めてもいたのか、それだけを言い残すとステージに向かって歩き始めた。


 桜花がドラムの前に座ると、


「桜花ちゃーんっ、ファイトーっ!!」


 あちこちからなぜか、いつもならかからないはずの声がかかった。


 ぎこちなく笑顔でスティックを持つ手を高々と掲げて返すと、ボーカルの江梨加が、


「それではお聴きください、『進め!』」


 江梨加のキーボードからイントロは始まり、そこへ薫子のビオラが重なってゆくナンバーで、静かにさり気なく演奏は始まった。


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