1章 邂逅

  真後ろからだった。


 自分など優に超える質量の何かが着地した。あまりの衝撃にリュックサックがパラシュートのように風を受ける。煽られて飛ばされる身体をコントロール出来ず近場の街灯に身体をぶつけ、鈍い音が頭蓋に響く。


「歪みがそのまま移動してくるなんて前例がない!!よく聞いて、そこにいるのは異常な成長を続けたテクスチャーが自力で稼働したギガストラクチャー———」


 二度目の衝撃は咆哮だった。声だけで地震を造り出す圧倒的な内容量の違い、格の違いを痛感した。オペレーターたる彼女達の声をかき消した咆哮が過ぎ去った時、身体がようやく表現されている重力に従う。つまりは跳ねられた鹿のように落ちた。


「聞いてない‥‥」


 仰向けに倒れた自分の眼前には巨大な汚物が佇んでいた。


 到底類似品など見つけ出せない、絵にも描けない冒涜的な姿は嫌悪感と共に発狂に通ずる醜い色を持っている。後数分でも見てしまえば脳裏に刻まれるとわかる。


「なんで身体だけ女性なのに、髪は触手なんだ」


 跳ね上がった時、身体が早速異常を知らせてくる。肋骨が既に数本折れていた。


 真っ直ぐ立つどころか見上げる事すら出来ない。自分の身長の4、5倍はあろうかという巨体の形容し難き者は何もない眼窩を向けて、何かを発言している。


 けれど、こんな震わせは知らない。知ってしまってはいけない部類であろう。


「どうすればいい?」


「そのままだと取り込まれる!!早く退却を!!」


 同時に上空から何かが降ってくる。めくれ上がった地面に落とされたそれを認識した瞬間、自分は跨ってスロットルを握る。そして————脳を置いていきそうな瞬間的な加速度に吐き気を催した。


「怪我ならいくらでも直せる。だけど、吸収されてしまったら」


「言われなくても逃げるさ!!」


 前屈みはむしろ好都合だった。巨大な二輪車は唸り声など一切上げずに、恐ろしい程の大人しさでコントロールを預けた。ハンドルを握るだけで意識を読まれているように、自分の求めた路地を瞬時に曲がって、今も追いかけてくる『何者か』から距離を取ってくれる。


「説明しろ。何が起こってる?」


「私達にもわからない。自動人形達は既に別の盤に誘導させて、締め出しているのに」


「後ろのアレはなんだ?ストラクチャーって事は、周りの建物と違うのか?」


 彼女は建物群もテクスチャー、ただの背景と言った。ならば、あれこそが現実でいう所の建物そのものの筈だ。人が出入りする入れ物、それが足を持って走ってくる。


 否、飛んできた。


「避けて!!」


 近辺のガラスタワーを掴み取りながら追ってくる正体不明の何者かが、遂には空を掴み取った———頭上から着弾する衝撃に身を低く、更に屈むがその余波に二輪車ごと飛ばされ、見た目以上の密度を以って立ち塞がった彼方からの使者に見降ろされる。


 砕かれたガラスタワーの残骸が刃物のように降り注ぐが、衝撃と重量を吸収でもするかのように意にも返さない。雨でも浴びている感覚なのだろう。


「逃げ回るのも限界だな」


 後転しながら腰のM&Pシールドを取り出す。こんなちっぽけな銃口では歯も立たぬ相手の上、そもそも銃弾すら装填されていない。セーフティなどお飾りだ。


「すぐに航空機を、」


「狙い撃ちにされて落とされるのが目に見えてる。これの使い方を教えろ」


 二度目の咆哮に、オペレーター側の一人が呼応するように叫ぶ。画面越しだったとしても、あの姿を見て発狂してしまったようだ。どうやら目の前の使者は———現実世界への侵攻、汚染、浸食が可能であるらしい。


「それには安定した凍結作業が必要なの!!そんな、常に変数が続いているユニットに使っても。それに、あれがどれだけ何を吸収したかもわからないのに」


「このまま喰われるか、自分の意思で飛び込むか。現場にいるのは俺だ。従って貰おうか」


 苦々しい声が耳元に届いた瞬間、手元のマガジンに重みが課された。軽い粘着を感じる引金に指を伸ばし、息を止める。心臓の動きなどわざわざ再現しなくともいいのに。


「教えろ、何をすればいい」


「————あなたの想像通り」


 ならばと躊躇もせずに撃ち込む。返り血を一切見せない巨体に弾丸を模した媒体が貫通、埋没する。そのまま吸い込まれるように姿を消した。


「深度測定、急いで!!」


 振り下ろされる髪から逃れるべく、再度弾丸を放つ。しかし狙ったのは砕かれたバイクだった。はたして————自分に対して落とされた触手は、バイクに落とされる。身を包む深紅の爆発にたじろぐ使者に、先ほどまでバイクが倒れていた位置から更に距離を取る。


「勝手に!!」


「死ぬのと吸収されるの、どちらがお好みだ?」


「‥‥いくらでも無駄遣いして構わない。こちらは測定を続けます」


 瓦礫、木片、ガラス、それぞれに打ち込んで認証、観測されている位置を変え続ける。だが狙いこそ外れているが直撃すれば死に直結する威力である。ただの空振りだけでもあおられて吹き荒ぶ衝撃に、再度飛ばされる。


「まだかかるのか!?」


 もはや回答すらしなくなった。黙って急いでくれるのは結構だが、終わりのない運動はただの拷問、簡潔な数字すら与えてくれないのなら————更に一手進まなければ。


「衣服も変換できる以上、俺に付随する物品である筈だ」


 アスファルトと瓦礫、鉄棒と化した街灯で身体中を削りながら破れかぶれに成りながらも避け続ける。—————だが不意に髪が止む。


 突然太陽光が消えたと思った瞬間、数十にも及ぶ触手が天高く掲げられる。瞬時に理解した————大地を削り取る一撃を放つと。


 最も距離を持つ、落ちた街灯に打ち込んで衝撃と悲鳴にも似た轟音から逃れる。肺に対して許容量を大きく超える空気の層に包まれ、圧倒的な空気の壁に意識が飛びかける。


 転がる身体の痛みに、ほくそ笑みながら到達点であるガラスタワーに手を付けた。


「俺を喰らいたいのなら、さっさとこの土地を浸食すれば良かった」


 なのに追いかけるという無駄な労働に力を割いた。


「吸収、解析に時間が掛かるのはお前も同じだ。お前はまだ現実には到達できない」


 だから叫んだ。


「結合を切り離せ!!航空機の準備は出来てるんだろう!!真上に落とせ!!」


 何もない筈の空が削り取られる。白の背景と骨格だけとなった空間より、瞬時に再構築された空の細胞が攻撃型ヘリコプター・アパッチとなる。無人のそれは墜落し、再度髪を上げた触手へと飛び込んで行く。


 ———感情という物は曖昧だ。人間でさえ、自分の感情を言い表せない時がある。どれだけ長い時間を過ごそうが、何を理由に殺し合うかわからない。それが別の種族であるのなら更に難解だ。しかし————目の前の使者は、瞬時に躊躇した。


「遅い遅い」


 落下するアパッチに媒体を放つ。螺旋を描きながら吸い込まれた弾丸はアパッチに到達すると同時に、ガラスタワーを手に持つ自分と変わる。


「質量として2000tか?耐えて見せろ」


 一秒にも満たない浮遊時間、ガラスタワー群屋上と同じ目線となると理解していた自分は近場のガラスタワーの真上、ただのベンチにM&Pシールドの銃口を向け、引き金に指をかけた。





 長距離弾道ミサイルでも着弾したのかと思わせる大爆発に耳を押さえる。あまりの轟音に頭蓋骨が砕けた錯覚に陥るが、破れた筈の鼓膜は瞬時に再生されていた。


「アフターケアも完璧とは」


「あなたの精神融解の力は知っていたつもりだったけど、こんな危険な使い方を———、一歩間違えれば、あなたも粉々に」


「舐めないでくれるか?俺は切り分けられた自分の脳を、別の肉で代替、自力で繋ぎ合わせた狂人だぞ。自分と同じ媒体を渡されて、自分の一部になった対象なんてただの手足。髪の毛一本と変わらない。お前らだって髪なんてすぐ切るだろう?」


 とは言ったものの、ただの無機物であったのは幸いだった。同じ思考する生物であったのならあっさりと自分は弾かれ、心に内在する壁の拒絶反応の毒に苦しむハメとなった筈だ。


 しかも、ビル一本、背景ひとつを掴み上げた自分はズタボロだった。


「もう動けない———真下のあれはどうなった?」


「逃げられた。ガラスタワーの圧迫で処理が届かなくなったのだと思う。同時に自己データが破損、修復は不可能と自己保存の原則に従って電子の影に隠れた。すぐに封鎖したから、次に顔を出した時は前兆として察知出来るから教えられる」


「有難いよ。それにしても一日目をこれで終わらせる事になるなんて」


 一瞬だけだがあの巨大な質量を手足、身体の一部と使った所為だ。あまりにも失った物が大きすぎた。大量の血を失うどころではない、四肢を焼き切ったのと変わらない無力感に包まれている。幻肢痛でも発生しかねない。


「悪いけど、今日はここまでだ。すぐにログアウトしてくれ」


「言われなくても。ゲートの安全管理は徹底しないと、こちらとしても心臓に悪いから」


 肌が泡で包まれていくように身体がむず痒くなっていく。目を閉じた瞬間、ビルの屋上が抜けて地底まで落下する浮遊感と落下感を同時に覚える。そして僅かな電子音と共に再度目を開ければ、温かなジェルに包まれた身体を取り戻す。


「起きた?」


「吐きそうです。俺の手足、ありますか?」


「しっかり血の通った手足と指先が」


 開かれるガラス筒から起き上がり、身体にこびりつくジェルを手で剥がすがまるで終わらない。身体を保護する為に必要とは言え、人肌に生暖かい所為だ。失禁でもしたかのような不安感に苛まれる。


「そのまま待っていて。係が体調の確認に行くから」


「‥‥質問してもいいですか?眠っている時って」


「あなたはしていません。しかし今後は聞かない方がいいです。女性であれ男性であれ、極度の緊張状態では自然と身体が強張る物だから————今後は胃の洗浄と局部へのカテーテル処置を施しましょう」


 仕方ないとしても、あれは男性の尊厳に関わる処置である。出来れば遠慮したいがどちらを取るか?と問われた場合、自分に選択肢は無かった。


「今後はお願いします」


「————媒体が抜けた?カナンと現実では別人みたいで、違和感が」


「実際別人ですから。自分の欠けた精神を埋める媒体はただのピースではありますが、性格だったり思考回路を決めるのは完成された心。水と絵の具を混ぜて完成された色の主導権はどちらにあるか、そう思って下さい」


 自然と背伸びをしてしまう。そして隔壁を開けて現れたのは、先ほどから話していた白衣の女性だった。固いヒールの音が恐ろしい。


「もしかして、」


「その前に前を隠して」


「何度も実験をされたので見られ慣れています。先ほどのコンシュルジュ、もしかしてあなたがモデルですか?」


 教えないといった感じに背後からゴム手袋をした数人が入ってきて、あれやこれやと質問であったり触診を始める。無遠慮な行いには慣れたものだが、気分を害するのは変わらない。


「くどいようですが、カナンは今後の発展の為に必要な聖域。そして今はまだ禁域指定されている世界。あなたの力は必要だから選別されましたが、任務を全て遂行したとしても絶対に他言無用でお願いします」


 こうは言うが、この場にいる全員が知っているという事は、その家族に恋人に友人、そしてたまたま立ち聞きしてしまった人間も全て含めれば相当数が知る所と成っている筈だ。実際、自分もあっけなく電子壁に入り込んでカナンを垣間見たのだ。


 知らない人間の方が少ないのではないか?


「了解しました。誰にも言いません」


「‥‥本当に別人のよう。元の性格はどうだったの?」


「プライバシーですから、言いたくありません」


 静かに「そう」と告げた白衣の女性は出て行った。そして触診が終わった所、小銃を構えた私兵に案内されて自室へと戻される。監視の目が消えたのを確認し、早速————再配備された監視カメラを全て潰していく。


「甘い甘い」


 部屋の隅、音響機器の穴、モニターの点灯光、エアコンの中、扉の覗き穴から数々のよく見える場所を残さず全て潰して行く。ペンひとつあれば易々を破壊できるカメラをつぶさに発見、壊していく。


 そして声が届いた。


「これは必要な処置です。次やれば」


「次やったら、全てを口外します。俺を殺すのと世界中の見知った人間全員殺すのとではどちらが簡単ですか?その気になれば、軽く50億人には届きますよ」


「————あなたの性格は、やはりカナンの外でも変わらないようね」


 全てを破壊し終えた頃、声も止んでいた。そしてようやくシャワーを浴び、あらかた落とし終わった所で水を止めるが、再度身体を繰り返し洗っても終わらない。


「まだヌメってる‥‥」


 適当に用意されていたバスローブを着たが、肌に張り付く感覚は未だに拭えない。これから毎日続くと思うと、質のいい石鹸よりも慣れが必要のようだ。


「消灯時間とかも特にない。だけど任務時間は厳重せよ、どうせ自分にしか頼れないんだから少しぐらい自由に動いてみるか」


 思い立った瞬間、外に出ようと扉に飛びつくが無論ロックされている。しかして電子ロックの類であった為、瞬時に回路へ精神の欠片を生体電流として、俗に言う静電気に模して流す。丁寧に解除する必要はない、適当に全てを誘導、断線してロックに賄われている電流を遮断する。


「開いた」


 ともすれば意気揚々と飛び出るが、そこには銃とトンファーを構えた警備員が待ち構えていた。そしてその中心にはあの女性が。待ち構えていたのは語弊でも何でもない、自分ならば早々に脱獄すると知っていたようだ。


「あなたには重要な任務がある。勝手に出て怪我でもされたら、ベットに縛り付ける必要があります。あなたとの信頼関係を構築する為、それだけは避けたい。言っている意味がわかりますか?」


「向こうでも監禁されて、ここでも監禁?俺との信頼関係と言うなら、」


「シャワーも寝食も整えられています。それ以外何が必要で?」


 一歩一歩、威圧的に歩み寄ってくる白衣の女性に気圧されて、自分もまた一歩一歩下がって行く。ヒールの差もあるがそもそもの背の高さに加えて、僅かに顎を突き出す仕草の所為で更に心理的に上を取られる。


「暇つぶしが必要なら、もう監視カメラはないのです。好きな事をしなさい」


「そ、外で遊びたい‥‥」


「許可すると思いますか?あなたには、自分を売り込んだ責任と契約の責務を払って貰います。大人しく座りなさい!!そして、服を着なさい!!」


 自分の強みは電子世界への介入。人の心を覗き見る事さえ出来るが、全く取り付く島もない人物に対しては————こうも自分は無力であった。武器の扱いは一通り、しかし何もないのであれば、お説教に耳を向けるしかない。


 無理やりバスローブを脱がされ、シャワー室にて、まだ身体にこびりついていたジェルを全て拭き取られる。白衣が濡れる事も厭わない一連の作業には怒りさえ滲み出ていて硬直する他なかった。


 そして肩に手を置いて下着を着せられた挙句、用意されていたYシャツに袖を通した時、濡れた髪をドライヤーで乾かされふんわりと仕立て上げられる。


「気持ちいい‥‥」


 広いベットに腰を降ろしながら、口を衝いた言葉に溜息を吐かれる。


「これが星を渡る子?ひとりでは何も出来ないというのに」


「一般的な生活をする自由はなかったので。自分達は、彼の者達を呼び起こし、連れ去られる餌でしたから。確か、貴き者————」


 このままベットに潜りこめれば、すぐさま眠れてしまう。だから、髪の全て乾かし終わった瞬間、布団に潜り込もうとしたが首根っこを掴まれて、再度ベットに座らせられる。


「もう眠いです」


「その前に聞かせない。あなたが、実験体のひとりだとしてどうやって脱出したの。そしてどうやって電子壁を超えてカナンに入り込んだ?精神と脳を砕かれたあなたが、どうして身体を未だに持ち合わせているの」


 矢継ぎ早に繰り出される質問の数々に、寝ぼけている頭では何も答えられなかった。だから頭を支えられなくなった首を落として、倒れてしまった。


「ちょっと!?」


 温かな肌を感じる。柔らかい筋肉を薄い滑らかなストッキングが包んだ足だと気付いたとしても、起き上がる気にならなかった。むしろ逃がすまいとしがみ付いて抱き枕とする。


「いい加減に!!」


 何やら叱りつけられているが、微睡む頭では何も理解出来なかった。

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