第22話 舞台裏の馬鹿騒ぎ

 カテリナが半日の星読み台への出張から戻ると、王城はあちこちで補強工事をしていた。

 板を張ったり、通路を封鎖したり、仮設の雨どいを作ったり、手慣れた工事風景に、カテリナはなるほどと思う。

 カテリナが工事現場を避けながら会議室に辿り着くと、終業時間に国王陛下その人から注意喚起があった。

「明日は昼から夜にかけて嵐になる。みな、安全第一で、極力外に出ないように」

 ヴァイスラント公国の夏の風物詩として、必ず一度は大嵐が来る。古くは屋根が吹き飛んだり浸水したりと一大事だったのだが、星読み台の天気予報の精度が上がってからは国民も事前に対策できるようになったので、それほどひどい被害にはならない。

「あとは、くれぐれも飲みすぎないように。以上」

 それより国王陛下自らお言葉をくださる理由は、陽気なヴァイスラント国民の常として、一日外に出られないとなると家の中で馬鹿騒ぎをする悪癖があるからだった。

「は」

 それは王城に勤める者たちも同じで、みなしおらしく頭を垂れたものの、大手を振るって景気よく騒げる一日に内心浮かれているのがカテリナにも見て取れた。

 いそいそと解散する仕官たちの顔が笑っているのを横目に、国王陛下はため息をついて腰を下ろした。みな退出した頃を見計らってカテリナが帰城の報告をしようと歩み寄ると、ギュンターはしれっと先に言葉を投げる。

「星は、私が最後のダンスを踊れないと告げただろう」

 図星を指されてカテリナが言葉に詰まると、ギュンターは懐から手紙を取り出して見やった。

「そうだろうな。メイン卿のご令嬢に今夜のダンスパーティへお誘いの手紙を送ったが、卿から断りの手紙を受け取ったところだ」

 カテリナは直立不動のまま、表情には混乱をありありと出していた。カテリナが仕官学校に入るとき、履歴書の身元保証人欄にはチャールズ・メイン卿と記している。メイン卿のご令嬢のことをご存じかと聞かれたらどうしようと、カテリナは冷たい汗を流した。

「まあいいか。メイン卿のご令嬢でないのは知っていることだし。……カティ」

 ところがギュンターはその話題をあっさりと切り上げて、語気を強めてカテリナに言った。

「どうせ夜勤を引き受けた君に言っておくが、今回の嵐は大きいからな。急いで補強工事をしたとはいえ、王城の中もあちこち危ないところがある。明日は無理に出勤するんじゃないぞ」

 いいなと念を押して、ギュンターはまだ少し未練がありそうな顔でチャールズから受け取った断り状に目を戻した。

 カテリナは一礼して退出したが、彼女も先ほど父から手紙を受け取ったところだった。「今夜のパーティどうするの?」と伝書鳩を飛ばしたところ、父は「行かないもん。どうせカテリナちゃん夜勤するんでしょ」と拗ねきった返事だった。

 恐れ多くも国王陛下と王妹殿下からのお誘いを行かないもんで片付ける父はどうかと思うが、カテリナも父との関係を伏せている以上、父と公の場に出るつもりはなかった。それより嵐の予報を聞くと万が一災害になったときに備えて、夜勤を引き受けるカテリナだった。

 食堂で軽く夕食を取り、宿直室に入って仮眠を取ろうとしたが、まだ暗くならないうちから騎士団の詰め所で騒ぐ声が聞こえてきていた。みんなお酒好きだなぁと眠るのをあきらめてベッドから起き上がり、靴を磨いていたとき、ノックの音が聞こえた。

「カティ、ちょっと入ってもいいですか」

 懐かしい呼び声を聞いて扉を開けると、騎士団の室長とウィラルドがそこにいた。この室長の「ちょっと」は良くない知らせの前触れだが、見上げた室長もウィラルドも苦笑しながら明るい顔をしていた。

「水をください。詰め所はだいぶ出来上がっていましたのでね」

 頼まれてカテリナが二人に水を差し出すと、二人は礼を言ってそれを飲み干した。

 ヴァイスラントの夏の常として、干し草を編んだ敷物の上で靴を脱いでそこで涼む。ただ明日の嵐に備えて窓は閉めてあって蒸し暑かった。

 室長は既に中年に差し掛かる年だが、名門貴族の出だからか扇で仰いでいても実にお似合いの仕草だった。彼は一服すると、涼しげに切り出す。

「実は、あなたに再度の異動の話がありまして」

「あ、あの。室長」

 カテリナは騎士を辞めることを伝えるなら今だと思った。女性であることも、総帥の娘であることも隠したまま騎士でいるのは限界を感じていると、騎士になったときからカテリナを見守ってきてくれた室長になら打ち明けられるような気がした。

 室長はカテリナをみつめて、諭すように優しく言葉を続けた。

「私はあなたが何か話したがっている気配は感じていました。隠していることがあるとも。……でもそれは、国王陛下もお気づきになったのですよ」

 カテリナが息を呑むと、室長は彼女が出張している間の出来事を話してくれた。

「今日、国王陛下が私とウィラルドを直々に呼び出しになり、「カティは真面目で一生懸命勤めているが、いつも周りに何かを隠している素振りがある」と仰っていました。「もし騎士でいることに生きづらさを感じているなら、私から文官や星読み仕官へ異動できるようはからうが、どう思うか」と」

 国王陛下がそのように心配を抱いていたとは、カテリナは少しも気づかなかった。彼は今日だって明日の注意事項を手短に伝えただけで、カテリナ自身に問いかけたりはしなかった。

 でも彼がカテリナのことを見ていなかったなら、明日嵐の中を出勤するなと念を押したりもしなかった。たった数日間側にいただけでも、カテリナの性格をよくわかっているのだった。

「まあ、ウィラルドがきっぱりお断りしてしまったのですが」

「え?」

 カテリナがきょとんとしてウィラルドを振り向くと、彼は憮然として言った。

「「カティは騎士になりたくてなりたくて、一生懸命がんばってようやく騎士になったんです。隠し事が何ですか。誰もそんなこと気にしちゃいません」と言った」

「国王陛下に対して無礼ではありましたが、熱意は伝わったと思いますよ」

 室長が苦笑交じりに言ったのも、カテリナは心の奥がぎゅっと絞られるような思いで聞いていた。

 ためらいながら、ずっと問いかけたかった本音をぽつりと口にする。

「僕は……このままでもいいんですか?」

 カテリナがウィラルドを見上げて震えると、彼はぼやくように言った。

「俺は間違ったことを言ったか?」

 瞬間、カテリナは胸に迫った感情のままウィラルドに抱きついていた。

 偽りを誰かに弾劾されるのを恐れていた。でも、それでいいと言ってくれた。ありがとうの言葉も喉の奥でぐしゃぐしゃになって、ただぎゅっとウィラルドにしがみつく。

「ちょ、カティ!」

 動揺するウィラルドの声に、どっと部屋になだれ込んでくる同僚たちの声が重なる。

「ウィラルド、これで男になったつもりか?」

「数年上官やったくらいで、俺たちのカティをものにできると思うなよ!」

「次に異動させられるのお前だからな!」

 聞き耳を立てていたらしい同僚たちは乱暴にウィラルドをカテリナから引きはがして、馬鹿騒ぎに巻き込んでいく。

 景気よく抜かれる酒瓶の音、立ち込める酒気につまみの匂い、騎士団の夜は陽気に更けていく。

 カテリナは今まで彼女を取り囲んでいて、偽りの自分さえも包んでいてくれる日常に、ちょっと泣きながら笑っていた。

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