第14話 一度目は幸運、二度目は
降臨祭五日目、ローリー夫人のサロンは種々の事情で招待制の開催となった。
誰にでも開かれているローリー夫人のサロンに招待という概念があることはあまり知られていないが、表向きは扉の前に「本日休会」の札が掛かるもので、その扉の内側にローリー夫人が密やかに特定の客を招いているという仕組みになっている。
国王陛下その人とローリー夫人が待ち、壁際にカテリナが控えるという内輪だけの集まりに、届け物を持ってやって来たのは王弟シエルだった。
「こちらがアリーシャ嬢からの、正式なダンスのお断り状です」
ローリー夫人がもっとも招きたかった令嬢は訪れず、シエルはかの令嬢の最後通牒をギュンターに言伝た。
ローリー夫人はちらと傍らの席の国王陛下をうかがった。平和なヴァイスラントでも国王陛下が最高権力者であることに変わりはなく、王が命じれば一個人の意思をねじ伏せることは可能だった。
「ご苦労」
ただヴァイスラントが平和たるのは、それを司る国王陛下がめったなことで権力を振りかざさないからでもあった。ギュンターは苦い顔をしたものの、弟をねぎらう言葉と共に断り状を受け取った。
ギュンターはシエルに席を勧めてから、深くため息をついて自らの椅子に身を沈めたが、ふと唯一立ったままのカテリナに目をやって言った。
「カティ、君が落ち込んでどうする。君も座るんだ」
ギュンターはアリーシャに振られたことについてそれはそれで気落ちしたが、アリーシャの元から戻ってきたカテリナが足元もおぼつかないくらいに沈みこんでいて、何があったのかと訊いても何も話さないことの方が気がかりでならなかった。
自分はこの少年騎士の上司に過ぎず、もう大人の男を令嬢のように庇う必要はないとわかっているが、この少年が国王の最後のダンスに並々ならぬ思いを賭けていることは知っている。気にするなと言っているのだが、なんだかこの少年は自分に責任があるかのように落ち込んでいるのだ。
椅子に座ったもののやっぱりしょげているカテリナをギュンターは何か言いたげに見ていて、その構図にローリー夫人と王弟シエルも何か思うところのある顔はしていたが、ひとまずそれぞれの心の内に秘めておいた。
昨夜は空が澄んでいてみな夜更けまで星を見ていたので、今日のヴァイスラントの朝は少し遅い。開け放たれた窓から王城の人々の話し声や足音、他愛ない日常の気配が入り込んでいて、サロンの中の沈黙と対照的だった。
ひとまずテーブルを囲んで、パンとキッシュにミルクで朝食と昼食を兼ねた食事が始まる。食事自体はすぐに終わって、四人はしばらく食事を終えてもそれぞれの物思いに耽っていた。
やがて最初に口を開いたのはシエルだった。
「兄上、いつまでも反省会をしていても仕方ありません」
ギュンターは弟が珍しく意見したことに驚いたが、シエルは元々兄と言葉を交わすのを控えていただけで、仕事では活発に星読み仕官たちと意見を交わしていると聞いていた。
シエルは席を立って、海の見える反対側の窓際の席に歩み寄ると、サロンの面々に笑いかけた。
「暗いときほどゲームを。ちょうど四人います。「ヴァイスゲーム」をしましょう」
シエルが示したそこには、サロンで貴婦人たちがたしなむボードゲームとは少し形の違う、ひし型のボードと見慣れない駒の用意があった。
カテリナがきょとんとした顔をしたのをギュンターは横目で見て、いつもの新人教育への使命感らしい感情が湧いて来た。少し楽しげにカテリナに声をかける。
「ヴァイスゲームはやったことがないか」
「高貴な方がたしなむと聞いていましたので」
そう言われるとやってみたくなるのが庶民の心情だが、この少年は生真面目にも手をつけたことがなかったらしかった。
「ご助力いただけるか、ローリー夫人」
「よろしいことですよ」
ギュンターの誘いにローリー夫人は気安く応じて、四人は席を移ることにした。
その席は二人ずつが並んで対局するもので、それが古くから伝わるボードゲーム、別名「ヴァイスゲーム」の席だった。
ある時代、ヴァイスラントと海の向こうにあった隣国、二つの国の国王夫妻が四人で余興をしたのが始まりだった。二組の「貴婦人」と「騎士」が対角に配置されていて、手持ちの石である「精霊のいたずら」で対戦相手を邪魔しながら、先に盤上でペアと出会った方が勝ちとなる。
「「貴婦人」は当然ローリー夫人、その騎士は兄上がなさるとして」
シエルはいたずらっぽくカテリナに首を傾けて言った。
「どうかな、カティ。僕が君の騎士でもいい?」
「でも僕はこのゲームは初めてで。殿下の足を引っ張ってしまうと思いますが」
カテリナがまんまるな目に不安を浮かべると、シエルは笑ってうなずいた。
「熟練していない方がうまくいくのがヴァイスゲームなんだよ」
「言うようになったな、シエル」
公式行事で嫌というほどヴァイスゲームに向かっているギュンターが苦笑いすると、シエルは苦笑を返した。
カテリナは冗談交じりの兄弟のやりとりを聞いて顔を明るくしていた。大切な上司とその弟君、いつからか会話をしなくなったという二人の仲がゲームで和むのなら、カテリナにとってもうれしい。
「わかりました。では僕も」
カテリナも初めてのヴァイスゲームに参戦することになって、ギュンターとローリー夫人、シエルとカテリナの対局が始まった。
始める前にシエルが簡単にルールと少しの作戦を教えてくれていたが、対局中でも、隣に座るペアと耳打ちして相談することは許されている。
シエルはカテリナの耳に顔を寄せてささやく。
「星読み台で落ち合おう」
「わかりました」
カテリナは相手に悟られないよう、ボードを見ないまま目的地のマスを頭の中に描いてうなずいた。
ゲームが始まってすぐ、シエルは楽しそうにカテリナに耳打ちした。
「カティ、まっすぐ目的地に向かわなくてもいいんだよ」
一生懸命目的地までの道筋を描いているのがよくわかるカテリナに、シエルは笑いをこらえながら言った。
「精霊のいたずらで、変な方向に駒が弾かれたり戻ったりするところが面白いんだから。……それより見て」
シエルに言われてカテリナがボードの向こうを見ると、ローリー夫人に耳打ちする国王陛下の姿があった。
肩が触れるような距離で何事か言い交わして目配せする二人の様子は親密で、特別な間柄そのもので……カテリナは今度こそ顔を輝かせていた。
「なぜこっちを見て笑う、カティ」
ギュンターがカテリナのきらきらとした目に気づいて、不審そうに言い返した。
このゲームで勝つには、足の速い騎士は積極的に動いて貴婦人に近づき、精霊のいたずらをたくさん持っている貴婦人はあまり動かず、いたずらをして相手を困らせるのに徹するのがいいとされている。実際ギュンターとローリー夫人のペアは今までもそれで数々の勝利を収めてきて、今回もその作戦で優勢にあった。
それに比べて、シエルとカテリナのペアはまるで勝ち筋とは真逆だった。愚直に進み続けるカテリナと、あまり動かず精霊のいたずらを使うシエル。正直ギュンターにだって、カテリナが星読み台を目指しているのは丸わかりだった。
ところがシエルがそこに加わると、絶妙に先が読めないボードになっていた。騎士は限られた精霊のいたずらしか持たないのに、シエルはそれを使うのが上手かった。ギュンターの行く手に雨だのうさぎだの、はたまた後ろに忘れ物だのを置いてきて、貴婦人と落ち合わせてくれなかった。
「カティ、ねぇ」
何よりシエルが耳打ちするときにカテリナがちょっと赤くなるのが、こちらが優勢にあるのにたまらなく負けた気分にさせられる。
待て、カティは俺の騎士のはずだぞ。どうして敵対していて、しかも貴婦人になっている? そういえばヴァイスゲームは恋の葛藤とも呼ばれるのだと、この場でまったく関係ないはずのことを思ったときだった。
「陛下、そこは」
ローリー夫人がつぶやいて、軽く天を仰いだ。言われてギュンターは今しがた自分が置いた石を見て、自分の失策に気づいた。
頑なに星読み台にたどり着こうとするカテリナに苛立って、ギュンターは星読み台のマスに精霊のいたずらを置いた。召喚と名のついた精霊のいたずらは、カテリナの駒を強制的に王城に戻す。
くすっとシエルが笑って自分の駒を動かす。たまたま王城の周りにいたシエルは、カテリナの駒まで一歩だった。
コン、とカテリナの駒とシエルの駒は出会って、二人の勝利が決まる。
「やったね、カティ!」
「あ、え、殿下」
シエルは屈託なく笑って、無邪気にカテリナを抱き寄せた。シエルはカテリナをぎゅっと腕に包み込んだまま離さず、カテリナはうろたえて真っ赤になった。
少年同士がじゃれている光景だったのに、カテリナが恥ずかしそうに慌てているものだから、恋仲の少年少女のようにも見えてしまった。
「もう一度会いに来てよかった。精霊のくれた幸運のおかげだね」
シエルがゲームは終わったのにカテリナに耳打ちした、その一言をギュンターは聞いてしまった。
一度目に出会うのは精霊のくれた幸運、もう一度同じ人に会いに行ったら、それは運命。
まさかシエルがカテリナにだけ聞こえるように言ったのは、年の近い者同士のふざけあいで、自分が知っている恋の文句ではないはずだ。
ギュンターが首を横に振ってそう思ったとしても、精霊のいたずらはあと五日間天から降り注いで、祭りを盛り上げるのだった。
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