第10話 星読み台、初めての

 建国以来初めてやって来た降臨祭、人々は心弾んで催し物に旅行にと出かけているが、その影でカテリナのように急きょ働くことになった人々もいる。

 夏は暑ければ暑いほど商品が売れるように、商人にとって降臨祭はまさに天からの贈り物、過熱してくれればくれるほどいい。世間ではとにかく精霊と名付けられていれば宝飾品にお菓子、枕まで売れるわけで、それは何か間違っているのではという勢力も別にないわけだった。

 星読み台の事務室の一角、王族が訪れるときには休憩室となる部屋で、ギュンターは足を休めていた。扉を開けてカテリナが入って来ると、ギュンターは彼女に言いつけた仕事の報告を求める。

「仕官室はどうだった」

「保冷室みたいでした」

 カテリナはややあって不可解という風に答える。

 カテリナはギュンターに命じられて、星読み台の仕官室の様子をうかがって戻ってきたところだった。

 カテリナの見たところ、降臨祭の主催者である星読み台は、過熱しているようには思えなかった。それどころか星読み仕官たちはお互い言葉を交わす様子もなく、カテリナが国王陛下の命令でお邪魔しますと一言断って入ったときもほとんど無反応だった。

 ギュンターは頬杖をついてカテリナの答えにうなずく。

「保冷室か。その表現は悪くない」

「どうしたんでしょうか。忙しい時期だとうかがっていたのですが」

 国王陛下の本日の所定の公務、星読み博士との会談はとっくに終わっている。ところがギュンターは夕方になっても星読み台の一角に滞在し、しかもどうやら宿泊もするつもりでいるらしい。

「相変わらず苦戦しているのか」

 ギュンターは目を伏せて独り言のように告げると、首を傾げたカテリナに告げた。

「カティ、今晩君に夜勤を命じる」

 完璧主義、納得するまで絶対に良しを出さない国王陛下だったが、今までカテリナに夜を徹して仕事を命じたことはなかった。

「はい。お言葉通りに」

 カテリナはきょとんと目を丸くしながらも即答したのだが、それを扉の外で聞いていた近衛兵たちはこっそり色めき立った。

 近衛兵は陛下の部屋に夜のお相手を招くのも平常業務だったが、彼らの勤勉な上司は夜になればなるほど一人で仕事をする御方で、今までその重大な職務を果たさせてはくれなかった。

 ついに一線を越えられるのですね、陛下。私たちの中では今夜が降臨祭最終日でもいいですよ。ちょっと涙ぐんで、近衛兵たちはお互いの肩を叩きあった。

 夜勤に備えて仮眠を命じられたカテリナは、いつもより三割増しほど優しい近衛兵たちのまなざしに見送られて部屋を出た。

 星読み台は夜に仕事をするのが常で、仮眠室は王城に比べても充実していた。個室で鍵もかかって、鏡や靴磨きも常備されている。王城の宿直室なら誰が来てもおかしくなく、身構える必要があったが、ここなら安心して眠ることができそうだった。

 だからカテリナは実家にいるように、髪を解いて、服も夜着だけまとってベッドに入った。

 誰にともなくおやすみなさいとあいさつして、カテリナは短い仮眠についた。

 夢の中で、熱心に星読み台に通っていた子どもの頃を思い出していた。

 満天の星空に目を輝かせて、大きくなったら星読み仕官になると父に言って大反対されてしまった。

 単純に、女の子は星読み仕官になれないのだと言われたのかというと、実はヴァイスラント公国では少数だが女性の文官がいる。父はそういうところで嘘をつく人ではなく、そのために墓穴を掘る人でもあった。

 だめ、カテリナちゃん。星読み仕官と結婚するくらいなら、パパのいる騎士団に入りなさい。

 幼いカテリナは大きくうなずいて言った。

 うん、お父さんと同じお仕事する!きらきらした目で将来の夢を決めたカテリナに、父はちょっと泣きたそうな顔をしていた。

 力はあんまりないから仕官学校の頃から騎士に向いていないのはわかっていたが、父と同じ騎士団に入ったことに後悔はしていない。

 祝祭が終わったら騎士をやめると決めたけれど、今も甘い希望は捨てられない。

 たとえば誰かに、もう要らないと言われるときまでは騎士でいられたなら。カテリナはそんな淡い期待を持つ自分を知っている。

「僕なんて誰も要らない」

 ふいに真っ暗な声を聞いて、カテリナは心の奥をぐさりと刺された思いがした。

 飛び起きると、辺りはすっかり暗がりに沈んでいた。けれど隣の部屋で窓が開いて、誰かが外に出た気配を感じた。

 カテリナは胸に迫る感情のまま、自分も窓を開けてベランダに出た。そこから屋根に向かって梯子が掛かっていて、誰かがそこを上る音が聞こえていた。

 星を見るための暗闇が、本来の闇色で世界を染めているように見えた。カテリナは何かを考えたつもりはなく、梯子を上ってその人を追っていた。

 人の顔も定かでなく、もしかしたら聞き間違いなのかもしれないけれど、駆け寄って屋根の端に立つその人を後ろから力いっぱい捕まえる。

「だめ! だめったらだめ!」

 誰かが息を呑んで体を固くした。カテリナは子どもがわがままを言うように叫ぶ。

「お腹いっぱい食べて、嫌になるくらい寝ようよ! それでも元気にならなかったら、次の日も同じようにしたらいいじゃない!」

 その人は誤解だとも言わず、カテリナを振り払うこともしなかった。聞こえていると信じて、カテリナはその人をぎゅうぎゅう抱きしめて言う。

「明日ご馳走するから、今日は寝よう!」

 果たしてカテリナの現在の手厳しい上司が及第点を出すかは不明だったが、その言葉は一応誰かの耳には届いたらしい。

「……うん。わかった」

 子犬がしゅんと頭を垂れるような声でカテリナに返して、その人はそろそろとカテリナの腕を離した。

 カテリナの横を通っていったその人は、背格好からいくと少しカテリナより背が高いくらいで、そう年も変わらない少年のようだったが、すぐにすれ違ったから顔を見る時間はなかった。彼は大人しく梯子を下って、仮眠室に向かってくれた。

 カテリナも後に続いて梯子を下りようとして、よかったと胸を撫でおろして……ふと普段は隠している胸のふくらみに気づく。

 そういえば個室だからと安心して、髪も解いて下ろしていた。ついでに先ほど思いきり抱きついてしまっていた。

「そういえば、君」

 気まずそうに梯子を下りたカテリナをその人は待っていて、一歩カテリナに近づく。彼は目を覗き込むように少し屈みながらカテリナに話しかけた。

「僕は寝るけど、君は」

「あ、うん。それでいいと思う。じゃ、僕これで」

 これ以上顔を見られたくなくて、急いで自分の仮眠室に引っ込もうとしたカテリナに、彼がふわりと笑った気配がした。

「ありがとう」

 たぶん言葉と同時に、カテリナの唇に柔らかい感触があった。

 温かいような、少しくすぐったいような、それが彼女にとって初めてのキスだとまだ頭が追い付かないまま、唇は離れていく。

 彼は暗がりの中で踵を返して部屋の中に入っていったが、カテリナはしばらくの間ベランダに立って、自らに起きた大事件に打ち震えていたのだった。

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