第2話 好きでも嫌いでもない、それは苦手

 王城に仕えている者は数百人にのぼるが、カテリナのような勤続三年目の騎士が国王のお側に仕えるというのは珍しい。

 カテリナも、王妹殿下直々の命でそのお役目を授かったのは幸運とわかっていたが、国王の目に留まりたいとは思っていなかった。

 それは国王の側に父がいるからだった。父は公平に部下を取り立ててきた人で、カテリナはそんな父の公平さを疑わせないために、父との関係を伏せて働いていた。

 そもそもカテリナは仕官学校を卒業後、王都から遠く離れた辺境の砦に希望を出したはずだった。ところが何か大きな力が働いて、蓋を開けたら王城の勤務となっていた。

 お父さん、そういうことしちゃだめだよ。さすがにカテリナもこれが父の仕業だと感づいたが、父はしょげた様子ながらカテリナに諭した。

 ごめんな、カテリナ。パパ、ほんとはずるくて汚いんだ。言い訳だけど、実はほとんどの大人がそうなんだぞ。パパはカテリナちゃんがだまされて傷つくのだけが心配だ……。

 戦場では鬼と呼ばれた父が家では娘を砂糖漬けのように甘やかしているのは、カテリナも人に言ったことはない。

 人には表の顔と裏の顔があるんだなぁ。父を見ていてほのぼのと思ってはいたが、このたび別の形でそれを目の当たりにすることになった。

「陛下、どうしましょう。このままでは負けてしまいますわ」

 貴婦人が弱り切った様子でボードゲームから目を逸らし、長身の青年に振り向く。

 頼られた青年は癖のないブロンドを首の後ろで括り、湖面のような灰青の瞳をしていた。肩幅が広く手足が長いので、武装の名残があるサーコートがよく似合う。

 静止していれば彫像のような冷たく整った風貌だったが、彼はすぐに貴婦人に甘く笑いかけた。

「心配はいりませんよ。男に美しい女性を打ち負かす一手などありはしないのです」

 彼は手を差し伸べて駒を動かし、周りでボードゲームを見ていた観客から歓声が上がった。

 その打ち返しが決め手となったらしい。状況は一転し、やがて相手をしていた壮年の貴族から降参の声が上がった。

「ほら、美しさの前にはどんなものも敗北するでしょう?」

「陛下ったら」

 この国で唯一陛下と呼ばれる方、国王ギュンターは優雅に一礼すると、花を移る蝶のようにそこを離れた。

 弱った貴婦人をみつけては一手を指導し、甘い微笑みとともにそこを去る。

 噂に聞いてはいたけど、女性に対しては子どもから老婦人まで糖分全開の笑顔なんだなぁ。カテリナは隅で一人対局をしながら感心して見ていた。

 貴婦人方はうっとりと扇で口元を押さえながらささやきあう。

「陛下にご指導いただければ、デビュー前の少女でもサロンの花となれるでしょうね」

 カテリナはというと、国王というのはかくも大変なお仕事なんだと他人事のようにうなずきかけて、今の自分の仕事を思い出した。

 祝祭までの十日間、陛下は最愛の人にダンスのお相手を申し込むべく、このようなサロンを転々とすることになる。いわば恋をするのが仕事で、いくらカテリナが時々飲むレモン水が何よりおいしい書面仕事に戻してほしいと思っていても、今は国を背負った恋の成就こそがカテリナに下った使命なのだった。

 カテリナは一人対局を切り上げて席を立つと、事情通らしい壮年の貴婦人にそっと耳打ちした。

「陛下には、サロンにエスコートされたい特別な女性がいらっしゃるのでしょうか」

 臣下の都合で申し訳ないが、陛下には不特定多数の女性に甘いのではなく、最愛の人にだけ甘くなっていただかなければならない。人の輪に入るのは苦手だが、カテリナは勇気を出して調査を開始する。

「カティさんは今日陛下付きの騎士になられたんですって?」

「はい、職責では。けれどみなさんの方が陛下のことをよく知っていらっしゃると思って」

 しかも女性を口説くすべならよほど陛下ご自身の方が卓越しているような気がする。自分は何を尽力すればいいのでしょうと直接訊くわけにもいかないが、カテリナは素朴に貴婦人方にすがった。

 貴婦人方は不思議そうに顔を見合わせると、驚きの目でカテリナを見た。

「あら、あら……。ずいぶん陛下に熱が入っていらっしゃるのね?」

「それはもう。全力でお仕えする覚悟です」

「素敵!」

 貴婦人方は少女のように目を輝かせると、扇を口元から離してカテリナの肩に手を置いた。

「がんばってちょうだい。応援しているわ」

「は、はい。でも何をがんばれば……?」

「お側にいるだけでいいのよ。大きな転機があるかもしれないわ」

 転機という何気ない一言が、ふとカテリナを迷わせた。

 父のようにと同じ仕事に就いたけれど、ずっと男の格好をしているわけにもいかない。書面仕事の多い今ならいざ知らず、辺境に着任すれば兵士としては貧弱そのもののカテリナは足手まといにしかならない。

 十七歳、性別を偽るにはそろそろ限界を感じている今こそ、まったく別の生活を考えるべきかもしれない。

 でも大人になったら誰かの役に立つべきと思って進んできた道の行きつくところ、その理想の形は今も父に変わりがない。

 十日間後、騎士の仕事に戻って、いつまでそれが続けられるだろうか?

「……精霊のくれた転機のその先は、精霊にしかわからない」

 カテリナは迷路に入りかけた悩みを振り払って、屈託なく笑った。

「恋だって精霊が祝福してくれなければ、いずれ縁が切れてしまうものなのでしょう?」

「あら、まだ若い殿方が恋の力を信じなくてどうするの」

 明るい気分が戻ってきて、カテリナは貴婦人たちと笑いあう。

 自分の悩みは恋とは違うけれど、今は精霊の手に任せてみたいと思う。

 未来のことがわからないように、カテリナには恋のことだって、まだ全然わからない。精霊がくれる贈り物というけれど、蓋を開くまでわからないものだともいう。

 そういうの、ちょっと苦手だな。そう思ったとき、なぜだかギュンターと目が合った。

「では私はそろそろ」

 国王陛下をみつめては失礼だと目を逸らしたら、ギュンターも目を逸らして席を立ったようだった。

 カテリナは慌てて席を立って、貴婦人たちにあいさつをしてからギュンターのところに向かう。

 ギュンターはカテリナを後ろに連れてサロンを出て、足早に自室に向かった。

 お仕えする初日にしてすでに三回目、カテリナが目の当たりにしてきたのは、サロンに顔を出す合間に私室で書面仕事をしている陛下の姿だった。

「ちっ。あいつ、またくだらん案件を上げてきたな」

 それもサロンで見せる貴公子然とした姿は嘘のようで、舌打ちもすれば独り言も多く、しばしば部下を罵倒している。

「こっちは時間がないんだよ。俺の仕事をさせろ」

 彼に言わせるとサロンへ行くことは公の仕事で、私室での仕事は自分のためにする仕事なのだそうだ。

 しかめつらで苛立ちながら、けれど私室の陛下は一種燃え上がるような情熱をまとっている。

「あれもこれも、やることが多すぎる。降臨祭さえなけりゃな……」

 御年二十七歳、働き盛りに加えて、このたび建国以来の降臨祭を迎えることになった。正直、彼に恋をしている時間はないのかもしれない。

 ただそういう文句を公の場で微塵も見せないところはカテリナも尊敬している。言葉を返すのは無礼なのでうなずいていたら、ふいにギュンターは口を開いた。

「ところで、君はボードゲームが下手だろう」

 綺麗に梳かれたブロンドを片手でくしゃくしゃにして何事か文句をつぶやいた後、ギュンターは唐突に三白眼でカテリナを見た。

「見てないとでも思ったか?」

 男の格好をしているカテリナが悪いのかもしれないが、彼は完全にカテリナを少年だと思っているようだった。だからまるで言葉に遠慮がなくて、貴婦人に対するような甘い笑顔も気配りもない。

 カテリナは少しむっとした。それは案外にも図星で、気にしているカテリナの弱点そのものだった。

「十手先まで読んで布陣を組み立てた、その想像力は買う。でもまっすぐな戦略に過ぎて、相手に読まれやすい。勝算は薄いな」

 カテリナに対局を教えてくれた父も同じことを言いづらそうに教えてくれた。それを出会って半日で言い当てられると、驚くより腹が立ってくる。

「そのくせ引き際は潔すぎて……」

「陛下、次のサロン行きのご予定はとりやめますか。お時間が少ないようですが」

 頭が切れる人なのは認める。でも女性と男性への態度が違いすぎるし、今のように繕っていないときはとても無神経だ。カテリナは一瞬相手が国王であることを忘れて、彼女にしては珍しく冷ややかに言った。

 ギュンターも気にくわないという顔をしたが、さすがにそこで怒り出すほど子どもでもなかった。

「予定通り向かう。ついでにこの書類を返してきてくれ」

 ギュンターは言うときは容赦がないわりに、引くときも早い。それが手加減されたようでますます気に入らなくて、カテリナは書類を受け取ると、一礼してさっと踵を返した。

 カテリナは今まで仕事で好き嫌いは抱かないことに決めていた。第一、国王陛下のなされている仕事は尊敬しているし、精霊との約束のために恋までしようとしているのならどうにか叶えて差し上げたいとは思っている。

 好きにはなれそうにないが、嫌いなわけじゃない。そう、これは苦手なだけ。

 カテリナはむっつりと口を引き結んで、いつの間にか陛下からうつった罵倒文句を心の中でつぶやいた。

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