賛成してくれるのは嬉しいですが温かく見守るだけでお願いいたします

 リクの衝撃発言で現在大恐慌中の苳子ふきこさん。


「やっぱり、ダメよ! 教え子に手を出したなんて、千野ちの家や高宗たかむね家の名誉に関わるわ!!」


 そう叫んで、頭に血が上りすぎたのか、不意にクラっと体を揺らめかして、その場にあった籐椅子に座り込んだ。


「大丈夫ですかっ?!」


 思わずリクの手を振り払って、私は苳子さんに駆け寄り、その顔を覗き込んだ。

 真っ青になって憔悴している苳子さんの肩をさすると、「ううっ」と今度は身を屈めて、顔を覆って泣き出してしまった。


 これって、リクの発言の……つまりは私のせいだよね?

 

 いくらなんでも、お師匠さまと再会したり、知らないで過ごしてきた事実が判明したりと色々な出来事が起きているタイミングで、リクの「教え子と結婚前提にお付き合いしています」発言は、やっぱりまずかったんじゃ?


 しくしく泣いている苳子さんにどう言葉を掛けていいのか分からず、私は何となくその背中をさすり始めた。


「ううっ……あなた、優しいのね……」


 突然顔を上げてそう言うと、苳子さんは私の胸元に顔を埋めるようにして抱きついてきて……再び泣き出す。


 しかも大声で、ワンワンと。


「ちょっ!? 母さん! サホがつぶれる!」


「……大丈夫、何とか」


 膝立で苳子さんの体を受け止めるように体勢を立て直し、その体を支える。

 少女のような容姿の苳子さんは、体もほっそりしていて、多少体重を掛けられてもそこまで負担ではない。


 抱きつかれまま、仕方ないので背中をさすり続ける。


 やがてだんだん声が小さくなって、苳子さんの泣き声はワンワンからシクシクに戻り、やがてヒックヒックと鼻を啜るレベルまで小さくなった。


 その頃になってようやく私の体から離れて、指先で涙をぬぐい始める。

 反射的にハンカチを差し出そうとしてポケットを探ったけど、ハンカチがない。

 そう言えば、ここに来る前に、汗だくだったリクに渡して、そのままだった。


 仕方がないので、代わりにポケットティッシュを取り出して、苳子さんの目元にあてがうと、それを受け取って自分で涙をぬぐった。


 急に静かになってしまい、何となく気まずい時間が過ぎる。


 何か言わなくちゃ、と思いながら、助けを求めるようにリクを見上げた。

 

 と、カチャっと音がして扉が開いた。


 理事長とお師匠さまが、帰ってきた。

 20数年越のプロポーズは上手く行ったようで、お師匠さま、理事長の腕に手を添えている。


「どうした? 苳子、泣いているのか?」


 苳子さんの泣き顔に気が付いた理事長がそう尋ねると、せっかく泣き止んだ苳子さん、再び目元がうるうるとし始める。


「だって! 兄さん! 利久が! この子に! 教え子に手を出して!」


「だからまだ健全な付き合いだって。ちゃんと将来も誓いあっている、真剣な交際だよ」


「だからって! 高校生なのよ?! 一体いくつ年が離れていると思っているの?」


「7歳だけど?」


「そんな年下のお嬢さんを、よりによって教師のあなたが!」


「……いや、まあ、将来結婚する気だというなら、まあ、いいんじゃないか?」


「兄さん?!」


 思いがけず、理事長の口から援護の言葉が出て、苳子さんは目を白黒させる。


「だよね。教育者でも、年下の女子高生相手に恋をしたって、いいよね?」

「ダメよ!」

「何で?」

「そんなこと、千野家や高宗家の人間が……」

「母さん、父さんといくつ違いだっけ?」

「……え? ……8歳だけど」

「ってことは、由利恵さんも、父さんとは8歳違いだよね?」

「そう……よ……」

「で、聞いた感じだと、高宗の家に引き取られたのって、高校生の時だよね? で、母さんが千野に嫁いだ年には、もう俺が生まれている。さっき、結婚は成人しての約束って言っていたけど、母さんが結婚したのって、本当は19歳だよね? 高校卒業後すぐ。と言うことは?」


 苳子さんが高校卒業後すぐに結婚して、その年にはリクが生まれている、ってことは。


 リクが生まれるための、その、色々な出来事が、高校卒業前後くらい? 理事長の話だと、その前からこっそりお付き合い自体はしていたっぽいし……あ、お師匠さまか高校在学中に、もう交際していたってこと?


 

「……でも、兄さんは、由利恵さんの、担任じゃなくて……だから……」


「教育者には代わりないよね?」


「……そう、ね」


 リクに言いくるめられて、苳子さん、二の句が告げなくなる。


 ちょっと気の毒になってきた。


「あの、本当に、高校卒業するまでは、清らかな関係でいますから……」

「ちょ!? サホ! そういうこと勝手に宣言しないで!」


 せめて少しでも安心させようと苳子さんに言うと、リクが慌てて制止する。


「だって、正式に婚約するまでは、絶対手を出さないって誓ったの、リクだよ?」

「だから、高校在学中に婚約は整えるって!」


「……なるほど。それなら……。幸いにも家柄もさほど問題ないようだし」


 フムフムと理事長、顎に手を当てて、何か企んでいる顔をする。


 あれ? でもなんで? 苳子さんに比べて理事長、あんまり驚いていなかったし。

 リクが話しておいた、って感じでもないよね? さっきの口ぶりだと。

 お師匠さまが勝手に話すはずもないし。


「兄さんは知っていたの?」


 だんだん落ち着いてきて、私と同じことが気になったらしい苳子さんが、理事長に尋ねる。


「いや。だが、ずっと手をつないでいたし、それに見れば利久がこのお嬢さんにベタぼれなのは分かるだろう?」

「そう……なの?」

「一目で分かったよ。なんと言っても、由利恵にそっくりだ。顔かたちじゃなくて、その、雰囲気がな。昔の由利恵を思い出させる」

「……そう言えば」


 苳子さん、まじまじを私を見つめる。


 そうなんだ? お師匠さまと私って、似てるの?

 前にリクにも言われたけど。


 学校で初めて挨拶した時に、理事長の表情が一瞬変わったのも、そのせい?


 お師匠さまの所作に憧れてきた私にとっては、何だかとっても嬉しいことなんどけど。


「でも、由利恵というより……」

「映子さま、よね? だって、私にとっては映子さまこそ、憧れのお姉さまで、映子さまのようになりたかったのだもの、あの頃」


 うっとりとするお師匠さまに、苳子さん、納得したように首を何度も上下に振る。そして、同じようにうっとりして。



「そうね。素晴らしいお姉さまだったわ。大和撫子の鑑よね。とてもお優しくて……確かに、似ているかもしれないわ」



 確かにお母さんの所作も綺麗だけど、そこまで?


 というか、そんな存在だったの? 桜女時代のお母さんって。


「ああ、なるほど。苳子の憧れていた先輩か。通りで。なんだかんだで、利久は私とも苳子とも好みが似ているからな」

「……いや、好みだけで片付けないでほしいんだけど。誰かに似ているとじゃなくて、俺はサホがサホであるだけで、大好きなんだけど」


 ……嬉しいけど、あんまりこんな場面で『大好き』とか、ストレート過ぎて、恥ずかしい。


「そう、映子さまに似ているのね」

「だから、似ているとか、関係ないから」


「でも、やっぱり、交際は慎重にならないと。良いお嬢さんなのは良く分かるわ。けれど、そうでなくても兄さんの強行策で、桜女の内部でも色々あるのだし、表向き縁戚の利久が教え子と交際なんて、反対派からしたら都合の良い醜聞なのよ。もし露見したら……」


 うーん、なんだかんだ言っても、やっぱり苳子さんて、理事長の妹なんだね。真剣な顔で冷静に分析しているところは、すごく理知的に見える。

 

「だが、『なかざわ』のお嬢さんなら、実はあらかじめ婚約していたという大義名分も通るだろう」

「え?」

「お前の大好きな『映子さま』の、お嬢さんだろう?」


 理事長、知っていたんだ? まあ、名字は伝えてあるし、うちが和菓子屋なのも知っていたし、そう言えばさっき、苳子さんもお母さんの結婚の話、していたもんね。


「……利久! 今から映子さまのところに行くわよ! お嬢さんを下さいってお願いに!!」


「ダ! ダメだ! それは俺のセリフ!! というか母さんが出てきたら、話が壊れる!」


 さっきまでの理知的な横顔がどこかに消えて、目を爛々と輝かせている苳子さん……猪突猛進モードだ。


 うん、できればすべて整ってからお願いいたします。


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