おやすみの挨拶で色気より食い気な反応はいかがなものでしょうか?

 お師匠さまと別れて。

 

 引き続きしばらく駅前を散策したあと、リクは家の近くまで送ってくれた。


 本当はもっと一緒にいたいって言われたけど、荷物もあったし、私も夕食までには帰るって約束してあるから、と伝えると、渋々あきらめてくれた。



「サホ、お別れのキスとかしたくならない?」

「ならない。って言うか、ここじゃダメ! ご近所の人に見られたら困る」


 お店のある通りから一本入った路地は、人通りは少ないけど、ゼロじゃないし。

 周りに家もあるんだから、どこから見られているかも分からないし。


「そこの影とか、ダメ?」


 諦めきれないリクは、塀の切れ間の、ちょっと窪みになっている辺りを指差す。


「ダメ。そこからうちに入れるもん。職人さんやお父さんになんて見られたら、大変なことになっちゃうよ」


 窪みに見えるけど、実は工場からの抜け道になっていて、よく職人さんが通り抜けている。


「そうなんだ。サホここから入る?」

「家はもう少し奥だから、そっちの入り口に行くよ。ここ狭いし」


 道を奥に進むと、塀から垣根に変わり、家の裏口に着く。


「さすが広いな、サホんち」

「敷地だけだよ。お店と工場もあるし。家は小さいよ」

「でも、庭も広いし、表通りに比べて静かだな」

「そうだね……あ」


 油断していたら、リクが頬っぺたにキスをした。

 ホントに軽く、チュッと。


「もう!」

「このくらいならいいだろ? 一瞬だから、誰も見てないよ」


 ……まあ、このくらいなら、いっか。


 リクが手を振りながら帰っていくのを見送って、私は頬っぺたをさする。


 リクにキスされた頬っぺた。


 つい、ニマニマしちゃう。


 あんなこと言ったけど、やっぱり嬉しい。


 

 ちょっと浮かれて家に入ると、お姉ちゃんがちょうど出てくるところだった。


「ただいま。出掛けるの?」

「おかえりなさい。ちょっと、ね。秀明さんと」


 秀明さん、は秀さんの本名。


 時間的に二人で夕食でも食べに行くんだろうな。

 明日は日曜日だけど、大きな注文がなければ職人さんも店員さんも交代でお休みするから、二人ともお休みなのかもしれない。


「いってらっしゃい。ゆっくりね」


 お姉ちゃんを送り出して、私は部屋で身支度を解く。

 汚れがないか確認して、着物用のハンガーに小紋こもんを掛ける。帯もシワを伸ばすように干して。


 明日くらいまで干して湿気をしっかり取ってから収納する。


 今日は半襟はんえり長襦袢ながじゅばん足袋たびも普段着用の綿や化繊かせんなので、ネットに入れて洗濯機に掛けて洗っちゃう。


「あ、私のも洗うから、置いといて」

 ネットに入れて持っていくと、お母さんがそう言ったので、ありがたく甘える。


 お姉ちゃんもお母さんも毎日着物なので、お手入れは自然と覚えた。

 二人とも仕事着だし。


 でも、私がこうして普段使いで着ようって思ったのは、やっぱりお師匠さまの影響が大きいかも。


 今日のお師匠さまとのやり取りを、ふっと思い出した。


 リクを前にして、何だかいつもと違っていたお師匠さま。


 あんな風に慌てる姿、あまり見たことがない。


 それに、やたらリクの年を気にしていなかった?

 リク、ホントは24歳くらいだから、ひい、ふう、みい……6、いや7歳はサバ読んでいるよね?

 あれ? 今年で17歳って言い方してなかった?


 あれ、誕生日がこれからだってことだったら、16歳って言ったってことかな? なら、ホントの年齢も今年で24歳ってことでいいのかな?


 私、そう言えばまだ、リクの誕生日も知らないんだ。


 誕生日も知らないのに、結婚の約束までしちゃうなんて、どうかしてる。


 だけど。



 ちょっと罠にハマった感じもしないではないけど、やっぱり嬉しい。


 クラスの男子達に、まだ何にもないのに、それでもヤキモチ妬きまくりで、どうにか私を独占しようと、色々妄想しちゃうなんて。


 それに。


 確かに最初の頃は、強引過ぎて、いきなり過ぎて、ちょっと怖かったりもしたけど。

 それを「悪かった」って思って反省してくれて。


 私のせいにされるのは困るけど、それだけ愛されちゃってるって思ってしまうと……やだ、「愛されちゃってる」だなんて、うふふ。


 1人でにやけていると、お母さんから夕食の時間だって声が掛かった。


 いけない、いけない。顔がにやけたままになってる。


 頬をペチペチ叩いて、でも、また別れ際のキスを思い出して、にんまりしてしまい。


「茶朋! 早く!」


 と、お母さんに怒鳴られるまで、私は思わずこぼれてしまう笑顔を必死で押さえ込もうと頑張っていた。



「あれ? お父さんは?」

「あ、今日は飲食店組合の飲み会ですって。お姉ちゃんも出掛けちゃったから、簡単にしたわよ」


 簡単、って言っても、普段はお父さんが品数欲しがるだけなので、私達にとっては普通の食卓。


 ご飯にお味噌汁に、おかず。今日は豆腐ハンバーグ。それと付け合わせのサラダ。


「お姉ちゃん、秀さんとデートなんだね」

「夜に出かけると、お父さんうるさいからね。いない時くらい羽を伸ばさないと。もう大人なんだから、放っておいてあげればいいのに」

「早く結婚しちゃえばいいのにね」

「そうよね。茶映さえも今年で22なんだし、まあちょっと早いけど、秀さんもいい年だしね」

「秀さん、今年で30歳?」

「まだ29。でも、今からプロポーズして、準備していたら、あっという間に30よね」


 お父さんがいると不機嫌になるので、こういう話は出来ないから、お母さんはいつもよりおしゃべりだ。


「もし、私に彼氏が出来たら、お父さん怒るかな?」

「怒りはしないけど、面白くないかもね。でも、茶朋さほは遠慮しないでいいのよ? 彼氏、出来そうなの?」


 これからもデートに行ったり、たまには遅くまで遊びに行くことだってあるかもしれない。

 お母さんを味方にしておいた方がいいよね?


「一応。今日、初めてデートした」

「やっぱり。いつもより気合いが入ってるな、って思った。どんな人? 写真ある? 見せて」


 今日リクのスマホで撮って転送してもらった写真をお母さんに見せる。


「あら、美少年! ちょっと大人っぽい感じね。でも真面目そうでいいじゃない? 名前、何て言うの?」

「……リク」

「まあ! 名前もカッコいい! いいじゃない?!」


 お母さんのテンション、高村先輩に似てる。


 あまりの好印象に、ちょっと引いちゃう。


「お父さんには、ナイショにしてね?」

「りょーかい。お姉ちゃんにも話しておきなさいね。あー、とうとう茶朋にも彼氏が出来たのね。しかもこんなに可愛い男の子。秀さんもイケメンだし。ラッキーだわ」

「お母さんの彼氏じゃないでしょ?」

「うちの娘の彼氏ってことは、未来の息子じゃない? それがこんなイケメン揃いだなんで、老後の楽しみ倍増だわ」


 なるほど。


 それでこういうテンションなのか。


 でも、お母さん。


 美少年じゃなくて美青年なんだけどね。

 男の子じゃなくて、もう成人なんだけどね。



 まあ、イケメンであることには変わりないので、あんまり問題じゃないよね?


「今度、お店にもお客様の振りして連れてきてね。あ、和菓子好きかしら?」

「大好きみたい」

「なら、今度おまけするから、絶対連れてきてね」


 何だか会わせる約束までさせられてしまった。

 まあ、お母さんは味方になってくれそうなので、よかった。



 夕食のあと、リクにおやすみメッセージを入れて、ついでにこの話をすると。


『絶対顔出す! そろそろ柏餅かしわもちの季節だよな?』


 ……注目するの、そこじゃないよね?!

 

 



 

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