第28話 お別れのとき
「いやぁ、今日は楽しかったです。」
まだ1月で日が落ちるのも早く、外に出ると真っ暗とまでは行かないが空は茜色に染まっていた。
「本当にあっという間でしたね。」
駅前のベンチに腰掛けて、さくやさんがつぶやく。
「その、改めてハンカチの件と諸々。本当にありがとうございました。」
彼女は律儀に頭まで下げて感謝を伝えてきた。
「いえいえ、俺こそこんな楽しい時間をありがとうございます。」
社会人の性というものか。
名刺を渡すときは先方の下に入れるように、頭を下げられたら反射的にその人よりも深く下げたくなってしまう。
これぞ、会社の教育の賜物というやつだ。
「またお出かけできたらいいですね。」
顔を上げたさくやさんは微笑みながら、そう言った。
「そうですね。でも、俺もう少しで東京から離れる予定でして。」
俺も彼女といる時間はとても楽しいし、また今度別の場所に行ってみたいけど…………俺はもうすぐ東京からいなくなる。
だからこそ、最後に彼女と遊べてよかった。
「あぁ、転勤ですか?」
どちらまでと尋ねるさくやさんに俺は、
「いや、ちょっと会社を辞めようと思いまして。」
そう、何気ないことのように返す。
「そ、それはずいぶん思い切りましたね……」
さくなさんは心配するような悲しいような表情でつぶやいた。
「はい。あの、誰にも言わないでくださいね。」
俺は一度周りを見渡してさくやさんへと近づく。
「は、はい?」
いきなり俺との距離が近くなって、さくやさんは少し焦っている様子。
俺も女性と近づくのは緊張するけど……この場合はそれをしてでも聞かれないようにしなければならないのだ。
俺はさくやさんの耳に口を寄せて、
「俺、宝くじ当たったんです」
そう囁いた。
や、やっぱり誰かにいうとなると緊張する。
だって上司にも同僚にも言ってないからな。
プライベートというか自主的に伝えたのは彼女が初めてかもしれない。
「ッ!!!! マジですか!?」
さくやさんは案の定驚いて、普段と違う口調で言った。
焦っているけどちゃんと小声のあたりが流石である。
「はい、マジです。だから、この際会社辞めて田舎で喫茶店でもやろうかなと。」
俺は駅のベンチに背中を預けて、空を見上げる。
空はもうすっかり黒に染まっていた。
「そ、それは夢ですね。」
さくやさんも座り直して、空を見上げながらつぶやく。
「えぇ夢が叶う感じですね。儲からなくても良いんで、畑とかやりつつのんびり暮らしていけたらなって。」
思えば、誰かに自分の夢を話すのはほんとうに久しぶり……というか初めてかもしれない。
俺のは夢と言うには現実的だけど、まあ俺にとっては理想の暮らしだから。
「結婚はしないんですか?」
俺の語った夢にうんうんと頷いていたさくやさんが、不意にそう尋ねた。
結婚……結婚かぁ……年齢的に同級生からの招待状が届く頃だなぁ……。
「できたらいいんですけど、あいにく相手がいないもんで。」
俺は苦笑いしながら答える。
本当に、どこかに顔は普通で性格が良い浮気しない女の人いないかなぁ……。
「そうですか……。」
さくやさんは噛みしめるようにつぶやくと、またベンチに座り直した。
「愛媛あたりに行こうかなって。もし開店したらさくやさんにもお知らせしますね。」
俺がそういうと、
「ぜ、ぜひ!」
さくやさんは食い気味で答えた。
そ、そんなに俺の開く喫茶店は魅力的なのか!?
もしかして開店早々行列の耐えない店としてテレビ取材受ける感じ!?
……それは嫌だな。儲かるのはいいけど、忙しいのはノーサンキューだ。
毎日200円くらいの赤字のお店が丁度いいよ。
「そういえば連絡先教えてませんでしたね。」
開店したらお知らせしますとか言ってるけど、まず会社の固定電話しか教えてなかった。
固定電話だと何かと不便だし、まず俺会社辞めるし。
辞めたはずの奴の電話が鳴って、女の人の声が聞こえるとかある種のホラーである。
「交換しますか。」
俺は自分のスマホを取り出してつぶやいた。
冷静を装っているが、女性に連絡先を聞くということで少し……いやかなり緊張している。
お、俺だって社畜の前に一人の人間だから、緊張するものはするんだ!
先方との名刺交換とかは同じ連絡先交換だけど、全く緊張せず無の状態なんだけどな。
「はい!」
自分のスマホを取り出して返事をするさくやさん。
それから俺たちはあーだこーだやりながらなんとか連絡先の交換に成功した。
いや、今どきって怖いね。
何よふるふるって。美味しいポテト出来ちゃいそうだよ。
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