第7話 外

「じゃあ最後の確認よ。浮遊呪文は?」

「かけた」

「探知呪文」

「かけた」

「サムライが来たら?」

「部屋に入って真っ直ぐ逃げる」


 北東の扉のそばで、サラとダウが向かい合わせで確認作業を行っていた。二人とも装備の上に、白いシーツを身につけている。ほどほどの大きさで、かつ頭を通す穴も開いているので、貫頭衣のようにして、ベルトを締め直す。雑にナイフで切り分けただけなので裾はズタズタ長さも両端でちぐはぐだが、作戦決行に関して問題は何もない。


「それにしてもどうしたんだこの布切れ」

「宿屋で破れたシーツをもらってきたのよ。とりあえず適当な大きさに切ってあるからそれっぽく着てちょうだい」

「ほんと準備のいいことだよ。これで遠目に見れば見た目は騎士隊と同じだ」

「これならサムライも気に入ってくれるでしょ。ダウ、動きづらくない? 向こうまで全力疾走しなきゃいけないんだから、動きは余裕もたせてよ」


 ダウはサムライを転移罠に誘い込む囮役である。扉を開けたまま部屋の手前で待ち構え、サムライが追って来たら中に入り、転移罠を目指して一目散に奥に向かって逃げる。ダウは浮遊呪文をかけておけば、万が一転移罠を踏んでも発動させる心配はない。 


「ん……よし、問題ない」


 両肩を回し、腰を捻り、片足ずつ上げ下げしてダウは動きを確認する。


「じゃあ、私は隠密呪文をかけて部屋の入り口脇に隠れる。あなたとサムライが一本道に入ったら、この巻物で最後の準備をする、いいわね?」


 サラはベルトに挟んだ巻物を指差しながら、この後の流れを確認していく。


「それでいい。……扉を開けるぞ」


 ダウがサラから鍵を受け取り、目の前の扉の鍵穴に挿し込む。拍子抜けするほどあっさり、カコ、という音がして、ゆっくりと木製の扉が向こう側に開いていく。


「中は見た感じこっち側と変わらないみたいね」

「魔物も…とりあえず探知呪文に反応はない」


 探知呪文のおかげで、ダウには部屋の中は普通より明るく見える。それでもなお薄暗い部屋の中に、かろうじて奥に続く一本道が見えた。その奥に、薄ぼんやりと一か所だけ床が光っている場所がある。あそこが転移罠の仕掛けてある床だろう。探知呪文をかけていなければ、ただの床と変わらず見えるはずだ。


「よし。じゃあ手筈通りに」

「わかった。……ところでその巻物、何の呪文が書き込まれてるんだ?」

「ああ、言ってなかったっけ? これはて


 その瞬間、ゾッとするような寒気が二人の心臓を鷲掴みにした。二人が歩いて来た通路から放たれる、突き刺さるような殺気。

 振り返れば、通路に人影が一つ。床に投げ捨てた松明の光が、抜き放たれた刀を映し出す。サラはその光景に見覚えがあった。捜索隊として地下に潜り、埋められた死体を掘り起こしていた時にそいつは現れたのだ。今と同じように、松明の光を刃に写しながら。


「──サムライ」


 サラの口から漏れた声に応えるように、人影はこちらに向かって走り出す。

 弾かれたように、二人は広間に飛び込んだ。




 『異国の街にある迷宮を踏破しようとしたら、その街を乱さんとする狼藉者の集団を見つけてしまったので、行きがけの駄賃に壊滅させてきました』そう父に報告したら、どんな顔をするだろうか。そう思うと、逃げ出した白装束を追いながらもヒサメは笑いが止まらなかった。

 事ここに至っても、ヒサメは自分のやっている事が善行だと固く信じていた。ネズミのように地下迷宮に潜み、志半ばで斃れた冒険者の墓を漁って物盗りをする輩など、のさばらせて良いわけがない。彼らはヒサメが迷宮で手厚く弔った墓を掘り起こしたのだ。そんな奴ら、斬り捨てられて当然ではないか。少なくともツクモでそんなことをすれば、たちまち斬り殺されて野良犬の餌である。


「逃さぬぞ白ン坊ども!」


 だがしかし、ここはツクモではなくファランドール、そして地上ではなく地下迷宮。物の考え方一つにしても、ツクモとは全く違うということを、ヒサメはまるっきり考えにいれていなかった。

 奥に消えた白装束を追って、ヒサメも扉を潜る。礫か矢でも飛んでくるかと一瞬警戒したが、仕掛けは何もなく、あっさりと進入は果たされた。部屋の奥に逃げていく白い影を目がけてさらに追走する。扉の陰に何かが潜む気配も感じ取ったが、今は目に見える方の白装束を追う。追いついて斬るのは容易い。だがおそらく奴の逃げる先に、白装束たちの本陣があるはずだ。そこまで走って案内するがいい。斬るのはその後にしてやる。

 手を伸ばせば襟首を掴めそうな距離まで差を詰めた時、ヒサメの踏み込んだ床がほんのわずかにグク、と沈み込んだ。

 







「やっぱり言葉が全くわからないというのはつまらないものだな……」


 大通り沿いの建物の陰にイルマは身を潜めていた。下の通りから聞こえてくる声は、どれも全く意味のわからないものばかりだ。

 はじめてこの街に来て、ヒサメと合流したときに、イルマはこの国の言葉を覚えなくてもいいのか、とヒサメに尋ねたことがあった。ヒサメは「ここで誰にも助けてもらうつもりはないのだから、覚える必要もないだろう」とさも当然のように答えた。

 それなら、とイルマもそれに倣ったが、こうして諜報の任務をすることになってしまった今、やはり少しくらいは言葉を覚えた方がよかったと少し後悔している。

 屋根づたいに少し進むと、サリヤナ正教会の裏手に出た。教会というものを知らぬイルマも、この白い建物が他の建物とは違う特別で神聖な場所だということくらいはすぐにわかった。


「我らの国の寺や社のようなものであろうか……うーむ、仕方ない。これも任務。狼藉など働きませぬ故、少しだけ失礼仕る!」


 覚悟を決めて、教会の二階の窓際に飛びつく。中をそっと覗き込むと、ベッドに横たわる少女と、それを見守る修道女の姿が見えた。少しして、修道女は何か祈るような仕草をして部屋を出て行った。

 少女以外誰もいなくなったのを確かめて、イルマはそっと部屋に忍び込んだ。ベッドの反対側の壁に、少女に似つかわしくない無骨な盾と手斧が立てかけられているのを見つけて一瞬驚いたが、おそらく同室の者の装備だろうと結論づけた。

 少女はベッドの上でまるで死んでいるかのようにひっそりと眠っている。いや、実際死は近いのだろう。やつれた細い腕や少し痩けた頬がそう告げている。何か重い病だろうか。


「不憫なことよ……しかし私ではどうにも出来ぬ」


 イルマは部屋に入って来た時同様、音も立てずに窓から外に出た。少しして、再び窓から戻ってくると、教会の庭で摘んできた黄色い花を一輪、少女──ルーシアの枕元に置くと、今度こそ部屋を後にした。


(侵入の痕跡を残すなど、シノビにあってはならんことだが……ヒサメ様ならこのくらいやるだろうと思うとつい……)


 心の中で必死に言い訳しつつ、庭の反対側の様子を見に行く。そこは少し開けた場所になっていて、何人かが互いに木剣で打ち合ったり、木と藁でできた人形に棒で打ち込んだりしていた。


(おや、練兵場のようなものか)


 そばの木立に隠れながら、イルマはしばらくその様子を眺めていた。


(こういう場所はツクモと変わらんな。ツクモの練兵場を思い出す。いつもヒサメ様が乱入してきては、他の男どもを片っ端から負かしていたっけ)


 そんなふうに昔を懐かしみながら眼科の景色を楽しんでいたイルマだが、そこに歩いてきた一団を見て目を丸くした。稽古中の連中のそばに歩いてきた五人ほどの集団は、全員が全員、白のサーコートを着ていたのだ。


(白装束! ということは、この建物が此奴らの根城?)


 慌ててその場を離れ、教会の一番高い屋根に飛び上がる。のんびりと羽を休めていた鳩を驚かせてしまったが、今はそれどころではない。

 敷地全体を見下ろすと、先程の練兵場以外にも、ポツポツと白い服を着た姿が見つかる。


(まさか、ここが……。この神聖さを感じるほどの場所が、墓荒らしどもの棲家なのか?)


 もう少し情報が欲しい。イルマは屋根から滑り降り、再び建物の中に忍び込んだ。








 目の前を走るダウを追いつつも、ヒサメの芯の部分はまだ冷静だった。踏み込んだ足が不自然に沈み込んだ地面を感じ取った瞬間、ヒサメは小さく前に飛び、転移罠の効果範囲から脱出した。振り向いて異常のあった床を見れば、ぼんやりと光る転移罠の魔法陣がゆっくりと消えていくところだった。


「ふむ、やはり何かの罠か。一本道で罠に嵌め、前後から挟み撃ちするつもりだったのだな」


 ダウの方を見れば、罠を飛び越えたヒサメをみて愕然として立ち尽くしている。その顔を見れば、彼らの目論見が失敗したことは明らかだった。ヒサメはダウの前まで来ると、ゆっくりと刀を片手で構える。


「そんな姑息な手で、私をどうにか出来ると思ったか、白ン坊?」


 


 通路の奥からダウの悲鳴が聞こえてきたのは、サラが巻物を転移罠の到着地点に広げて設置した直後だった。膝をついて巻物の位置を調整していたサラの肩がビクリと跳ね上がる。

 作戦通りなら、サムライは転移罠を踏み、この巻物の真上に転送されて巻物に込められた呪文の効果範囲に入るはずだった。しかしサムライは望んだ場所に現れず、サラの後ろ、一本道の奥からゆっくりと歩いて出てくるところだった。


「このッ……!」


 念のためカバンに一枚だけ入れておいた『炎球』の巻物をサムライに向かって広げる。サラが使える火球の呪文よりも大きな火の塊がサムライに飛びかかり爆ぜる。

 しかし爆発の煙の中から出てきたサムライは、服こそ焦がしたものの、肌は全くの無傷だった。彼女の故郷、ツクモの鉄塊術のおかげだ。文字通り鉄の硬さを得たサムライの身体は、ちょっとした呪文など受け付けない。


「誰かと思えば、前に見逃してやった奴ではないか」


 切先に赤い血のついた刀を手に、サムライはサラを見下す。


「せっかく生き延びたというのに、まだ墓荒らしや叛乱の準備などやっておったのか。あの時足を洗っていれば、こんなところで殺されずに済んだものを」


 言葉が通じないにも関わらずべらべらと勝ち誇ったように喋るサムライをよそに、サラはこの状態からどうやってサムライに巻物を踏ませるかを必死になって考えていた。呪文を込めた巻物は、一度開くとすぐさま呪文が発動するため、巻き直すことは不可能だ。このままの状態で踏ませるしかないが、明らかに怪しいこの巻物にサムライが近寄るわけがない。

 

「二人して何やら姑息な罠を仕込んでおったようだが、それもここまで。案ずるな、他の白装束どもも今日で全員死ぬ」


 ヒサメがダウの血のついた刀を振り上げる。しかしその刃が振り下ろされる前に、怒号が部屋の中に響き渡った。


「見つけたぞォォォ‼︎‼︎ サムラィィィイイ‼︎‼︎」


 大声と共に何者かが部屋に踊り込んできた。ボロボロになった服とボサボサの髪を振り乱しながら、折れた剣で猛然とサムライに殴りかかる。狂戦士のようなその男の声に、サラは聞き覚えがあった。

 サラとサムライの前に突然現れたのは、かつての仲間、そしてパーティのリーダーだったカイルだったのだ。


「このやろぉ、よくも、オレのパーティのッ、仲間をッ、ころしやがったなッ、このッ」


 カイルは狂ったようにサムライに向かって折れた剣を振り回した。勢いでつんのめってひっくり返っても、すぐさま飛び起きてサムライに突っ込んでいく。サムライも状況が呑み込めずに刀や身体で剣を弾くばかりだ。


(何者なのだこいつは。人に見えるが小鬼のような魔物なのか? それともこの白装束の仲間……?

(それならもう一人を無視して自分ばかり狙われるのも納得がいくな。白くはないが、奴らの仲間なら斬らねばならぬ!)


 サムライがカイルに足を引っ掛けて転ばせた。その背中に刀を振り下ろそうとした瞬間、部屋の奥から声が飛んできた。


「『昏睡』!」


 相手を強制的に眠りに落とす呪文だ。どれだけ鉄塊術で身体を頑丈にしようが、精神や神経に作用する呪文なら通るのだ。

 

「ぐっ……!」


 強烈な眠気に抱きつかれ、サムライの動きが止まる。眠ってしまうことは辛うじて耐えたものの、生まれた隙は大きかった。

 通路から飛び出してきたダウと、サムライの後ろからサラが、二人がかりでサムライを突き飛ばす。その先には、サラが設置した巻物。


 バチン、と音がして、青白く輝く半透明の立方体がサムライを中に封じたまま現れた。呪文の効果範囲に入ったのだ。


「迂闊……!」


 不覚をとったサムライがわずかに顔を歪める。だが、


「これがお前達の奥の手か。いいだろう、やってみろ! 我が鉄塊術は文字通り鉄の硬さ。どれほどの威力の術だろうと、耐え切ってくれる‼︎」


 外側から、サラが立方体に片手をかける。


「一時はどうなることかと思ったわ。成功してくれて何より。さあ仕上げよ」


 立方体の輝きが強まり、ゆっくりと浮き上がる。


「今までたくさん人を埋めてきたんでしょう? あなたも一度埋まってみるといいわ。もっとも埋まる先は地面じゃないけどね」


 もう一方の手も立方体に添える。立方体の中と外で、サムライとサラの目が合った。


「さあ──”いしのなかにいけ”ッ‼︎ 『転移』ッ‼︎」


 サラが叫ぶと同時に、立方体が迷宮の石壁に一瞬で吸い込まれていった。中にサムライを入れたまま。

 サラが巻物に書き込んだのは、魔術師の呪文の最上位、『転移』の呪文だった。対象を望んだ階層の望んだ座標に転送するもので、本来はパーティ全員を迷宮の深層部から入り口前まで転送したり、逆に入り口から深層の目的地までの道中を大幅にカットするために使われる。

 サラはその呪文の転送先をわざと間違えることで、サムライを迷宮の壁の外に埋め込んだのだ。

 サムライを飲み込んだ壁の前に、ドサドサと土が降ってきた。迷宮の外にあった土が、サムライと入れ替わりに部屋の中に吐き出されたのだ。


「成功……したんだよな?」


 サムライが消えてからややあって、ダウが恐る恐る口を開く。


「……してるはず。もう、壁の中にいるはずよ」


 サラも目の前の壁を見つめたまま答え、


「ていうか、ダウ、なんで生きてるの⁉︎ サムライに斬られたんでしょ?」

「何故かわからないけど、僕は足首斬られただけで済んだ。だから君から念のためにって渡されてた回復の巻物使って、応急処置して追いかけてきたんだ」


 ダウがローブの裾をめくって足首を見せる。まだ完全に傷は塞がっておらず、じわじわ血が流れているが、このくらいならこのあと落ち着いた場所でダウの回復呪文を使えば治せるだろう。


「それにしても、カイルが生きてたとは驚きだよ……てっきり迷宮で魔物かサムライに殺されてると思ってた」

「いつから迷宮にいたのか知らないけど、よくまあ一人で生き延びたもんね……運としぶとさだけなら一流だわ」


 当のカイルは、ダウの昏睡呪文の効果範囲にギリギリ入っていたらしく、今はスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。その側に、鈍く光るサムライの刀が落ちていた。サラとダウの二人で突き飛ばした時に落としたに違いない。


「とにかく疲れたよ……足も痛いしもう帰りたい」


 帰りたいと言いながらも、ダウは迷宮の床にへたり込む。そのまま着ていた白いシーツを脱いでその辺に放る。


「同感だけど、まずカイルを起こさないとね……昏睡呪文、どのくらいで切れるのかしら。殴って起こした方が早い?」

「前に同じように昏睡かけた時は、夜から次の日の早朝まで寝てたかな。無理やり起こしても、また騒ぎ出しそうで嫌なんだよな……」

「コイツのおかげで隙ができたとはいえ、同感ね……かといって担いで帰るにはさすがにキツいし……」


 そのままサラも床に座り込んでしまった。緊張が解けたのか、もう身体に力が入らない。一番の脅威であるサムライは壁の中に消えたが、迷宮には他の魔物がまだたくさんいる。長居している場合ではないのだ。

 へたり込んだ二人と爆睡している一人。そんな部屋に、開け放ったままの扉から、武器を持った巨躯が踏み込んで来たのはその時だった。

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