第4話 開戦
薄暗い迷宮の中でも、松明片手に回廊を行くヒサメの歩みは街の大通りを歩くが如く堂々としていた。一度だけ落とし穴に引っかかりかけたが、素早く跳んで事なきを得た。それ以降、視線は常に地面を舐める様に見渡している。罠が仕掛けられていれば、そこだけ不自然に浮いて見える。あとは飛び越えるか、大回りをするか、わざと引っかかってから躱すかであり、ヒサメは好んで一番最後の方法を選んでいた。後ろでイルマがヒヤヒヤしながら見ていることなどお構いなしである。
「あ」
ふと通路の途中で立ち止まる。
「いかがなさいました」
後ろの暗闇からイルマが問いかけてきた。
「鋤を忘れてきてしまった。取ってくる」
今のヒサメは、刀の他に迷宮で見つけた鋤を持ち歩いていた。どこかの誰かが使うだけ使って打ち捨てていった物を拾ったのだ。戦いには使うことはないが、死体を埋めるのにはちょうど良い。さっきも行き倒れたパーティを埋葬したのだが、その時に鋤を置いてきてしまっていた。
「それにしても、魔物の死体はすぐに消えてしまうというのに、人間の死体だけは残るのだな。お陰でいちいち埋めてやらねばならん。骨が折れるわ」
迷宮の魔物は、倒せば数時間のうちに爪や角、牙など硬い部分を残して分解されてしまう。ごくたまに分解されないままの魔物もいるが、それは迷宮の外から迷い込んできたものだ。ごくたまに人間のようにアンデット化したコボルトやゴブリンがいるのはそういう理由なのである。
「しかし、本来なら腐るままの死体が消えていくというのは、ある意味不気味な話ではありますな。やはりここは外とは勝手が違います」
「うむ。だからこそ、この魔境の最下層まで到達したらば、さすがに父上も私を認めてくれるだろう」
などと言いながら鋤を置き忘れた場所に戻ると、なんと五、六の人影がさっきヒサメが埋葬した死体を掘り出しているではないか。道半ばで行き倒れた者の骸をヒサメが丁重に埋葬したのに、それを掘り返すとは。さては此奴ら墓荒らしか!
「その墓から離れよ! この無礼者共‼︎」
言葉が通じないことも忘れて、ヒサメは刀を抜き、怒りのままに大音声で叫んだ。
タロスのパーティは、地下二階で複数の地面の膨らみを見つけ、リーダーの指示で掘り返し始めた。力のあるタロスとリーダー、あともう一人の戦士が持ってきたシャベルや近くに落ちていた鋤を使って、慎重に土を掘っていく。その間残りのメンバーは周囲を警戒。
「見ろ、死体だ!」
リーダーの掘っていた土の中から、青白い冒険者の顔が出てきた。首を持ち上げてみると、ちゃんと胴まで繋がっている。
「急げ、アンデット化する前に掘りだすんだ!」
リーダーの号令で、掘り返す手はさらに早く動いた。そう何度も相手の思い通りにさせてたまるか。ざまあ見ろサムライ。お前がゾンビにするべく埋めた死体を、おれたちがそうなる前に掘り出してやったぞ──
パーティの間に芽生えた高揚感は、次の瞬間すぐ目の前の暗闇から聞こえてきた怒号に掻き消された。見れば今まさに、その暗闇から一人の人間が歩み出てくるところだった。胴と腕、脚に東国の書物で見るような防具をつけただけの軽装で、作業中の探索隊を睨め付けている。すぐそばの地面に置かれた松明の明かりを受けて、抜身の刀がギラリと光った。
「あ……?」
突然のことに一瞬何の反応も出来なかったリーダーが、相手の刀を見た瞬間、弾かれたように立ち上がった。「”サムライ”だあっ‼︎」
残りの隊員達も慌てて道具を捨て武器に手をかける。しかしその時にはもうサムライの刀は悪夢のような一閃を終え、リーダーの首は地面にゴロゴロと転がっていた。
「サラ!走れ!」
叫びながらサムライに飛びかかって行ったのはタロスだ。パーティが危機に陥った際、後衛の誰か一人を逃し、残り全員で足止めをする、それがタロスの取ってきた戦術だった。戦闘を離脱した後衛は、他のパーティに助けを求めるなり、敵がその場を去ってから、倒れた仲間を街に運んだりするのだ。誰か一人でもその場を生き残れば、助かる可能性は格段に上がる。今回もそれが最善手と信じて、タロスはサムライの前に立った。
唯一の誤算は、目の前のサムライが今までタロスが対峙してきた魔物とは比べものにならない強さだったことだろう。
まるで虫でも払うような軽さでタロスの首が胴から離れたのを視界の端でとらえながら、サラは全力疾走でその場を離れた。他の三人も手練れというほどの技量はない。おそらく同じように全員一太刀で葬られるだろう。サムライがサラを追い始めるのも時間の問題だ。恐怖で叫び出しそうになるのを必死にこらえながら、サラはひたすらに走った。
「さて、埋め直すか……」
できたばかりの五つの死体を足で通路の端に退かしながら、ヒサメは掘り出されかけた墓を再び埋めにかかった。墓荒らし達の持っていた道具も遠慮なく使う。
「一人逃げた者がおりましたが、如何致しますか」
天井からイルマの声が降ってきた。墓をいじりながらヒサメが答える。「ああ、あれな。わざと逃した」
「わざと?」
「イルマよ、こいつらを見て何か思わんか」
イルマは音もなく天井から降り立ち、死体を掘り出そうとしていた無作法者の死体を眺めた。
「……ふむ、皆揃って白を身につけておりますな」
「それを見たときにピンときたのよ。我らがまだ生まれる前に、全員揃いの青い布を身につけて、あちこちで掠奪を繰り返したという山賊紛いの集団がおったろう?」
「ああ。いましたね。青衣団とかなんとか名乗っていた気がします。彼らの起こした暴動が引き金になって、我が国が戦乱に明け暮れるようになったのでしたな」
「そう、つまり」墓を埋め直したヒサメが、白装束の死体を蹴り飛ばす。「こやつらもおそらく同じ、この国を乱そうとする輩であろう。だから墓を暴いてまで、武器や鎧を掻き集めようとしておるのだな。こやつらは目印に白い装束を着るらしい」
ヒサメが刀で死体の白いサーコートを切り裂いた。
「イルマよ。迷宮踏破は一旦お預けだ」
「何と」
イルマがヒサメの顔を見上げる。その顔は返り血を浴びていたが、新しい遊びを思いついた子供のように輝いていた。
「まずはこの白装束の賊どもの殲滅よ! 一体何人おるか知らんが、相手にとって不足はなし! 父上に話す土産話が一つ増えるぞ!」
サラが逃げた方向から、何人もの武装した人間の足音が響いてきた。迷宮の闇から、白いサーコートの集団が飛び出してくる。ヒサメは刀を構え、朗々と叫んだ。
「参れ、賊ども!」
♢
その日、サムライの捜索隊として迷宮に潜った冒険者は、その数を半分以下に減らして帰ってきた。運良くサムライに出くわさずに教会に帰ってきた捜索隊が見たものは、他の隊に回収されてきた顔を×の字に切り裂かれた他の捜索隊の生首。その中にはタロスの首もあった。何故か冒険者には被害は出ておらず、白の騎士隊だけが無惨に斬り刻まれていた。
部外者が入ってこないよう、中庭に天幕が張られた。その天幕の中で、捜索隊の首と胴が一揃えにして丁重に並べられていく。死体はどれも、白のサーコートだけが切り裂かれていた。
天幕の隅の方で、サラはタロスの亡骸から目を離せないままずっと座り込んでいた。自分が見ている死体は間違いなくタロスのものなのだが、それがどうしても飲み込めない。そのうちのっそりと天幕の中にタロスが帰ってくるのではないか、と思えて仕方がなかった。どこか遠くから、捜索隊と神父の話す声が聞こえてくる。
「我々は思い違いをしていたようです。サムライは善意で動いていたのではない。あれは我々白の騎士隊に対して明確な敵意を持っている。理由が何かはわかりません。それを悠長に探っている暇もないでしょう……速やかに討伐部隊の編成を。もはやサムライの説得は不可能と判断します」
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