悪夢のサムライ(旧)

しめさばさん

第1話 斥候ディグの死

斥候のディグは、迷宮地下一階の宝箱の傍でぐったりと四肢を投げ出して、苦痛に喘いでいた。

 見たところ致命傷になるような傷はない。大きな火傷も骨折や切り傷もない。あるとすれば、左の指先にある小さな刺し傷くらいだった。その刺し傷の周りが紫色に腫れ上がり、指の太さも三倍ほどになっている。全身にも同じような紫色の斑点が浮いている。宝箱に仕掛けられた毒針の罠にかかったのは一目瞭然であった。

 運の悪いことに、ディグのパーティは毒消し薬を使い切った後だった。僧侶の消耗も激しく、無理に解毒呪文を唱えさせれば魔力切れで倒れてしまう。ディグを街まで運ぶにも、下手に動かせばそれだけ早く毒が回るし、途中で魔物に襲われたらひとたまりもない。結局、ディグはその場で待っていてもらい、仲間が街に戻って毒消し薬を買って戻ってくることになったのだが、


「何も……全員で帰ること……ないじゃん……」


 窮地にパニックになったのか、彼の仲間はその場に誰一人付き添いを残さずに街に戻ってしまったのだ。ディグを含め、まだ全員が冒険者になりたての新米パーティだ。初めて仲間の危機に直面して慌てるのも仕方のないことかもしれないが、人も魔物もあまり通らない、地下一階の隅の方とはいえ、毒で体がガタガタの斥候一人を残していくのはあまりにも無謀と言えた。

 彼に待っている末路は三つ。

 一つは毒が回りきる前に、仲間が薬を持って戻ってきてくれる。助かる。

 二つ、毒が回りきって命を落とすが、仲間が寺院に運んでくれて、運良く生き返れる。まあいい。

 三つ、生きたままか、死んでからかはわからないが、魔物に見つかって、蘇生が不可能になるくらいバラバラにされて喰われる。最悪。

 どうにも一つ目の可能性は低そうで、二つ目と三つ目の可能性が半々にあるといったところ。いや、三対七くらいで三つ目か。見張りも残さず街まで全員で帰ってしまうような慌て具合では、すんなりと薬を買ってこれるかも怪しい。

 先にあの角を曲がって来るのは仲間か、魔物か。どうせ魔物なんだろうなちくしょう。全身の痛みと吐き気に襲われながら、朦朧とした頭でそう考えていたディグの前に、人影が一つ現れた。仲間の誰でもない。見慣れない形状の防具と細身でわずかに沿った剣、そして松明を一本だけ持って、散歩でもする風にこちらに歩いて来る。

 訓練校で講義で聞いた事がある。東の国の剣士サムライだ。ほとんど他国と交流することのない国と聞いたが、この街に来ていたとは。なんにしても、仲間と魔物以外の可能性が来てくれた。ありがとう神様。生きて帰れたら、オレの財布の中身全額寄進しに行きます!


「なぁアンタ……毒消し……持ってないか?」


 息も絶え絶えなディグが呼びかけると、サムライはこちらに向かってきた。腫れ上がったディグの指を認めると、彼のそばで屈み込み、値踏みをするようにディグを頭から足の先まで視線を往復させる。


「毒消し……持ってないか? 他の薬でも……この際構わないから……なあ……」


 懇願するディグを無視して、サムライは押し黙ったままディグをじっと見つめていたが、やがて何事か二言三言ディグに告げると、諦めたように首を振って立ち上がった。

 そして、腰の刀をゆっくりと引き抜いたではないか。


「……へ?」


 ポカンとするディグに向かって、サムライは横一直線に刀を凪いだ。

 ディグの視界が斜めに傾き、そのまま闇に呑まれた。



 刀を鞘におさめると、今し方首を落としたばかりの骸に向かって、サムライは目を閉じて合掌した。ややあって顔を上げると、周囲の石畳の地面を見回す。土が剥き出しの一帯を見つけると、松明を地面に置き、刀の鞘を使って土の地面を掘りはじめた。







 カイル達一行が仲間のディグの下に戻ってきたのは、彼の首が胴を離れてからだいぶ後だった。

 毒消し薬を買いに街に戻ったとき、迷宮の出口で、はじめて誰もディグのそばに残っていないことに気がついたのだ。


「なんでアイツだけ置いてきたんだよ!」リーダーの戦士カイルの怒鳴り声が、探索で疲れ切っていた仲間の神経を逆撫でした。


「そういう指示はリーダーが率先してするべきだと思うけど⁉︎」

「そもそも毒消し薬を使い切ったのも、お前が不用意に毒持ちのスライムに突っ込んで噛み付かれたからだろうが!」


 仲間達が一斉に不満を爆発させ、広場のど真ん中で、突然怒鳴り合いが始まった。パーティメンバー全員が新米冒険者であり、仲間をまとめあげるリーダーとしては、カイルはまだまだ経験が足りなかった。登録の際に便宜上そうなっただけのリーダーの座に固執して、とにかく強い言葉と大声でパーティを押さえつけようとするため、仲間内にずっと不満はたまっていたのだ。それがとうとう爆発した。

 うんざりした顔で、兵士が仲裁に入ってくる。朝も冒険者同士の喧嘩騒ぎが起きており、上官からこっぴどく叱られたばかりなのだ。

 兵士から頭に拳骨を進呈され、受付から追い出された時点で、相当な時間を無駄にしてしまった。迷宮からでてきた時点ではまだ空に居座っていた夕陽が、もう完全に沈んでしまっている。


「急ぐぞ。早くしないと薬屋が閉まっちまう」


 街に続く坂道を駆け上ろうとするカイルに、仲間の魔術師が後ろから声をかける。


「これから毒消しを買ってくる必要ある? ディグのあの様子じゃ、もう間に合わないわよ。それよりも毒消し代をディグの蘇生代に回した方がいいわ」

「そんな言い方ないだろ? アイツだって頑張って持ちこたえてるかも知れないじゃないか!」

「持ちこたえてる”かも”って、希望的観測だけで動かないでよ!」

「勝手にディグが死んだと決めつけるな! もういい、オレは薬を買ってくる! お前らはそこで待ってろ‼︎」


 そう言い放って坂を駆け上がるカイルを、魔術師は諦めた顔で見送った。



 カイルが毒消しを買って仲間たちのところへ戻ってきたとき、魔術師はもうその場にいなかった。カイルはそれについて何も言わずに、再び迷宮へと急いだ。

 地下一階の隅の方。毒針を吐き出した後の宝箱のそばに、ディグの姿はなかった。代わりに、赤い血痕が壁と地面に咲いている。


「……間に合わなかった」


 仲間の誰かがそう呟くのが聞こえた。しかしカイルは、まだ自分の中の希望にすがりついた。


「ディグ! どこだ‼︎」


 大声で叫びながら、そこらじゅうを歩き回る。「毒消しだ! 持ってきたぞ! 返事をしてくれディグ‼︎」


 まるでそうすれば少しでも遠くが見渡せるとでも言うように、少し盛り上がった土の上に立ち、毒消し薬の瓶を高く掲げながらカイルは叫び続けた。その様子をしばし呆気にとられて見ていた司教と戦士が、慌ててカイルを制止に入る。


「やめろカイル、声に反応して魔物が寄ってきたらどうするんだ!」

「そうなる前にディグを見つけなきゃいけないだろ!」

「あの毒でディグが一人で動けるわけがない、何かあったんだ。落ち着けカイル!」

「落ち着いてなんかいられるか!」


 袖を掴んできた司教の手を思い切り振り払う。


「いつも偉そうにしやがって、ムカつくんだよダウ! リーダーはオレだぞ‼︎ わかったらさっさとディグを探せ! ディグ、返事をしてくれ! ディグーッッ‼︎」


 なおも叫び続けるカイルに向かって、これもやむなし、とダウと呼ばれた司教は昏睡魔法を唱えた。



 迷宮の地下一階の中央付近には、冒険者の休憩場所となっている泉がある。泉のある部屋の周囲には、ギルドと教会が共同で魔物避けの結界を張っており、弱い魔物はまず入ってこれない。怪我の治療や休憩、食事、他のパーティとの情報交換の場として泉の部屋は活用されていた。

 司教の魔法で死んだように眠っているカイルを雑に床に転がして、他の三人、司教、戦士、僧侶も床に座り込んだ。

 部屋の反対側では、東洋風の剣士が泉の水を汲み出したバケツで汚れた手を洗い流していた。他に仲間はいないらしく、濡れた手を振り払うと、松明と刀を持ってそのままさっさと部屋を出て行った。

 

「……私にあの時もう少し魔力が残ってれば……」


 部屋に自分たちだけになり、今までほとんど声をあげなかった僧侶がポツリと呟いた。あと解毒魔法1回分の力があの時に残っていたら、今頃は全員揃って街の酒場で帰還を祝してささやかな食事をしていただろうに。この騒ぎの間中、ずっとそうやって自分を責めていたのだ。


「ルーシア、お前のせいじゃない」


 僧侶ルーシアを諫めた若いドワーフの戦士が、忌々しげに眠っているカイルを睨みつけた。そしてさっきからずっと地面の一点を見つめて考えにふけっている司教に声をかけた。


「ダウ、どうした?」

「ああ、ごめん。ちょっと気になることがあって」

「気になること?」

「ディグの死体。どこ行っちゃったんだろうと思って」

「それは……魔物に喰われて」

「僕も最初はそう思ったんだけどね、それだと何かしら残骸がありそうじゃない。着ていた服や道具類まで丸々綺麗に平らげる行儀のいい魔物なんて、この階にはいないはずだよ。スライムならひょっとしてやってのけるかもしれないけど、あいつらの食事はすごくゆっくりだ。完全に食い切られるには早すぎる。」

「だとしたら、装備や道具目当ての死体剥ぎ? でもそうだとすると、死体まで持っていく理由がわかんねえよな」

「も、もしかしたら、誰かが教会までディグを運んでくれたんじゃないかしら」

「だとしたらあの血の跡が気になるけど……とにかく、一度街に戻ろう。ルーシアは僕と教会に照会に。タロスはカイルを部屋まで運んでおいてくれないか。ガッツリ魔法が効いてるから、たぶん明日まで起きないと思う」


 タロスと呼ばれた戦士は、ドワーフによく見られる仏頂面をさらに不機嫌にさせながらカイルを担ぎ上げた。

 


 サリヤナ正教会からの回答は、やはり「該当者なし」だった。死体の安置室にも入れてもらい、実際に自分たちの目で確認したのだから間違いない。

 今にも泣きそうなルーシアに代わって、司教のダウが、不可解な死体の消失について教会の司祭に報告していた。司祭は新米冒険者の話にも真摯に対応し、教会所属の巡回部隊にも捜索させると約束してくれた。ともかく今できることは全てやった。まずは休息をとり、ディグを探すのは明日以降になるだろう。


「きっと見つかるよ」


気休めとはわかっていながら、ダウはルーシアにそう言うしかなかった。




 

 

 タロス、ダウ、ルーシアの三人は、翌日再び迷宮に潜っていた。昨夜宿屋に運び込まれたカイルは、早朝のうちに部屋から姿を消していた。


「たぶん一人でディグを探しに行ったんだと思うけど……どうする、タロス」

「もう知らん」


 タロスの返事はあっさりしたものだった。


「勝手すぎる。正直もう面倒みきれんよ」


 迷宮の受付広場で、二つ前に並んでいるパーティの中に昨日までの仲間だった魔術師の姿を見つけたが、こちらも向こうも何も言わなかった。

 迷宮に入ると、三人はことさら注意深く進んだ。何せ昨日から戦力は半分に減っている。少しのヘマで、今度は自分たちが死体になるかもしれないのだ。昨日歩いた道も、初めて歩く場所であるかのように慎重に進んでいた。


「ウワアアアアアアッッ‼︎」


 ディグの死体が消えた場所まであと曲がり角一つというところまで来た時、三人の耳に悲鳴が飛び込んできた。しかもこの声、間違いない、カイルだ。さっきまでの慎重さをかなぐり捨てて、タロスを先頭に角を曲がった時、そこにいたのはゾンビに襲われているカイルだった。


「……そんな!」


 三人が息を呑んだのは、カイルがゾンビに襲われていることではなく、そのゾンビの首から上がないことでもなく、そのゾンビがディグの装備を着ていた為だった。



 迷宮ではたとえ仲間を弔う為でも、死体を地面に埋めてはいけない、と訓練校ではそれこそ耳にタコができるほど注意される。

 迷宮の魔力をたっぷり吸った土の中に死体を埋めると、早ければ一日と経たずに、その死体がアンデッド化するからだ。



 首のないディグの死体が、カイルに縋り付いて押し倒す。そのまま死体にのしかかられても、カイルは仲間の死体に向かって剣を抜くことすらできないでいた。ただただ頭のない死体に向かって叫び続ける。


「ディグ! オレだ、カイルだ! 何があったんだ!」 


 タロスの斧が、ディグの脇腹に深々と突き刺さる。タロスはそのまま斧を強引に振り抜き、首なし死体をカイルの上から弾き飛ばした。 


「しっかりしろ、カイル」

「タロス……ディグになんてことするんだよ!」


 まだ現実を見ることができないでいるカイルにタロスが叫ぶ。


「いいか、よく見ろ! あれはもうディグじゃない、ゾンビだ。アンデッドだ!」


 首をなくし、脇腹から内臓をはみ出させたゾンビがふらつきながら立ち上がる。その手が、地面にあいた穴から何かを拾い上げた。


「……ディグの……頭だ」


 ダウが呻くように言う。ゾンビに持ち上げられたディグの顔が、閉じていた目をカッと見開き、聞いたことのない、しかしやはり間違いないディグの声で唸るように吠えた。ダウの後ろで、静かにルーシアが気を失った。

 ゾンビがディグの頭を高く掲げ、そのままタロスに叩きつけんと振り下ろす。その腕をタロスが斧の柄で受け止めた。タロスの頭のすぐ上で、ディグの頭が恨めしそうにタロスを睨んでいる。


「タロス、ちょっとだけ持ちこたえてくれ! 『魂の道を総べし──』」


 ダウが急いで聖句を唱える。アンデッドとなった魂を天に還す、解呪の術。


「『──安らかに天に還れ!』」高らかに宣言したダウの手から、眩い光が放たれる。その光を浴びたディグの表情が、見る間に穏やかなものに変わっていった。


「み、 みん な……」 


 かつてのディグの声が帰ってきた。天に昇るまでの僅かな間、ゾンビではなくディグとしてここにいるのだ。


「ディグ……! 誰がお前にこんな事を?」


 ゾンビの体から青白い光が滲み出し、迷宮の天井を突き抜けて消えていった。魂があるべき道に還ったのだ。

 その直前、ディグが最期に残した言葉を三人は確かに聞いた。


「サムライ」と。

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