かがみうつし
細井消我
第1話『地獄旅行 01』
歩けば歩くほどに足取りは重く、吸う息は気管を焼き、吐く息には血の味と臭いが混じる。顔を上げ、周りを見渡せば赤とも黒ともとれる酸化した肉のような地面が地平線へと消え、空は厚い雲に覆われて薄灰色の世界を作っている。空気中には耳を塞いでも聞こえてくる阿鼻叫喚が充満し、そして蒸しかえるように熱く、魚のハラワタを連想する悪臭が鼻孔に入り込む。
そんな絶望的な情報を、ご丁寧にも五感が伝えてくれる。
ただ、それでも僕の歩みが止まることはない。今すぐにでもこの場に倒れこんで休みたい気持ちはとめどなく溢れているのだが、その感情すらも覆われてしまうほどに歩けと信念のようなものが訴えかけてくる。いや、信念よりも義務と表現するのがふさわしい程に、この歩みは止めてはいけない感覚が襲う。決して、僕自身が歩けと思っているわけではなく、第三者の命令を受けた感覚なのだ。
だから義務。
義務を破れば罰せられる。誰に?――わからない。
そんな自問自答を繰り返し、今も尚、腐肉のような地面を眺めながら前へと重い足を動かし進む。
さっきから何時間歩いているのだろうか、不思議と体力の限界を感じない。精神面は何かの拍子で崩れ落ちそうなほどに疲弊しているのにも関わらずだ。自分自身が何処へ向かっているのかも分かりもしないまま精神だけをすり減らしながら、地面を眺めて前へ進む。
ふと、その地面の景色が変わった。赤黒い腐肉のような地面に境界が生まれ、水のようなものが視界の上部に映りこむ。
顔を上げると、果てしなく続く大きな湖があった。
歩いた時間すらも分からぬまま蒸しかえるような暑さの中歩き続けたのだ。いざ液体を前にすれば自身の喉の渇きにも気づく。決して澄んだ色とは言えないが、そこら辺の池よりかは不純物も浮いていない飲めそうな水であることは確かだった。
即座に両の手で受け皿を作り、水をすくい上げようとした。
手首まで深々と水面に浸し、その水の温度を味わった。残念なことに冷えた水とは程遠く、大気温と変わらない熱さだったが、水分には変わりはない。すり減った精神も潤す気持ちで意気揚々とすくい上げた水を自身の口元まで運んだ。
途端、口に入ってきたのは先ほどから吸い込んでいる生臭く蒸し暑い空気だけだった。
すくった水の行方を確かめるべく、自身の手に視線を落とした。
――無かった。
無かったというのは、すくい上げたはずの水ではない。自身の両手のことである。手首から先が綺麗に消え去っていた。手首の断面から血肉が見え、熱湯に入れられた氷の如く解け落ちたように綺麗さっぱり両手がない。
水面に視線を戻すと、手を入れた場所を中心に鮮やかな赤色が広がっていた。
目の当たりにした訳の分からない現状に、遅れて痛みがやってくる。
「――――!」
声が出ない。
痛みを表現する声が出せない。
代わりに、口内から飛沫となって血が舞い上がり、同時に喉の激痛に気が付いてしまった。
声にならない、音にならない叫びを出しながらその場に悶え苦しみ蹲る。咄嗟に痛みの発生元である喉を抑えようと両の手を喉元まで持ってくる。
ない。
自分で自信を慰める事すらもできない絶望的な現状は精神を崩れ落とすのには十分だった。
地獄のようなひと時だ。
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