悪人暴食

綾部まと

孤独とカレーライス

春の暮れだというのに、裏切るように寒い雨が覆う一日。残り物のカレーライスを遅い昼飯として摂っていると、ふと将来訪れるだろう、孤独が体に染み渡った。


今でこそ「1人の時間が欲しい」とシッターさんにお金を払うように、孤独が贅沢品と化しているのだが、将来は全く逆転するのであろう。実家の両親が新幹線のお金を払って、はるばる孫に会いに来てくれているのと、姿と自分が重なる。


幸せとは空中に漂う蜜のようなもので、吸ったら消えてしまう。日常から幸せを掬い上げようと試みても、目に見えない。一方で不幸は分かりやすく、そこらで待ち構えており、油断するとすぐ餌食になってしまう。幸せは、行くあてもなく歩いている時に嗅いだ金木犀の香りのように、唐突に訪れる。


三人目の産後、何の気まぐれか初めて夫が保育園のお迎えに行き、四時半頃、家に帰ってきたことがあった。普段は私が迎えに行っており、大人一人に対して子ども三人で夕刻は過ごすのだが、大人二人に対して子供三人を見る時間とはこんなに楽なのかと、驚愕した。結局、いつも余裕がないのだろう。


母親は、育児と家事だけやって居れば良いのではない。それは男性が思い描く理想像であり、女性をやわらかい綿でじわじわと縛る。母親にも連絡を取るべき友人がいて、ぼーっと思いを巡らす時間が必要で、ちょっとした人には言えない趣味を楽しむ時間も必要なのだ。これらを一切遮断して、家事と育児だけに幸せを見出そうとすると、きっとしんどい。なんとかそうして乗り切ったとしても、将来若い母親をとっ捕まえて「お前も苦労すべき」といったように、昨今よく話題に上がる「俺も昔は残業ばっかりしてたから、お前も頑張るべき」と自分のかけられた呪いを永若い世代にもかけ続ける、迷惑な上司のような存在になりかねない。


それにしても、1人の時間を確保するのは手間も金もかかる。そんな手間も金もかけて、疲れて1人の時間を確保するくらいなら、赤子の耳くそや鼻くそが取れて達成感を覚えるといったように、幸せの閾値を下げる方が簡単なので、そうすることにする。平日の昼間から赤ん坊と布団にくるまり、張り詰めた寒気を顔で感じながら、外に出なくてもいい幸運を噛み締めるのもおすすめである。


最近、もうすぐ5歳になる長男は、公園で母親とでなく友達と遊ぶようになった。こうやって親から離れていく姿を片目で見つつ、片目はまだ手のかかる生後3ヶ月の次女を捉える日々である。その間を、2歳の長女が駆け抜ける。美味しくも不味くもないカレーライスをたいらげると、ふと、早く大人になってくれと思いつつも、今この瞬間が永遠に続けばいいのにと、逆説的な願いが浮かぶのだった。

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