第11話 姉姫
愁陽は一気に変わった周囲の気を視線で読みながら、地図をゆっくりと懐に戻す。
先ほどまでとは違う武人の気を身に纏い、全身、指先まで緊張させると、静かに腰に下げた剣の柄にそっと手を添えた。
マルも主人の様子にすべてを理解し、素早く緊張とともに身構える。
「マルっ!来るぞ!」
愁陽の鋭い声と瞬時にシュンッと抜いた剣の音が重なった。次の瞬間。
木立の中から何かがギラリと光りを反射させながら、二人に向かって放たれた。
見えぬ速さで飛んできたそれを、愁陽は剣で素早く打ち払う。鋭い金属音とともに光を反射させてまっすぐにマルの鼻先をかすめ飛び、彼の背後の大木にダンッと、ものすごい音を立てて深々と突き刺さった。
マルの大きく丸い目が、零れ落ちそうなくらい見開かれて一層丸くなる。
恐る恐る自分の背の大木を振り返ると、ギリギリのところでさっき避けたすぐ後ろの幹に、小刀が突き刺さり鈍く光りを放っていた。
「しゅ、しゅ、しゅうようさまぁ~」
思わず涙声になる。けれど自分も将軍に仕える身。
マルも脇に下げていた剣を抜き両手に構えた。
ちょっとばかし主人の背に隠れながら。
さわっと生ぬるい風が吹き抜けるのを合図に、次の瞬間、容赦なく次々と目の前の木立から小刀が続けざまに放たれた。
それを愁陽が身を翻しながら、確実に次々と剣で打ち払っていく。
トスッ、トスッ、トス―ッ
愁陽が打ち払ったそれらは容赦ない音を立てて、すべてマルの足元の地面へ次々と突き刺さっていく。
お蔭でマルは、前方の敵から飛んでくるより、主人の剣から飛んでくる小刀に脚を突き刺されないようにするほうが大変だった。
まるで小躍りしてるかのように、必死に避ける。
絶対、あとで文句言ってやる!心の中で強く叫んだ。
そして、飛んでくる小刀が切れた、次の瞬間。
ズサァァァーーーーーーーッ
大きな葉音を立てて、いきよいよく二人の目の前の大きな木の枝から、首を吊った女が落ちてぶら下がった。
「うぎゃあああああああああ~~~~っ!!!で、で、でたああああ~~~!!!」
マルは山神の使いの一族らしからぬ素っ頓狂な声を上げると、数十センチ飛び上がり、派手に後ろに転んで尻もちをついた。
日頃あまり驚いたりしない愁陽も、さすがにウッと小さく息をのんだ。
そこにはどこかの姫君らしい、絶世の美女であっただろう美しい姿の女。
長く背に垂れてつややかに流れる髪は美しい漆黒で、鮮やかな紅色の上質な衣の裾がひらりと宙に揺れる。それが、生々しくさえ感じる。
まるで、まだ生きているかのように美しい。
冷ややかな眼差しで凝視していた愁陽が、静かにつぶやいた。
「……姉さん……」
「っ、……え?」
いま、我が主はなんと言った?
マルはぎょっとして、愁陽のほうを見た。
今、目の前に首を吊るこの美しい女は、愁陽の姉姫だと言ったのではないか?
肩越しに僅かに見える主の横顔は、いつもよりさらに冷たくも見える。
「愁、陽さ、ま……いま、なんと?」
口の中が乾いて、うまく言葉が出てこない。
静かに冷たい空気が流れていくような気がした。
マルはなんとか、ふらふらと立ち上がった。
愁陽は片方の眉を僅かにあげ、伏し目がちに小さく息を吐くと俯いた。
「姉さん……」
「……もう、いいでしょう」
「はい?」
マルが聞き間違えたのか、弟である愁陽がショックで何か口走ったのかと、もう一度マルが主に問いかけようと口を開いた瞬間、それまで項垂れていた女の首が、急にブンッと勢いよく振り上がり、その大きな両の眼をカアァッと見開いた。
「っう、うわああああああああああああ~っ!!目がっ、目がっ、目があ~~~、開いてるぅ~~~」
マルは驚きのあまり腰が抜けて、本日二回目の尻もちを思いっきりついた。その隣りで愁陽は冷静に言う。
「落ち着け、マル。よく見ろ、首は絞まっていない」
あ…………
マルがこわごわ首つり女をもう一度見上げてみると、確かに首元の縄部分は、不自然に自身の手で持たれていて、首には全く縄も食い込んでいない。
「ほんとだ、首、吊ってない」
気の強そうな切れ長の目が二人を見下ろす。
「なあんだ。バレてたの」
派手な顔立ちの美人に似合う、凛とした艶やかな女の声。
愁陽はあからさまに溜息をついた。
その顔はいつもの涼しげな表情を通り越して、見るものを凍りつかせるような気すら感じさせる。
「大体、姉さんの考えそうなことくらい、見え見えですよ」
「まあ、相変わらず面白みのない男ね」
姉はその美しい顔を歪ませて、心底嫌そうに答える。
「ありがとうございます」
弟である愁陽も相変わらずすました顔で答えながら、背後の木にぐさりと突き刺さった小刀をグッと抜く。
「ふん、誰も褒めていやしないわよ」
姉は弟に向かって憎たらしそうに言うと、愁陽は小刀を手に振り返りとても爽やかに微笑んだ。
「いいんですよ、姉さん。そのままの格好のあなたを残して、私たちは今すぐ下山しても」
「うっ」
彼女の足は、地上より50センチばかり高いところで、ぶらぶら揺れている。衣と同じく綺麗な真っ赤な靴を履いた先の細い爪先を、どんなにぴょこぴょこ延ばしてみても地面にまったく届かない。てか、50センチでは届くわけがない。
「ちょっとぉ、それは困るわ。あんたが下ろさなきゃ、誰が下ろすのよ!」
「さあ、熊?」
「喰われるわっ!あんた、そんなことしてごらんなさい。死んで化けて出てやるから!」
「化けて出てこないで下さい。そんな暇人ではありませんから」
愁陽は涼しい顔してそう言うと、手にした小刀を姉姫の頭上にある紐めがけてシュッと音を立てて投げた。
吊るした紐はプツッと切れ、姉姫は無事転ぶことなくとトンッと地面に着地した。
愁陽に負けず劣らず姫君とは思えないくらいの運動神経の持ち主らしい。
不自然な体勢でいたから少し肩が凝ったのか彼女は首と肩をぐるっと回すと、首にかかった紐を外しながら弟へ礼のかわりに言う。
「私だって、あんたみたいなひねくれた奴のところに、化けて出てやるなんて厭よ」
「それは良かったです」
愁陽はまだそこいらに突き刺さっている残りの小刀を抜き集めて、姉姫に手渡してやる。
「はあ~、まったく。これのどこが仙人の修行ですか?」
「仙人っ!?」
「失礼なっ。いかに印象的な登場をしようか、日夜考え努力しているのよ」
「こんな山奥で、どうして印象的な登場を考える必要があるのです?」
「こんな山奥だからこそ、たまの訪問客をいかにして歓迎するかが問題なのよ。」
マルは絶句した。何なんだ!?この
そして、これが歓迎だったんだ……あり得ないし(泣)
もう、何かといろいろおかしい。
混乱するマルをよそに、へんてこな姉弟のバトルはなおも続いている。
「この辺にいると言えば、目つきの悪い鹿か食欲旺盛な熊。たまに人間がきたと思えば、あんただし」
「悪かったですね。そんな危険な場所なら、さっさと下山したらどうです?」
腕組をしてスラリと立つ愁陽と、それに向き合う形で立つ彼女も、同じくらいの背丈がある。
少し結い上げた漆黒の髪の残りは背に艶やかに長く垂らし、鮮やかな紅色の衣が彼女の華やかな雰囲気によく似合っている。
愁陽もかなり整った顔立ちをしているが、姉姫はまた迫力のある美人だ。
そんな姉と弟が二人並んで立つ光景は、こんな山奥には眩しいくらいに華やかすぎてまったくの不釣り合いだ。
それにしても……
と、マルは思う。
この
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます