第33話 覚悟と名捨て(1)

きゅっ、きゅっ。と、雪を踏みしめる音が静かな森に響く。

わたしはローブを引き寄せながら、深く降り積もった雪を掻き分けるように歩を進めた。

雪が止んでいて良かった。でなければ、きっと歩けやしなかっただろう。

焦る気持ちを鎮めるように一歩一歩を踏み出しながら、わたしは数日前のお父様たちとの話し合いを思い出していた。


犯罪者の一族である事。アールヴの血が、わたしたち人間に危険を及ぼす可能性がある事。

王家として彼を保護するには、これらの問題点があった。

そこでわたしが考え付いたのが、『名捨て』だ。

「わたくしは、ディウラートに『名捨て』をさせたいと思います」

わたしの言葉に、驚きと少しの恐怖の表情で顔を引くつらせたお父様は、こめかみを押さえた。

「私の聞き間違えか?其方はディウラートを助けたいのであろう?何故、そこで『名捨て』が出てくる」

『名捨て』とはこの国で極刑とされてい刑罰であるが、何もディウラートをその刑に処すという話ではない。

「その説明をする前に、うかがいたい事がございます。今ある問題点を全て解決することが出来た時には、ディウラートを養子として王家に迎え入れる可能性は、お考えですか?」

お父様を、じっと見詰める。

わたしの言葉を受け、お父様たちは難しい表情で顔をつき合わせ、話はじめた。

養子として王家に迎え入れるということは、ディウラートがこのエルランス王国の王子になることを意味している。

お母様と手を取り合い、その時を待つ。

話し合いが終わると、お父様は静かに頷いた。

「養子に迎える可能性はある。いや、前向きに検討したい。ディウラートにそれだけの価値があるのだと、其方が証明してくれたからな。それに何より、あれほど辛い境遇にあった子だ。守ってやりたいと思うのが、子を持つ親の性だろう」

お父様に続き、宰相と騎士団長も意見を述べる。

「ディウラート様は優秀な方ですし、養子として申し分ありません。本当に問題点を解決できるのでしたら、私は賛成です」

「勿論、私も同じ意見です」

三人の言葉に、わたしは勇気付けられる思いがした。

そこで、本格的にわたしの考えを話し始める。

「先ず、犯罪者一族であるという問題ですが、これは簡単に解決できます。王弟一家の罪は公になっておらず、知っている者もごく一部。その上、貴族裁判で正式に判決が下らなければ罪人とは言えませんが、その貴族裁判もまだです。つまり、正式な罪人となる前に、ディウラートを養子として迎え入れてしまえばいいのです」

成る程、と、皆が納得の表情を見せる。

「しかし、何故養子にこだわるのだ?たんに保護するよりも、ずっと難しいはずだ」

訝しむお父様の言葉に、わたしは思わず視線を落とした。

「ディウラートに、犯罪者を縛る手枷の腕輪がはめられていることは、お伝えしましたよね?」

「ああ」

お父様が頷く。

「腕輪は、つけた人間にしか外せません。つまり、ディウラートに腕輪をつけた当人であるウォルリーカが腕輪を外さずに死ねば、二度と外れなくなるのです。けれど一つだけ、他の方法があります」

あっ、という顔をして、やっと解せたとお父様は表情を明るくした。

「成る程。養子となり名を変える必要があったのか!腕輪で縛れるのは、『ディウラート・ヴィデーン』のみ。名が変わってしまえば腕輪は外れる」

「その通りですわ!」

考えが理解された嬉しさに、わたしは何度も頷いた。一つ目の問題点が解決したのだ。

けれど、皆が気になっているのはやはり『名捨て』のことらしい。

先を促され、わたしは再び話し始めた。

「アールヴの血が人間にとって害となるかに関してですが、それを明らかにするために『名捨て』を使います」

「どうするのだ?」

お父様が興味をそそられたように、やや前のめりの体勢をとる。

わたしは前置きとして、そもそもの『名捨て』について語った。

『名捨て』とはその名の通り、名前を捨てる行為を指す。別名、生ける亡霊だ。

名を捨てると、他の人々の目に映らなくなり、存在を認識されなくなる。実態のない、霊のようになるのだ。

そして、名捨て人たちは命を絶つことを許されず、永遠の時を孤独に生きなければならない。

ただ、例外がある。

名捨て人には、主がつくことがあるのだ。

主がつけば、その主となった人物にのみ認識され、主の命が尽きるとき、共に死ぬことができる。死という救いがあるのだ。

その変わり、生きている間は魔力を主に捧げ続けなければならないのだが、永遠にさ迷い続けるよりも幾らも楽だという。

どちらにしても、想像もつかない苦しみが伴うのだ。

だからこそ『名捨て』は、この国の極刑となっている恐ろしい魔術なのだ。

「『名捨て』は死よりも恐れられるもの。この『名捨て』を、ディウラートに持ち掛けるのです」

自分で言っておきながら、恐怖に震え上がりそうだ。

皆も同じようで、最前線で戦うことも多い騎士団長ですら顔色を失っている。

「それは、どういう意味でしょうか?」

恐る恐るといった様子で、宰相が聞いてくる。

わたしは、なるべく伝わりやすいように言葉を選びつつ話した。

「アールヴの血が危険か否か。つまり、ディウラートは危険な人物でなく、アールヴの特別な力を持っていたとしても、それを無闇に使わないと証明できればいいのですよね?」

皆が肯定するのを確認し、再び話す。

「ディウラートが危険でないことを示すための『名捨て』なのです。彼の腕輪を外す方法を先ほど示しましたが、実は名を捨てても腕輪は外れます。なので、ディウラートにこう持ち掛けるのです。“腕輪を外すために『名捨て』をして欲しい。そのかわり、わたしが貴方の主となる“と」

ディウラートがそれを承諾するとはかぎらない。

けれど、『名捨て』でなければならない理由がある。

数百年前まで、『名捨て』は刑罰ではない別の用途でも用いられていた。

主への絶対忠誠を誓うためだ。

主へ魔力を捧げ、実体がなく主にのみその存在を認識されることから、時には諜報員として動く。

そんな人々も、かつては居たという。

「ディウラートに本当の『名捨て』をさせるつもりはありません。『名捨て』と偽り養子縁組の用紙にサインをさせることで、ディウラートのわたしへの忠誠心を……王女マリエラへの忠誠心を確かめるのです」

「王女様を主として『名捨て』を行うことは、つまりこの国への忠誠を誓ったも同然ということですね……!」

宰相は興奮したように声をあげた。

その通り。わたしの狙いはそれなのだ。

「マリエラ」

「はい。お父様」

お父様の声に背筋を伸ばすと、お父様は僅かに目を細めてわたしを見詰めた。

「その方法で、やってみなさい。他のことは気にせずとも良い。……無事成功することを祈っている」

その言葉を聞いた瞬間、歓喜に体が震えた。

その後、細かな打ち合わせをしたわたしは、ディウラートに手紙を送り、会う約束を取り付けた。

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