第17話 久々の訪問(3)
彼が受け入れてくれたという事実だけで、わたしの心は簡単に軽くなった。
「少し待っていてね」
わたしは紙に事情を単決に書きつけると、魔術道具を取り出す。
鳥のようで鳥ではない、両翼だけを持つ魔術道具にその紙をくくりつけ、魔力を込めながら空へ放つ。
「エマへ」
魔術道具はまもなく城で留守を任せているエマへ届き、今度は解毒薬を提げて帰ってくるだろう。
この魔術道具は、伝言や言伝を書いた手紙や、小さな荷を運ぶのに重宝されるものだ。
解毒薬も、もしものために常備してあるので、さほど時間はかからないだろう。
森の外で待っているリュークが解毒薬は持っていれば早かったのだが、もっと強い毒に対するものしか持っていない。
わたしは、ディウラート用の様々な解毒薬や薬を持ち運ぼうと、密かに決めた。
「あ、もう戻ってきたわ」
予想より早く戻ってきた魔術道具に、エマが急いで用意してくれたことがわかる。
ディウラートは、わたしの手にとまった魔術道具が提げている小瓶をまじまじと見詰めた。
『それを、飲むのか?』
少し、いや相当不気味な色をしているその液体を、わたしもディウラートと共に見る。
確かに、進んで飲みたい色ではない。
「大丈夫。味は少し不味いけれど、効き目は確かよ」
わたしが言うと、ディウラートは胡乱げにこちらを見てくる。完全に信じていない顔だ。
「ほら、早く飲んでしまって。鼻をつまめば平気よ」
促すと、ディウラートは鼻をつまんでぐいっと飲み干した。
途端、顔を引きつらせたディウラートは、酷い顔をして口元を押さえた。
この薬は、苦酸っぱい独特な味がする。とてもではないが、飲めた味ではない。
わたしがすかさず水を渡すと、ディウラートはこれでもかと水を飲んで、ようやく落ち着いた。
『不味すぎる』
顔をしかめて不平をもらすディウラートに、わたしは少しだけほっとして、笑い声を漏らす。
徐々にいつもの彼に戻ってきている。
「薬を飲んでから、何か変化はあった?」
この薬は、即効性があるものだ。ほとんどの場合は直ぐに症状が引き、声も戻る。
既に効き目が現れていないかと問えば、ディウラートは目を見張ってこちらを見た。
『口内の痺れと痛みが無くなっている』
「うん。喉の腫れも、少しましになっているわね」
ディウラートの口内を診て、わたしも頷く。
どうやら、解毒はぎりぎりのところで間に合ったようだ。間に合わなければ、これらの症状が引くことはない。
ただ、だからといって声が戻るとは限らない。戻るにしても、もう少し時間がかかるだろう。
『このまま順調に、声も戻るだろうか?』
そわそわと不安げにたずねられ、わたしは言葉に詰まった。
「……まだ、わからないわ。けれど、きっと戻るわよ」
彼が命よりも大切だと言った歌声。
もしここで失うことになれば、今後の彼はどうなってしまうのだろうか。
わたしは、一抹の不安を感じる。
気遣う言葉をかけて、解毒薬を用意して。
ディウラートを心配する心に嘘はないけれど、もしかすると、これは自己満足しているだけなのではと思えてきたのだ。
彼の心をさらに傷付けたのではと、胸がざわつく。
『諦めはついているんだ。戻らなくても、マリーが気にすることではない。希望をくれただけでも、嬉しかった』
ふと、ディウラートがそんなことを書いた。
わたしは、心の中を見透かされたようで、どきりとする。
ディウラートが気丈に振る舞っている姿は、見ていて痛々しい。
先程のように感情をあらわにしてくれている方が、いくらもよかったと思ってしまう。
彼が両手を強く握り締め、祈るように空を仰ぐ。
その瞳が潤み、泣くまいと必死に瞬いているのを、見てしまった。
どんどんと重く沈んでいく気持ちを誤魔化すように、わたしは魔術道具を取り出して、再度薬を届けてもらうことにした。
「傷薬も用意するわね。痛み止も付けておくわ」
忙しく手紙を書いて魔術道具にくくりつける。そうしていると、少しは気持ちが落ち着いてくる。
何往復もしながら魔術道具が運んでくる薬を、わたしは丁寧に確認する。
薬は処方を間違えると、逆に身体を害してしまう。
次に会える十日後までの間、ディウラートが困らないように注意書きも書いておく。
わたしがそうして作業を続けていると、ふいに何かが微かに聞こえたような気がした。
気のせいかと気に止めなかったが、それは徐々に大きくなり、わたしは驚いて振り返った。
「……あ、ぁう。あぁあ。………ぁあ!!」
「ディウラート……?」
ディウラートが、唇を震わせながらこちらを見ていた。わたしは、息をのんで立ち上がる。
「あぁ……マ、リ……。マ……マリー!」
「ディウラート……声が、出ているの?声が、戻ったのね!?」
「あ、ああ。声が、出る……!声、が……戻ったん、だ!」
話しにくそうにつかえながら、掠れた声がそう言った。
瞳いっぱいにたまった涙が、ディウラートの頬を伝い落ちる。流れる涙は太陽の光を浴びて煌めき、まるで宝石のようだ。
いつも無表情な彼は、今日一日で本当に沢山の表情を見せてくれた。
だが、そのほとんどが恐怖や拒絶といった負の感情だった。
だからそこ、この涙が悲しみの涙ではないことが、わたしにはとても嬉しいのだ。
「マリー……。マリー、マリー!」
「良かった!ディウラート、本当に良かったわ!」
泣きながらわたしの名前を呼ぶ様子に、わたしは思わず駆け寄る。
座っているディウラートの前に膝立ちになり、彼を思い切り抱き締めた。
嬉しさのあまりぎゅっと力を込めると、想像よりはるかに細く華奢な肢体が硬直したのがわかった。
不思議に思って抱きしめたディウラートを見下ろすが、彼の顔はわたしの胸にうまっていて見えない。
「ディウラート、どうかしたの?大丈夫?」
ディウラートの頭を抱いていた手の力を抜き、髪をとかしながら頭を撫でる。
すると、うまっていた顔を上げて、ディウラートがこちらを見上げた。
涙は引っ込んでしまったようで、かわりに口をはくはくと動かし、おかしな顔をしている。
首を傾げるわたしに、今度は顔を真っ赤にしたディウラートが慌てた様子で怒鳴る。
「なっ……!は、放せマリー!早く放せ、何を考えている!?」
じたばたと暴れるディウラートに、わたしは仕方なく腕の力を抜いて解放する。
ディウラートは肩で息をしながら、こちらを睨んで凄んだ。
明らかに動揺している彼は、珍しくて面白い。
「何って、抱擁よ。抱きしめていたの」
「何のために?」
「そんなの、決まっているじゃない。声が戻った喜びを分かち合うためよ。他に何があるの?」
「……」
ディウラートは、訳がわからないと言わんばかりにこちらを見やって、わたしから距離を置く。
わたしはその行動にむっとして、ディウラートを睨んだ。
「何故逃げるの?声が戻ったのは、わたしのお陰でしょう?少しぐらい好きなようにさせてくれたっていいじゃない。お礼がわりだと思って、ほら」
両手をひろげておいでと招くと、ディウラートはさらに後ずさってわたしから離れた。
解せない。
「……れ、礼ならする。だから、それは止めてくれ」
どこか切実に言うディウラートに、わたしはため息をついた。
「仕方ないわね、わかったわ。止めるから、こちらへ戻って来て」
ディウラートは、おそるおそるこちらへ戻ってきた。
そんなに嫌だったのだろうか?少し悲しい。
「それで?他にどんなお礼をしてくれるの?」
「歌を……。マリーが取り戻してくれた歌を、礼に歌う」
わたしは驚いて、けれどとても嬉しくて彼の手を取った。
「まあ!本当に?嬉しいわ。貴方の歌、聞いてみたい」
すると、ディウラートは互いの両手を重ね合わせるようにして、わたしの手を優しく包み込んでくれた。
「マリー、礼を言う。声を、歌を取り戻してくれてありがとう。私の何よりも大切なものを守ってくれて、本当にありがとう」
「ううん、良いのよ。わたしがしたくてしたのだもの」
ほんの少し声を震わせて、真剣な表情でディウラートは礼をのべる。
それが何だか照れ臭くて、わたしははにかんでその言葉を受け取った。
「母上が、本当に聞いてほしいと思う人に歌を捧げる時には、こうして手を重ねるといいと、そう言っていたんだ。私は今、初めて私の歌を誰かに聞いてもらいたいと感じている。マリー、私の歌を、礼を受け取ってくれるか?」
「勿論よ」
わたしは頷いて、彼を見る。沸き上がる思いに、胸が熱くなっていく。
わたしは、彼が大切だ。昨日それに気が付き、今日確かな確信を持って実感した想い。
この想いを、余さずディウラートに伝えたい。
絶望と痛みに震え怯えるディウラートの心に、小さくてもいい、希望の灯火を、わたしのこの手で灯してあげたい。
そしていつか必ずここから救いだし、王弟一家を糾弾する。
ディウラートはわたしの言葉に応えるように息を深く吸って吐き出し、僅かに口角を上げた。
わたしは、また初めて見るディウラートの表情に出会い、思わず見とれた。
そんなわたしの耳に柔らかな旋律が滑り込み、心地よく鼓膜を震わす。
霞の森に迷い込む
あの影は誰?
揺れる灯火惑わせて
誘うは妖精の歌声
歌が魅せるは 夢か?幻か?
彼の心のままに歌へ
重ねたるは掌
悠久の誓いの証
旋律にのせる言の葉は
光と成り
千代の未来を誰彼と行く
息をのむ。
紡がれる一音一音が、とても尊いもののように感じ、わたしは聞き逃すまいと耳を傾けた。
優しく、心の洗われるような不思議な歌だ。彼の声はどこまでも澄んでいて、とても穏やかな表情で歌っている。
その全てを記憶に刻み付けようと、わたしは全神経を集中させた。
すると、瞳を閉じ歌い続けるディウラートの身体が、仄かに光を纏いはじめた。
わたしははっとして、重ねた手が光と熱を帯始めたことにも気が付く。
ディウラートは、気付いているのかいないのか、なおも歌い続ける。
だが、光と熱が徐々に増えていくとさすがのディウラートも目を開いて、驚いたように手元を凝視した。
けれど彼には手を放す気も歌を止める気もないようで、そのまま歌い続ける。
わたしも特に不快に感じることはないので、何もせず、ただこの幻想的な歌と光景に身を委ねた。
やがて手元に集まった光は光の筋を描き出し、重ねた手をするりとなぞる。
ほっとするような温かさが手の甲に触れ、わたしは目を見張る。
触れたところが光と熱を持って、何か紋様のような、魔術印らしきものを浮かびあがらせた。
ディウラートの手の甲にも、同じものが浮かびあがる。
光は、ディウラートが歌い終わると同時に徐々に弱まり、やがて消えてしまった。
けれど、互いの手の甲に残った光の印だけは、消えていない。
「ディウラート、これは?」
「私にも、何が起こったのかわからない。一人で歌うときには、こんな風になったことなど一度もないんだ」
呆然としたように手を見つめるディウラートの様子から、本当に彼にもわからないのだと伝わる。
「一体、何なのかしら?」
互いに、手の甲に浮かんだ印を見比べる。
全く同じ形をした印がくっきりと光り浮かんでいる。
だが、手を放すとゆっくりと消えていった。
色々と試した結果、自分の魔力を手に集めたり、互いに魔力を込めながら触れあっても、光の印は再び浮かびあがるようだとわかった。
その他にも、やはりディウラートが歌うと、再び印は浮かびあがる。
わたしたちは首を傾げ、ああでもないこうでもないと話し合う。
けれど結局、印の正体は分からずじまいだった。
魔力を手に集め、わたしは印を観察する。これは一体何なのだろうか。
すると突然、ある記憶が脳裏を過った。
わたしは、ある可能性を見いだし、息を詰める。
ディウラートに言おうかと考え、止める。きちんと調べて確認するまでは、誰にも言うまい。
心の中に秘めておこうと決心し、わたしは印の浮かぶ手を胸に抱いた。
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