第二話 チャンツエンジンと魔法少女
某県の海沿いに面する某村。酒井中佐の目的地、『有岡研究所』はその村の外れにあった。全体が傾き、いまにも潰れてしまいそうな事務所と、サビで穴だらけになったトタンで囲われた工場がある。工場の上にはかすれた文字で『所究研岡有』と書かれていた。
「車で待っいてくれ」
車を運転していた丹波大尉に待っているように伝え、酒井中佐は事務所へと向かった。雑草だらけの細道を通り、簡素な扉のノブに手をかけ、ゆっくりと回した。
「ごめんください…」
薄暗い事務所の中は、山のように積まれた本や資料が漂わせるカビ臭と、タバコの匂いで酷い有様だった。タバコを嗜まない彼は思わず鼻を抑えた。
「誰じゃ、金を貸した覚えはないはずじゃぞ」
山の中からムクリと起き上がる人影があった。白髪の頭髪や口髭はボサボサで、油まみれの白衣を着ている老人。有岡研究所所長、有岡安治郎その人だった。
「違いますよ。海軍の酒井中佐です」
「なんじゃ、おぬしか。まったく紛らわしいのう。それで、今日は何の用じゃ?」
「あなたが提出した新型機関の資料を見て来たんです。ぜひともどんなものか見学したく思いまして」
「あー、『
有岡は頭の後ろをポリポリと掻きながら立ち上がると、酒井を連れて隣の工場へと向かった。薄暗い工場内は、何に使うかもわからない機械や作りかけの”発明品”が所狭しと並んでいた。その工場の一角に、事務所とは別の部屋があるのに気づいた。
「ここじゃ」
そう言って有岡所長は部屋の扉を開けた。中は電気が灯って明るく、ガラクタだらけの工場内とは違って非常に綺麗だった。中にはひと組の椅子と机が置かれ、そこには。
「女の子…?」
一人の少女が座っていた。真っ白な服に真っ白な髪、そして真っ白な肌を持つ少女だった。彼女は椅子に座り、何かの本を読んでいる。その外観はアジア人でも、欧米人でもない独特な雰囲気であったが、見とれてしまうほどの美しさがあった。なぜこんな少女がここにいるのだろうか?ひょっとして所長の孫か何かなのか?
「あの、有岡所長?私は新型機関を見に来たんですよ。女の子に会いに来たんじゃありません。というか、この子誰ですか?」
「実はな、この少女こそが新型機関『チャンツエンジン』の心臓部なのじゃ」
「…はい?」
何を言っているのか、酒井は分からなかった。帝大で理工学を学んだ彼にしても、少女が機関の心臓部になるなんて聞いたことがなかったからだ。
「信じていないようじゃな。まあ、無理もないじゃろう」
「所長、冗談は結構ですから早く機関をですね…」
「冗談ではない。ではその証拠を見せてやろう。ミーア、行くぞ」
「…うん…」
ミーア、と呼ばれたその少女は、小さな声で返事をすると本を閉じ、部屋を出てゆく。その後を二人がゆっくりと歩きながら追う。有岡所長は不意に切り出した。
「酒井よ、おぬし魔法という存在は信じておるか?」
「な、なんですか急に。魔法なんて、我々技術者にとては水と油の存在です。あんな非科学的なものは信じませんよ」
その答えに有岡所長は「そうかそうか」と満足した様子だった。一体なんなんだこのジジイは。
少女ミーアを追ってたどり着いたのは、工場のすぐ裏であった。そこには何やらパイプやチェーンがむき出しになった機械と、こちらにも一人の少女が立っていた。その少女は短髪の黒髪で、所長と同じ油まみれの白衣を着ている。
「彩乃、酒井中佐が来よった。『チャンツエンジン』を見たいのだそうじゃ。動かせるか?」
「うん、大丈夫よ。じいちゃん」
彩乃、という少女は、酒井に気づくと小さくお辞儀をし、酒井もそれに返した。
「彩乃はワシの孫なんじゃよ、今年で14になるのじゃが、なかなかのべっぴんじゃろう?」
「そ、そうですね…」
まだ14歳だというのに、彼女は慣れた手つきでスパナを使い、機械の調節を始めた。その横ではあのミーアが様子を伺っている。
「それなら、あのミーアという子は誰なんですか?見た所お孫さんには見えませんが」
「それはワシにもよく分からんのじゃ」
「わ、分からない?」
「知り合いから預かっておるのじゃが、その人曰く”家の前で捨てられていた”そうじゃ」
「それじゃあ、捨て子ってことですか?」
「そうかもしれんのう」
所長も納得していない様子だった。どちらにしても、ミーアのことはよくわかっていないのだ。しかし、なぜあの子が”機関の心臓部”になるのだろうか?そうこうしているうちに、所長の孫の彩乃さんがこちらに来た。
「準備できたわ」
「よし、では早速動かすのじゃ」
「うん!」
元気の良い返事をすると、機械の方へ戻ってゆく。彼女は実に楽しそうな様子で側面の操作盤を動かし、スイッチを入れた。すると機械は「ゴゴゴ…」という弱々しい音共に始動した。機械は回転を始める。しかしどう見てもその動きは自動車のエンジンよりも遅い。
ある意味予想通りだった。やはり、ここの発明品なんてあてにするんじゃなかったと後悔し始める。しかし所長は余裕の様子だ。
「酒井よ、よく見ておれ」
機械の前にあの少女、ミーアが立っていた。彼女はおもむろに、その透き通るような白い腕を機械にかざす。すると。
「っ!」
酒井の前に、信じられない光景が現れた。ミーアの真下から青白い光が現れ始めたのだ!瞬く間に彼女と彩乃さんと機械を包み込んでしまう。そして機械は「キュイーン!!!」という甲高い音を上げ、猛スピードで動き始めた。馬力を示すメーターは、潜水艦に必要な数値を遥かに超えていた。そして、その甲高い音もすぐに収まり、やがて無音になってしまったのだ。
酒井は思わず叫んだ。
「これは!」
「すごいじゃろう。何と言っても、この『チャンツエンジン』はミーアの”魔法力”で動いているからのう」
「ま、魔法力?まさか、あの青白い光が!?」
「その通りじゃ。ミーアは魔法を使う少女なのじゃ。ワシも知ったときは驚いたものじゃよ」
「魔法…まさか本当に存在したのか…」
酒井はあっけに取られるばかりであった。少女ミーアは機械には一切触れることなく、その青白い光だけで確かに動かしていた。目をいくらこすっても、それは幻などではなかった。
「彩乃よ、調子の方はどうじゃ?」
「絶好調よ!どこにも問題ないわ。ミーア、そっちはどうかしら?」
「…問題ない…」
この高出力にこの静寂性。これを使えば、要求通りの性能…下手をすればそれ以上のものができるかもしれない。
「『チャンツエンジン』…これは、とんでもない事になるぞ」
酒井は機械に近づいてゆく、こんな素晴らしい機械を、もっと近くで見たかったからだ。もう少し、もう少し近く!接近する彼はついに、青白い光の中に足を踏み入れた。しかしその瞬間。
「うお!な、なんだ!」
踏み入れた瞬間、青白い光は一瞬で消滅し、同時に機械も完全に停止してしまった。
「一体、何が起きたんですか?」
困惑する酒井中佐に、有岡所長は落ち着いた様子で語った。
「実はのう、それが『チャンツエンジン』の最大の欠点なのじゃ」
「欠点?」
「うむ、欠点じゃ。今おぬしは、ミーアの出す光の中に入ったじゃろ。この光の中にはな、十代の女性しか入るこのができぬ」
「じゅ、十代の女性…それじゃあ、この機関を搭載した艦には!」
「そうじゃ。十代の女性にしか乗ることができぬのじゃ」
酒井は有岡所長に「またすぐに来ます」と言って研究所を後にした。一刻も早く、この新型機関、『チャンツエンジン』の情報を報告しなければならない。車に戻った彼は、丹波大尉にすぐに東京へ帰るよう指示した。
「酒井中佐、何かいい情報が手に入りましたか?」
「情報どころじゃない。とんでもない成果だ。まあ、少し問題もあるのだがな…」
それは他でもなく、この機関を十代の女性にしか扱えないという所だ。これが解決できなければ、新型潜水艦には女性が乗ることになってしまう。
彼は車の中でそのことを考えていた。すると彼の耳に、どこか聞き覚えのある声が聞こえて来るのだった。
「これは…丹波、止めてくれ!」
彼は叫ぶと、驚く丹波大尉をよそに車の中から飛び出した。そしてその声の元へと走る。それは歌声だった。何語とも言えない、そもそも言葉なのかもわからない。でもそれは、確かに歌声だった。彼はそのまま、研究所近くの浜辺まで走って行った。
「やはり、あの声は」
白く輝く砂浜に、少女は立っていた。あの純白の少女ミーアだ。歌声は小さくも、はっきりとミーアの口元から奏でられている。
「中佐、あの少女は一体…」
後を追って来た丹波大尉の声がした。酒井は振り返ることなく、丹波にこう言った。
「彼女は…魔法を操る少女であり、我々の切り札だ!」
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