第9話 選択
わたしの中にはアイドルになりたいという表面上の心理と相反する、アイドルになることを拒む深層心理があると伊達さんは断言した。
なにゆえアイドルになることを拒むのか。その原因を特定し、克服しなければ、なりたいのになりたくないという自己矛盾を解決できないだろう。
そして、そのような気持ちを持ったままトップアイドルを目指そうなんて、芸能界を舐めるにもほどがある。このままだと適性がないと見なされ、契約前に脱落という可能性だってありえるのだ。
わたしの話を聞き終えたユウナさんは、「何が原因かなんて、そんなの分かりきっているじゃない」と断定気味に言った。何を今更、といった調子だ。
「だいたいさ。あたしに相談する前に、カスミ自身も気づいているんでしょ?」
「そ、それは……」
ユウナさんの視線を受け、あたふたしたわたしはうつむくしかなかった。わたしが抱える自己矛盾の原因。ユウナさんの言うとおり、そんなもの、とっくに分かっている。
「初恋の彼、だよね」
わたしはうつむいたまま、首を縦に振った。
柊瑞季くん。
彼を見ていると、胸が温かくなる。
幼稚園のころからずっと気になる存在だった。
小中学校で辛い目に遭ったとき、いつも心の中で彼を思い出していた。
路上ライブをしている彼を見かけたとき、嬉しくて涙がこぼれそうになった。
そして、アイドルになるという自信を失いかけたとき、弾き語りで歌う彼の姿が心の支えになっていた。
彼を見るたびに、彼の歌を聴くたびに、大きくなっていくこの感情。
「好きなんです。わたし、彼のことが」
止められない想いを、とうとう言葉にしてしまった。そうすると、堰を切ったように押さえていた気持ちがあふれ出してきた。
「最初は、話なんてできなくてもいいと思っていた。彼がわたしのことなんて覚えているわけがないし、ひきこもりのわたしが話しかけても気味悪がられるだけだと思ったし。
でも彼をきっかけにアイドルの夢を追いかけていくうちに、どんどん欲が出てきて。審査を通過するたびに、彼に話しかけてもいいんじゃないか、彼と仲良くなれるんじゃないかって思うようになって。でも話しかける勇気はまったくなくって」
瑞季くんを想う気持ちは日に日に増していった。そしてその感情を、アイドルを目指すモチベーションに還元した。約束を守り、アイドルになった自分を彼に見て欲しい。その一心で頑張ることができた。
「アイドルを目指す間にも、彼と仲良くなったら何したいだろうって、ずっと考えていたんです。
もうひたすら妄想してました。自転車に二人乗りをしたり、二人で映画館で映画を観たり。カフェで同じ飲み物を二人で飲んで、お気に入りの本を貸し借りして、水族館でデートして。
男の人と付き合ったことなんてないから、ありきたりな状況の妄想しかできませんが。でも……」
彼とそのような関係になれることを願い、日夜努力した。その結果、
「本当にアイドルになってしまった、ということか」
ユウナさんは、さも悪い結果になったかのような言い方で、わたしの心の内を表現してくれた。
「わたしの考えが甘かったんです。アイドルになっても、友人として彼と話ができたり、仲良くできたりする関係性が、例え表立ってじゃなくても築けるんじゃないかって、勝手にそう思っちゃったんです。よくよく考えたら、そんなことできるはずもないのに」
「アイドルたるもの、恋人はファン全員であり、特定の異性とお付き合いしてはならない、なんてね。確かに、推しのアイドルが初恋の彼と密会デートなんてしてたら、誰だってファン辞めるわ。裏切りもここに極まれり、だよね。
だからこそ、今回のオーディションだって『恋愛・スキャンダル禁止』を大きく
「わたし、どうしたらいいんでしょうか。このまま中途半端な気持ちでアイドルの契約を結んでしまっていいのでしょうか、それとも迷惑を掛ける前に、自分から辞退するべきなんでしょうか」
「ちょ、ちょっと待って、カスミ。思考が飛躍しすぎだって。もっと冷静に考えないと。そうだな……」
目の前に置かれたスパゲッティをフォークでくるくる巻きながら、ユウナさんは考えをまとめているようだ。
「もし初恋の彼に会いたい気持ちを押し込めて、アイドルの契約を結んだとしたらどうなるかって考えたら、伊達プロデューサーの『気がかりを残すと、アイドル活動に集中できなくなってしまう』という忠告を無視したことになっちゃうから得策じゃないよね。
でも、アイドル契約を辞退するとなると、誰もがうらやむ奇跡的なチャンスを逃すこともだけど、初恋の彼との約束を破る結果になることを考えたら、これもまた得策とは言えない。じゃあ、どうするかなんだけど――」
フォークに巻いていたスパゲッティがどんどん大きくなっていく中、カスミがふとつぶやいた。
「伊達P、他に何か言ってたよね。この一ヶ月の間にどうのこうのとかってやつ」
「それは、『この一ヶ月の間に、思い残すことがないようにしなさい』ですね。気がかりを解消してから契約して欲しいって意味だと思いますけど」
「なるほど、そうか。そうだよね」
うんうんと頷くユウナさんは、わたしに質問をしてきた。
「この場合、大事なのはさ、カスミが最も優先するものが何かを明確にすることだと思うんだよ。
例えばアイドルになることが最優先なのか、それとも初恋の彼と仲良くなることが最優先なのかってことだけど。カスミはどっちを選びたいの?」
今度はわたしが考える番だ。でも検討にそれほど時間はかからなかった。わたしだって馬鹿ではない。どっちかと聞かれたら、答えは明確にある。
「それはアイドルになることだと思います。きっかけは彼との約束ですけど、もともと歌手に憧れていましたし、アイドルになるチャンスなんてそう何回もあるわけない。もしこのチャンスを逃したらもう二度とアイドルなんてなれないと思うので、それを考えれば、最優先はアイドルになることです」
「ま、そうだよね。二万人のオーディションから選ばれたのはたったの七人。その一人になれたのに、そのチャンスを捨てる人はいないよね。なら簡単な話だよ」
ユウナさんはスパゲッティが絡みついたフォークをこちらに向けた。
「カスミはアイドルになることを選べば良い。それですべてが解決する」
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