第25話 お前は誰だ

 話を終えた悠は、自嘲気味に笑った。


「ミック……」

「〈赤線〉の自警団の一人だよ」

「染井正化は〈赤線〉社長だったな?」

「そうだ」


 アレクは、箸で摘まんだチャーシューを口に運ぶ。よく噛んで飲み下すと、グラスを煽って空にして一息ついた。


「染井は何か知ってそうだな。……なあ、なぜ俺に電話をした?」

「俺が生きてることを、真っ先に君に報告したかった」

「もっと他にいたんじゃないのか?」

「……紫苑か」


 悠の口から彼女の名を聞くと、不思議と懐かしさがこみ上げてきた。実兄の声だから当たり前なのだろうが、その響きがアレクの胸中に、あの頃のくすぐったい心地を呼び起こしてくれる。


「好きだったんだろ?」と悠は笑った。

「え?」

「紫苑のこと」

「……紫苑を、か?」

「そうだよ」


 癖毛の少女は、十年前は幼子だろう。


「死んだのは、あの子だよな。俺、彼女が好きだった」

「あの子って?」

「お前の妹じゃないか」

「じゃあやっぱり、紫苑だ」


 アレクは、釈然としないまま、グラスにビール瓶を傾けた。


「他に、聞きたいことがある。菊本可奈のことを教えて欲しい。彼女はどういう経緯でプランテッドになったんだ?」

「ああ。……哀れな子だった。実は、吉祥寺に住む彼氏が一か月前に捜索願を出していたんだ。それで警察が調べたことだが……。

 菊本可奈は将来有望の体操選手で、大学の体操部に所属していた。

 ところが、前の大会での大怪我がきっかけで部活に顔を出さなくなり、精神的にも弱ったそうだ。彼氏は菊本可奈を慰めていたそうで、彼女はそのうち彼の家に住むようになったんだ。

 初めは、問題なく過ごしていたようだが、彼氏は菊本可奈の愚痴に付き合うのがしんどくなって、やがて口論が増えた。

 彼氏が暴力を振るうようになり、菊本可奈は彼の家から逃げだした。彼女が夜の吉祥寺を徘徊していたら〈赤線〉に捕まり、プランテッドにされた」

「菊本可奈の元の身体は?」

「冷凍保存、あるいは……粉砕機による抹消だ。十年前の虐殺のようにな」


 人間ジュース、あるいはミンチ。後に知ったことだ。余りにも残酷な話で、アレクは初めて聞いてから暫くの間、食事が喉を通らなかった。


「菊本可奈の件は氷山の一角に過ぎない。まあ、それももうどうでもいいことだがな」

「……いま、何て言った?」


 聞き捨てならなかった。


「どうでもいいと言ったんんだ。それに付け加えると、状況が変わりそうなんだ」

「変わる?」

「染井正化は、プランテッドは失敗作だと思っている。だから、人格移植とは違う方向性で、限りなく人間に近いロボットを作ろうと考えているんだ。恐らくそのときになれば、プランテッドに関係する全てが抹消される」

「どういうことだ?」

「だからさ、冷凍睡眠されている人間も、施設も、プランテッド全ても、粉砕機にかけられると言ってるんだ。梗治。ここまで来てくれたことには感謝する。だがもういい。悲劇は、染井正化自身の手で終わるんだ。君はこのまま、地元に帰っていいんだよ」


 悠はどこか威圧的であった。

 帰れという言葉を、アレクはここに来てから何度も聞いてきた。

 聞き飽きた言葉だった。


「さ、もう一本いこう」

 

 悠が、店の外回りをする少年と目を合わせて人差し指を立てた。彼はもう一本ですね、と答えると瓶を取りに店の後ろに行った。

 アレクのズボンの右ポケットが振動した。アレクは悠に断りを入れて、席を立った。


「悪い」

「ああ」


 アレクは店の外に出た。携帯端末の画面に触れてから耳に当てる。


「……もしもし」 

『どこにいるの? ご飯もうすぐだよ』


 スピーカー越しの言葉にアレクは後頭部を掻いた。折笠紫苑の澄んだ声だった。


「行かなきゃダメか?」

『来ないの?』

「そう言ってもな……」


 席に振り返ると、悠が二本目の瓶を傾けていた。一応、悠との話は済んでいる。あとは他愛ない話と共にラーメンを啜るだけだった。アレクは行列を見て、仕方ない、と呟いた。


「分かった。十分で帰る」

『待ってるね』


 アレクが店内に戻るなり、悠は店主に「すいません、ラーメン」と言いかけたが、アレクは椅子に座らずに千円札を置いた。


「大将、悪いね。急用が出来ちまって。ラーメンはこいつの分だけでいいよ」

「あいよ。次はラーメンも食べてってくださいよ」


 そこに、悠が口を挟んだ。


「大将。こいつ今度、彼女連れて来るってさ」

「おい」


 からかわれたアレクを、店主と悠が笑った。収まると、アレクはそっと言った。


「お前、変わったな。まるで別人みたいだ」


 悠の据わった目から、笑みが消えた。


「誰だ、お前」


 その問いに、悠は応えなかった。誰かに連絡するらしく、携帯端末を取り出していた。

 アレクが店の引き戸を開ける。店主と奥さんの「またどうぞ」という張り上げた声が、小さな地下街に響く。

 アレクの横を、黄色い雨合羽を羽織った幼子が走っていった。奥さんの子だろうか、幼子はラーメン屋に入るなり「ママぁ!」と言って狭いところを飛び跳ねた。その後を追うように、学習塾のカバンを背負った小学生くらいの女の子が、水玉の傘を閉じて店に入っていった。


「……人間、だよな」


 アレクは後頭部を掻いて外に出た。


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