第2話 少女と少女

 マリアンネには魔女の友達とは別に、もう一人親友と呼べる存在が居た。エルミーラだ。

 彼女は海の見える街を統べるお父さまを持ち、マリアンネのお父さまとは学友だった。そんなつながりから、幼い頃は親同士にくっ付いて、今では自分たちの意思で互いの自宅に招いたり、ちょっとした外出に誘ったりしている。

 他の女の子たちとは馴染めないマリアンネも、エルミーラのことだけは信頼していたし、好きだった。

「あなたも大変ね、マリアンネ」

 マリアンネが両親や姉たちとのぶつかりについて話すと、エルミーラは眉尻を下げた。

 二人の間には首都から取り寄せた茶葉で淹れた紅茶と、エルミーラの家の職人が焼き上げたばかりの温かい菓子がある。マリアンネが甘い物嫌いなので、せめてもの心遣いとして添えてあるのは生クリームではなくサワークリームだ。

「エルミーラは私のことを分かってくれるのね。お父さまなんて、もう私に縁談を取り決めようとしてるのですって! きっと私に早く出て行って欲しいのよ」

「そんなことはないわよ。それに考えようによっては、結婚したほうがあなたは自由になれるんじゃなくて?」

 エルミーラは困ったようにとりなそうとする。彼女のことは好きだが、こういう時マリアンネは少し腹が立つ。エルミーラは決してマリアンネを不快にさせない。けれど何となく、本音を言われていない気もするからだ。

「冗談じゃないわ! エルミーラはお姉さまが居ないから分からないのよ。私のお姉さまたちなんて男の人にどう見られるかしか考えてないわ。あんな生き物になるなんて絶対に嫌!」

「でも、母親になるのはきっと嫌なことじゃないわ、マリアンネ」

 マリアンネは瞬きして相手を見つめた。今日のエルミーラはいつもと違う気がする。

「……本気で言っているの、エルミーラ?」

 訝しげに問うと、エルミーラは慌てて首を振った。

「ち、違うわ、私はただ、幸せな結婚もあるんじゃないかなって思っただけ……」

「本当に?」

 エルミーラは肩を落としたまま、答えなかった。

 マリアンネはふぅと息をつく。もやもやとした気持ちを紅茶で喉の奥に流し込んでしまおうと思ったのに、口の中に苦味が残っただけだった。



 その夜、マリアンネはこっそり屋敷を抜け出し、ヴィオラローゼを探して森へ入った。

 森の中では姿の見えない虫たちの音が耳障りなくらい鳴り響き、昼間以上に不気味だった。薄い寝間着姿のマリアンネに、夜の冷気が沁みてくる。

 ヴィオラローゼとはいつも、同じ場所で逢っている。目印は森に少しだけ入ったところにある、トウヒの倒木だ。

「ヴィオラローゼ、居ないの? ヴィオラローゼ!」

 呼びかけても、返事はない。魔女である彼女なら、いつでも現れてくれるのではないかと思っていたのに。そういえば夜の間、彼女は何をして過ごしているのだろう。もしかしたら隠れ家で薬でも作っているのだろうか? それとも、空を飛んで〝魔女の集会〟へ行ってしまったのかもしれない。

「ヴィオラローゼ……」

 消沈して、マリアンネはしぶしぶ屋敷へと戻って行った。



 それから三日間、森へは行かなかった。

 ヴィオラローゼと初めて出逢ってから、そんなにも逢わずに間を空けたのは初めてだ。本当はヴィオラローゼに逢いに行きたかった。けれどそうしなかったのは、一度くらいヴィオラローゼの方から逢いに来てはくれないだろうかと、少しだけ期待したからだ。

 なのに、ヴィオラローゼはちっとも姿を見せなかった。

 マリアンネは昼も夜も、彼女のことばかり考えていた。自分の部屋のバルコニーから森を眺めては目をこらし、そこに何の変化もないことにがっかりする。そんなことを一日のうちに何度もくり返すうち、だんだんとヴィオラローゼへの苛立ちが募り始めた。

 ヴィオラローゼは私が行かなくても平気なのだろうか。毎日訪ねていた私が姿を見せなくなって、気にはならないのだろうか。それならば彼女は、私を本当は邪魔に思っていたのではないのか。そんなことを疑い始めると、きりがなかった。

 ――私はこんなにも貴方のことを考えているのに……!

 森の魔女、ヴィオラローゼ。それとも彼女は、森の中でしか存在しない、幻なのだろうか……

 マリアンネは不安と焦燥に代わる代わる襲われながらも、彼女が居るはずの黒い森へ誰にも届かないまなざしを送り続けた。彼女と過ごしたこれまでの日々を、脳裡に描きながら――。

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