第十ニ章 タンポポロード
ぴっぴは国道をラインマーカーに乗りながら進んで行く。
ポコンポコンポコンポコン…ポコンポコンポコンポコン…
早歩き程度の速度でラインマーカーは穏やかに進み、通り過ぎた後には綿毛がホワホワと撒かれている。そうして大人しく土に埋まればよいが、大抵は風に乗ってそこらじゅうを自由に飛び交い舞い上がる。その様子を通勤中のサラリーマンや自転車に乗った人が怪訝な面持ちで追い抜く。
ポコンポコンポコンポコン…ポコンポコンポコンポコン…
小さい頃を思い出していた。
ポコンポコンポコンポコン…ポコンポコンポコンポコン…
二〇一六年二月十日。ぴっぴは居間で袖を縛ったトレーナーに、スポンジの切れ端を入れて遊んでいる。縁側から肌寒い二月の朝日が差し込んでいる。
「ぴっぴ、おかぁさん、ちょっと出掛けて来るから。」
母親の声で作業を辞め、ちょこちょこと声のする方へ向かう。母親はしゃがみ込み、ぴっぴの背丈に合わせると
「いい?三月になったらぴっぴは四歳になるのよ。」
そう告げた。ぴっぴは黙ってそれを聞くと再びトレーナーの方へ駈けて行き、スポンジを洋服に詰める。玄関では母親が扉を閉めた音がする。
翌日、ぴっぴが朝起きて居間に行くと三食分の食事と水筒に入った紅茶がテーブルの上に用意されている。
「カーサー!」
ぴっぴは母親が帰って来たと思い、家中を探しに行く。廊下を抜け母親の部屋の前まで来るとドアを押す。
「カーサー」
ドアノブに手が届かない。仕方がないのでドアの前にぐしゃりと座る。しばらく待ってみるも母親が出て来る気配はない。諦めて居間に戻り、椅子によじ上ると手を胸の前で合わせ
「イタンマス」
一人で朝食をとる。朝食を済ませるとおもちゃで遊ぶ事にした。ぴっぴは長方形の青い積み木をがぶりと噛む。口の中ではじはじと動かし取り出すと積み木を見つめ、次にぽいっと後ろに投げ捨てた。次に三角形の赤い積み木を持つと同じように噛んでは後ろに放り投げた。その後も積み木を散らかし夢中で遊んだ。
夕方になるとお腹がすいた。再びテーブルまで行き夕食の皿にかかっているラップを取り除く。そして隣にあった水筒から少なくなった紅茶をコップに注ぐ。
ポチャン!
傾けた水筒から固形物が飛び出した。ぴっぴは落ちたものを拾い上げる。グズグズに濡れたティーパックだ。目の高さまで持ち上げて袋を見つめ、それから持ち手部分の小さな紙を掴んだ。くるくると回るティーパックを見つめたまま椅子を降り、庭にある低い物干しに付いている洗濯バサミに挟んで乾かすことにした。
翌朝、今日も居間には食事が三食分用意されている。昨日散らかしたはずの積み木もきちんと片付いている。ぴっぴは今日こそはと再び母親の部屋の前に行く。
「カーサー」
今日も母親は居らず昨日同様一人で朝食をとる。夜になるとティーパックを洗濯バサミで昨日の隣に吊り下げた。そうして毎日同じ行動をくり返し、とうとう三月になった。三月になっても母親は帰って来ない。そしてぴっぴの誕生日、三月十日。ぴっぴはいつものように朝食を済ませると一人で人形遊びをしている。
トゥルルルル…トゥウルルルル…
突然、電話が鳴った。
トゥルルルル…トゥルルルル…
ぴっぴはびっくりして電話の元へ行く。
トゥルルルル…トゥウルルルル…
電話は長い間鳴り続けている。ぴっぴはじっと見つめていたが受話器を持つ。
「…。」
耳にも当てず、ただ持っている。すると
「ぴっぴ?元気にしてる?おかぁさんよ?」
母親の声だった。
「カーサー!」
ぴっぴは嬉しくて受話器を覗き込んだ。
「ぴっぴ、お誕生日おめでとう。元気そうでよかったわ。」
受話器を見つめるぴっぴ。母親はそれ以上話そうとしない。ぴっぴは母親の声が聞こえるのを今か今かと待ちわびている。
「…それじゃぁまた連絡するね。元気でね。」
そう言うと母親は電話を切った。
ツーツーツーツー…
ぴっぴは電話が切れた後もしばらくは受話器を持ち立っていた。夜、いつも通りティーパックを取り出すと庭に出て干そうとしていた。ところが庭の戸を少し開けると、振り返りおもちゃ箱へと向かった。おもちゃ箱の中をごそごそとあさると中から小さな箱を取り出した。クレヨンの箱だ。ぴっぴはティーパックを床に置くと、桃色のクレヨンで紙の部分を塗りつぶした。それからいつものように庭の洗濯バサミに干した。
三月十一日。いつものように朝食を終えると、ぴっぴは電話の前に座った。今日も母親から電話がかかってくるのを期待する。しかし夕方になっても電話はかかって来ない。ぴっぴは諦めて夕食を摂る事にした。
三月十五日。曇り空の朝、ぴっぴは今日も電話を待っている。昼になると庭の方で音がする。ぴっぴが行くと雨が降っていた。洗濯バサミをみると乾かしておいたティーパックが全て雨に濡れている。ぴっぴは慌てて洗濯バサミからティーパックを全て外し、洗面所から持って来たタオルに包んで拭いた。白いタオルは滲み出した紅茶の色で、茶褐色に染まっている。拭いたティーパックを見ると、桃色のクレヨンも拭き取られてしまっている。どれがどの日のものなのか、区別がつかない。ぴっぴはティーパックをじっと見つめる。
「…。」
そして全てのティーパックを鷲掴みにすると台所のテーブルまで行き、水筒の蓋を開けそれらを全て放り込んだ。次に水筒を逆さまにし、全てのティーパックをコップに投げ入れる。パックはコップから溢れ出し、机の上は水浸しになる。ぴっぴはそのぐちゃぐちゃの中から全てのティーパックを再度掻き集めて、タオルに包むと表面の水分を拭き取り、一つ一つに桃色のクレヨンで印を付ける。よれよれのティーパックの紙はちぎれたり袋から紅茶が飛び出したりして、印がうまくつけられないものがほとんどだった。それでもぴっぴは全てのティーパックに印をつけた。こうしてぴっぴは母親がいなくなってからの一月と五日の全ての日を一瞬で書き換え、毎日が四歳の誕生日になった。
翌日、ぴっぴは朝起きると颯爽とティーパックを水筒から取り出し、タオルで水分を拭き取ると桃色のクレヨンで印を付ける。そしてタオルの中でぐちゃぐちゃになった他のティーパックを四つ、小さな手でひと掴みにすると、新しいものと混ぜた。
「いち、にー、さん、しー、ごー。」
嬉しそうにティーパックを数える。今日はすでに五回も母親と会話をした。そうして十五年の月日が流れた。今日も居間で一人遊び母親からの電話を待っていると、縁側から猫がピョコリと入って来た。そして軽快に居間のテーブルに登ると、水筒の肩ひもを加えてずるずると引きずり庭から出て行ってしまった。
「あ、ぴっぴのすいとうかえしてください!」
庭に向かって叫び、母親のチューリップハットを被ると猫を追いかけ外に出た。ぴっぴは猫を探し走る。シロツメクサの丘まで来ると白い点々の中に蠢く狐色と栗色の縞模様が見える。
「みつけました。ぴっぴのすいとう、かえしてください!」
猫は水筒を土の中にしっかりと埋め込んでいる。
「こらー!」
ぴっぴが猫の側まで行くと慌てて逃げ出した。ぴっぴは一安心し、水筒を掘り起こそうと穴を掘る。穴は予想以上に深く、掘っている途中に疲れて座り込んだ。
「ふぁぁ…」
大きな欠伸をし、その場に寝転ぶとぐうぐうと眠り始める。
コ…ポコンポコン…ン
ラインマーカーが突然音を変え、ぴっぴは我にかえる。慌ててマーカーから降りると蓋を開けてみた。燃料が無くなっている。ぴっぴは背負っていた麻袋を降ろすとウォッカを注ぎ入れ、つり革型のコードを引っ張るとエンジンをかけた。
プスボロン!ボンゴボンゴボンゴボン…
「…?ちょっと…さっきとおとがちがうみたい…?」
ぴっぴは再びステップに乗ると国道を北へ北へと進んで行った。
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