第七部 第一章
第701話 任命式典
新帝都アルカディアの中心にある宮殿。
その中心にある謁見の間は、リグニア帝国皇帝が臣下に命を下す儀式、特に任免を下すために作られた空間だけあって、豪華に作られている。
千年以上も昔に建国された古い帝国だったが、近年の帝国領域の拡大、技術の進歩、特に鉄道の発達によりそれまでの旧帝都リグニアでは機能不十分として、二十年ほど前に新帝都としてアルカディアが建設された。
そのため、この宮殿はまだ比較的新しい。
それでいて歴史と伝統の長い帝国故に豪奢な装飾を、近年の国力飛躍もあって存分に重厚で威厳のある技巧を職人達がつぎ込んだために、新しくも趣のある建物に仕上がっている。
その出来映えは完成直後から帝国史上最高の建築物という評価を得たのも納得だった。
だが、宮殿はその広さに比して中の人間は少なかった。
主要な行事が無ければ大帝国の宮殿であろうとも人の動きは少ないのではないか、と思うのは当然だったが、大臣の任命式であるにも関わらず、人が少なかった。
任命式の時間になっても謁見の間に集まった人間は少なく、宰相と現職の大臣が数人、衛兵、儀典長、そして任命される大臣の数人だけだった。
任命される大臣が軽い役職というわけでは無かった。鉄道大臣というのは、ここ数年鉄道で発達したリグニアでは時に宰相にも並べられるほど高い役職であり、神聖視される程の役職である。
常ならば文武百官が謁見の間に詰めかけ、軍楽隊の演奏と共に盛大に行われる重要な儀式だった。
しかし、訳あっていまは数人のみが参加していた。
「皇帝陛下! 入場!」
扉が開くと先触れとして近衛隊長が入り宣言する。
ついで小柄な女性、皇帝であるユリアはトーガを纏い宝剣を腰に差して、玉座に向かう。
玉座に着くと、待機していた青年、新たに鉄道大臣に任命される二十歳にも満たない青年が、ユリアの前に出て行き、跪く。
その青年の前でユリアは儀典長から渡された紙を広げ読み上げた。
「余、リグニア帝国皇帝ユリアはここに宣言する。汝が帝国に幸いをもたらすと信じ、リグニア帝国皇帝の権能を持って汝カエサリオン・昭輝・コルネリウス・ルテティアヌス・アクスムヌスを鉄道大臣に任命する。リグニア帝国繁栄のため、全身全霊を以て職務にあたれ」
「ははっ、微力を尽くします」
テルは立ち上がると一歩前に出て再び頭を下げ、ユリアから任命状を受け取った。
「ううっ」
泣き声が聞こえてテルが再び頭を上げたとき、目に入ったのは泣き顔の母の顔だった。
「この日が来ることをどんなに待ち望んでいたことか」
「お母様、いや陛下、大げさです」
「いいえ、これで帝国は安泰です。出来ればこのまま宰相、摂政、皇太子も引き受けてくれるとうれしいのですが」
「さすがに無理です」
弱冠二十歳にも満たない年齢でそのような大役を兼任するのは恐れ多かった。
本音を言えば鉄道大臣の職でさえ過分に過ぎる、とテルは思っていた。
「いいえ、父親である昭弥の生き写しである、あなた、テル以外に務まる人などいません」
「だから買いかぶりです」
物心ついた頃から自分が凡人であることを見せつけられ続けた昭輝。
彼にとって、最近、特に二年前に父が亡くなってから、父親の後を継ぐのはテルだ、という評価を受けることは戸惑い以外の何物でもなかった。
それも鉄道だけでなく帝国の皇太子、事実上次の皇帝と見なされるなど、考えてもみたくない。
「本来ならこのような略式ではなく、文武百官を集めて盛大に任命式を行いたいのでずが……ううっ……」
最後は嗚咽となって聞き取れなくなった。
駆け寄ろうとする儀典長をテルは遮り、ユリアを支え、涙を拭いながら慰める。
「昨今の情勢を考えれば致し方合いません。私にはこれでも十分です」
大臣は親任官――皇帝が直接任命する官位のため任命式でも皇帝が赴くが一大臣では、文武百官はやり過ぎだ。
だが、この任命式は通常の場合に比べても小規模すぎた。
参加者が宰相と数人の大臣に侍従長というごく少数に限定されている。
「疫病が収まらない限り無理でしょう」
テルは帝国の現状を、天災だが鉄道によって被害が広がったこの前代未聞の出来事を思わずにはいられなかった。
呼吸器系に炎症を起こし肺炎をもたらし死に至らしめる疫病が帝国中で広がっていた。
致死率は低いが、感染力が高く、瞬時に他の人間に感染するためあっという間に広がった。
皮肉なことに、感染が短時間の内に帝国全土に広がったのは、帝国が史上希に見る、大発展の原動力となった鉄道によって素早く帝国中に、知らず知らずのうちに感染した者が乗車して移動したためだった。
感染エリアは急速に広まり、各地で都市封鎖が行われるに至った。
かつて帝国は疫病によって分裂した事があったが遠い昔の歴史の話であり、しかも状況は、より酷かった。
帝国中が同時に感染するなど初めての事であった。
鉄道によって広がったのは分かっていたが、止めることは出来なかった。発達した鉄道網は帝国の動脈であり、それを止めるなど帝国の死を意味する。
だが感染症を抑えなければ帝国は大ダメージを受ける。
このような時、解決できる人間は誰か、と考えた時、多くの人は昭弥を思い浮かべた。
しかし、昭弥は二年前に轢死体となって発見されこの世にいない。
だから、その遺児であり、最も似ていると言われている昭輝、通称テルに白羽の矢が立ったのだ。
だが、同時にこのような事態にならなければ、決して鉄道大臣などと言う職に就こうなどとは、テルは考えなかった。
いや、あのことが無ければ、こんな状況でもテルは大臣の職を受け入れなかっただろう。
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