act2-6-3
「あの高屋さん、この間のことなんですけど……」
田丸が購買部にジュースを買いに行ったのを見計らって、中沢が話しかけてきた。
「なに?」
わたしは身構える。思えば彼女は、わたしに用があって昼を共にしたのだろう。
先日、自分の親友にさんざん毒を吐いて、その顔を青くしたり赤くしたりしたことに対し、今さらながら謝罪のひとつも要求しようというのだろうか。まあ、なんてお友達想いですこと。さすがは他人を玩具に仕立て上げ、それを仲良く弄ぶことによって育まれた友情はものが違うわ。一人だけ仲間はずれにするのもかわいそうだから、あなたの顔色も変えてあげましょうか? 青、赤ときたから、今度は黄色がいいかしらね。信号機みたいで、まさに仲良しトリオって感じだね。
なんて意地の悪いことを考えていたところ、中沢は座った状態で深々と頭を下げた。
「あの時はご迷惑をおかけして、まことに申し訳ありませんでした」
突然の謝罪にわたしは虚を突かれた。返り討ちにしてやろうという意気込みは行き場をなくしてしまう。
こちらが反応しないと中沢はいつまでも頭を下げ続けていそうだったので、わたしは彼女にもう止めるよう促した。
「わたしは別に気にしちゃいないよ。まあ、せっかく昼寝していたところを邪魔されて、たしかに迷惑だったけどね」
「すみません」
「その上、自分たちの行為を正当化するような言葉をだらだら聞かせられたあげく、一緒に仲良くいじめに参加しましょうだなんて誘われたりしたんで、正直げんなりさせられたけどね」
「すみません……」
「あげくは女子B……お仲間のひとりに危うくぶたれそうにもなったしさ。ほんと、たまったもんじゃなかったよ」
「……本当に、すみませんでした」
どこまでも垂れていく中沢の頭。かわいそうだから、これ以上は勘弁してやることにしよう。
「あなたが謝罪するのはいいとして、お仲間二人はこないわけ?」
あの場面でほとんど発言していない中沢は迷惑度でいえば一番低かったわけで、謝るべきはむしろあの二人なのではと思うのだけど。
中沢は顔を上げて気まずそうに、
「宮村さんと吉永さんは自分が悪いとは思ってはいませんから。それどころか、わざわざ親切に忠告してあげたというのに、けんもほろろな対応をされたということで、むしろ高屋さんに憤慨しているようですし」
「でしょうね」
そう答えながら廊下側の席に目を向けると、女子Aと女子B(どっちが宮村で、どっちが吉永なのかわからないけど)が恨みがましい目でこちらを睨んでいた。たしかに中沢の言う通りであるようだ。まあ、あいつらに謝ってほしいかと言われれば、全然そんなことは望んじゃいないけどさ。
再び視線を中沢に戻す。
「あなたはお仲間の意に反するような真似をしてよかったの? そんな友達を裏切るようなことをしたら、いろいろとまずいんじゃない。例えばハブられるとかさ」
わたしの問いに、中沢しばし苦悶の表情を浮かべていたものの、
「いいんです」
と、わたしを昼に誘った時と同様の返事をした。どうも彼女は強い覚悟を持ってこの場に臨んでいるようだ。
その強い覚悟でもって、いったい何を始めるつもりなのかと思っていると――
「……わたしは弱い人間です」
弱々しいまでの自分語りだった。
「わたしは幼い頃から人の顔色ばかり窺うような人間でした。周りに自分を合わせることに汲々としている人間でした。たとえ自分ではこうだと考えているようなことでも、それが他の人たちの意見と異なっているのなら、当然のようにみんなの方に同調してしまうような人間でした。……そんな周囲に流されるばかりのわたしは、どうしようもないくらい弱い人間なんだと思います」
「はあ……」
突然そんな告白を聞かされても、わたしは困惑するばかりだった。
中沢が今の自分のありように思い悩んでいるのだということはわかったけど、でもなんでそれをわたしに聞かせようとするのだろう。わたしは悩みを相談するのに適した相手だとはとても思えないのだけど。
「わたしが知っているかぎり、高屋さんはいつもひとりでいるように見受けられます」
「まあ、そうだね」
「でも、そのことを全然苦にしているようには見えませんでした」
「〝苦〟どころか、むしろ〝楽〟だと思っているくらいだしね。」
「そんな高屋さんの姿を見て、常々思っていたんです。どうしてこの人はひとりでも平気なんだろう? ひとりは寂しくないんだろうか? 誰かと一緒にいなくて不安になったりはしないんだろうか?――って」
「……それってもしかして、わたしのことをぼっちでかわいそうだと同情したいわけ?」
もしや煽られているかと思ってそう尋ねたところ、
「ち、違います!」
反射的に大声を出してしまった中沢は、すぐさまはっと我に返り、風船がしぼむように小さくなってしまう。それでも消え入るような声で続ける。
「……違います。他の人がどう考えているのかは知りませんけど、わたしは同情とか哀れみなんかで高屋さんのことを見たりなんてしていません。むしろ、すごいなって思っているくらいなんです」
「すごい?」
「ええ。ひとりでも平気でいられる高屋さんは、本当に強い人なんだなって」
「強い、ねぇ……」
わたしがひとりでいることを〝かわいそう〟や〝哀れ〟だとか思うのならいざしらず、〝すごい〟とか〝強い〟だなんてポジティブな受け止められ方をする人がいるだなんて想像だにしなかった。
「そんな高屋さんの姿にわたしは憧れてしまいます。だってわたしは、高屋さんとはまったく正反対の人間ですから……」
唐突に始まった中沢の自分語りは、はやり唐突に終了した。
思うに、こいつはわたしのことを誤解しているのだろう。いつもひとりでいるわたしを、他人に迎合することのない、孤高を貫いている強い人間であるのだと勘違いしているに違いない。
バカバカしいにも程がある。わたしがいつもひとりでいるのは、単に他人と関わるのは煩わしいと思って避けているだけという、自分で言うのもなんだけど、非常に冴えない理由にすぎないのだから。だというのに、妙な買いかぶりをされたあげく、一方的に憧れなんか抱かれても、こちらとしては迷惑以外の何ものでもなかった。
これ以上妙な誤解をされてはかなわないと思い、訂正しようとしたわたしだったけど、中沢が発した「田丸さんのこともそうです」という発言によって、その機会を逸してしまった。
「いつのことだったか、自然とクラス全体で田丸さんを無視しようという雰囲気になって……。わたしとしてはそんなことはよくないと思いながらも、その空気に逆らえず黙って同調するしかなくて……。これもひとえに、わたしが周りにただただ流されるばかりの弱い人間だったからで……。もしわたしが高屋さんのように強い人間であったなら、己の意志に従って、そんな空気に逆らうもだってできたはずなのに……」
「いや、田丸のことに関しては、わたしも他の連中と大差ないからね」
なんせ、田丸がシカトされているのを知っていながら、そんなのは学校生活においてはよくあることだと達観した気になっていたくらいだし。
「でも、田丸さんに挨拶したじゃないですか」中沢は反論する。「あの日、高屋さんに声をかけてもらえたおかげで、田丸さんは救われたのではないでしょうか。田丸さんが高屋さんのことを敬愛するのも当然だと思います」
〝敬愛〟って、あんた……。言わんとしていることはわからないでもないけど、あいつの場合は〝なついてる〟という方がしっくりくるような気がするけどなぁ。
「わたしも、高屋さんのようにできればよかったのに……」
再びぐったり頭を垂れる中沢。見ている方も首が痛くなりそうだ。
そんな中沢の姿にどうしたものかと思っていたわたしは、ふと彼女の後方に視線を向けて言った。
「わたしが強いかどうかはさておくとして……同じようにしたいのであれば、今からでもやってみればいいじゃないの。ちょうど相手もいることだしさ」
その言葉にはっとして、中沢は後ろを向いた。その視界にはわたし同様、ジュースのパックを三つ抱えて立っている田丸の姿が映っていることだろう。
田丸は自分がいない間に妙な事態になっていることにきょとんとしていた。
対する中沢の表情はこれまでになくこわばっている。
きっと怖いのだろう。田丸がというよりは、田丸に関わることで周りの人間にどのように思われるかということが。そんな世間の意に反するような真似をしたら裏切り者認定され、次は自分がいじめられる側に回されかねない。自身が告白したとおり、それは中沢がもっとも恐れていることであるはずだから。
「田丸さん……」
震える声で田丸の名を呼んだ中沢は、やがて覚悟を決めたように自分の膝に頭をぶつけんばかりの勢いで頭を下げた。
「あなたのことを無視したりしてごめんなさい!」
ざわ……と教室の空気が揺らいだ。昼休み中ということもあり、人の数はさほど多くはなかったけど、中沢が田丸をシカトするという協定を破ったことはまたたくまにクラス中に知れ渡るはずだ。
けしかける形になったわたしも心中穏やかではなかった。まさか中沢がここまでやるとは思わなかったのだ。この行為によって彼女がクラスでの立ち位置がどうなってしまうのか、危惧せずにはいられない。
一番反応が薄かったのは、謝罪された当人であったかもしれない。田丸は相変わらずぼんやりした表情をしていたものの、
「ジュース買ってきたよー。高屋さんはコーヒー牛乳でいいんだよね」
何事もなかったかのように買ってきたジュースを配っていく。田丸はおごるよと言ったものの、わたしがパシリをさせたと思われてはたまらないので、ちゃんと自分の分のお金は支払った。
田丸は自分の席に腰を下ろすと、いちごミルクのパックにストローを差しておいしそうに飲み始める。
やがて頭を上げた中沢は今にも泣きそうな顔をしていた。自分がシカトした仕返しをされたと思っているのかもしれない。
だけど、田丸は最後まで中沢を無視したりはしなかった。
「わたしは、中沢さんは全然弱い人間なんかじゃないと思うけどな」
田丸がぽつりと言った言葉に、中沢は驚いたように頭を上げる。
「だって、高屋さんが今にも宮村さんにぶたれそうになっていたところを機転を利かせて助けたじゃないの。それって、勇気がいたんじゃないかな。弱い人にはとてもできないと思うよ」
ということは、女子Aの方が吉永なわけか。
「でもあれは、もともとこちらに問題があったわけですし……」
あの件に関してはわたしもその通りだよなと思ったけど、でもあえて中沢に伝えた。
「中沢さん、あの時は危ういところ助けてくれてありがとう」
「高屋さん……」
中沢は今にも泣き出しそうな表情になる。
そんなわたしたちの様子を見た田丸は、ぷくっと不機嫌そうに頬を膨らませて、
「本当はわたしが助けるつもりだったのになー」
「え?」
「宮村さんが高屋さんをぶとうとした瞬間、わたしは素早く自分の席を飛び出してその手を掴み、『やめなさい! わたしの友達に手を出すような真似は許さないよ!』って颯爽と宣言するつもりでいたんだよ。そうすれば高屋さんもわたしに、『ありがとう、あなたはわたしの命の恩人よ!』なんて感謝感激してくれたはずなのにさ」
「……いや、それはないから」
だいたい、あのときのあんたは自分の席でちぢこまっているばかりだったじゃないの。
「ごめんなさい。そうとは知らなくて……」と謝る中沢。
「お前も真に受けない!」
双方に突っ込みを入れなくてはならなくてわたしは大忙しだ。
田丸はジュースをひと吸いしてから、改まったように言った。
「正直なところ、中沢さんに謝られても、どうしたらいいのかわたしにはよくわからないんだよね。だって、中沢さんひとりに謝罪されたところで、今の状況がよくなるわけでもないんだしさ」」
「そうですね……」
たしかに、クラスのリーダー的な人間の行動ならいざ知らず、明らかに目立たない存在である中沢に倣って皆が考えを改めるとは到底思えなかった。
「でもね、中沢さんはちゃんと謝ってくれたし、それになにより高屋さんがぶたれそうになったところを助けてくれた。そんな中沢のことをわたしはとても嫌いにはなれそうにない。だからさ――」
田丸は中沢に手を差し出し、
「友達になろう。わたしたちってこれまでさして親しいわけではなかったけど、これからはちゃんとお話したりできるような関係になれたらいいな」
「田丸さん……」
「もし嫌ならいいんだけど……」
自分と関わり合いを持つことのデメリットを思い出し、田丸は躊躇したようだけど、中沢は彼女の手をぎゅっと握りしめ、
「わたしでよろしければ!」
ぼろぼろと涙をこぼしながらも、はっきり答えた。
「ありがとう」
田丸もここ何カ月忘れていた満面の笑みで応えた。
そんな二人の姿をわたしは温かな目で眺めていた。
これから二人の行く道は決して順風満帆とはいかないだろう。クラスの協定を破ったとして、二人揃ってハブられることになるかもしれない。そのことに耐えることができず、誓ったはずの友情にヒビが入る事態になるかもしれない。
それでも今は、二人の門出を祝福したい気持ちだった。
…………。
……わたし、この場にいる必要があるんだろうか?
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