第2話
「よ、おつかれさん」
オフィスの扉を開けると、大きなデスクの向こうに宗司が座っていた。柊は軽く頭を下げ、中へ入る。
相川宗司は、柊のバイトのオーナーだ。正しくは『レンタル恋人』サービスの会社を経営している。
まだ大学生だが片手間に始めた仕事が予想外に大きくなったため、法人化したらしい。柊は半年前に声を掛けられた。
『お前みたいな人畜無害そうな男が一番いいんだよ』
人畜無害と言われ、柊は苦笑する。何事にも興味を持てない無気力男への最大限の誉め言葉だと思った。
人付き合い、ましてや大嫌いな女を相手にするバイトなんて冗談じゃないと一度は断ったが、逆にいいストレス解消になっていると、今では感じている。
(時間外の付き合いを求めてくるのだけは勘弁してほしいけどな……。優しくすればすぐ勘違いする、バカばっかだよ、女なんて)
応接用のソファに身を投げるように座り込むと、宗司が苦笑しながらコーヒーを淹れて持ってきてくれた。
「なんだ、まだ若いもんが疲れた顔して」
「若いもんて……宗司さんだって変わらないじゃないですか」
コーヒーを受け取りながら、柊も呆れて言い返す。高校で一緒だったことは無いが、OBだった宗司はまだ大学三年だ。
「俺はいいんだよ、学業と事業を両立してるからな。疲れて当然だ」
「じゃあ俺だって同じですよ。なんですか、昨日のあの客は」
つい客の悪口が出てきてしまう。しかし相手は宗司だ。客は無論、他の人間の前では絶対に口にしない自信が柊にはある。バイトのことを誰にも言っていないから話せないというのもあるが。
「なんだ、搾り取られたか」
コーヒーに口を付けながらニヤリと笑う。宗司のそんな意地悪げな表情が、実は柊は一番好きだった。
「搾り……って、まあ、疲れました」
「そりゃお疲れさん。まああまりああいう依頼はお前には入れないから、たまには頑張ってくれ」
渋々柊も頷き、まだ熱いコーヒーカップを両手で包み込んだ。
「で……、次の予定は?」
「ああ、これだ。よろしくな」
A4サイズの紙が渡される。柊は受け取り、スマホで写真に撮ってから原本を返す。紙のまま持ち歩いて万が一どこかへ落としたりしないための用心だった。
今日の用事はこれだけだった。
「いつも言いますけど、これ、メールかメッセで送ってくれれば大丈夫ですよ?」
スマホを仕舞いながら宗司へそう言うと、笑いながら否定された。
「俺がお前の顔見たいんだよ。味気ないこと言うな」
柊はたまに考えることがある。
自分の女嫌いは理由があることだから恐らく治ることはない。
でもかといって同性愛にも興味はない。宗司は男として格好いいと思うが、そういう目線で見たことはない。当然向こうもそうだと思うが。
(相手が男とか女とか、そういう問題じゃないんだよな)
他人は持っていて、自分にはごっそり抜け落ちているものを自覚するたび、また息をするのが面倒に感じた。
「じゃ、お邪魔しました」
そう言うと、既にデスクへ戻っていた宗司が軽く手を上げて見送ってくれた。柊は鞄を抱え直し、オフィスを出た。
◇◆◇
「おっそーい! どこ行ってたの?」
自宅に帰ると、玄関に楓が仁王立ちしていた。
「なんでいるんだよ……」
「いいじゃん、昔からしょっちゅう来てるんだし。で、どこ行ってたのよ」
「お前に関係ない」
柊は途端に疲労を感じて、楓を押しのけて自室へ向かう。が、当然のように楓も後ろから付いてきた。
彼女を無視したまま着替えを始める。それでも出て行く気配はない。全く、赤ん坊の頃から知っている幼馴染というの皆こんなに遠慮がないのだろうかと柊は呆れる。
「バイト?」
ポロリと漏れた楓の言葉に、柊は全身を強張らせた。
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