第25話 人魚姫のウエディングケーキ
その夜、りんごおじさんはおじいちゃんに電話をしていた。おばあちゃんがお風呂に入っている間に、こっそりとだ。
「父さん。母さんがすっごく怒ってますよ。謝らないと帰らないって」
「家でも雷さんのように怒っとったからな。くわばらくわばら」
「ふざけてる場合じゃないですよ。早く、母さんを迎えに来てあげてください」
りんごおじさんがめずらしくキツめの声を出すと、おじいちゃんは「実は……」と、弱った声を出した。
「実はな、結婚記念日を忘れたフリをしとったんだ。ばあさんをびっくりさせようと思って、そのぅ……、サプライズプレゼントを用意していて」
「えっ⁈ 父さんがサプライズですか?」
「慣れんことはするもんじゃないな。すっとぼけている間に、ばあさんは怒って出て行ってしまった」
「ははは……。そうだったんですか」
りんごおじさんは、力が抜けたように笑っている。ましろも、それを横で聞きながら、思わずプッと吹き出してしまう。
なあんだ。おじいちゃん、結婚記念日を忘れてたわけじゃなかったんだ。
「そんなこと言われても、ただ謝るだけで許してくれる気がせんぞ」
「せめて、きちんと結婚記念日をお祝いし直したらどうですか? 僕のお店を使ってくれていいですから」
ましろは、りんごおじさんとおじいちゃんの電話での会話に聞き耳を立てながら、ふむふむとうなずいていた。
確かに、《りんごの木》で結婚記念日をお祝いするのはいいかもしれない。おばあちゃんの好きなハイカラな料理を出せば、きっと機嫌もよくなる気がする。
でも、りんごおじさんの作るおいしいディナーでたちまち仲直り……できるかなぁ。
昼間、あれほど怒っていたおばあちゃんが、そんな簡単におじいちゃんを許すかどうかは分からない。「それとこれとは別よ!」と、美味しい食事を食べて、またこのマンションに帰って来てしまいそうで怖い。
もっと、おばあちゃんが感激するような仲直りじゃないと……。
その時、テレビに結婚式場のCMが流れた。純白のウエディングドレスの花嫁さんと、同じく純白のタキシードを着た花婿さん。豪華なホテルと豪華な料理。そして、大きくてフルーツたっぷりのウエディングケーキ。最後は「二人の一生の思い出を」というセリフで締めくくられた、みんなが憧れそうなキラキラした結婚式のCMだ。
そしてましろは、ピカーンっとひらめいた。
「これだよ!」
ましろの声に、りんごおじさんはスマートフォンを耳から少し離した。
「これとは?」
「結婚式だよ! おじいちゃんとおばあちゃんの結婚式記念日を作って、お祝いするんだよ!」
ましろはどんっと胸を張り、電話の向こうのおじいちゃんにも聞こえるように繰り返した。
「結婚式記念日! おじいちゃん、やろうよ!」
「結婚式って、何を今さらに」
おじいちゃんは戸惑っているようだったけれど、ましろの想像とワクワクはどんどんふくらんできた。
「今さらも何も関係ないよ。今日おばあちゃんが、ウエディングドレス着てみたかったって言ってたもん。おばあちゃんにウエディングドレス、着せてあげようよ!」
「ばあさんが、そんなことを言っとったのか……」
「僕もいい案だと思います。母さんは準備はこちらでやりますから、父さん、おとぎ町に出て来れますか?」
りんごおじさんが賛成してれたら、こっちのものだ。会場はファミリーレストラン《りんごの木》。新郎新婦は、
***
翌日の日曜日。
好都合なことに、おばあちゃんは映画と一人カラオケに出かけて行った。田舎には映画館もカラオケもないから、絶対に行きたかったらしい。
ましろもいっしょに遊びに行きたかったけれど、ぐっとこらえて結婚式の準備を進めた。
まずは、会場のセッティング。《りんごの木》のテーブルは、四人席と二人席だけしか入らないため、ゲストは少数精鋭の家族婚だ。そして、クロスを真っ白なものに取り替えて、シルバーの食器を磨く。
次は、りんごおじさん特製のディナー。おじいちゃんもおばあちゃんも、そんなにたくさん食べないので、コース料理は品数と量を絞る。
サーモンと海藻のサラダ、ゴボウのポタージュ、白パンとバケット、フィレ肉のステーキ、そしてデザートはウエディングケーキだ。ウエディングケーキ作りにはアリス君も参加していて、どうやらこだわりの逸品らしい。
「どんなケーキなの⁈」
「企業秘密だ」
ケーキを見に行くと、アリス君は目つきの悪い目でニヤッと笑って、ましろをキッチンから追い出してしまったのだ。ちょっと腹立たしいけれど、その分わくわくする。
そして、お花や衣装の準備をしていたら、おじいちゃんがお店にやって来た。
「ここが凛悟の店か。引っ込んだ所にあって、分かりにくかったぞ」
おじいちゃんは、田舎にいる時とは違って、おしゃれなデニムと帽子を身に付けていた。おとぎ町に来るために選んだのかなと思うと、ちょっとかわいい。
「おじいちゃん! 長旅お疲れ様!」
「おぉ~、ましろちゃん! 会いたかったぞ~! これ、ましろちゃんにお土産だ!」
ましろが出迎えると、おじいちゃんはうれしそうに駆け寄って来た。相変わらず、ましろには甘々だ。ましろは、ありがたくお土産のお菓子を受け取って、おじいちゃんをお店の奥に案内した。
「おじいちゃんは、二階で着替えて来てね。その後は、リハーサルするから!」
「あぁ。ありがとう。おばあちゃんと仲直りできるように、がんばるよ」
おじいちゃんはそう言うと、笑顔で階段を駆け上がって行った。
***
そして、夕方。
夜ご飯は《りんごの木》で食べようねと約束をしていたので、ましろは、カラオケ帰りのおばあちゃんをお店の前で待ち構えていた。
「あら、ましろ。待っててくれたの?」
「おばあちゃん、映画とカラオケは楽しかった?」
「ええ! とっても!」
ご機嫌なおばあちゃんは、「おなかが空いたわね」と、お店に入ろうとしたけれど、ましろはストップをかけた。
「待って、おばあちゃん! 今夜の《りんごの木》は、ドレスコードがあるんだよ!」
「ドレスコード? 服装が決まってるってやつよね? そんな面倒なこと、凛悟が決めたの? いやだわぁ、あの子ってば」
「め、めんどくさがらないで。今日だけだから。お願い」
こんなところで、計画を台無しにするわけにはいかない。
ましろは、おばあちゃんを一生懸命に説得して、ようやくバックヤードに連れて来ることができた。
「私、今、他の服は持ってないわよ?」
「大丈夫! おばあちゃんのは、わたしが用意したから! これ着て!」
困り顔のおばあちゃんに、ましろは服屋さんで買って来たばかりの服を渡した。
「ごめんね。豪華なやつは高すぎて用意できなかったんだ。でも、おばあちゃんにとっても似合うと思うから……」
「ましろ、これは──」
おばあちゃんは、とても驚いた表情を浮かべて、ましろを見ていた。
「ヘアメイクさんとお花係さんも呼んであるから! わたしはお店で待ってるね!」
***
一時間ほど経ち、バックヤードとお店をつなぐ扉が、ゆっくりと開いた。
緊張した様子で、お店をのぞき込むように現れたおばあちゃんは、とてもきれいだった。ゆったりとした純白のワンピースは、袖がレース生地で、裾はふわっと自然に広がっていて上品な印象。髪はローシニヨンというスタイルで、低い位置で髪をくるりとまとめている。そして、髪飾りは小さなヒマワリ──。
ましろ、りんごおじさん、アリス君、そしてお手伝いに来てくれた美容師の乙葉さんと、お花屋さんの大地君と愛華さんが、たくさんの拍手を送った。
「母さん、すてきですよ」
「おばあちゃん、すっごくきれいな花嫁さんだよ!」
りんごおじさんとましろが声をかけると、おばあちゃんは訳が分からない様子で慌てていた。
「やっ、やだねぇ! いったいどういうことだい⁈ ドレスコードって聞いてたのに」
「結婚式だよ!」
「結婚式⁈」
ましろは、恥ずかしがるおばあちゃんの手をぐいっと引いた。そして、お店の真ん中を一歩一歩と歩いていく。短いヴァージンロードだけれど、その先には、おばあちゃんのことを一番大切に思っている人が待っている。
「ばあさん。いや……、海子さん」
おじいちゃんの長年来ていなかった黒のスーツには、ちょっとシワが寄っていた。けれど、胸におばあちゃんの髪飾りと同じヒマワリの花のブートニアが刺さっていた。ステキな花婿さんだ。
「大事な結婚記念日を、忘れるわけないだろうに。本当は海子さんを驚かせたかったんだ」
おじいちゃんは少し手間取りながら、パカッと小さな箱を開けた。それは、おじいちゃんからのサプライズプレゼント──、シルバーのペアリングだった。
「一悟さん……!」
「海子さん。つらい事も、楽しい事も、二人で分かち合って来た。これからも、わしの隣には、海子さんがいないと困る」
おじいちゃんは、おばあちゃんに手を差し伸べた。
「急に、こんな……。やっ、やだねぇ。恥ずかしい……」
おばあちゃんは、顔を赤くして照れていたけれど、うれしそうに笑っていた。こんなおばあさんを見たのは初めてで、ましろの胸も熱くなる。
「おばあちゃん! 指輪、はめてもらいなよ」
ましろは、おばあちゃんをおじいちゃんのもとに送り届けると、パタパタと小走りでお店のすみっこにいたりんごおじさんの隣に移動した。
りんごおじさんの隣から見たおじいちゃんとおばあちゃんは、今まで見たことがないくらい、とても幸せそうに笑っていた。
「お母さんにも見せてあげたかった」
ましろがそうつぶやくと、りんごおじさんは、そっとましろの肩を抱き寄せた。
「きっと、見てますよ。天国から、お祝いしてくれています」
「そうだね。そうだよね……!」
ましろは、おばあちゃんの左手の薬指に指輪がキラリと光るのを見つめながら、強くうなずいた。
「お待たせしました! 《りんごの木》特製、【人魚姫のウエディングケーキ】です!」
アリス君が新郎新婦の隣のテーブルに置いたのは、大きな二段重ねのケーキだ。クリームが波のようにデコレーションされたケーキに、パイナップルやオレンジ、マンゴーなどのトロピカルフルーツがたっぷりのっている。そして、貝殻や魚を模したかわいいクッキーがケーキの側面を囲んでいた。
さすが、アリス君が企業秘密と言っていただけあって、クオリティが高い。
「お名前が海子さんって伺ってたので、海がテーマのケーキっす」
「あらぁ! すごくきれい! 食べるのがもったいないわ! 食べるけど」
おばあちゃんのリアクションが面白くて、ましろはクスクスと笑ってしまった。おばあちゃんなら、きっとたくさん食べるだろう。
キラキラときれいなケーキに見とれながらも、ましろは飲み物や料理をくるくると運んで回っていた。おじいちゃんとおばあちゃんの結婚式は大成功だ。
「俺たちまでご馳走になっちゃっていいのかな」
ましろが大地君と愛華さんのテーブルにジュースを持って行くと、そんな言葉をかけられた。そうは言いつつも、大地君はもりもりと料理を食べ進めている。
結婚式の準備を手伝ってくれた二人にも、料理を食べてもらっているのだ。乙葉さんは、赤ちゃんと旦那さんが待っているので帰ってしまったけれど、後でお家にケーキを届ける予定だ。
「もちろんだよ! 大地君も愛華さんも、急にお願いしたのに協力してくれて、ありがとう」
「結婚式のお花だなんて、とても楽しそうだからね。お手伝いできてよかったよ」
「ふふっ。すてきな結婚式で、参考になるわよね。大地君」
愛華さんにいたずらっぽい目線を向けられて、大地君は「いやぁ~、あはは」と照れている。どうやら、二人もうまくいっているようだ。
「いいよねぇ、結婚式。憧れるよねぇ。わたしも早く結婚式したいなぁ」
「ましろちゃんには、まだ早いぞ!」
「ましろさん、急ぐ必要はないんですよ」
ましろは大地君と愛華さんに言ったつもりだったのに、おじいちゃんとりんごおじさんの声が飛んで来た。地獄耳すぎて、びっくりしてしまう。
「もうっ! ほっといてよ!」
ましろは半分怒りながら、もう半分笑いながら叫んだ。みんなも、楽しそうに笑っている。
いつかわたしも、おばあちゃんみたいなステキな花嫁さんになるんだから!
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