第31話 『研究者の箱庭6』



 ムネエソをご存知だろうか。

 横から見るとしゃくれ顎のちょっと愉快な魚なのだが、正面から見ると「これが深淵を覗き込んだ者の末路だ……」みたいな虚無を煮詰めたご面相をした深海魚。海のエイリアン、魚界の亡者、それがムネエソである。

 子供の頃旅行で海に行った時、丁度漁から帰ってきた知らないおっさんに、網に面白いのが引っ掛かっていたといって、うっかりキスしかねない距離で眼前に突きつけられたあの魚版ムンクの叫びは、幼少期のトラウマ筆頭であった。


 ドアの隙間から中を覗き込み、部屋の中に居る?ある?存在が動き出す様子がないのを確認してから、3度目の御開帳。

 扉の先の存在した何かは、魚ではなかった。が、この世の全てに希望などないと言いたげなその顔はどう見てもムネエソにしか見えない。一度そう見えちゃうともうそれ以外に見えなくなってくるやつ。

 暫定ムネエソはムネエソ面の下に、魚の鱗を思わせるメタリックな光沢の銀のボディを持つ人型をしていたが、一目見て命を持った存在ではないと分かるデッサン人形のような球体関節を持っていた。しかも等身大。

 そんな奇抜な金属人形がおおよそ20体程、ずらりと列をなしてこちらを見つめているのだ。こっっっわ。え、なに?やめて?こっち見ないでくださる?

 異様な光景にビビり散らかしながも、室内を調べるためにそっと一歩踏み出したその時――一糸乱れぬ動きでムネエソの群れが沈んだ。……いや、金属人形達が一斉に頭を下げた。


「!!?!?」


 予想外の事態に、背後にきゅうりを置かれた猫みたいに跳ね上がって、廊下まで飛びずさる。

 腰を折り曲げたまま動かない人形達を固唾をのんで見つめていると、数瞬の後、再び一糸乱れぬ動きで頭を持ち上げ、直立不動で静止した。やだ……またこっち見てくる……。

 え?なに今の?もしかしておじぎ?おじぎした?え?噓でしょ、動くの???

 バクバクする心臓を宥め賺しながら目の前の人形を凝視するが、彼らはこちらに向かって静止したままピクリとも動かない。凝視する俺を見つめ返す2対40あまりのムネエソの虚ろな目……怖い……。


「あ、あの……?」


 恐る恐る声を出すと、ピクッと、俺の声に反応したように人形達が僅かに首を傾げた。


「ひぇっ」


 一斉に同じ動きをするもんだから余計に怖い。思わず一歩下がって廊下の壁に貼り付いてしまった。

 しかし、俺の声や動きに反応してるよな?今も俺の言葉を待つようにこちらを見つめて……見つめて……見ないで……。

 いやいやいや、いけない、あの目を見るたび強制SAN値チェックが発生してしまうんだが、まさかそういう呪いとかかかってないよな?

 とりあえず敵意や害意は感じないし、俺が何もしなければ動く様子もない。むしろ俺の言葉を待っているようなんだが……え?指示待ち中なの?もしかして俺が何か命令しないといけない流れ?


「ど、どうぞお構いなく……。あの、お仕事戻っていただいても……?」


 散々迷った挙句、気付けばそんなことを言っていた。

 何言ってんだ俺……と自分に突っ込む間もなく、人形達は再びザっと一例すると(その動きにまた後ずさりたくなったが、既に壁に貼り付いている俺に下がれるスペースはない)くるりと身を翻し、人形の影になって見えなかったが部屋の片隅に積んであった武骨なハンマーやメイスを次々と手に取っていき(え、こわ……)、これまた人形に気を取られて気付いてなかった部屋の奥にある門の向こうへと、整然と隊列を組んで消えていった。

 最後の一体が暗闇の中に消えていくのを見送って、俺はずるずると壁を滑ってその場に座り込む。


「いや、こっわ……」


 大きく深呼吸して激しく脈打つ心臓と混乱する頭を落ち着ける。不気味が過ぎるでしょ、なんだったんだアレ。


「とりあえず、危険な存在じゃないってことでいいんだよな……?」


 いや、存在自体が危ないんだが。顔とか顔とか顔とか。しかし、そこに居るだけで心臓に悪いという点を抜かせば、今のところこちらに危害を加えようといった行動や雰囲気は見られなかった。

 あの金属人形、あれってもしかしてゴーレムってやつ?なんかゴーレムって聞いて想像するのとイメージ違うような気がするんだけど。ゲームとかで出てくるゴーレムってもっとゴリゴリしてるというか……。あれかなりスレンダーでつるっとしてたからな。

 多分魔道具の一種なんだろうけど、屋敷の主人の命令を聞くようにプログラムでもされてんのか?というか、思わず「仕事に戻って」なんて言っちゃったわけだけど……。


「あいつら、武器持ってどこに何しに行ったんだろ……」


 思わず何もせず見送ってしまったが、ホントに送り出してよかったんだろうか。

 大分気持ちも落ち着いてきたので、よろよろと開けっ放しにしていた扉の中に入ってみる。

 入って正面の壁には、人形達が消えていった門がぽっかりと口を開けていた。中は坑道のようにも見えるが、暗くてそう遠くまで見通せない。

 部屋の隅には、人形の数より多く用意されていたのだろう武器がまだまだ山ほど残っていた。ハンマーにメイスにこん棒にモーニングスター……、


「全部鈍器じゃん、やば……」


 明らかに穴掘りに行きますとか、鉱石取りに行きますといった装備ではない。害獣駆除してひき肉作ってきますみたいな品揃えだ。

 目を細め、ぽっかりと暗い口を開ける坑道の先を見つめる。つまり、この先に駆除の必要な害獣がいると……?

 嫌な事実に気付いてしまい、先の見えない暗闇が途端に恐ろしい物のように感じた俺は、じりじりと武器の山に近づいて適当なメイスを一つ手に取り、それを片手に構えながら門を観察した。

 黄土色の石を積み上げた四角い入り口は、天辺に魔力を失った魔石のような灰色の石が飾られている。試しにちょっと手を伸ばして石に魔力を流してみたが、石の中に魔力が入っていく感じが無い。どうやら魔石ではないようだ。ただの石ではなさそうなんだがな……。

 石に触るために近づいたついでに、門を構成する石も観察してみる。黄土色の石の表面には異世界の文字が模様のようにびっしりと刻まれていて、とても見覚えのある……。


「噓でしょ、これ……」


 あの時は薄暗い穴の中、ほとんどが土で隠れていて見えたのは門柱の一部だけであったし、不気味な赤い光に照らされていたので石の色は全く違って見えた。しかし、救助が来るまでの間、ずっと一人で警戒しながら観察していたのだ。石に刻まれていた模様はこの目に焼き付いている。


「ダンジョンじゃん……」


 ダンジョンの出現する地上から逃れるための、完全に隔離された安全地帯であるはずの『箱庭』に、あってはならないものが存在した。


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