第15話

 自分の部屋に戻ったユウジは、とりあえずとばかりにシャワーを浴びて今日一日の汚れと疲労を洗い流す。やや熱めが彼の好みだ。ユニットバスなので浴槽も備えられているが、お湯を張ると掃除が面倒なのでユウジは週の半分はシャワーで済ましていた。

 寮では月に二回、生活指導教員による個室の点検があり、そこで部屋の清潔さや禁止物を持ち込んでいないかをチェックをされる。

 その際に部屋の清掃が充分ではなかったり、禁止物が見つかったりすると特別指導の対象となって是正を求められる。これが改善されず度重なると謹慎、更には退学処分にも繋がるので普段から部屋を汚さず、清潔に保つのがユウジに限らず生徒達の習慣となっていた。

 シャワーで身と心もすっきりさせた後は、明日の授業に備えて軽く予習を行なう。彼はレイが指摘した通り平凡な成績の生徒ではあるが、杜ノ宮学園でそれを維持するには、ある程度の努力が必要なのだ。


 一時間ほどの予習を終えたユウジは自習用のノートパソコンを閉じると、机の抽斗から紙のノートと筆記用具を取り出して今日の報告として日記を付ける。パソコンを所持しているのにかかわらずユウジが手書きで日記を書くのは、内容流出のリスクを極限にまで下げるためだ。

 物理的な紙に書いた文字ならば、この時代の高度に発達した電子ネットワークからは完全に無縁であり、内容を知るには実際に日記が書かれたノートを手に取って読むしかない。

 そのノートもユウジが書く文字は個人的な癖が多いため他者には判別が難しく、書く内容も自分にだけで通じる隠語を多用しているので、仮にノートを覗き見されたとしても部外者が内容を理解することは極めて困難なはずだった。

 もちろん、杜ノ宮学園内に限らずネットワーク回線は公共のインフラである。プライバシーの保護は当然として、既に情報そのものが大きな力であると認識されているこの時代において、他者のデータを傍受することは犯罪であり、その予防のための暗号化やそれに準ずる研究に多大な労力が費やされていた。

 だがそれでも、ネットワークに繋がっている以上、あるいは電子機器である以上、電子化された情報が外部に漏れる、抜かれる可能性はゼロではない。ユウジは電子化しないことで自分の日記内容が電子的に漏れる可能性をゼロにしたのである。


「ふう・・・」

 今日一日の出来事を書き留めたユウジは、満足感に溜息を吐く。その内容は昨日に続きレイの存在が中核となっている。彼女から靴の窃盗事件を打ち明けられ、その捜査を二人だけの秘密として開始したこと、それによりレイとの関係が親密になり交友関係に変化が出た始めたこと等である。

 客観的に判断すると、昨日、麻峰レイというクラスメイトを助けたことでユウジの学園生活は大きく変化しし始めていた。

「まあ、レイのような美少女に近づけばそうなるな・・・迂闊だった・・・」

 ユウジは独り言を漏らすが、その内容には自分を責めるようなニュアンスが込められている。

「・・・いや、彼女は勘が鋭い。既に俺への違和感を覚えていた。それに加えてあの行動力、いずれ接点を持つことになっただろう・・・むしろ、友好な関係を築けた偶然を喜ぶべきか・・・」

 個室である利点を活かすかのようにユウジは日記を前にして自問自答を繰り広げる。

「・・・まあ、仕方がない。あの状況、男なら誰だって頷く。むしろ、断る方が不自然で警戒される。俺の選択は間違っていない・・・はずだ!」

 しばらくしてユウジは自分なりの結論に到達する。どこか言い訳がましいが、彼なりに満足したのか背伸びをしながら欠伸を漏らした。


「ん?!」

 気持ちに整理を付けたところでユウジは生徒手帳にレイからメッセージが届いていたことに気付く。時刻は午後11時を過ぎていたが、明日に回すことはぜずユウジは直ぐに内容を確認する。何しろ彼女からのおやすみメッセージかもしれないからだ。


『ユウジ、一階で君と別れてから知ったのだが、昨日、もう一人25㎝の靴を持つG寮の女子生徒が狙われていたことが判明した。その被害者は幸い靴にして盗まれなかったが、下駄箱を探られたらしい。まあ、もう夜も遅いから詳しいことは明日に話す。それとミスズに君の連絡先を教えておいた。では、おやすみ!』


 期待していた内容とは若干異なっていたが、ユウジは頭を働かせて文章の行間を推測していく。どうやらレイはあの後、新たな事件の被害者とコンタクトを取ったようである。

 どうやらレイは紛失届を出した生徒だけでなく、独自に足のサイズから狙われる可能性がある女子生徒にもコンタクを取っていたようだ。恐るべきレイの行動力と言ったところだが、この連絡の本質は犯人の靴のサイズへの異常な執着心だろう。

 動機は未だ不明だが、リスクを冒してでも足のサイズが25㎝の女子生徒の靴を盗む、あるいは調べる必要があったということなのだ。


 すっかり眠気が覚めてしまったユウジだが、見落としがないかもう一度レイからのメッセージを確認しながら


『了解、おやすみ!』


 とだけ返信を行なう。出来ればもっと詳しい状況を知りたかったが、彼女の指摘通りそろそろ深夜と呼ぶ時間である。細かい説明は明日へと持ち越しとした。

 もっとも、最後の一文はユウジに別の疑問を覚えさせる。今、レイとの連絡に使っているSNSアプリは学園が用意した連絡用のアプリとは別の商業的アプリだ。学園の連絡アプリでも生徒間の個別連絡は可能だが、利用規約で学園側がその内容を閲覧する可能性があることを正式に認めさせている。なので、学園関係者に内容を知られたくない場合は、ユウジ達のように別のSNSアプリを使って連絡するのが生徒達の常識になっている。逆に言えば学園アプリ以外の連絡先を知っていることが、親しい友人である証明と言えた。

 現在ユウジが杜ノ宮学園で個人連絡用に登録している友人は、長野を始めとする男子のクラスメイト数人と今日連絡先を交換したばかりのレイだけだ。先程の態度からして、ミスズがこんなにも早く自分と個別連絡を取り合うような間柄を望んでいるのは意外なことだった。ユウジとしてはもう少し段階を踏む必要があると思っていたのである。

 アプリを操作して確認すると、確かにミスズと思われる人物から相互連絡の許可を願う、いわゆるフレンド要請が送られていた。時間を見ると消灯後の午後10過ぎに届いているので、ミスズは自分の部屋に戻って直ぐに申請したようだ。シャワー、予習、日記と片付けることが立て込んでいたので、ユウジはレイのメッセージまでその申請に気付けなかったのである。


『遅くなってごめん。これからよろしく!』


 あまり好かれていないとはいえ、レイの友人であるミスズからの申請を断る道理はないし、女子の知り合いは貴重だ。どうせ、ミスズから自分に連絡することなど滅多にないのだからとユウジは気軽に申請を受理する。

 レイのメッセージのおかげで一時的に眠気がどこかに消えていたユウジだが、やるべきことを済ませたことで再び身体のだるさを覚える。

 だが、照明を消してベッドに横になろうとするユウジに対して、生徒手帳は新たなメッセージが届いたことをマナーモードの振動で主張する。これまでのやりとりからして、レイは一日に何度もメッセージを送るタイプではない。ユウジはなんとなく嫌な予感を覚えながらも相手と内容を確認する。


『本当に遅い! 女の子をこんなに待たせるなんて、レイがあなたのどこに気に入ったのか理解出来ない! でも、それを言っても仕方がないから、あなたがレイの彼氏に相応しいか、これからじっくり見定めるから覚悟しなさいね! とりあえず、フレンド受理はありがとうって言っておくけど!』


「なんだこれ・・・」

 たった今フレンド登録したばかりの川島からのメッセージを呼んだユウジは苦笑を漏らす。それは一言では言い表せない内容だったからだ。叱責であり、苦情であり、挑戦でもあり、お礼でもあった。どう反応すれば困る内容である。

 それでもユウジは遅れた理由とそれを詫びる返信を送る。レスポンスの早さからして川島はまだ起きていると思われたからだ。


『そういうことなら、仕方がない。許して上げる。じゃ、夜も遅いから本当におやすみなさい!』


 素直に謝ったのが功を奏したようで、川島からは溜飲を下げたメッセージが続いて送られてくる。とりあえずレイの親友である川島とも、ある程度の関係を築けたようである。それにユウジは安堵しつつも、再び日記を取り出すと川島についての記述を書き加える。

〝この者、ツンデレの気質あり!〟

 ユウジのみが読み取れる文字でそれを付け足すと、彼はやっとベッドの中へと潜り込むのだった。

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