奇物サーカス 五
自分の体がどうなっているのかは分からないが、シタは温度のない海のような場所を浮遊していた。
泳ぐ事もできず、声を上げる事もできず、ただ流れるだけ。
その波の中に映像が流れだした。
ウナだ。彼女は泣きながらワッカ爺さんの膝に寝ている。
「いいんだよ。ワシがそれを望んでおるのだから」
「分かってるけど……」
ワッカ爺さんは、ウナを陽だまりのような声で撫でる。
もう少し見ていたいのに、シタの体はズンズンと流れていく。
そうして次に現れた映像は十歳ぐらいの女の子だった。レラと呼ばれたその少女は、確かにウナだ。
彼女は今とは少し様子の違う、たばこで煙った塔の入り口に立ってワッカに喧嘩を売っている。
「お母さんの心を返してよ!」
「そうは言ってもなぁ……契約を破棄する事はできんし、代わりに同じようなものを差し出せば取り戻せるだろうが」
「お母さんは何をあげちゃったの?」
「恐怖心だ」
「じゃあ、私の心を一つあげればいいって事ね?」
「そりゃあそうだが、そんな事はせん方がいいぞ」
ワッカは少女の前にしゃがみ込み、その肩を掴んでゆっくりと話す。心ひとつをどうして捨ててはいけないのか。母が覚悟をしてそれを捨てたという事も。
「ねぇ。お母さんはなにと心を交換しちゃったの?」
「あぁ、それはなぁ……んん」
ワッカは「困ったなぁ」と言って立ち上がる。
そこへバサッと一冊の本が落ちてきた。
少女が本のページをめくり、すぐに眠りに落ちていく。
「やはり石の娘なのか」
ワッカは申し訳なさそうに呟き、彼女を優しく抱き上げた。
またしても映像は波に飲まれて消えていく。
これはウナの記憶だろう、とシタは自由の利かない海の中で思った。
だとしたらここは本の中のどこかだろうか?
なぜ本の中にウナの失くした記憶があるのか?
考えが纏まらないうちに、今度は見知らぬ家を見ていた。
広い庭のある、白い豪邸だ。
彼女はそこに横たわっていた。
庭の桃の木の根元の木陰に、糸の切れた人形のように。
その庭の一角にあるバラで縁取られたテラスには、ぬいぐるみたちが集っている。
「分かりますでしょ? うちの娘はもう三時間もアバターに入っているんですのよ。体からの解放の時は近いわ。皆様もきっと解放の時を迎える事ができますから、一緒に頑張りましょう」
「さすがですわ。まだ九才でしょ? やはり教祖様の娘さんは違うのね」
「同じですわよ。みんな体に囚われた可哀想な魂なの。さぁ、捨ててしまいましょう。私たちは体を捨て去った時、初めて本当に生きる事ができるのですよ」
ウサギのぬいぐるみ、クマのぬいぐるみ、顔のないぬいぐるみ。幾つものぬいぐるみがテラスに集って話をしている。
その中に一体だけ、足の生えたテルテル坊主のようなぬいぐるみがあった。
そのぬいぐるみは話を振られれば頷くものの、声は出さない。声を出す機械が入っていないようだった。
『戻りたいの! 頭がグワングワンして気持ちが悪いの! 体に戻りたいの!』
テルテル坊主のぬいぐるみから声にならない言葉が聞こえた。それがあまりに悲しげで、シタは思わず目を閉じる。
そうすると声だけが鮮明に耳の中に聞こえ始めた。
「お母さん。そんなに強く引っぱっちゃ手が痛いよ」
「あらそう? 面倒ね。体なんてあるからいけないんだわ」
「でも体がなくちゃ困っちゃうでしょ?」
「いいえ。体が無ければいいのよ。そんな物さえなければあの人が情欲に囚われて罪を犯してしまう事もなかったの。いい? レラ。お父さんはね、とっても悪い人なの。でも許してあげましょうね。体を捨てる事ができたなら」
「難しくてよく分からないよ。お母さん……痛いよ」
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