カカの書塔

小林秀観

七月十七日

兎と婚約指輪 一

 びっしりと書き込みのある手帳を片手に電柱にもたれ、蝉の声さえ疲れ切っているのを聞きながらシタは、また選択を間違えたかなと苦笑いを隠しきれない。


 事の始まりは昨日、探偵事務所に来たウサギだ。いや、そもそもは光水電池なんて物がある事が間違いなのだ、などとどうしようもない不満を溜め息に乗せる。


 この惑星の失敗の歴史は恐ろしく古い。シタは職業柄、広く浅くどんな知識もかじってきた。歴史に関してもそうだ。



 地球上の人類が一度、キレイさっぱり滅亡してしまっている事は周知の事実だろう。

かつての文明を滅ぼしたのは彗星石と呼ばれる石で、なんとその石は人目のない内に繁殖し、増え続けるのだそうだ。そうして地球をすっぽりと覆ってしまった。


 問題なのはその石の不可思議な力で、彗星石は精神に干渉する。その力を魔法のように使った前文明の人々は、魂を取り出しては友人と体を取り換えて遊んだり、ペットの体を借り受けたりしていたそうだ。


 そんな事なので町中では服を着た熊がお辞儀をし、痩せたいご婦人が金を払って体を交換してその間に痩せてもらうなんて商売が流行った。


 しかしそんな便利な石を便利なようにだけ使わないのが人間で、そのうちに人々は後ろ暗い記憶やどす黒い感情を取り去る事に石を使い始めた。


 そして石は捨てられた負の感情を吸い続け、ある時急に溢れてしまった。


 溢れた石はデロデロのタールのような汁を滴らせた心臓になり、黒い影の獣を生み出した。黒い獣は悲痛な咆哮をあげては人を襲う。そうして世界は黒い獣と彗星石によって滅亡したのだ。



 というのが教科書に載っている神話だ。

 神話には続きがあって、彗星石は世界の終わりに降り出した塩の雪によって灰になったのだ。なったのだが、その時の灰が地層に残り、山の体内を流れてくる水なんかがその灰を含んで光を放つ。


それが現代にある光水の原点だという話なのだ。だから光水は人の精神に干渉できるのだと言われている。

 光水は誰でも見た事があるが、彗星石は見た事がない。だから現代の人間は、資源の無駄遣いを止めさせるために語られる神話だとしか思っていない。


 その光水を電池のような形にしたのが、百周年を迎えたばかりの老舗の光信社だ。そのおかげで様々な機械が作られた。

 心霊写真が撮れるカメラ、精神治療のための感情削除機、ペットの精神に干渉して会話ができる首輪、夢選択機。


 中でも最近とても人気なのがアバターだ。使用中は本体が無防備だという点さえ気にしなければ、二時間程度はアバターという人形に自分の魂を入れて動ける優れ物だ。


 それは大きな日本人形のような物から、漫画に出て来そうな機械そのものの姿の物、まさに歩くぬいぐるみとしか言えないような物まで様々にある。


 しかしアバター使用中に本体が亡くなってしまえば戻る事はもちろんできないし、魂が迷子になるという事もある。それを悪用するやくざ者が現れたのは当然の流れだろう。


 とはいえ彗星石と違って光水には神話に聞くほどの力など無い。魂を取り出してみても二時間程度の物だし、科学で補って方向性を定めなければ、そもそも作用しない。

 その為に随分と科学は発展したけれど。


 そんな時代なので解決してほしい事件は山のようにあるが、解決できる事件なんて数えるほどしかない。


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