第37話 純真な思い
「空を飛べば、世界中のあらゆるところへ行くことが出来ます」
飛行機の存在を、意義を疑問視する寧音にまっすぐな瞳を向けて忠弥は断言した。
「今はまだ性能が低いですが、いずれ大洋を越えることの出来る飛行機も出来ますので新旧両大陸へ一日で行けるようになりますよ」
「まさか……そんなの夢物語でしょう」
「いいえ、いずれかならず出来ます」
数百人を乗せて世界中の空を飛ぶ世界から転生してきた忠弥は断言した。
「でも、そんなことに何の意味があるんですか。船を使えば数日で着くのに」
「一日いや、半日で行けるようになります。数日かかっていた時間を他のことに使うことが出来ますよ」
「……出来たとしても、そんなに急いで何の意味がありますの。夢物語でしょう。そんな人がどれだけいるというのです。そもそも、今飛ぶ必要があるのですか」
忠弥の真っ直ぐな返答に何故か苛立ちを感じた寧音は強い言葉で問い返す。
だが忠弥は、明るく楽しそうに熱を持った声で答えた。
「人類が新たな領域に進むため、人類の進歩のためです」
「空を飛ぶことがどうして人類の進歩なのですか」
「人類が空を飛ぶためにはこれまでの知見を全て取り入れないとダメなんです。空を飛ぶには軽い素材でないと飛べない。しかし機体や風の力に対抗できるだけの強度も必要。だから軽くて強い素材を見つけ出さないといけません。それに空に飛んで行くには強力で軽強力なエンジンが必要です。エンジンは様々な素材の他に、設計や加工の技術も必要です。それらが出来る人たちを見つけ出して協力して貰う必要があります。つまり、これまでの人類の英知を全て取り入れた最先端の乗り物、それが航空機なのです」
「は、はあ……」
理路整然と熱く語る忠弥に寧音は圧倒された。
「で、でも、学校に行かないのはどうかと」
「学校に行くのはどうしてですか?」
「学ぶためです」
「学ぶのは学校だけではありません。自然や実物を見て観察することも学びです。むしろ実際に見て考える事が大事です」
「ですが、学校は重要なことを教えてくれます」
「確かに教えてくれるでしょう。しかし世界の全てを教えてくれるわけではありませんし、自分が必要としている情報が入ってくるとも限りません。私の場合は学校で教えて貰えることが、私が必要とすることが少なかったから、自分で得ようとしました。俺は空を飛びたかったからです。学校に行かなかったことは母校に済まないと思っています。しかし、教えられるばかりではなく、自分で進んでいって得たからこそ飛べたと考えています」
忠弥が言葉を発する度に、寧音の胸の中が熱くなってくる。
「でも、貴方の飛行は疑われていますよね」
「ええ、ダーク氏ですね。これから誤解を解きに行きます」
「ダーク氏との対談が怖くないのですか?」
「全然」
「何故ですか? 貴方の飛行を否定しようとしているのですよ」
自分の打ち立てた業績を否定されれば怒るのに泰然としていられるのか、寧音は疑問だった。
しかし忠弥は同じ態度のまま語る。
「私は空を飛びたかったから飛んだだけです。私が飛びたい飛び方で。後追いと言われたのが嫌だったからですよ」
「でも貴方のことを潰そうとするわよ」
「そんな事無いと思いますよ」
「どうして」
「空を飛びたい人は仲間ですから」
無垢な顔をして気負いもなく忠弥は答えた。
その笑顔が寧音には眩しかった。
「というわけで、私達は忙しいので、ここでおいとまさせて貰います。ではご機嫌よう」
そう言って昴は、忠弥の腕を引っ張って店を後にした。
「もうちょっと話したかったのに」
「ダメです、時間がありません。買い物も済みましたから、これから準備です」
「直接会場に向かえば」
「いいえ、ホテルで準備しませんと」
昴は早口でまくし立てる。
忠弥が寧音を言い負かしてくれたのは嬉しいが、寧音と喜々として話している姿を見ると何故かイライラしたし、昴の中に何か焦りが、恐怖が心の中に湧いてくる。
一刻も早く引き離さなければ、という衝動から、忠弥を連れ去った。
「自分が飛びたいから、か」
店に残った寧音は、忠弥の言葉を反芻していた。
祖父の作り出した岩菱を継ぐ男子と結婚し岩菱を支えるのが自分の役目だと思ってきた寧音には新鮮だった。
祖父には大切にして貰っているが、その恩を返すためにも岩菱を発展させてくれる人と結ばれ支えるのが自分の役目だと考えていた。それが祖父への恩返しであり、岩菱に生まれた人間の宿命だと。
だから定められた事、言われたことをこなすことが大切だと思った。
しかし、そんな寧音に衝撃を与えたのが忠弥だった。
自分と同じ年齢で人類初の有人動力飛行を成し遂げた。物言いが出ているとはいえ、島津の助力があったとはいえ、ほぼ自力で作り上げ、空に飛んだのは驚きだった。
店で出会ったのは嬉しかったし、同時に更に衝撃だった。
自らの夢のために、学校の勉強から離れ、自分が必要と思ったことを実現するために飛び込んでいる忠弥の姿に、何も疑わず真っ直ぐ夢を実現し、疑われても自分が正しいと前を向いている姿が寧音には眩しかった。
「今日のお買い物はどうしますか?」
店員が寧音に尋ねてきた。
「……海にふさわしい服を……夕方から夜……長時間外にいても大丈夫な服を」
寧音は注文し服を着るとそのまま店を出て、乗っていた車に港に向かうように伝えた。
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