第18話 とある技術者の追憶1
とある技術者の追憶
あの時の事は良く覚えていますよ。原付二輪が登場した年の事です。
あの原付二輪で私の世界は変わりましたから。
一応私は技術者の端くれではありますよ。
地元で勉強が出来たために郷土の篤志家の方から学費を援助して頂き、中学、高校と進み国立大学の工学部へ入りました。そこでの成績も良く国費留学生として海外の大学へ留学。留学後はお世話になった篤志家さんの紹介で伝統ある商家が作った重工業の会社に入り技術者としての第一歩を進みました。
まあその時は自分でも天狗になっていたんでしょうね。
当時としては珍しく海外留学をしましたから。それまでも一応努力はしてきましたよ。
試験に合格するために夜中まで勉強して、成績を上げて、試験に合格して、入学しても同期と差を付けるためにひたすら勉強しましたから。勿論、海外の最新技術を学ぶために語学と知識を得られるように最新の論文も頭に叩き込みました。
だからこそ国の国費留学生に選ばれたと今でも思っていますし。
で、海外で最先端の技術に触れて吸収してきた自分は秋津皇国の優れた技術者の一人と思っていましたよ。
今思い出すだけでも恥ずかしいですよ。なんて言いますか、あ、黒歴史ですね。
黒歴史って何か? 忠弥さんが言った言葉で無かったことにしたい自分の恥ずかしい事件や経験、歴史の事だそうです。
あの人は、飛行機だけで無く、ああいう言葉も作りましたから。
何の話でしたっけ? ああ、有人動力飛行の話、私の鼻がへし折られた話ですね。
実際、私が鼻をへし折られ、それまでの傲慢さが黒歴史になった瞬間ですから。
話の始まりは島津産業の原付二輪発売から始まります。
そりゃ話題でしたよ、新大陸から新型車をライセンス生産していた島津が原付二輪を独自開発して売り出すなんて。笑い話として。
新聞や広告、バルーンなどで写真付きで派手に宣伝して市民には良い話題でしたけど、技術者の間では笑いぐさでしたよ。
何故って? あんな簡単なもの、格下の製品を作るんですから。
四気筒の四輪自動車から一気筒の二輪車なんて、今で言うと折角ジェット機を導入したのにレシプロ機に戻るようなものですからね。
ライセンスを取った自動車が上手く生産できなくて二輪車に鞍替えしたんじゃないかって技術者の間では笑っていましたよ。
販売されたときには、その考えは確信に至りましたね。何しろエンジンの作りが悪いんですから。我々の方がもっと高性能な物を作って量産する自信がありました。
そして当時は島津の原付が皇国の現状、特に道路事情にマッチして爆発的に売れましたから我々も似たような物を作って販売しようという話しになったんです。
とりあえず片手間に作り上げましたよ。
内燃機関の技術なら我々にもありましたし、島津より上だと思っていましたから。
ですが、それが罠でした。
知っての通り、島津は特許権、商標権を予め取得して売り出しました。
そして我々が類似商品を販売すると特許権、商標権の侵害として訴え出てきました。
当時は良い物を真似して作るのが当然の風潮でしたが外国製品の無断製造で国際問題が起きていたこともあり政府が取り締まりを強化している最中でした。
ただ島津は類似品の中でも劣等品を売り出す会社を狙い撃ちにしていました。そして、我々には特許料の支払いを条件に原付二輪のライセンス生産と委託販売、部品の外注を交渉してきました。
まあ、この時は自分らの技術が認められた、自分たちは凄いんだと思っていました。
会社の上は示談金を払わずに済み、商機が舞い込んできたと喜んでいましたから。
私たちも自分たちの技術の方が優れている、良い製品を提供してやるぞって思いで部品作りを行い島津産業に納品していましたよ。
今思うと滑稽ですが。
打ちのめされたのは、ライセンス生産の技術交換会の時でした。大東島の工場でやるとのことで行ったんですが、辺鄙な田舎でして、そこに原付二輪の工場があったんです。
そこで技術交換の話をしたんですが、工場の一角というより原付二輪の工場の方がついでに作られた感じでして、その建物、格納庫の中に見慣れない機械を見つけたんですよ。
それこそ制作中だった飛行機でした。私は興味本位で見に行って説明を受けて最初の衝撃を受けました。
人類が鳥のように空を飛ぶなんて夢物語だと思っていましたから。留学から帰ったばかりで航空機の話は留学先で聞いてしましたし。
確かに当時は旧大陸でも滑空で飛ぶ程度の事は出来ましたし、気球もあります。ですが、翼だけでエンジンを回して飛び回るなんて出来ないと思っていましたから。
「出来る訳がない」
「いや、出来ます!」
私がつい言葉にした事を否定したのが忠弥さんでした。
初めは見習いの社員かと思ったんですが、技術交換会の時間になると忠弥さんも入って来て驚きましたね。そして原付二輪を開発した本人と聞いて更にビックリしました。
そして、製造の具体的な話しに入り、圧倒され私のプライドは粉々になりましたよ。
ちゃちな製品化と思っていましたが、よく考え抜かれた物でした。我々の場合、作って使うのが主で、納品先でも自分たちが駆けつけて修理することが当たり前でした。
しかし、原付二輪は作ったら消費者がそのまま使い続けます。そのため、あらゆる使用方法に耐えられるように耐久性を高めていたんです。もし自分たちの設計でやったら故障頻発で使えなかったでしょう。一つ一つの部品は優れているんですけど、総合力となると劣っていました。交換会の席で忠弥さんが話すのを聞いて打ち砕かれましたよ。
どんな小さな事も考えていて、製品に反映していました。
私はそれまで勉強したことが実社会に役に立つ、必死に覚えたことをそのまま実行すれば良い、多くの事を覚えれば良い、と考えていました。
海外から最先端の技術と知識を持ち帰ればそれで十分だと。
しかし、活用するためにはありとあらゆる視点から物事を見ないといけないことに初めて気が付かされました。今までやって来たことを否定されたようで打ちのめされましたね。
ちんけなプライドが砕かれて途方に暮れて無意識に歩いているとき、フラフラとあの格納庫に行ってしまいました。
そこで見たのは忠弥さんが一心不乱に飛行機を作る姿でした。
小さい身体でも誰よりも動いて作り上げていく姿は眩しかったですよ。
「一緒に作りません?」
私に気が付いて声を掛けてくれた言葉です。今でも覚えていますよ。
自信喪失していた私では無理だと伝えたんですが、技術交換会で私が出したアイディアを覚えていて評価してくれたんですよ。あのままではダメだけど、手直しすれば良いと。その上で採用しますと。
それで少しは心が晴れました。
そして技術者として人類初の有人動力飛行が出来るかどうか尋ねました。
「出来ます!」
迷いも無く断言しましたね。
もし失敗したらどうするのか、と聞きましたが、失敗しないように手を尽くしますと言いました。
どうすればそんな事が出来るんですか、と私が聞くと見せてくれたんですよ。
飛行機を壊しているところを。
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