新世界の空へ飛べ~take off to the new world~

葉山 宗次郎

第一部

第1話 転生

 ……もうだめか


 四〇度の高熱ため、朦朧とした意識の中で若者は思った。

 病院の集中治療室に入れられ人工心肺装置を取り付けられた彼は声も出せずにいた。

 エクモを取り付けるかどうか先生方が話し合っているが絶対数が足りず見込みは無い。

 二〇二〇年の年頭に武漢で発生した新型コロナウイルスCOVID-19は全世界に蔓延した。初めは老人が掛かりやすいと言われたが若年層にも蔓延し、感染者の五パーセントが重症化した。

 ベッドで寝かされている若者も、感染し重症化してしまった。

 誰にでも感染しえるウイルスだったが彼の場合は精神的にも非常に大きなダメージを受けていた。

 彼は昔飛行機に乗ったとき客室乗務員のご厚意によりコックピットを見学させて貰った。

 9.11により保安基準が厳格化されていたが小さい子なら大丈夫だろうし、見せて上げたいという機長の心意気によって入れて貰う事が出来た。

 狭い部屋にこれでもかと並ぶ計器類、並列に並ぶパイロットシート、間にあるWの形をした操縦桿、エンジンを制御する四本のレバー。

 何より、目の前の窓に広がる空と海。

 客室の窓より広く、横では無く前方を見る事の出来る窓の景色はは全く違った。

 目の前に広がる何処までも高い空と浮かぶ大きな雲。

 その光景を目にした少年は何時か自分でその景色を見たいと思い、パイロットになる事を夢見ていた。

 そのために様々な事を学びいよいよ航空会社へ就職することになった。

 だがそこへコロナウイルスが世界中に蔓延した。

 致死率は二パーセント程と考えられた。通常なら無視して良いかもしれないが感染率が非常に高いため、簡単に人に感染する。もし人類七〇億人全員に感染すればそのうちの2パーセント一億四〇〇〇万人以上が死ぬことになる。

 しかも八〇パーセントが無症状のため、知らず知らずのうちに感染者となり、多くの人が移動しあっという間にウィルスが広がった。

 その移動を促進したのが航空機だった。

 二四時間で地球の裏側に行ける航空機は各国にウィルスを送り出した。

 各国は感染防止の為、移動制限、入国制限を行い交通機関はほぼ停止状態に。

 航空業界は一番の影響を受け、旅客はほぼゼロ、収入は九割減という悲惨な状況に。

 航空機は空港に留め置かれ、航空機の墓場と言われるピナル・エアパークは航空機で溢れる事態だ。

 そのため少年から若者になった彼は内定した航空会社が業績悪化を理由に内定取り消しを通達され、直後にコロナにかかりあっという間に重症となりICUに入った。

 身体と精神の二つをコロナに叩きのめされた若者の命の火は静かに消えていった。




 青い空の中に高くそびえ立つ入道雲。

 風は爽やかで心地よく吹いており、気温も徐々に上がっており、もうすぐ蝉も鳴き始める夏の光景だ。

 そんな深い青色の空の中を一機の飛行機が飛んでいた。

 いや、正確には模型飛行機だ。

 一機だけではなかった。数機の模型飛行機が風に向かってゴム動力のプロペラを回して飛んで行こうとしている。


「行っけー」


「がんばれー」


「もっと飛べー」


 飛行機を追って小さな子供達が地面を駆けて行く。誰が高く遠くへ飛ばせるか競争をしているため皆真剣な表情だ。

 しかし、勝負はあっという間に片が付いた。

 一機の飛行機が他の数機よりも遥かに高い高度をまるで鳥のように飛んでいた。

 白い翼を持つその模型飛行機は、悠然と青い空の中を飛んでいく。


「ああ、やっぱり」


「忠弥さんの飛行機は良く飛ぶな」


 少年達が振り返った先、彼等が飛行機を飛ばした小高い丘の上、吹き流しが結ばれた塔の横に立つ少年。

 彼等よりほんの二、三才年上のもうすぐ十才になる少年二宮忠弥だった。

 彼等は飛行機が地上に降り立つとそこに群がり、自分の飛行機を回収する。

 そして最後に、一番長く飛んでいた飛行機を回収した忠弥の元に集まった。


「忠弥さん、今日の飛行機は一段と長く飛んでいましたね」


「アスペクト比、翼の縦と横の比率を少し大きくした長距離滑空型だよ。揚力が大きくなる分バランスが心配だったけど上手く行った」


「忠弥さん。その飛行機を下さいな」


「ああ、いいよ。ただ、この後も数回飛ばして実験を終えてからね」


「やったーっ」


「あー、狡い。俺にも売って下さいよ」


「大丈夫だよ。試作機がいくつかあるから。手直しをして売るよ」


「やったーっ」


 子供達は歓声を上げる。

 忠弥とは殆ど変わらない年齢だが、彼等にとっては素晴らしい模型飛行機を作り出す英雄だった。

 その視線に忠弥はむずかゆしさを感じた。


「今はこれが精一杯か」


 手の中にある模型飛行機を見ながら呟いた。

 コロナで死んでから若者の魂は転生し別の世界に移った。

 世界の東にある大洋の中に浮かぶ秋津列島に建国された国、秋津皇国。

 その皇国を構成する五つの大きな島の内、東にある大島、大東島の海に近い農村の鍛冶屋の息子、二宮忠弥として生を受けた。

 二十世紀初頭の日本に似た国で、産業も科学技術も二一世紀に比べれば遅れている。

 ファンタジー世界でもないらしく魔法も魔物もいない。

 技術はこの辺りは牛馬が車を引く程度で、飛行機はおろか内燃機械もない。

 自転車がようやく入って来て実家が扱っている程度だ。

 あとは近くの港に入ってくる機帆船と鉄道の蒸気機関車が蒸気機関を使っているだけ。

 内燃機関、ガソリンエンジンは海外の新旧大陸で使われ出しているが、皇国では皇都周辺のみ。本島から離れた大東島の忠弥のいるド田舎ではお目に掛かる事は無い。

 そのため忠弥は初めは塞ぎ込みがちだった。だが空を飛ぶ鳥を見て考えた。


 誰も飛行機を作って飛んでいないのなら自分で作って飛べば良いのでは。


 そう思った四才のある日から忠弥はひたすら飛行機作りに励んだ。

 二一世紀で覚えた知識を総動員して飛行機の設計図を書いた。

 勿論知識が所々抜けているし、実際に製造できるか不明な点が多い。

 だからその不明な点を埋めていくことに時間を費やした。

 実家が村の鍛冶屋というか何でも工作屋という事もあり道具が揃っていた。

 忠弥は父親の作業を手伝いながら、竹ひごや糸、紙、柿渋などに加え実家に入ってくる破れた自転車のチューブを細く裂いて作ったゴム紐で模型飛行機を制作。

 実機を作るためのデータ収集用に使っていた。

 同時に村の近辺の陸に毎日登り気象観測を始めた。飛行機を飛ばすために良い風、強くもなく、弱くもなく、常に一定の風が吹く場所、その時期、時間を観測するために毎日見ていた。

 これぞと思った場所に吹き流しを立てて、風を観測することを行った。

 やがて模型飛行機が出来上がると、ここぞと思った場所で飛ばし始めた。

 勿論最初から上手く行くはずはなかったが、徐々に改良してゆき、長く高く飛ぶようになった。

 予想外だったのは、模型飛行機が飛ぶ姿を見た村の子供達が興味を持ち欲しがり始めたことだ。

 データ収集のために微妙に翼の角度や形を変えているが、データ収集が終わったら要らなくなる試作機を売り、新たな機体の製作資金源にした。

 そして新たな機体を作る度に長く高く飛んでいく忠弥の飛行機を手に入れる事は村の子供達に取ってある種のステータスとなった。

 勿論、作り方も教えているし、材料と設計図を少額で販売している。

 だが、忠弥のように作って飛ばすことの出来る子はごく少数で、結局多くの子供は忠弥の飛行機を買うことになった。

 お陰で実験費用を除いても多少の小銭は貯まっていたが、実機を作れるほどの金額ではない。さらに忠弥は他にも悩みを抱えていた。


「さて、どうするかな」


「どうしたんですか?」


 再び飛行機を飛ばすために陸に向かう途中で吐いた忠弥の独り言を年下の子供が聞いて尋ねてきた。


「いや、卒業したらどうしようかなとね」


「高等科に進まないんですか」


「バカ言うなよ。忠弥さんなら中学にも行ける。何しろ二年も飛び級しているんだぞ」


「ははは……」


 苦笑いを浮かべながら忠弥ははぐらかした。

 二一世紀の日本では工学系の大学を出ており、小学生のレベルなら落ちこぼれない。

 ただカリキュラムが違っており簿記など触れたことの無い授業が少し苦手だった。

 だが、事前に入念に予習することで素早く吸収した。そして二一世紀の記憶と修めた学問を使って成績優秀者となった。

 しかもこの秋津皇国では飛び級制度があり、六年制の小学校でも優秀な生徒は直ぐに上の学年に上がれる。

 成果を上げれば必ず報いる。優秀な者は直ぐに引き立てるのが皇国の昨今の方針だった。

 他国に比べて少し技術が遅れ気味のため、優秀な人材を直ぐに育成して現場に突入したいからでもあるが、忠弥はこの制度を最大限に利用して飛び級した。

 だが、この先どうするか不透明だった。


「中学には行かないんですか?」


「うん、学費もあるけど、ここだと習える事が少ないから」


 静かに忠弥が年下に語った事は傲慢では無く事実だったからだ。

 小学校には普通科と高等科があり、成績優秀者は高等科へ行き更に二年勉強できる。だが内容は高が知れている。

 もっと高等な勉学に励みたいなら中学校へ行くしかない。だが片田舎の中学では入ってくる情報が少ない。

 インターネットの無いこの世界では情報は非常に貴重だ。同じ国でも皇都の事など忠弥のいる田舎には入ってこない。

 入って来る情報は政治か事件ぐらいだ。

 忠弥が欲しい技術情報、エンジンや航空に関する情報は滅多に入ってこない。

 精々、広告用のバルーンを上げたとか遊覧用の気球が飛んだという記事を新聞で見るだけだ。

 内燃機械、ガソリンエンジンの情報が無かった。


「皇都に行けば違うのだろうけど」


 通信網が貧弱なこの国では情報を得るには現地に行かなくてはダメだ。

 だが、伝手もないし、本当にガソリンエンジンがあるのかどうか分からない。

 分からないなら確かめに行かなければならないが、同時に時間が掛かり、それだけ遅れるという事だ。

 それにこの国の中学や高等学校は教養を重視している。

 テストの点で良い点を取って飛び級した人間ではなく長く教養を育んだ人間。何年も浪人するか、社会人を経てから入学した学生ほど尊敬される。

 年下のテストが得意で入学してきた少年など尊敬されないし最悪パシリにされる。テストを重視しない点は良いが、認められないのも不公平に思える。

 そして一番大事なのは、上の学校へ行っても航空機の実験を行える環境があるかどうか。実家の鍛冶屋に居た方が融通は利くのではないかという疑念だ。

 そのパラドックスをどうするか忠弥は悩んでいた。


「ん?」


 その時、丘を登り切る寸前、忠弥の耳にかすかな音が、聞き覚えのある懐かしい音が聞こえてきた。

 

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