Side-B 12
「じゃ、また。連絡するよ」
「うん、私もする。またね」
手を振りあい、智偉は紗月に背を向けて歩きだした。
孝太がガードレールから体を離した。
「……ごめんね。待っててくれてありがとう」
「誰?」と紗月を見ずにジーンズをはたく。
「昔の知り合い、かな」
「昔っていつだよ?」
「中三のとき」
「うちの中学じゃないよな?」
「違うよ」
「……好きだったとか?」
「まさか」
好きだったわけではない。でもとても大事な人だ。運命共同体だったし、これからもずっとそうだ。
「どういう知り合い?」
――でも、なぜそうなったのだろう。
「だって、二人して泣いたり笑ったりして……平岡が泣いてたと思ったらあいつも泣いてるし、かと思えば笑ってるし。どういうつながりなんだよ?」
「あの交通事故のとき、あの人もそこにいたの」
孝太がはっとしたように振り返った。
「そういうことか……じゃ、平岡が目を覚ましたとき呼んでたのはあいつだったのか。ともいくんって」
そう、同時に事故にあった――でもなぜ自分も彼もそれを知っているのだろう。あの瞬間のことはなるべく忘れようとしてきたし、実際に細部はすでにおぼろなものになっている。一歩まちがえればその場で死んでいたかもしれない、意識不明の状態から帰ってこられなかったかもしれないという恐怖も、そのほうがよかったのではないかと思う骨が軋むような苦しみも、それらが
――こんなに長い時間何を話していたのだろう。思い出せない、まるで水面に揺れる波紋が水底を隠しているように、ついさっきまでの出来事がよく見えない。なぜかこの感覚も初めてではない気がするが、前はいつ、どこでだったのか――そのときふいに水底で記憶のかけらがきらりと光った。
九年前病院で目が覚めたとき、左腕に鈍い熱を感じた。あれはあの事故の瞬間智偉が自分を助けようとつかんでくれたなごりだったのかもしれない。そんなものが冷凍されていたみたいに三ヶ月近くもそこにとどまっていて、目が覚めたと同時によみがえるなんてまずありえない、でも――
「うん。運命共同体なの」
そもそも今のこの状況が、初めて会ったはずの相手の名前をおたがい知っていたことからして常識では説明がつかない。それでも、理解できようとできまいと、起きていることをそのまま受け入れるべきであるときが世の中にはあった、はずだ。立ち止まらずに歩いていく智偉の後ろ姿もそうだよ、と頷いているような気がした。
「……なんか、それ、好きだったって聞くよりちょっといやだな」
「ごめん。でも、本当にそうなの。私が生きていくために必要な人なの。だから、……わかって」
しばらく黙っていたのち、孝太は紗月の手をぐいっと握った。
「わかった、努力するよ。ちょっと時間かかるかもしれないけど」
「……ありがと」
いいって、とぶっきらぼうに言い歩きだす。紗月はグレーのパーカーに包まれた肩に頭をのせて目をとじた。
ふいにつないでいた手に力がこめられた。
「結婚しような」
「……うん」
「ずっと一緒にいような」
「うん」
「俺、おまえのこと好きだからな。……紗月」
「私も好きだよ、孝太。宇宙で一ば……ん」
――紗月、元気でね。宇宙で一番大好きだよ――
紗月は目を開けた。まわりを見回したが、夕暮れの風が吹きぬけていっただけだった。
「なんだよ、珍しいな」と孝太が目をむく。その表情につい吹きだすと、孝太はますますぶっきらぼうな早口で「だっておまえ、俺に好きだなんてめったに言わないじゃん。いつもありがとうとか私もとか言うだけで」とつけくわえた。
「言っちゃだめ?」
「そんなこと言ってないだろ。――いいんだけどさ。ちょっとびっくりしただけ」
「この広い宇宙で好きな人と一緒にいられるのは本当に奇跡みたいなことなんだって、思い出した……気が、したの」
孝太は目を丸くし、「紗月、おまえ、ここにいるよな?」とつぶやいた。
「え? なにそれ」
「いや、……てか、宇宙で一番って。大げさだろ」
唐突におさえがたいほどの至福が押しよせ、紗月は孝太の手を握りしめた。こんなに簡単で、だからつい忘れてしまうこと。これからもずっと俺と一緒にいてほしいんだ――孝太は何年も前の言葉を現実に、たしかな未来にしてくれる。なら自分も好きだと思ったときに好きだと伝えればいい。毎日でも、嬉しそうな照れくさそうなこの顔を見るために。永遠に一緒にはいられない、明日別れが来るかもしれない、でも、だからこそ思いっきり、精一杯。一緒にいられる瞬間はいつだって、まちがいなく、奇跡そのものなのだから。
「え、なんだよ。なに泣いてんだよ、ひら……紗月」
「泣いてない。いいよ、じゃ地球で一番くらいにしとく?」
「……いや」
「日本で一番、いや、東京で一番?」
「いいよ、宇宙で一番で」
紗月が笑うと孝太もつられて笑いだした。
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