第2話 お見合い
「さて、では後は若い二人に任せましょうか」
両家両親含めての談笑中、公爵がそう言うと公爵夫妻も私の両親も部屋を出て行く。
私とアナスタシア様だけが部屋に残された。
アナスタシア様は、何か申し訳無さそうな顔をしている。
「よろしければ庭でも散策しませんか?
セブンズワース家の庭園と比べたらお恥ずかしい限りの庭ですが、王都では咲かないシシスの花がちょうど見頃です」
「まあ。シシスの花ですの?
楽しみですわ」
そう言って笑う彼女に、私はエスコートのための手を差し出す。
もう何年も貴族と商人をやっているから、女性の扱いも大分スマートになった。
「ジーノリウス様。お話があります」
散策中に話が途切れたとき、それを待っていたかのようにアナスタシア様が話を切り出した。
「では、あちらのガゼボにお茶を用意させます。
そちらで話しましょう」
私は、少し離れたところに待機していた使用人にお茶の用意を頼む。
「それでお話とは?」
使用人がお茶を用意し、話が聞こえない位置にまで下がってから私は尋ねた。
「申し訳ありませんでした。
この縁談は、父が勝手にまとめてしまったものです。
わたくしが父に言って何とかしますので、しばらくお時間を下さいませ」
アナスタシア様が立ち上がって謝罪の礼を執る。
スカートを持ち上げて腰を落とし、頭を下げる姿勢だ。
さすがは公爵令嬢。
「それは、この縁談を破談にするということですか?」
座り直したアナスタシア様に私が尋ねる。
「ええ」
私の質問にアナスタシア様が答える。
もしかして他に想いを寄せている人でもいるのだろうか。
そう思った私は、アナスタシア様に尋ねる。
「なるほど。
既に心に決めた方がいらっしゃるのですね?」
「まさか。そのような方などおりませんわ」
心外といった顔でアナスタシアが答える。
表情を見る限り、本心からそう思っているようにしか見えない。
となると、やはり。
「では、やはり私が原因でしたか。
申し訳ありません。
女性には慣れていないもので」
前世でキモメンだった私は、やはり心もキモメンなのだろうな。
今世では仕事や親戚付き合いでは女性と上手くやれていた。
だが、恋愛や結婚となるとやはり致命的な問題がすぐ見つかるのだろう。
「いいえ。そのようなことはありませんわ」
「お気遣い頂かなくても大丈夫ですよ。
自分でも女性の扱いが稚拙なのは理解していますから。
それで、後学のために私のどこが問題だったのか教えて頂けませんか?
自分の欠点は把握しておきたいので」
「いいえ。本当に申し分ない方だと思いましたわ。
何故そういう結論になるのでしょうか」
その後も手を替え品を替え聞いてみたが、私の問題点は教えてもらえなかった。
困った。
これでは改善のしようがない。
このままでは、また女性から破談を申し入れられてしまう。
次の縁談でも、その次の縁談でも、その次の縁談でも……。
また独居老人なのか? それは嫌だ!
「このようなことを申し上げるのも何ですが、両親はわたくしのことを深く愛してくれています。
ジーノリウス様がわたくしと結ばれてしまい結婚後に愛妾などをお持ちになったら、両親は持てる力の全てを使ってジーノリウス様を破滅させようとするでしょう。
特に母は、陛下の妹です。
陛下は、母のことになると人が変わるほど可愛がっていらっしゃいます。
母が泣き付けば陛下は激怒されるでしょう。
母の権力は絶大です。
もしジーノリウス様が破滅せずに他の女性と関係をお持ちになるおつもりなら、両親との力関係が逆転した後で、ということになります。
少なくとも陛下が退位なさるまで母は力を持ち続けますから、最低でも二十年は先の話になるでしょう」
唐突に何の話をしているのだ?
浮気なんぞするわけがない。
前世の知り合いには浮気して離婚になった奴が何人かいるが、誰一人幸せにはなっていなかった。
浮気相手と結婚しなかった奴はそのまま独居老人になったし、浮気相手と再婚した奴も熟年離婚して退職金をごっそり持っていかれた上で貧困独居老人になった。
独居老人の悲惨さは、身に
そもそもの話、人のものに手を出すような性根の女と一緒になって幸せになろうとすることに無理があったのだ。
だから私は、そんなことをするつもりは全く無い。
独居老人はもう御免だ。
誰でもいい。
側にいてほしい。
もしそれがアナスタシア様のように穏やかで優しい人なら嬉しい。
「その、何の話をされています?
私は浮気するつもりなど毛頭ないのですが」
私はアナスタシア様に尋ねた。
「それなら尚のことわたくしと婚約されるべきではありませんわ。
ジーノリウス様は怜悧な方だと、父より伺っております。
今日お会いしてみて、ジーノリウス様は見目もお美しく、お話もお上手で、細やかな気遣いのできるお優しい方だと分かりましたわ。
加えて浮気などされない誠実さをお持ちなら、ジーノリウス様はきっと引く手
わたくしのような女と結ばれてしまうのは悲劇ですわ」
んん? 悲劇?
この人は何か問題でも抱えているのだろうか?
「その、大変お話しにくいことであると承知でお伺いします。
アナスタシア様は何か問題をお抱えなのですか?
私で良ければ、解決のために力をお貸ししますが」
私がそう尋ねると、アナスタシア様はきょとんとした顔をする。
どうもさっきから話が噛み合っていないな。
「ありがとうございます。
ですが、こればかりはどうにもなりませんわ」
クスクスと笑いながらアナスタシア様が言う。
「わたくしの抱える問題とは、この外見のことです。
このような醜い女と結ばれるのはお嫌でしょう?
しかもわたくしの両親の権力は絶大で、入婿の立場では他の女性に逃げることも
お相手の男性にとって、わたくしと結ばれてしまうのは不幸でしかありませんわ」
ああ。ようやく理解できた。
アナスタシア様はご自身の容姿を気にしていたのか。
私は気にならないし、そんなことよりも私の恋愛スキルの低さの方が遥かに心配だったから、そっちにばかり意識が行っていた。
「両親には養子を迎えてもらって、その方にセブンズワースの家を引き継いでもらおうと思っています。
両親はまだわたくしの結婚を諦めていませんが、あと十年もすれば二人も諦めるでしょう。
ジーノリウス様のお力をお借りするまでもありませんわ。
時間が全てを解決しますから」
いや、それでは何も解決になってないではないか。
家の問題はそれで解決するかもしれないが、アナスタシア様はどうやって幸せになるつもりなのだ?
その行く末は独居老人だぞ。
ああ。
もしかして結婚には幸せを求めないタイプなのか?
政略結婚が当たり前の上級貴族には、そういう人が多いと聞いたことがある。
「結婚では幸せになれないと、アナスタシア様はそうお考えなのですか?」
「結婚によって幸せ……ですか。
考えたことがありませんでしたわ。
こんな見た目ですから、結婚など
そう言ってアナスタシア様は寂しそうに笑う。
胸が締め付けられて苦しくなるような笑顔だった。
今気が付いた。
この子は前世の私と同じなのだ。
ただ醜いというだけで人間扱いされなかった私と同じなのだ。
あの笑い方は、前世の私の笑い方と同じだ。
全てを諦めたような、あんな笑い方を私もしていた。
マグマのような圧倒的な熱量を持った何かが、胸の奥から津波のように押し寄せて来る。
「……諦めないで下さい」
「え?」
「諦めないで下さい!
顔が悪いくらいなんだって言うんですか!
ただ顔の肉の付き方が人とちょっと違うだけでしょう?
なぜたったそれだけのことで、あなたは全て諦めたような顔をするんですか!?
諦めるな!
幸せになることを諦めるな!
君は幸せになっていいんだ!
君だって幸せを望んでいいはずなんだ!
全てを諦めたように笑うな!
君の人生はこれからじゃないか!」
気が付けば、アナスタシア様の両肩を掴み、目に涙を
独居老人になってから、考える時間だけはあった。
もしあのときああしていれば、今のこんなみじめな自分はいなかったのではないか、と若い頃の不甲斐ない自分を思い出しては後悔する毎日だった。
私は、彼女を通して、前世のまだ若かった自分にエールを送っていたのだと思う。
後半敬語ではなくなったのは、それが原因だ。
それには気が付いたけど、もう私は止まれない。
この子は、まだ独居老人の辛さを知らなかった頃の前世の私なのだ。
定年退職してから死ぬまでの時間は、子供が大人になるまでの時間と同じくらい長い。
孤独に過ごす老後の辛さを、その苦痛が続く時間の長さを、彼女はまだ理解できていない。
何も知らないまま、私と同じ悔恨に塗れた孤独で辛い人生を歩もうとしている人を、今ここで止めなければ私はきっと後悔する。
元より私は、容姿なんて気にしない。
容姿で人を差別する人間にだけはなりたくない。
それに美貌なんていずれ衰えるし、人は美貌を失ってからの時間の方が遥かに長いことを私は知っている。
そんなことよりも、老後一緒に過ごすなら人柄や話しやすさの方が大事だ。
その点、彼女は申し分のない素敵な人だ。
私にはこの縁談を断る理由はない。
何より、彼女を救いたいという気持ちがとても抑え切れない。
前世で八十二年、今世で十六年。約一世紀も生きてきた。
それだけ生きても、恋人なんて一度も出来たことがない。
そんな男が「女性を救いたい」なんて
だが、そんな傲慢な想いこそが、私の本心だった。
「私に、君が幸せな人生を送るための手助けをさせてほしい」
そう言って私は跪いて手の甲にキスをする。
子爵家の息子としての生活を始めてからもう十六年にもなる。
手の甲へのキスは、姉や親戚の子相手によくやっているから慣れたものだ。
「私と結婚してほしい。
君を必ず幸せにすると約束する。
だから、自分の幸せを諦めないでくれ」
白い肌はみるみる真っ赤になり、緑の部分は色が濃くなっていく。
「……は……はい……」
熱に浮かされたような顔でアナスタシア様は生返事を返した。
「ありがとう」
彼女が少しは前を向いてくれたかと思うと嬉しくなり、私は勢いのままに彼女を抱き締めた。
エヘンエヘンと大きな咳払いが聞こえたので音のする方を見たら、なんとセブンズワース公爵の咳払いだった。
公爵以外に公爵夫人やうちの両親、更には使用人や護衛まで揃っている。
護衛は皆、いつでも私を制圧できるような姿勢で身構えていた。
状況から見るに、どうやら皆で様子見していて、私が大声を出したのに気付いて慌てて飛び出して来たようだ。
貴族同士の会話で大声を張り上げるなら、それはかなりの異常事態だ。
私は慌ててアナスタシア様から離れてガゼボの椅子に座り直した。
抱き締められた場面を全員に見られていたことを知り、アナスタシア様は白い肌の部分を茹で蛸のように真っ赤にさせて両手で顔を覆ってしまった。
不味い。
この世界の貴族の男女関係は、前世よりもずっと厳格だ。
たとえ婚約者であっても触れて良いのは手のひらだけ、触れさせて良いのは手のひらだけだ。
女性に、しかも初対面の人を相手に肩を掴んだり抱き締めたりなど、マナー違反も甚だしい。
およそ子爵家の四男が公爵家の一人娘にやっていい振る舞いではない。
「節度を持った付き合いを頼むよ」
冷徹な視線を私に向ける公爵がそう言う。
「はいっ!
申し訳ありません」
私は平謝りしかできなかった。
「まあまあ。いいではありませんの。
あんなに情熱的に口説かれて、アナだって喜んでいますわ」
楽しそうな公爵夫人が公爵にそう言う。
「それが問題なのだ」
そっぽを向いてそう呟く公爵を見て、公爵夫人はクスクスと笑った。
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