§7 男友だちとの決別
正月の三日、七海は冬馬と静岡の浅間神社に出掛けた。神社の参道は初詣の人出でまだ混雑しており、七海は彼の後をようやく付いて歩いた。お詣りが済んで駅前の商店街に戻り、ファミレスで食事をする事になった。
「冬馬君、歩くのが早いからはぐれるかと思ったよ。手を引いてくれれば良かったのに!」と愚痴をこぼす私に、彼はメニューを見ながら答えた。
「手をつないで良かったの?先に言ってよ!人でいっぱいだったから、どうしようかと迷ってたんだ。これからでも遅くないよね。」
「うん、いいよ!今日は何でも聞く日だから、手をつないで歩こうか!」
彼は嬉しそうに微笑み、子供っぽい所をうかがわせた。食事の後は手をつないで歩いていたが、彼の大きな手は汗で湿っていた。ゲーセンでプリクラを撮ったり、ゲームをしたりして一時を過ごし、帰る事になった。
「もう帰るの?実はわたし、冬馬君に話したいことがあるんだ。」
「おーっと、いよいよ梅ちゃんの告白か?」
公園では寒いし、カフェは混んでいるしという事で、二人はカラオケボックスを選んだ。飲み物を取り寄せ、折角だからと2曲ずつ歌った。七海は冬馬に告げるべき事が気になって気もそぞろだった。
「わたし、冬馬君のことを嫌いじゃないよ。こうして話を聞いてくれるし、わたしのわがままに付き合ってくれる男の子は、冬馬君しかいないし。ずっと好きだと言ってくれているのに、それに応えないわたしは、ひどい人間だと思う。これ以上気持ちに甘えるのは、冬馬君を傷付けるだけだと考えたの。前に告白されて付き合えないと言ったのは、わたしの心の中にずっと思っている人がいるからなんだ。私自身が、それにやっと気が付いた。」
私がいきなり話し始めたので、彼は驚いて口を閉ざしていた。
私は彼の誠実さに応えなければいけないと思い、正直に心の内を明かす事にした。千宙との出会いから交際の経緯、転校による行き違いや再会の約束をしている事などを話した。彼の前では素直になれる自分がいて、すべてをさらけ出していた。彼はうなずきながら、私の話を聞いてくれた。話し終わってしばらくは沈黙が続いていたが、
「梅ちゃんの気持ちは、よく分かったよ。つまり、付き合ってもいないからおかしいけど、別れようということかな? でも、もしその彼に新しい彼女ができていたら、あきらめるんでしょ!その時には、俺にもチャンスだ!」
と精いっぱいおどけて見せる彼に申し訳なく、私は心の中で謝っていた。そして、謝罪の気持ちを態度で示そうと、彼のすぐ横に座り直して手を握った。彼は握り返す事もせず、ただじっと固まっていた。
「最後に一つ、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」と彼が言うので、
「なに?いいよ!言ってみて!」と彼の横顔をじっと見た。
「最後に、ハグしても良いかな?」と小声でつぶやく姿は、子供じみていた。
「なんだ、そんなこと?いいよ、だけど10秒ルールだよ!」と言って私が立ち上がると、彼の巨体が目の前に立ちはだかった。私としても男の人にハグされるのは初めてで、胸の鼓動は早鐘のように激しく打っていた。落ち着く間もなく、私の体は彼の腕の中に包み込まれていた。
「ちょっと苦しいかな!息ができないし、背骨が折れるかも!」と言うと、 少し力を緩めてくれたので、余裕のできた私は背伸びして彼の首に腕を巻き付けてみた。すると抱き締めたまま体を軽々と持ち上げ、私の足は床から宙に浮いた状態にあった。冬馬君のたくましさと温かさを、私は肌に感じていた。男の人に抱かれる喜びが、少し分かったような気がした。
「もう10秒過ぎたよ!」と声を掛けると、ようやく解放してくれた。
「今まで、ありがとう!気が済んだよ!梅ちゃんは、俺にとって高嶺の花だった。それなのに、こんな馬鹿に付き合ってくれて、ハグまでできて、今こうしていることが信じられないくらいだよ。だから、気にしないで!」
どこまでもお人好しな彼の言葉に、涙が出そうになった。
「もう一つだけ、聞いて良い?梅ちゃんは、キスしたことはあるの?」
座り直して落ち着いた所で、彼が唐突に訊いてきた。
「何よ、いきなり失礼なことを訊くね!それは秘密だよ!冬馬君は?」
「おれはないんだ!本当はキスしたかったけど、俺にはそんな資格はないし、一度したら我慢できなくなると思って、言わなかった。」
「冬馬君は、本当に正直で良い人だね。無理矢理にしようと思えばできたのに、わたしを気遣ってくれたんだね。自分勝手で、ほんとにごめんなさい。」
二人はもう1曲ずつ歌い、言葉少なに帰路に着いた。別れ際はさっぱりとしたもので、七海は彼の人の好さに心から感謝していた。そして、心の奥底に潜んでいた千宙への思いが呼び覚まされ、再燃しつつある事を自覚した。家に帰って、両親に東京の大学に行きたいと意思表示をするつもりだった。
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