生きがい
生きがいのないやつは危ない。
生きがいを教えてくる人間も危ない。
生きがいは自分で見つけるものだと言ってくるやつも危ない。
これは僕の人生十八年と半年のなかで得た教訓である。
自分の心がない人間は危ないのだ。簡単に人の意見に踊らされ洗脳状態に入ってしまう。もちろんその状態になってしまっているなんて気づかずに生きている。
自分の心がない人間は何をするかわからない。単独ならまだいい。しかし指導者のような人間がついているなら僕は近づきたくない。もしかするとその人物の言葉一つで僕にも危害を加えてくるかもしれない。彼には罪悪感など微塵もない。あるのは利己的な考えだけだ。だからだめなんだ。
生きがいを教えてくる人間なんてもちろん危ないのだ。自身の意見を押し付けようと、自分のことを見てもらいたいと思って近づいてくる。そんな自慰行為を僕の前でしないでくれ。その汚い心を俺の前でしごくな。気持ち悪い。
そしてそんな人間は小太りの男性に多い傾向がある。ただの偏見だけど。そんな人達は基本的に髪の毛はボサボサ。顔から垂れている汗を気にする様子もなく、近づいたら油と汗の匂い。そんな人間に大学になってよく会うようになった。鼻息が荒いというのを補足情報として上げておこう。彼らはこちらの意見など聞く気がない。会話をしたいと思っているのではない。ただ誰かに話したいのだ。自分がいかにすごいのかを。それがとても気持ち悪い。どうか僕に近づかないでおくれよ。僕は話は聞いてやる。が、せめて会話をしてくれ。
特に危ないのは生きがいは自分で見つけるものなんだと教えてくれるやつだ。これは僕のことだ。こんな人間が一番悪い。人に話しかける時に優しく話しかけ、話を聞くときにはすべては肯定しない。一部けなしながら、バカにしながら、楽しそうに友達のように話を聞く。そうすると心を開いてくれる。もしも全行程botになったのなら相手は警戒心を抱きやすい。だからこそ、しっかり聞いているんだぞという姿勢を印象付ける行動。これを行ってくる人間は信用しないほうがいい。ただ楽しくやっている人もいるだろう。人を惹きつける能力としてはほぼ最大限と言ってもいい。だからこそ危ないのだ。
僕はただ楽しく話せればいいと思っている、だがこれを悪用すれば指導者側に回ることができる。そして僕もいつかそんな人間になってしまったら怖いなと思う。
僕自身ですら生きることが難しいのに誰かの人生まで背負わなければならない、そんなのは嫌だ。
というか僕には彼女ができたことがない。
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