第42話 「人は、駄菓子のみにて生きるにあらず」
相変わらずの男の子、だった。
「聖書の言葉では、パンのみにて生きるにあらず、だったよな?」
「ああ、聖書ならね…」
「そうだろう?」
「聖書、かあ…。神の、書物だ。ヒビキ君は、駄菓子の神を信仰していたんだね?」
「…そういうことに、しておこう。ヒビキ君は、良いところに気付いたね」
「ふん」
照れていた。
駄菓子の神の教えは、神々しいばかりだった。
ただし、誤解もあったらしい。聖書の教えは、どう受け取るべきだったのか?
それは、駄菓子の食べ方、買い方のように多様だといわれた。
後世の人の受け取り方によっては、時に、思わぬ解釈がされていたそうだ。
「人は、駄菓子のみにて生きるにあらず」
では、なかった…。
「人は、パンのみにて生きるにあらず」
その言葉の解釈も、ぶれていたという。
「駄菓子の宇宙軸が、ぶれたんだ。面白い現象さ」
男の子の声が、一気に、潤った。
「人は、パンのみにて生きるにあらず」
その言葉を聞けば、こう、解釈されがちだった。
「人というのは、物質的な満足だけでは、生きられない。精神的な満足もなければ、ならない。パンという物質だけを求めて腹が満たされたとしても、それは、必ずしも、人間の根源的な充足とはならない」
その言葉を駄菓子に置き換えれば、どうだったか。
「人は、駄菓子という物質だけでは生きられない。心の充足も、必要だ」
男の子の顔が、強く見えた。
「ヒビキ君?物質だけでは、満足できない
んだ。精神的な支えもあってこそ、駄菓子屋文化は、花咲くんだね?」
男の子は、どんな駄菓子屋愛を、教えたかったのだろうか?
「人は、物質的満足だけでは、生きられない。精神的満足もなければ、ならない」
ここで男の子は、衝撃的なことを言った。
これが、駄菓子屋教室。
そしてその深さ、だったのか?
「実は、それって、誤解」
「疲れたなあ」
「まあ、聞きなよ。ヒビキ君?」
「人は、パンのみにて生きるにあらず。それって、こういう意味だと、思っていただろう?」
「何?」
何を言い出すかと、思えば…。
「人というのは、物質的な満足だけでは、生きられない。精神的な満足もなければ、ならない。パンという物質だけを求めて腹が満たされたとしても、それは、必ずしも、人間の根源的な充足とはならない。間違いなく、そういうことを言いたかったんだと、思ったろう?」
「違ったのか?」
「実はそれ、誤解だったんだな」
「そうだったのか?」
「ああ」
その言葉の原典、新約聖書のマタイ伝を知れば、誤解であったとわかるのだという。
「ヒビキ君、勉強しようか」
「…」
駄菓子屋教室の、逆襲。
男の子が、説明した。
「あるとき悪魔が、イエス・キリストにこう言ったんだ」
「ああ」
「あなたが神の子だというのなら、これらの石がパンに変わるよう、祈りなさいって。ヒビキ君、聞いているのかい?」
「聞いているさ」
そうして悪魔は、イエス・キリストを、誘惑した。イエス・キリストは、断食中で、空腹だったのだ。
これにイエス・キリストは、反論。
「人は、パンだけで生きるものではない。神の口から出る、一つ一つの言葉で、生きるのだ」
それは、何を伝える言葉だったのか?
すなわち、こういうことだったろう。
「人は、パンばかりを求めるものであっては、ならない。パンは、神の言うことに従えるのなら、自ずと、与えられる物なのです」
聖書が説いていたのは、神の大切さだ。
「ヒビキ君?」
「何だよ」
「駄菓子屋の神といえば、何かな?」
「ばばあ…か?」
「すごい、言い方だ」
「合っていたんじゃ、ないのか?」
「まったく、ヒビキ君は…。じゃあ、そういうことにいておこうか」
厳しい社会、だ。
泣きながら懸命にがんばった人たちが、金を貢がされたあげく、その人たちに職を奪われるという、わけのわからない社会だ。
「ヒビキ君?泣きたいだろう?」
「まあ、な」
「でも、そんなつらさの中にあっても、まずは、神に祈り、心を落ち着けよう。今は、耐えよう。駄菓子は、与えられるさ。そうして、生き延びていけるだろう」
「…」
「そういう意味で、その言葉があったんだよ?パンの言葉は、そういう意味さ。普段していた解釈とは、少し、ずれていたんじゃないのかい?」
聖書にあったパンの言葉の解釈がなぜ変わってきたのかは、わからなかったそうだ。
「パン教室、いやいや、駄菓子屋教室、かあ…」
駄菓子の価値分配の講義を、思い出していた。
駄菓子屋教室の教えは、本当に深かった。
あらゆる分野に、教えの枝を伸ばそうと、もがいていたのだった。
「先を、急ごう」
足の向きを、整えた。
「もう、いくのかい?」
講義の声が、追ってきた。
「ヒビキ君、先に、いくべきだ」
「わかったよ」
「講義の続きは、また、今度だ」
「良いだろう」
すべての忠告から逃れるようにして、地下フロアに降り立った。
「ずいぶんと、長いエスカレーターだったなあ…」
ため息をつきながら、辺りを歩きはじめた。
すると程なくして、音がした。
「プシュ」
振り返った。
エスカレーターは、もう、見えなかった。
完全に、消えていたようだった。ヒビキは、何者かにはめられた気になって、うろたえていた。
場の雰囲気と声は、それに反比例して、落ち着いていた感じだった。
「ヒビキ君?」
「何だ?」
「どうあがいても、うらやましくなってきちゃうのかい?」
「今度は、何だよ」
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