第128話 探索の終着点

 ケクロプスが去った後の部屋を奥に進むと上り階段を発見した。

 特に敵の気配はない。先頭に立って階段を上る。

 階段の上には大きな扉があった。俺の鑑定ではその先を見通すことが出来ない。


「先の様子が分からないな。どうなってんだ?」

「少し離れた場所に生物の気配があります。でもこちらには気付いていませんし、脅威というほどの相手でもないですね」


 ケクロプスが言うには、そこに居る連中は俺たちにとって敵ではないって話だからな。

 鵜呑みにはしないが、全てを疑っても話が進まない。

 意を決して、扉を引いてみる。

 ……動かない。

 押してみたら、軋みながらもゆっくり扉が開いていった。


 扉を押し開けながら一歩を踏み出す。

 そして、その違和感に気付いた。


「これは……?」


 空気が変化した。

 扉の先にあったのは、ヒュドラ毒の満ちる空間ではない。


 そこは、封鎖地域の外と同じ『清浄な空気』で満たされていた。


 その感想を述べる間もなく、次なる問題に思考を奪われる。

 先程セレネが察知した生物の気配。

 扉を開けた先にも続く神殿内部の正面、大柄な人影がこちらに顔を向けている。


 開けるとき、結構音が響いたからな。そりゃ気付くか。

 問題はその人影……頭部が人間のそれではない。

 犬?

 でかいコボルド……?

 いや、あれは――ワーウルフ!


 つるぎの街で遭遇した個体とは異なり、衣類を着た上に武装している。

 爪は長くはないようだ。

 狼の獣人には違いないが、完全な別種なのかもしれない。


 目が合ったまま、互いに停止してしまう。

 相手は帯剣しているものの、それを抜く気配はない。

 敵意も感じられないが、狼の表情とか分からないので何を考えているのかさっぱりだ。


「アヤセ。あの狼男、ヒュドラ生物ではないぞ……」

「え?」


 どういうこと?

 そういやこの扉の先は普通の空気だ。

 ヒュドラ毒が無くても百頭竜やドゥームフィーンドは平気なわけだが、前方に居るワーウルフはそこまで強力な個体ではない。

 ヒュドラ生物でないという点に関しては……。

 鑑定した感じそんな気もするけど、じゃあ一体なんなんだあいつは。

 ヒュドラ以外の眷属か?


 あと扉はもう全開まで開けちゃったけど、ヒュドラ毒そっちに漏れてかない?

 …………。

 鑑定によれば扉の閉まっていたラインから先にヒュドラ毒は全く動いていない。

 その場所が境界線なのだろうか?


 相手を警戒させないよう、距離を縮めずに声をかけてみる。


「えっと、言葉分かるかな? あんたは?」


 狼男はこちらの言葉が分からないのか、少し間を空けてから返答した。


「すまない。あなたの言葉が分からない。私の言葉は伝わるだろうか?」


 うん? 念話か?


「あ、ああ。あんたの言葉は分かるよ」

「おお、そうか」


 いや……何か妙だ。


 その狼男は、冷静に聞くと俺の知らない言語で喋っている。

 そこに何らかの魔法が込められている気配は無い。

 俺の念話はいつの間にか次なる段階へと進化しており、念話を使えない相手とも意思疎通が可能になっていたようだ。

 最初だけ、普通の日本語で喋ったために通じなかったのだろう。


 かつてはバジリスクなどの上位者が、俺に対してこの念話の能力を使っていた。

 今は俺が、言語の異なる相手に対して翻訳をしてやる立場になったのか。

 遠くへ来たものだな……。


「して、あなた方は何者だ? 神殿の地下から出てくるなど、尋常な存在ではあるまい」


「俺はオロチ。地上の人間だ」


「人間? そうなのか……? 私の名はラウル。私も地上の人類、『ネメアの民』だ」


 いや……どう見ても獣人なんだが……。

 まあ俺たちも、俺以外は普通の人間ではないのだが……。


 モニクが俺の服の裾を引っ張って小声で話す。


「彼からは微かにヒュドラの眷属の気配を感じるが、ヒュドラ生物か人間かでいえば、人間にずっと近い。そういう特徴の種なのではないだろうか」


 いつか聞いた話。

 人間出身の超越者が創造する眷属は、本質的に人間と大差ない。

 ヒュドラ生物もまた然り。

 ヒュドラ毒の外で生きていることからも、より人間に近い性質を持つのが『ネメアの民』とやらなのかもしれない。


 そして、ネメアの民が人間に敵意を向けないという話も、どうやら本当のようだ。

 しかしそれは性質上の話に過ぎない。ヒュドラ生物のように本能的に他種族を攻撃するわけではない、というだけのことだ。

 立場としては敵である可能性のほうが高い。

 さて、どうしたものか。


 すると、膠着状態で俺が悩んでいることを察したのか、ミノが俺の前に出た。

 む……?

 もしかしてお前、犬と狼で顔が似てるから友好的に話せるとかそういう作戦?

 ミノは無造作にとてとてとラウルに近付いていく。


 その動きを「危ないから」と止める者はいなかった。

 何故ならミノのほうがあの狼男よりも強いんだよな。

 ラウルが見かけ倒しということではなく、ミノが見かけによらず強いのである。


 ミノはラウルの前に立って相手の顔を見上げると、身振り手振りを交えて意思疎通を図ろうとする。

 顔は同系統かもしれないけど……身長差すげえなあ。


「すまない……彼は何を伝えようとしているのだろうか?」


 ラウルの表情は読めないが、どうやら困惑していたようである。


「あー、そいつの言葉を聞くのにはちょっと慣れが必要なんだ。俺たちはあんたに危害を加える気はないので、この先を進んだり調べたりしてもいいか、って聞いている」


「なるほど、少し待っていてくれないか」




 扉の前で待っていると、狼男がふたりに増えて戻ってきた。

 やはり表情は分からないが、新しいほうも敵意は感じられない。


「神殿の責任者が会いたいそうだ」


 やっぱここは神殿だったのか。

 何の神を祀ってるんだかな。


 ラウルが案内してくれるらしい。

 新しい狼男は交代の見張りだったようだ。

 今までの神殿階層と変わらない、石造りの通路を奥へと進む。


「慌ただしくしてすまないが、地下から人が出てくるなど我々にとっては驚くべきことなのだ。至らぬ点は容赦願いたい」


 なんとなくそんな雰囲気はあったが、狼男たちは驚き、慌てているらしい。

 顔からじゃ分からんからなー。

 感情の鑑定も、未知の生物相手だと分かりづらい。


 しかし、地下から出てきたというなら……。


「俺たちの少し前に、鎧着た爺さんが出ていかなかったか? ケクロプスって名前なんだけど」


「いや……? 見ていないぞ」


 ラウルは不思議そうに答えた。ウソをついている感じではない。

 ケクロプスなら何らかの手段で誰にも見つからずに移動できるのかもしれないが……。

 ネメアの民とやらはケクロプス、というよりヒュドラ生物とのつながりが無いのだろうか?


 アーチ状の壁をくぐり、大きな石の窓が連なる開放的な通路に出る。

 そして、窓の外の光景が目に入った。


 それは――夕暮れの空だった。

 地上にはオレンジ色の光に照らされた木々も見える。

 遠くに見えるのはひたすら森林だけだ。

 暗くなりかけた空には、薄っすらと星々も浮かんでいる。


 屋外……?

 この神殿、夢幻階層のような屋外型のダンジョンなのか?

 それとも――


「セレネ、外はどうなってんだ?」

「感知できる範囲に地形の端――境界線がありません。夢幻階層よりもずっと広い空間です」


 セレネは日本語で答えた。

 多分その気になれば念話も出来るが、ラウルたちを警戒しているのだろう。


「神殿階層は異空間じゃなくて普通の迷宮って言ってなかったか?」


 モニクがその疑問に答える。


「神殿階層は確かに地下に埋まっていた『普通の地下迷宮』だったんだ。つまり、この『広大な空間の地面に普通に埋まっている』のが神殿階層だ」


「神殿階層はこの新たなエリアのほんの一部分だったんです。境界線が全く感知できなかったので勘違いしていた、ということになりますね」


 これが……迷宮の果て。

 カオスが俺やハイドラに見せたがっていた場所。

 モニクとセレネは互いの見解を述べあっていた。


「それもあるが、ここには異空間特有の気配が全く感じられない。どういう仕組なんだろうか」

「ここ、迷宮じゃなくて世界のどこかの地上、ということはありませんか?」

「確かにそれなら広大な空間に説明はつくんだが――」


 モニクは薄暗くなった空を見ながら言う。


「星の配置がおかしい。ここはやはり地上ではないよ」

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