第23話 超越者

 実際こうしてモニクと再会してみると、毒気を抜かれてしまう。

 この人物が『創造主』であるなら、それも悪くないか……という感情。

 そう割り切れたら、どれだけ楽になれるだろうか。


「違うよ。ボクはヒュドラではない」


 変わらぬ調子の声でモニクは言う。

 それは俺が望んでいた答だ。でも。


 ……え?

 なんて?


「分かっている。ただそう言うだけでは信じることは出来ないよね。だから、詳しく説明する前に――」


 俺の目を見つめながら、モニクはゆっくりと問う。


「聞かせてほしい。何故キミがそう考えるに至ったのかを」




 え? 俺が質問されてんの?

 長話しなきゃいかん流れ?


「な……」


 なにから話せばいいんだ……。


 モニクは俺の向かいの椅子に座ると、ラジオをひょいと取り上げた。

 周波数ダイヤルを回す。音声がノイズ音になった。

 困った顔になってる。ひょっとしてボリューム下げようとしました?

 少し考えてからモニクは電源を切った。

 そう来たかー。


「ごめん。ちょっと会話の邪魔かなと思って。聴きたい番組とかあった?」


 首を横に振った。


「そうか。ごはんはちゃんと食べてるかい? 少しなら出せるけど。それともお酒がいいかな?」


 うん……俺もこの人がヒュドラとはちょっと思えなくなってきた。

 しかし英雄も身近な人間からすれば凡人であるという。

 だから残虐な支配者が、会話してみると割と普通ということもあり得るか。

 会社では蛇蝎の如く嫌われてる人が、家庭では良きパパとかたまに聞くもんな。

 逆もあるのか? 逆はなんというか……その、切ないよな。


「キミは口数が少なくて、考え事が多いタイプみたいだね。はい」


 俺の前に缶ビールが差し出された。金色の少し高いヤツ。

 どっから出したん?

 最後に酒を飲んだのはいつだ。


 冷蔵庫と冷凍庫という人類の叡智がこの世から失われ、俺はアルコールへの興味が薄れていた。常温で飲むような強い酒は、俺にとって日常的なものではなかったからだ。

 飲んだ後に敵来たらヤバいというのもあるが。


 断るのも変だろうか。

 手を伸ばした。

 めっちゃ冷えてる。なんだこれ……。


「ここに来る前に、少しキミが住んでいたアパートの記憶を読んだんだ。ビールが好きなのかなって」


 相変わらず何を言っているのかよくわからない。

 プライバシーの概念が薄い神様的な何かということは伝わった。


 ついでにおつまみ的なものがドサドサと出てきた。

 どっから出したとか考えるのは不毛だ。

 銘柄からいって、俺の勤務先のコンビニにあったラインナップなんですが。

 やってることが俺と変わらん。

 エラい庶民的な女神様だな……。


 俺は観念して金色のヤツのフタを開けた。




 五月一日、世界大災害の日から話した。

 鏡で見た顔の記憶は、今の自分と変わらなかったというところから。

 目覚めたのは三日後であったこと。

 中身の消えた服から異常事態であることを察したこと。

 交番で銃を見つけたが、結局今に至るまで手を付けていないこと。

 その日は酔い潰れてニュースを見たのは翌日であること。


 モニクは最初少し首を傾げていたが、後は大人しく話を聞いていた。

 ときどき相槌を打ちながら。

 聞き上手だ……。

 ビールを空にしたら、どこからともなく次の一本が出てきた。わんこそばかよ。


 封鎖地域の中は毒がなくなって、危険なのは境界線だけなのではないか。そのため自分が生き残ったのではないか。と、このときは考えていたことも話した。


 五月八日、モニクに出会う。


 翌日以降は忠告に従い街から出なかった。

 だが五月十五日、再び地震が起こる。


 そして五月十六日、俺は真実を知った。


 ヒュドラ生物だという女性から、俺もヒュドラ生物だと聞かされた。

 更にヒュドラの存在。

 それは神のような存在であると。

 俺には思い当たる人物がいた。それは――


「なるほど。だいたい分かった。それについては後で補足しよう。その日から今日までまだ間があるね。ボクはキミが、その期間に何を思い、どう行動したのか興味がある。聞かせてくれるかい?」


「ああ……。モニクはアパートを見たって言ってたけど、あれはバカでかい蛇に壊されたんだ。その後近所のコンビニも壊された。俺は逃げるようにここに来て、その後はヒュドラ生物を駆除しながら生活している」


「駆除したときに、何か変わったことは?」


「死体消失時の光が俺に吸い込まれた。ヒュドラの捕食と同じ現象だと俺は思ってる。光を吸い込むたび、少しずつ強くなった、と思う」


 モニクはしばらく黙って俺を見つめたままだった。

 やがて俺にはもう話すことがないのだと気付き、口をひらく。


「キミは何故そんなことが出来るのだと思う?」

「単純に考えて、俺自身がヒュドラ生物だから……そういう能力が――」

「それは違う」


 食い気味に否定された。


「それについても後ほど考えよう。今はキミの疑問に答えるほうが先だね」


 そして、今度はモニクが語る番となった。




「はじめに言っておくが、ボクは人類の敵ではない。でも味方でもない。それに、どちらかといえば人類よりヒュドラに近い存在だ」


 それはなんとなく分かる。

 モニクは人間ではない。


「それはつまり、神様的な?」

「別にそれでも構わないが、人の考えるところの神という存在に当てはめるのは、少し大げさかもしれない。我々のことを知る現代人は、我々を《超越者》と呼ぶ」


 超越者……。

 呼び名を知っただけだ。

 だが今まで正体不明だったモニクやヒュドラに、明確な形が与えられたような気がした。


「《毒の超越者》ヒュドラが、何を思って今回のような災害を起こしたのかはボクにも分からない。ボクはそれを確かめるために、この地にやってきたんだ」


「だから、敵でも味方でもない……」


「人類にとってはね。でも、ボクはヒュドラを止めたいと思っている。だからキミの味方ではあるつもりだ。そして、キミがボクの味方であってほしいと願ってもいる」


 味方……?

 モニクが俺の味方だっていうのか……?

 そして俺に味方であってほしいと願っている……?


 何故だ。

 神のごとき力を持った《超越者》。

 モニクからすれば俺はなんの役にも立たない存在のはずだ。

 それに――


「俺は……ヒュドラ生物なのに」


「キミは優れた洞察力の持ち主だ。限られた情報の中から重要なものを取捨選択し、状況を考察する。そして今日まで生き延びることが出来た。しかし――」


 真っ直ぐこちらを見てモニクは続ける。


「しかしそんなキミでも、常識を破るのは難しい。常識を放棄するのは論理的思考の放棄だから無理もない。キミが生きているのだから封鎖地域の中には毒はない。そう考えたのはその最たるものだろう」


 自分ではアホなことを考えたと思っていたが、そういう見方もあるかもな。


「キミはボクと出会ったとき、ボクから得た情報についてはどう思った? 非常識な存在だから、その情報に意味はないと思わなかったかい?」


「いや……むしろ逆。この非常識な街で、モニクが最も重要な手掛かりだと思った。だから君と話したことは、一言一句覚えている……」


「そうかい? キミは橋を渡ることが出来たかな?」


 橋は渡るなって話じゃなかったか?

 考え込んでしまった俺にモニクは次の質問を投げかける。


「キミは雨の中、外を出歩くことは出来たかい?」


 え?

 いやそんくらいは普通に出来るけど……。


「最後の質問。キミは水を飲むことが出来るかい?」


 …………。


 忘れていたわけじゃない。

 発言の意味を理解していなかったんだ。


 橋を渡れない生物。

 雨の日には目撃報告が激減する生物。

 雨が降ると同時に逃げるように立ち去った金髪の女。


 モニクはあのとき俺にこう言った。「水はキミたち人類を守ってくれる」と。


 なら……ならまさか……!


「ボクはヒュドラではないし、キミもヒュドラ生物ではない」


 あくまでも穏やかな表情のまま、彼女は俺に伝える。


「《死の超越者》モニクの名に於いて断言しよう。キミは人間であると」

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